>>2017/01/01 (Sun)
>>06:56
『いまこのときに感謝を』
兄妹弟


「一年てどうしてこう早いのかしら」

雪が降らず、空気が澄んだ星空の下。高橋邸のリビングテーブルにはココアが3つ。

「充実しているからじゃないか?おまえの場合は特にな」
「お兄ちゃんだって、来年は特に、でしょ?」

11月に終幕したGT戦は、オフシーズンも実は忙しい。既に行われているメーカーテストは年が明ければさらに増える。春の開幕戦に向けてスケジュールはパンパンだ。束の間の休息、故郷群馬で迎える、年越しのとき。

「オレも今年は充実してたなー、藤原に会ってからいろんなことあったもんな」
「ふふっ、そうね啓ちゃん」
「来年は啓介と藤原にかかってるんだからな、しっかり頼むぞ」
「おうよ、アニキにゃ心配かけさせねーぜ!」

冬が終わればいよいよだ。涼介が長年企てた計画が始まる。だから、いま、

「忙しくなったら、なかなか会えなくなるかもね」
「アネキとゆっくりできるのも少なくなんのかなあ、アニキ」
「ああ、そうかもな。だが」

涼介が、妹の手からココアのマグをそっと離し、そのまま両手で包み込む。

「オレたちは繋がっている。お互いを想うほどに」

そうして白く柔らかな甲にキスを。いつも変わらない優しい目で。

「来年もたくさんいいことがおまえにあるように、祈ってるよ」
「私もよお兄ちゃん。プロジェクトもお勉強も、私信じてるから」

見つめ合って、ふふと笑う兄と姉。微笑ましいふたりが面白くなくて。

「アネキ、オレのことは信じてくんねーの?」

姉をうしろから抱きこみ、頭に顎を乗せ頬を膨らませた。

「さあ?どうかしら」
「あ、ひっでーの」
「さっきも言ったろ、啓介にかかってるって」
「オレはアネキに言ってもらいてーの」
「そうね、ドライビングだけじゃなくて春までにフィジカルトレーニングもがんばったら、言ってあげてもいいわ」
「オレは!今がいいの!」

暖かなリビングでじゃれる妹弟たち。もうすっかり大人になった彼らの爪先は、それぞれの路を向いている。

笑いあう中で聞こえた新年の鐘。スタートの合図。さあ、夢の実現へ。

「今年も最初に会うのが、お兄ちゃんと啓ちゃんで、幸せよ」

たくさんの素晴らしいことがあるように、いつも、いつも。


*****

>>2017/02/25 (Sat)
>>13:00
『スプリングハズカム』
未来設定の姉弟、同チーム


開幕戦の日が迫ってきた。ここ栃木県は茂木のサーキットにて、この週末はどのチームもテスト走行に忙しなくバタバタとしている。立春を迎えているが肌に感じる季節はまだ冬で、露出している手や頬が冷たくかじかむほど。

「いい天気!今日は一気に洗濯ね!」

ところが一転、本日は春の陽気。腕を伸ばし肩と首を動かし天を仰げば雲がちらほら浮かぶ青空。風は冷たくともあたたかい陽射しのおかげでむしろ心地がいい。

チーム内の洗濯はマネージャーの仕事。だが今は次の走行準備のため必要物資の確認中のようだ。見兼ねて、声を掛ける。

「洗濯物たくさんありそうだし、私やっておくね」
「えっ、あっそんなチーフ!私やりますよ!準備が終わったら手が空くので!」
「でも今からやらないとこの青空もったいないよ。私フリーだから、任せといて」

タスクを分担した方が準備を間違いなく進められそうだと告げて、洗濯機のあるパドック奥へ。このテストで使われたタオルやら防具類がたまっている。さて、とチームスーツの袖を捲り、青空の下、スイッチを入れた。

────

干されたひとつを手に、ふと、思い耽る。

(…大きくなったなあ)

