桜舞い散る花屑の庭で、はらはらと涙を零すその美しい横顔に恋をした。

その日は、珍しく春の暖かさを感じる日だった。たまたま通りがかった庭先の桜がとてもきれいだったので思わず立ち止まる。この木が植えられて何年経つのだろうか。かなり立派な桜の木は堂々として美しい。見蕩れるようにその桜を見上げていた俺は、木の下に一人の少女が立っているのに気づいた。俯いているせいで顔は見えないが、この家の人なのだろうか。何となく、その後ろ姿に見覚えがあった。
ふと、その少女が顔を上げる。泣いていた。はらはらと、重力に逆らわず落ちていく涙。それを拭おうともせず、ただただ泣く少女。まるで一枚の絵のような光景に息を飲む。向日葵のように明るく笑う彼女しか知らない俺は、その儚げな姿に思わずその名を呟いた。


「みょうじさん」


名前を呼ばれたような気がして、振り返った先にはクラスメートの男の子が立っていた。驚いたようにこちらを見ている彼に、慌てて頬の涙を拭う。いけない、恥ずかしいところを見られてしまった。取り繕うように笑って、どうしてこんな所に?と尋ねる。

「たまたま通りかかって、立派な桜の木だなぁって見惚れてたんだ」
「そうなんだ・・・」

確かに、この木はおじいちゃんの子どもの頃からある、近所でも有名な桜の木だった。この桜は樹齢200年を超える、なんて嘘かほんとかわからない話もあるくらい。だから、縁下くんが見惚れるのも無理はない。

「よかったら、少し見ていく?」

そう誘ったのは何となくだった。ちょうど、一人でいるのが無性に苦しくて悲しくて、誰か傍にいてほしかったのかもしれない。同じクラスの縁下くんは目立つタイプの人じゃない。クラスでも中心から少しだけ離れた位置にいて、周りを静かに見ている人。でも、困ってる人にはさりげなく手を貸してあげる優しい人だと知っていた。だから、ずるいかもしれないけどその優しさに少しだけ甘えたくなったのかもしれない。何となく、縁下くんなら、わたしの話をちゃんと聞いてくれると思った。
わたしの突然の誘いに少しだけ目を丸くした縁下くんは、だけど少しだけ微笑んで、なら少しだけお邪魔しようかな、と庭先に入ってきた。二人きりの、小さな花見だ。

大きいね。うん。こうして見上げると、空一面が桜色なんだね。そうなの、子どもの頃からこの光景が大好きなんだ、心も全部空っぽにしてずっと見てられる。この光景なら分かる気がする、圧倒されるというか・・・とにかくすごいね。ふふ、ありがとう・・・・・・あのね、実はわたしの大好きだった飼い猫が死んじゃったんだ。・・・うん。生まれたときから一緒で、まるで姉妹みたいだった。もちろん、気まぐれなあの子はいつだって手厳しくて、全然甘えてはくれなかったけど、でも、わたしが落ち込んでいるとそっと傍にいてくれる優しい子だったんだよ。

「死んだら、どこへ行くのかな」

ぽつり、とわたしの言葉が落ちる。死んだらどこに、なんて哲学的な話をする日がくるなんて思わなかった。だって死はいつだって曖昧で遠くにあった。だけど、冷たく動かなくなったあの子を見て、初めて実感してしまった。死は現実的で、いつだってそこにあったのだと。わたしが気付かなかっただけですぐそばに横たわっていたのだ。
わたしの突拍子もない問いに、縁下くんは驚くでも呆れるでもなく、少しだけ考えたあと、やっぱり天国なのかなあ。と呟いた。天国。天上の世界。そこはいいところなのだろうか。あの子が幸せになれるところなのだろうか。

「天国っていっても、おとぎ話みたいなものかもしれないけど、でも、死んだ人がその後も幸せであってほしいって願う気持ちが大事なんじゃないかな。せめて安らかに眠ってほしいっていう残された人の気持ちが作った、きっと優しい場所だと思うよ」

縁下くんの言葉を聞きながら、ふわり、と落ちてくる花びらに目を閉じる。目蓋の裏に蘇る彼女の姿。ツーンとそっぽを向くくせに、にゃーと甘えた声で鳴く。ひなたぼっこのしすぎで、抱きしめるとおひさまの匂いがしていた。

「エリーはちゃんと天国に行けたかな」
「きっと、大丈夫じゃないかな」

そっかぁ、そうだよね。少しだけ涙声になったわたしに縁下くんは何も言わずにただそこにいてくれて、一緒に桜を見上げていた。その優しさがじんわりと胸を温め、また一粒、涙が零れる。

そのとき、ひときわ強い風が吹いた。花びらをたくさんまとわせた枝が揺れる。
花が降る。花が降る。
薄紅色した花びらたちの花吹雪。幻想的で美しい光景の中、さざめく花びらの向こうに、走り去るあの子を見た気がした。
これで、きっとよかったんだ。もっと撫でてあげればよかった、もっと遊んであげればよかった。そんな後悔は山ほどあるけど、わたしたちの思い出はちゃんとわたしの中に残ってる。だから、心配しなくてももう大丈夫。もう、泣かないよ。
目の淵に溜まった涙を拭い、ありがとう、と隣の彼に向けて小さく囁く。すると、ふわり、とわたしの頭に温かな重み。そうして数度わたしの頭をやさしく撫でた彼は、花まみれだねと柔く笑った。


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