人はなにをもって「自分は幸せだ」と言い切るのだろう。少なくとも今の私にとっては、暖かい部屋でこたつに入って鍋をつつきながら日本酒を煽ることこそが幸せなのではないかと思う。吹きっさらしの雪原は、時おりぼうっと突っ立っている街灯で青白く照らされている。見るからに寒そう。そういえば自分が育ったこの町は、芯から凍えるくらい寒い町だったと思い出した大寒波のこんな夜、私は日本酒の一升瓶を片手に坂ノ下商店を目指して歩いている。

「繋心!帰ってきたよ!飲もう」

ほっこり温かい石油ストーブのせいで内側に汗をかいた引き戸をがらりと開ければ、繋心はカウンターの奥でジャンプを読みながら煙草を吹かしていた。

「さみいだろ、さっさと閉めろ」
「いつ仕事終わんの?早く飲もう」
「帰ってくるなりうるせえな、つうかなんで帰ってきた?」
「その件についてお話をしたくこうして出向いたわけですが」

土産を掲げてみせると、繋心は察しがついたのか口元を引きつらせた。日本酒、そして一升瓶なんて二人で飲むには多すぎる。少なくとも私も繋心もそんなにお酒が強いわけじゃない。にも関わらず私が度数の強い酒を飲みたがるときは、大抵酔わなきゃやってられないようなことがあったときであると相場が決まっている。

「あー……わかったよ上がって待ってろ」

失礼極まりないくらいのそれはそれは深い溜め息を吐いた繋心を横目に、さっさと部屋へ上がらせてもらう。二年ぶりの里帰りでこうして懐かしい場所へ赴くと、荒んでいた心も安らぐのだから故郷というのは偉大である。リュックに詰めてきた大量のつまみをテーブルに広げていると店を閉めてきた繋心がやって来た。これから大人数で飲む気かというくらいに持ち込んだつまみたちを見下ろして、またしても嫌そうな顔をする。

「……お前な、どんだけ飲むつもりで来てんだ」
「そりゃもう潰れるまで飲むよ」
「誰が世話するかわかってんのか」
「頼むよー、幼馴染みのよしみでしょ」
「ったく、俺明日はえーんだぞ」

母いわく、繋心はいつの間にか我らが母校烏野高校でバレー部のコーチをしているらしい。「繋心ん家行ってくる!」と元気に外出しようとした矢先に聞いたのだ。自分が青春時代を過ごした場所と今でも関わることができるというのは大変素晴らしいことのように思う。私も大学卒業と同時に地元に帰ってきていたらよかったのかもしれない、と思うと同時に途端に泣きたくなってきた。

「うわっ、なんだお前もう酔ってんのか」

ひとり気難しい顔をして唇を噛んでいると、繋心がぎょっとしたように訊ねてきた。

「飲んですらないけどさ、繋心はいいなって思って」
「はあ?」

素面だというのに突拍子もないことを言い出した私を放って繋心はふたつのおちょこに酒を注いでくれた。雑な乾杯をして、一気に飲み干すと吐き出したかった言葉たちが次々と口をついて出る。

今回の帰省の理由は、有給の消化のために他ならない。大きな仕事があったのでここのところ気を張っていて山場を越え一段落したとき、ふと気分転換に帰りたくなった、ただそれだけのことなのに。

「親も親戚もご近所さんも口を開けばすぐ『結婚の報告で帰ってきたのかと思った』って、うるさいっつうの!なにもなきゃ帰ってきちゃいけないんですかー?って思わない?私ここで生まれて育ったんですけどみたいな」

確かに帰省してみて驚いたのは、私ぐらいの年代の子はみんな結婚していて子供を設けていることだった。今の時代、ネットを通じて友人の近況は簡単に知ることができる。とはいえSNSで繋がっていない子もいるわけで、そういう子とばったり遭遇すると大抵薬指に指輪をして、小さな子供を抱いていた。都会にいると私ぐらいの年代の女は働き盛りだから正直焦りもなかったのに、田舎においての結婚適齢期の早さに驚くばかりだ。

「私はさ、もっと東京でやりたいこととかあるんだよ。大学出たのにキャリア積まないともったいないから少なくとも30までは結婚するつもりないし。それだけなのになにこの肩身の狭さ!びっくりなんだけど」
「誰も悪気あって言ってねえって、挨拶みてえなもんだから気にすんな」
「それどころか繋心にまで『お前なんで帰ってきた?』とか言われるオチ!実家に帰ってくるのに理由いる?一生帰ってこない方がよかったのかな!?」
「あーそれは俺が悪かった、頼むから落ち着け」