今さらなことを心で呟いた。

(この名前に、何度、喜びをもらっただろう)

風に泳ぐ耐火インナー。兄や私のうしろを着いてくるだけのかわいい弟は、いつの間にこんな逞しくなったのか。干されたそれに刺繍された名前をなぞり、改めて、その成長が嬉しくて目が潤み、咄嗟に上を向く。

「あーねき、ごめん、オレの洗濯ありがと」
「う、うん、気にしないで!みて啓ちゃん、いい青空よ!」

涙が出てきたのは、空の光のせいにしておこう。


*****


>>2018/02/20 (Tue)
>>00:11
『ぼくが右で左がきみで』
豪さんと真ん中。お付き合いしてます。ご注意:名前固定


珍しい誘いだった。
帰国を知ったのは彼女のSNS。すぐにお帰りと連絡を入れた。そしたら、だ。

「このくそ寒ィのに海に行く奴がいるか?」
『サーファーたちはいるじゃない、ほらたくさん』

海に行きたいと、返事が来て。

「…旅の疲れとか、あるんじゃないの」
『あるにはあるけど、今は…からだを動かしていたい気分、かな」

チームファクトリーの御殿場で解散と訊いたから、彼女の都合に合わせて迎えに行った。

「少し焼けたな」
『うん』

2月に入ってすぐ、GT各チームは南国マレーシアのセパンへトレーニングとマシンテストに向かう。毎年冬の恒例だ。彼女のチームも漏れなく参加しているため、2週間ほど遠距離恋愛になることも恒例であって。今日、久しぶりに頬に触れた。

「海に行きたいって、散々海の近くにいたのにまだ足りないのか?」
『…セパンと神奈川の海は違うよ』

昨今の通信技術の恩恵にあやかり、時差があっても彼女とはすぐに連絡が取れていた。メールも、声も、顔だって、そばにあった。

「へぇ、どんな違い?」

だけど、

『……豪が、いること』

体温は、そばになかったから。

「…なんだよ」
『…なによ』
「調子狂うんだけど」
『なんで』
「そんな素直だと」
『…だって』

自分のとなりが、さみしくて。

『豪と来たかった、って、思ったの』
「セパン?」
『とても綺麗だった。いつかビーチを歩きたいって』
「あー、うん、オレにプロになれってこと?」
『それもある、けど、旅行でもいいな。豪とゆったりしたいなあ』

今日の神奈川は穏やかに晴れ、海面に太陽が煌めいている。同じ海と太陽が、彼女が想うセパンにも繋がっていた。

「ところで、オレがいなくて寂しかったってそろそろ正直に言えよ」
『なッ』
「そういうことだろ?あーあ、ここに豪がいたらなあ、水着で一緒にビーチでイチャイッてぇぇ!」
『ばか!簡単に言わないでよもう!』
「オレは寂しかった」
『っ』
「やっぱ、仕事とは言え2週間は寂しいもんだな。車走らせても、となりがガラ空きじゃあな」
『信司くんじゃだめなの』
「信司におまえの代わりが務まってたまるか」

サクサクと砂浜を歩く足を止め、顔を合わせて痴話喧嘩。ああ、こういうことも、久しぶりだ。

「言えよ、なあ、あきら」
『う…』
「海に行きたいってのも、セパンでオレのこと考えたのも、寂しかったんだろ」

小柄な彼女をわざと下から覗き込む。陽に焼けた鼻の頭をちょんと突いてやったら。

『そうだよ、ばか』

ぎゅ、と、胸元に飛び付いて。

『自分が、こんなに人恋しくなるなんて思わなかった』
「そうかそうか」
『…なに笑ってるの』
「うん?嬉しいから」
『……寂しかったよ、豪』
「おかえり、あきら」

2週間ぶりに、抱きしめた。ああ、やっと、帰ってきてくれた。


*****


>>2018/02/24 (Sat)
>>00:12
『恋する神奈川』
チーム神奈川のABドラどちらかが真ん中に本気に恋してます、という小話


246
「どうした、とりわけ機嫌がいいな小早川」
「だって今日彼女来る日でしょ大宮さん!」
「ああ、そうか、今日は週末だったな。現金なヤツだぜ」
「メンテも気合入るってもんですよ〜!クルマもエボだしオレ仲良くなれる自信あるんすスよね!」
「ほう…ならそのテンションで、青エボが来るまで20往復くらいしたらどうだ?」
「嫌ですよ、その間に彼女来たら大宮さんが話し相手になるんでしょ?ずりィじゃないですか!」

