※大人設定

見渡す地平線には、ぽこぽこと小さな島たちが浮かんでいる。日本三景に選ばれる絶景も相俟って漁業の盛んなこの地では、取れたての新鮮な牡蠣が味わえるので観光客で賑わっている。最も、地元宮城の人間にとっては比較的馴染みのある土地である。

「久しぶりに来たなー。高校の遠足ぶり」

ゆるい潮風が彼女の髪を拐う。自分のものとは違う質のやわらかいそれを目で追うのはある意味男の本能とも言える。

この日、鎌先はある一大決心を胸にこの地に臨んでいた。

高校時代、彼女は伊達工屈指の美女であった。厳つい男の多い伊達工では彼女は高嶺の花、更に高校時代の彼女には年上の恋人がいたため誰しもが彼女を諦めていた。そうして終えた三年間、運命が悪戯をしたのは彼らが卒業して数年経った頃である。

同僚に誘われた合コンに赴いた鎌先は、当初全く乗り気ではなかった。如何せん思春期をむさ苦しい伊達工で過ごしたのである、更に言えば彼はバレーに青春を捧げ、そのまま男ばかりの板金工場に就職したため大人になった現在とて女性の扱いなど心得ていない。大人になって何度か女性との交際を経験するも「女心がわかってない」と泣かれフラれる始末、鎌先と別れた女達は皆すべからく女性の扱いに長けた優男の元へ行ってしまった。

これ以上傷口に塩を塗られて堪るか。

小洒落た店の一角で鎌先はウーロン茶をちびちびと口にする。彼は下戸であった。飲めないくせに酔い潰れてみっともない醜態を晒すより、足となり人のためとなる道を彼は選んだ。今思えば彼の選択は賢明な判断だったと言える。

女の方は特別容姿が悪いとか気が利かないといったわけではなかったが、失恋からひと月と経っていない傷心中の鎌先は会話が右の耳から左の耳へ抜けていくばかりで上の空。元恋人に未練があるわけではないが仕事に生きると決めたのだ、恋愛する気分になれない鎌先は少しばかり居心地の悪さを感じていた。

「もう一人の子もうすぐ来るってさ」

宴が始まり30分、女側の幹事が携帯を耳にしながら伝えてきた。3対3のよくある合コン、しかし今女は二人しかいない。一人遅れてくることは知っていたが、根が体育会系の鎌先にとって時間厳守は当たり前。遅れてくる辺り今から来るやつも自分と同じく乗り気なわけではなさそうだと踏んでみる。自分と同じ駆り出されただけのやつがいるとわかれば気も少し楽になった。

「遅れてごめんなさい、仕事が長引いちゃって」

カツカツとヒールを鳴らしてやって来た方に視線を向ける。通路側、入り口に近い方の所謂下座でせっせと料理をテーブルに寄せていた鎌先が振り向くとそこにいたのがなまえであった。

「えっ、うそ鎌先くん!?久しぶり!」

思わず鶏の唐揚げをシーザーサラダの中にぶち込んでしまいそうになるほど鎌先は驚いた。驚いたなんてものじゃない。一目見ただけでわかるほど、彼女はあの頃から全く変わっていなかったのだ。よく「初恋の人に同窓会で会ったら変わっていた」という話を聞くが、なるほどいい女は大人になってもいい女なのだと思い知る。

そのまま彼女は鎌先の目の前を陣取り、改めて自己紹介。みょうじなまえ23歳、大学卒業後地元に戻り今は受付の仕事をしている。恋人とはつい3ヶ月ほど前に別れたという。

「新入社員だからいっぱいいっぱいになっちゃって」

聞くと、それは高校時代より付き合っていたという噂の年上男。少し前まで続いていたのかと鎌先は驚く。失恋から立ち直り、少しずつ前を向き始めた彼女は今回の席に参加することを選んだという。

