『会いたい』
用件のみの素っ気ない文面。だけどその一言が何よりも嬉しかった。
にやける顔そのままに画面に指を滑らせる。
『いつもの公園で』
そう返して厚手のコートを羽織った。それからニット帽とマフラー。今日は手袋はいらない。
玄関で母親に引き止められたけれど、赤葦くんの名を出せばすんなりと引き下がった。
ドアを開けるとその温度差にぶるりと身が震えた。
暗闇に息を吐き出せば雪の白と溶け合う。それを見届けていつものようにマフラーへ顔を埋めた。
お昼過ぎから降り始めた雪は夕方から勢いを増し東京の街を白く染め上げた。
至極寒がりなわたしは冬は完全装備。コート、マフラー、帽子、そして手袋。深めに被った帽子、ぐるぐる巻いたマフラーに顔を埋めて、顔が見えない、なんて友だちに笑われるけれど背に腹は変えられない。それに「なんかもこもこしててかわいい」と赤葦くんは笑った。赤葦くんに何か言われたらやめようと思っていたけど、おしゃれより防寒を優先させるわたしの頭を彼は優しく撫でた。
ニット帽越しに彼の温もりを感じていると、でも、とその視線が下がる。
「俺と会うときは手袋しないで」
するりと手袋を外され、一瞬だけ外気に触れた手を赤葦くんの大きなそれに包まれた。
「行こう」
突然のことに驚いて固まっていると、赤葦くんはそのまま歩き出した。引っ張られるように慌てて足を動かす。その足取りはいつもよりも少しだけ速くて。赤葦くんを見れば彼の耳も紅くて、それが寒さのせいじゃなければいいなって、嬉しさとちょっぴりの恥ずかしさ、それから少しの期待で弾むこの胸の鼓動が、繋いだ手から伝わればいいななんて思った。
あれからもう一年が経つ。ポケットに入れた手がじんわりと熱を生んだ。
中学を卒業するときに赤葦くんから告白された。嬉しくて泣いた。片思いのまま終わってしまう恋のはずだった。
彼は全国レベルのバレーボールの強豪校、わたしは進学校である女子高へと進路が決まっていた。
接点はクラスメイトということだけ。卒業したらきっともう会えない。だっていつも遠くから見つめるだけの存在だった。彼からしたらわたしはただのクラスメイト。卒業したら連絡をとることすらないだろう。
そう思っていた。
だから涙が止まらなかった。その涙を勘違いした彼は焦ったように言葉を続けた。
「高校も違うし、正直バレーを優先すると思う。けど、絶対大切にする。だから、俺と付き合ってください」
告白でそんなことを言う人がいるだろうか。あぁ、でも、彼らしい。だってわたしは、ひたむきにボールを追いかける彼を好きになったのだ。綺麗な言葉で着飾るよりも、なんて誠実な告白だろう。
いつの間にか、涙は止まっていた。
それからいくつも季節は巡り、もう二度目の冬を迎えた。あのときの言葉通り、赤葦くんは梟谷学園でバレーに打ち込んでいる。
デートらしいデートは両手で数えられる程。それでも目標に向かって一所懸命頑張る彼をどうして咎めることができるだろう。
彼はいつだって、
「みょうじ」
優しく微笑んでくれるのに。
その公園には四角に組み合わされたベンチの上に簡易的な屋根がついた休憩スペースがあった。わたしの家から近く赤葦くんちからも徒歩圏内。赤葦くんと会うのは決まってこの公園だった。ベンチに座って学校の話しをしたり、バレー部の話しを聞いたりして、あまり遅くならないうちに帰る。帰りは必ず家まで送ってくれた。
短い時間の中、交わす言葉はあまり多くはない。赤葦くんもわたしもお喋りな方ではないから、それは当然のことでもあった。それでも赤葦くんと過ごす時間は、沈黙さえも穏やかで心地いい。
だいたい週に一回。大会なんかが近いときは会えないこともある。友だちはありえないとか言うけど、赤葦くんが頑張ってるのも知ってるし、わたしはそんな赤葦くんが好きだから不満なんてなかった。
むしろ数少ない貴重な時間だからこそ大切にしようと思えるし、幸せを実感できる。
今日だって街の光を反射してきらきらと光る雪が綺麗でため息が出た。会いたいなぁ、一緒に見たいな、と思っていたら、赤葦くんからメッセージが届いて、だから、
「綺麗だね」
「うん」
それ以上言葉はいらなかった。
たった一言だけど、ううん、その一言だったから、赤葦くんも同じことを思ってくれたのかなって、期待は確信に変わる。
ほぼ同時に、繋いだ手をきゅっと握った。思いを込めるみたいに。
ね、ほら。こんなに幸せなことってないでしょう?
同じ景色でも隣りに赤葦くんがいるというだけで輝きはさらに増す。どんな宝石よりも綺麗で幻想的で。音という音を雪が吸いとったかのように辺りは静かで、聞こえるのは互いの呼吸の音。
本当に、この世界にはわたしと赤葦くんしかいないみたい。
「みょうじ、」
どれくらいそうしていただろう、ふいに赤葦くんが口を開いた。
視線を横に向ければ、いつもよりも熱を孕んだ、緊張と不安がないまぜになった、張りつめた瞳と目が合った。
「キスしてもいい?」
その瞳から逃れることはできなくて、伸びてきた左手に後頭部を捕らえられ、目を瞑った。
静寂の中、雪の音だけがしんしんと迫る。
存在を主張していたはずの呼吸音さえもいまは赤葦くんに飲み込まれて、唇の熱と重なった手のひらの温かさだけが、わたしと赤葦くんがこの白く静謐な世界にいることの唯一の証明だった。
title.寡黙
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