────

カタギリ
「ひゃー寒ィですねー!まさか路面まで積もるとか聞いてねェですよ」
「降るときは降るのが御殿場だ。しかしこのままだとテストにならんぞ」
「あ、中止みたいですね、オフィシャルから連絡来たっぽいですよ」
「…」
「どうしました?皆川さん」
「…いや、雪の中を走っていく高橋が見えたんだ、今」
「は?皆川さん、どこへ!…って、ああ、さすがですわ…ちゃっかり自分のベンチコート持ってってるし」

────

スパイラル
「悩みか」
「…」
「お前が何も言わず奥座敷に上がり込むときは、大概そうだろう」
「長くなりそうですね、オレお茶淹れてきますよ」
「お前ら…毎回オレで遊んでるだろ」
「親身になろうとしているんだ、オレも順一も。話してみろ広也」
「…、ライバルが多すぎンだよな」
「格上とのバトルか?そんな話オレまで届いていないぞ」
「あー、違う、バトルじゃない。ってこともないか、ある意味バトルだな…」
「おいおい、意図が掴めん。しっかり話してくれ」
「…あの子だよ、カノジョ。群馬のエボの」
「高橋涼介の妹君か。彼女がどうした」
「おい竜次、口角上げながら聞いてくるならこの話止めるぞ」
「えっ何でですか!せっかくお茶と一緒に奥山さんの好きなうぐいす餅添えてきたのに!」
「順一お前むかつくくらいウキウキしてんな!こっちは真剣なんだっつーの!」

────

サイドワインダーと凛
「すみません凛さん、あの…豪さんが、さっきからおかしくて」
「オレには携帯を弄っているようにしか見えんが?信司くん」
「僕も最初は、みんなから離れて手元で管理してるデータの確認かと思っていたんですけど…様子が…。しかめたり笑ったり、顔が大変なんです」
「はは、顔が大変とはなかなか面白いことを、信司くん。どれ…」

「っしゃあ!休みゲット!信司、来週土曜はミーティングないからな。有意義に使えよ」
「あっ、はい!わかりました!」
「…ぷ、くく、なんだ、そういうことか豪よ」
「えっ?!今ので何かわかったんですか凜さん?」
「ああ、すぐわかるぞ。天使の笑顔を独り占めできたと、たまらなく嬉しい顔だ」
「え…ああ〜…なんとなく僕もわかっちゃいました、はは…」
「ンだよアニキも信司も笑いやがって。なんかあった?」
「いいえ、豪さんも有意義に使ってください。次のミーティングが楽しみです」


*******>>2018/04/03 (Tue)
>>22:14
『春へのたしなみ』
奥山と真ん中と奥山姉がいます


ひとつの職業病だと思っている。加えてこの時期は特に。

「可哀そうすぎない?さすがに」
『仕方ないですよ、冬と闘ってきたんですから』

出来ることなら薄い手袋をして作業したいがそれだと感覚が掴めない。結局、素手でやるしかないのだ。

『自分のハンドケアじゃ追いつかなくて、毎年こうなるんです。春になるとだんだん治りますよ』
「だからってきみねぇ。その荒れ方は痛々しいよ」

素手でオイルや機械を触ると、指紋の細かい隙間にまで汚れが入り込む。一日に何度も石鹸で洗う整備士の手は、どうしても潤い不足になる。とりわけ冬はお湯を使うため更に。

「家の皮膚科とかは?」
『一度軟膏を処方されたことがあるんですが、合わなくて…』
「そっか…。よし、オレに任せて」
『奥山さん?』
「姉ちゃん、ネイリストなんだ」