「でもまさか鎌先くんと再会するとはなあ」

来て早速、彼女は二杯目のモスコミュールを煽る。飲みっぷりを見るに意外と豪快な性格なのかもしれない。

「私ずっと鎌先くんと話してみたかったんだ、高校のとき鎌先くんいっつも男の子といたでしょ?話しかけづらくて」

その言葉をそっくりそのまま彼女に返したいところだが鎌先は口をつぐむ。鎌先どころかあの頃、彼女と話したがっていた男ならごろごろいたのである。

「なんで俺と?」
「A組の子が鎌先くんのこと面白くていい奴だって言ってたから」

自分の知らないところで自分の話をされるのはあまり気分がいいとは言えないが、この場合素直に喜んでもよさそうだ。所在なさげにウーロン茶に口をつける。

「それにほら、鎌先くんって真っ直ぐで職人気質!って感じでしょ?かっこいいなーって思ってた」

完全に油断しているところに爆弾が投下され、鎌先の気管にウーロン茶が紛れ込んだ。異物に驚いた気管は液体をあるべきところへ押し戻そうと思わず咳き込む。「大丈夫?」と心配そうに覗き込む綺麗な瞳を、鎌先は見ることができずにいた。純粋とは罪深い。

かつて鎌先と話したがっていた、というのはどうやら本当のようで、会が終わるまでほぼ二人で話し込んでいた。高校時代の思い出話や同級生の近況、そして卒業後のお互いのこと。話はまるで尽きることがなかった。そうして会はお開きとなり、家が近いという理由で鎌先はなまえを送っていくこととなる。

「楽しかったね」

アルコールの回った彼女は、今にも眠ってしまいそうなほどとろんとした目で鎌先に視線を送る。信号待ち、鎌先は彼女の視線に気がつかないふりをして赤信号を睨み付けた。

「お前結構飲むんだな」
「今日は楽しかったから飲みすぎただけだよ」

何度も言うが純粋とは罪深い。男に送られているというのに、こういうことを平気で言ってしまう。他意がなさそうなところが余計にたちが悪い。計算だったならいくらかよかった。だけどそうではない。

「家の場所先に言ってくれりゃああと寝てていいぞ」
「やだ、もっと話したい」

なにが面白くて話したがるのかはわからないが、彼女はただ鎌先を見つめ続けた。理性が揺れ動く。さすがに素面の自分が酔っ払いと事に及ぶなどということはできず、しかもそんな度胸は沸いてこなかった。女性相手ともなると鎌先の本能も度胸も全て無になってしまう。結局鎌先は話半分で他愛もなく話をしながら彼女を無事に家まで送り届けた。

「ねえ、また会ってくれないかな」

ハザードランプをつけ、ギアをパーキングに入れた鎌先に信じられない言葉が飛び込んでくる。思わず動揺したが、悟られないよう頷くと彼女は嬉しそうにはにかんだ。

そうして連絡先を交換した二人は、他愛もないやり取りを日常的にしつつ、時には二人で食事に行ったり出掛けたり。相変わらず女心はわからないながらも、鎌先の男気溢れる優しさを彼女は寛大に受け止めていた。しかし鎌先は考える。彼女はどういうつもりで一体なにを考えているのだろうと。
友人として仲良くしていきたいとは思うが、不器用に空回る鎌先を笑って許す彼女に居心地のよさを感じているのもまた事実。その先に踏み込んでしまいたいと二の足を踏む日々である。その気のない男と何度も二人で会ったりはしないというのが二口の見解であるが「でもあのなまえさんが鎌先さんとって、美女と野獣もいいとこっすね」と笑ってビールを煽る。

「二口てめえ!」
「まあでも意外だなー、みょうじさんの元カレ鎌先と系統違うらしいし」

二口を諭しながら手酌でビールを注ぐ茂庭が呟いた。本日は元伊達工バレー部の飲み会である。このことを彼女に言うと「いいなあ私も行きたい」とハートマーク付きのメッセージが来たことが鎌先を悩ませている。

「新鮮なんじゃないすか?野生のゴリラ手懐けてるみたいで」
「上等だてめえ表出ろ」
「まあ前の彼氏と長かったっつっても駄目になってんだし、元カレの系統は宛になんねえだろ」

確かに。笹谷の言う通りである。彼女が長年付き合ってきた元恋人がどれだけ余裕のある優しい年上だろうと、それはとうに破局しているのだ。今鎌先と向き合っている彼女は、不器用な鎌先に優しく笑いかけてくれる。そして鎌先もまた同い年の彼女に年下特有の癒しや従順さを求めているわけではない。「女心がわかっていない」とフラれ続けた鎌先の自信を少しずつ取り戻し、くだらないことを笑い飛ばしてくれる。恋心を募らせるのにそれ以上の理由は必要なかった。