結婚というのは確かに幸せのひとつの形ではある、だけど結婚だけが幸せではないと私は思う。だからと言って「じゃあ今幸せなのか?」と聞かれると答えに苦しむ。私は今、幸せなんだろうか。これから幸せになれるんだろうか。そもそも私の幸せってなんなんだろう。そんなことを考える。

「……まあ言いてえことはわからなくもねえが」

煙草に火をつけると繋心は深く息を吐いた。苦々しい顔をしている。

「年寄りどもに『結婚はまだか?』とか言われるつらさは俺にもわかる」
「……なに、繋心も結婚するの?」
「しねえよ」
「ちなみに彼女は?」
「いねえよ、だから迷惑してんだよ」
「彼女もいないのに結婚しろとか言われてんの?うわウケる私かよ」
「毎日のように言われる俺の方がつれえぞ」

それも確かにそうなのかもしれない。仕事を諦めて地元でのんびり暮らしていたらそのうち「結婚するのもいいかもな」と考え方が変わるのかもしれないとは思う、でも地元民である繋心は現にそこまで結婚に執着しているようには見えない。結局のところ、考え方というのは環境に依存するものではないんだろう。

「……なんか地元に帰ってきづらくなるな」
「んなもんいちいち気にすんじゃねえ。お前は昔っから人の話聞くようなタマじゃねえだろ」
「社会に出てその根性叩き直されたけどね」

入社したばかりの頃を思い返すと、乾いた笑いが喉から込み上げてくる。もし同じような指導をまた受けるとしたらちょっと遠慮したいくらい、それはもう厳しい指導を受けたものだ。とはいえ私に社会人としての基本を叩き込んだ上司たちも、本心では「この子そろそろ寿退社するのかな」とか様子を伺っているんだろうか。そういえばここのところ、会社の飲み会で恋愛の話になると私が口を開くときに空気が変わるようになった気がする。気を遣ってもらっても今のところ予定なんかないのに。

「結婚するなら繋心くらい私のことわかってくれる人がいいな」
「俺はお前みたいな無鉄砲女願い下げだけどな」
「いいじゃん、30までお互い独り身だったらもらってよ。利害の一致ってやつ?」
「あのなあ」

溜め息と同時に煙を吐き出すと、繋心は煙草を灰皿に押し付けた。あぐらをかいた膝に肘を立てて、頭を抱えている。

「妥協みてえに言うんじゃねえ」
「……やだな、酔っぱらいの冗談じゃん。半分本気だけど」
「うちに嫁いだら店番だけじゃなくて朝っぱらから畑の手伝いもあるんだぞ、お前には無理だろ」
「大丈夫だって、学生時代は遅刻常習犯だったけど今は始発で出勤とかざらだから」

休みの日は昼過ぎまで寝てるけど、とは口が裂けても言えないので、噛んでいたするめを言葉と共に飲み込んだ。噛めば噛むほど味が出る、というのはするめだけじゃなくて人間関係も同じと言える。昔の私なら、幼馴染みという関係をおもしろがって「繋心と付き合ってるの?」なんて聞かれようものなら烈火のごとく怒りだしたものだ。まして結婚しようなんて冗談でも絶対に言わなかった。だけど大人になって地元を離れたときふと気づく。大抵の男の人は、なんの連絡もなく日本酒を持っていきなり家に押し掛けると困り果てるし、結婚というシビアな話題を振ったとき「女の幸せは結婚にこそある」と持論を振りかざす。長年の付き合いもあるのだろうけど、繋心のように全てを受け入れてくれる人というのは極めて貴重である。人工過密都市で日々いろんな人に出会っても、繋心のような人には出会えなかった、それが現実。

「……仕事辞めて繋心のとこに嫁ごうかな」
「お前さっきキャリアがどうとか言ってなかったか」
「だから30まで待っててよ」
「……本気で言ってんのか?」
「酔っぱらいの冗談だと思っててもいいよ、私は迎えに行くからね」

脅迫にも近い宣言をする。繋心は観念したように眉を下げて日本酒を煽って、私はそれを見てけらけらと笑っている。こんな幸せがあったっていいのかもしれない、なんて思い直した。窓の外ではごうごうと風が鳴いている。次にこの町に帰ってくるときはきっと春なんだろう、桜は咲いているだろうか、そんなことを夢に見た。

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