────

「へえ、広也がねえ。女の子のこと良く見てるのね」

奥山に紹介された店で待つは艶やかな黒髪の女性。漂うアロマの香りが心地良かった。

「うちのサロンではハンドマッサージもやっているの。今の時期はあなたのように乾燥で悩むお客様が多くてね。それにしても、広也もやるなあ、こんな可愛らしいお嬢さん見つけてきちゃって」
『え?』
「彼女でしょ?」
『ふふ、違いますよ、私は奥…広也さんとはクルマ仲間でよくお話する間柄なだけです』
「あらら、そう冷静に答えられちゃ、広也も残念だこと。ふふっ、仲良くしてくれてありがとう」

指を一本ずつ、丁寧に施術されていく。絶妙な力加減の指圧と店内のアロマが睡魔を誘う。ほわん、と顔が緩んだ。

「でもすごいわあ、こんなに荒れてまでお仕事を頑張っているのね。だけど爪の隙間のオイルがなかなか落ちないのは、女の子として辛いものじゃない?」
『それを超越するくらい、誇りをもっていますから。でもお出かけするときはちょっと気にしちゃいます』
「まあ素敵な言葉!素晴らしいことね!でもそうね、恋人とデートのときはやっぱり手元も気になるわよね」
『恋人は、まだ…』
「あら?じゃあ、良い春になるように、手元を少しお洒落しましょうか。職場にNGなカラーはある?」

────

あれから数日が経った。

(頂いたオイルとクリームの相性が良いのね、まったく荒れてない)

仕事中、空に手をかざした。冬と闘った証の乾燥も、逆剥けも、この手にはもうない。そして、

『ふふっかわいい色!』

爪に汚れがあると、どんなに手が綺麗でも見目が悪い。そこで。

“樹脂で爪をコーティングするジェルネイルっていうの。頻繁に手洗いすると爪の乾燥も著しいし、弱ってきちゃうわ。ポリッシュネイルと違って強度もあるから、多少硬いものがぶつかっても大丈夫。汚れに強いしなにより発色が良いのよ”

汚れを気にしていつもギリギリまで切る短い爪にも似合うよう、単色カラーにしてくれた。春らしい桃色、薬指にひとつ、桜モチーフを乗せて。

『さて、開幕戦までもう少し!がんばろ!』

**
おまけ↓

『奥山さん、この前はありがとうございました』
「おー、姉ちゃんうまくやってくれた?」
『はい、とても!あれから全然荒れてないんです!ネイルもしてくださって』
「めっちゃきれいな手になってる。あとかわいい。ピンク似合う」
『えへへ、ありがとうございます』
「じゃあせっかくきれいでかわいい手になったことだし、春だし、デート誘っても良い?たまにはシルビア乗ってよ」
『開幕戦が近いのでだめです』


*******


>>2018/05/31 (Thu)
>>09:13
『勝利に酔う』
小柏×真ん中
(私が見た夢のお話。小柏=スバル山内選手)


チームが湧いた。
燃料もバッテリーもタイヤも使い切って、後がなかった。誰もが祈った勝負の結果は、今、パルクフェルメではしゃぐドライバーたちが代弁してくれている。

(よかった。良い仕事ができたわ)

自チームではなく、助っ人でクルーに加入したレースだった。来たからにはそのチームを良い方へ導かねば意味がない。結果を出せてほっとした。ガレージの片付けも自然と笑顔で捗るというもの。

「高橋さん」

ツールチェストを動かしていたとき、背後から声。その当人はそのまま手をチェストに添えて、私のとなりへ。

「お疲れさまです。片付け手伝いますよ」
『カイくん!?うれしいけどダメよ、ドラミがあるでしょう?』
「それまでまだ時間あるんです。だから手伝わせてください。勝たせてくれたお礼がしたくて」