「まあここらでハッキリさせんのもいいんじゃない?お前もすっきりしないだろ」
「そうそう、鎌先さんのくせに悩んでるとか気持ち悪いんすよ。フラれたら祝杯あげりゃあいいんだから」

つぶ貝をほじくりながら茂庭が二口を諭した。元とはいえ、さすがは曲者をまとめ上げていた主将である。鎌先のことなどお見通し、珍しくビールに手をつけた鎌先の決意はこのとき既に固まっていた。



「……お前さあ」
「うん?」
「……わりい、やっぱなんでもねえ」
「え、なに?気になる」
「うるせえ忘れろ」
「ねえなに、言ってよ」

腹を決めたとはいえ、どうも彼女を前にすると言葉はすんなり出てはくれない。今日は言うのをやめようか。今日、というより、ずっと。このまま友人として関係を続けた方が結果的に長く続くのではないかと何度も頭を過った。彼女を前にしたとき、それは確信へと変わってしまった。臆病風に吹かれながら小さな島たちの数を数える。怪訝そうに目を細めた鎌先の横顔をじっと窺っていた彼女の溜め息は、潮風に乗って鎌先を振り向かせた。

「……ばか」
「ああ!?」
「女心わかってない」

聞き飽きた、昔の女達に何度も言われた台詞。その言葉に鎌先の眉間に刻まれた皺がより深くなる。

「どうせ俺はわかってねえよ」
「ほんとにね」

気まずい沈黙が流れていく。そんな中、波音に掻き消されてしまいそうなほど小さく彼女が溢した。

「……期待してたのに」

なにを?とは聞けなかった。ただ、いつかの二口の言葉を思い出していた。そして何度も反芻して、確かめる。その気がないのならこうやって、彼女は来てくれるはずがないのだと。いくら優しい人だとはいえ、そこまでバカじゃないし軽い女でもない。鎌先は息を深く吸い込んだ。

「ほんとに言うぞ」
「うん、聞きたい」

真っ直ぐ見つめる彼女の目は、鎌先の主観がそうさせているだけかもしれないが慈悲深い、だけど緊張を孕んだ瞳だった。鎌先の背中越しに沈んでいく、真っ赤な夕日。それを映した彼女の瞳を真っ直ぐ見つめ返すことはできずにいた。

「……好きだ」

彼女の顔は見れない。できるはずがない。彼女が息を飲んだのがわかった。

「……それだけ?」
「は?」

一世一代の告白をしたというのに、それだけとはどういうことだ。緊張の反動から苛立つ鎌先に、彼女は微笑みながら追撃をする。

「他に言ってくれないの?」
「は!?あ、結婚してくれ」

全身を駆け巡る緊張は、用意していた言葉をも吹っ飛ばしてしまった。代わりに段階をすっ飛ばしすぎた本音が咄嗟に溢れる。しかし言葉にしてからでは後の祭り。言った当の本人が焦る始末。なんてことを口走ってしまったんだと鎌先は口元を拳で覆った。

「やっべ、ちげえ。今の忘れろ」

取り繕えるはずもないのに、鎌先は耳まで赤くして言った。そんな鎌先の様子に、目をぱちくりとして呆然としていた彼女から次第に笑いが込み上げてくる。

「てめえ、笑ってんじゃねえ。忘れろっつったろ」
「だって、いきなりプロポーズされると思ってなくて」

遂には腹まで抱える始末、笑いすぎた彼女の目尻に涙が溜まっていく。細い指先でそれを拭うと、彼女は鎌先にゆっくり向き合った。

「あーおかしい、一生分笑った」

相変わらず鎌先は彼女の顔を見ることができない。穴があったら入りたいとすら思っているだろう。しかし目の前にあるのは海であって穴ではない。

「待ってた言葉とちょっと違うけど」
笑いが収まった彼女が今度は深く息を吸う番。不器用なりに夕日の見える大絶景に連れてくる鎌先の付け焼き刃なプランは、一体誰の入れ知恵だろうかと思慮を巡らせた。今日やっと彼が腹を決めてきてくれたことなど最初からお見通しだったのである。

「いきなり結婚はちょっと無理だから、まずは恋人から始めたいかな」

順番をすっ飛ばした鎌先を軌道修正して、そうして始めることを提案する。
振り回されているのは一体どちらなのか、それは二人のみ知ることであるが鎌先のこの日の告白を肴に飲む日はそう遠くはないだろう。

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