カタギリBドライバー、小柏カイ。後半、彼のスティントにて勝負が決まったようなものだ。勝因であるタイヤの使い方は、チームメイト皆川直伝の技。レース後の心地良い気怠さが顔や声から窺える。優勝したのだ、気分はとりわけ良さそうで。

『ドライバー様に手伝っていただくわけにはいかないわ。もし怪我でもしたら走れなくなるのよ』
「それはメカも同じですよ。怪我したら仕事にならないじゃないですか」
『言い方はあれだけど、メカは何人もいるわ。でもドライバーは替えがきかないでしょう。有り難いけれど、自分を大切にして、カイくん』

言うと彼は、押していたチェストをわざと止めるように反対側から押さえた。ふざけてると怒るよ、そう言おうと彼を見上げたら。

「ドラミのあと、付き合ってほしくて。だから、仕事を手伝って、高橋さんの時間を作りたかった」
『え?』

そしたらまた、横へ来て。

「オレの助手席に乗ってほしいんです。ダメですか?」

競り勝った、誇らしい目で言うから。

「パドック裏で待っていてください。迎えに行きますから」

言い返せず、ぽけ…と力が抜けたまま動けなかった。ドライブデートのお誘いだねと、チーム監督に微笑ましく声をかけられるまで。

───

『BRZ買ったの?』
「スポンサー様ですから、所有しておきたくて」

本当にほしい車は別なんですけど、と彼は笑ってシフトレバーを握る。パドックで待っていると、青いBRZがやってきた。ご丁寧に助手席のドアを開けてくれる。えらくご機嫌で。

『楽しそうね、カイくん』
「そりゃあもう。勝ったときは全身で喜ばないと」

どこへ行くのかまだ訊いていなかったけれど、嬉しそうな彼の声を聞いていたら、その質問は水を差すように思えた。いいや、お任せしよう。夕暮れの、群青の空を助手席から見上げていた。

「高橋さん」
『んー?』
「オレと、付き合ってもらえませんか」
『いいよ、カイくんの好きなところで』

BRZの安定感にからだを委ねていた。赤信号で止まった。視線を感じた。

「そうじゃなくて」

少し彼が身を乗り出したのは、気配で知った。彼の方へ向けば、えらく至近距離で。

「高橋さんが好きです」

あの集団のなかでトップを獲った。だれより自分は速いんだと、普段の彼には見られない、恐れを知らない強さが、私を見つめる彼の目と声にあった。獲物を見つけたら離さない。自分の力を誇らしく掲げる、最速の動物チーターのように。


*****


>>2020/05/12 (Tue)
>>00:37
『光』
Dから数年後の高橋家


自分は恵まれた時代に生きていると心底思う。例えばこれが父母の青年期だったら、もっと不便で、不安の毎日だったろう。いや、今も不安は充分あるが。

サンルームに腰を下ろし陽を受けながら積読を消化していると、傍らにあるスマートフォンが通知を告げた。

(お兄ちゃん)

昨今、世界中で蔓延している疫病は、最も近い家族間にも影響を及ぼした。

「着替えと、日用品ね。了解。」

プロジェクトDが終わって数年。兄妹弟たちはそれぞれの道を進み出した。そこでの予期せぬ弊害。今、生きとし生けるものすべての目標は、生き残ること。その最前線に、兄や両親や、医療従事者がいる。父母が営む家業の病院は感染症指定機関ではないけれど、疫病以外の処置を求める患者は後を絶たず。そして、妹と弟が敬愛して止まない兄は、群馬大学附属病院の研修生。感染症病棟とは距離のある現場に従事しているが、それでも帰宅はままならない。

「啓ちゃん、ちょっとお兄ちゃんのところに行ってくるね。」
「え、待って、オレも行くよ。」
「だめよ、リスクは少しでも減らさないと。」

レーシングゲームのオンライン対戦をしていた啓介を制し、兄ご所望の品を揃え始める。

「アニキ、今もバンで寝泊まりしてるんだろ?一旦帰って来たらいいのにな。」
「落ち着くまで帰らないと決めたのはお兄ちゃんよ。私たちが言えることは何もないわ。」

『もし院内で陽性感染者と接触していたら、オレの身も危うい。しばらくこっちにいるよ。』

そう兄から連絡が来たのは先月中旬のころだった。もうすぐひと月が経つ。病院にシャワー室やコインランドリーが誂えてあるから清潔は保たれるけれど、心の健康はどうなのかと妹と弟は案じている。兄、涼介は、Dの当時に使っていた白のバンを松本から借りて病院の駐車場で寝泊まりしていた。妹に連絡が来たのは、必要物資をバンまで届けて欲しいというものだった。一切、涼介と接触せずに。


『荷物受け取ったよ、ありがとう。』
「どういたしまして!」
「アニキ〜帰ってこいよぉ。」
『オレより自分の心配をしろ。トレーニングは欠かしていないだろうな。』
「大丈夫よお兄ちゃん、家にいる間は私がちゃんと監督してるから。」
『頼もしい姉君だな、啓介。』
「毎日アネキの飴と鞭に踊らされてるよ。」

涼介の勤務が終わった深夜。
妹弟が毎晩必ず兄と交わすテレビ電話。三人揃うと、笑顔になる。涼介の目元に、柔らかい皺が寄った。

恵まれた時代と先程思ったのは、こういうことだった。
会えないけれどすぐ通じ合えること。
触れられないけれど顔を見て話せること。
文明の利器は、現代に生きる人々の不安を和らげてくれた。

『父さんたちは帰ってきてるのか?』
「いつも遅い時間だけど、ちゃんといるよ。」
「眠りに帰ってくるようなもんだって親父言ってたな。」
『そうか。元気なんだな、父さんたちは。』
「…お兄ちゃんのこと、心配してた。」
『県内の感染が収まるまでは、この生活を続けるさ。今はオレが一番、家族を危険に晒す立場だからな。』
「でもよォアニキ、」
『啓介。自粛生活の間にフィジカルとメンタルを整えた者が、シーズンで群を抜くんだ。自分の立場をしっかり見つめるんだぞ。』

自分が大変なときに、家族を心配するなんて。兄の頬を、スマートフォンの画面越しに触れた。

「…会いたいよ、お兄ちゃん。」
『…帰ったら目一杯甘えてくれ。』
「ん…。バンは?窮屈じゃない?」
『いや、平気さ。それにこの中にいたらDの頃を思い出せるから、却って気分転換になるよ。』

松本に感謝だな。そう言う兄は、明るくて。心配かけないように、守ってくれているんだ。会えなくても、離れていても。

「ありがとう、お兄ちゃん」
『ふ、どうした。泣きそうになって。』
「…言いたかったの。がんばってくれて、ありがとう。」
「オレたち待ってるからな!くれぐれも無理すんなよアニキ!」
『ああ、お前たちも。おやすみ、良い夢を。』

兄と、すべての医療従事者、世界中の希望を守ってくれるその手に、心からの感謝を。


*****

>>2020/06/09 (Tue)
>>12:09
『スピカ』
未来設定豪視点@FSW


ようやくこの業界も動き出した6月のある日、数ヶ月ぶりに富士にやってきた。チームの仲間に会っても握手も出来ず近付いてハグも出来ないのはもどかしいが、待ち望んだシーズンがやってくる喜びは触れずとも伝わる。皆、気持ちは同じだった。

各チームごと細やかなスケジュールの元でテストが行われた。密度を下げるため、ピットクルーもいつもより少ない。分刻みで各マシンがコースに出、戻るとすぐに次のチームが出る。忙しないが、今の情勢でも走ることが出来る環境に感謝の意しかなかった。

(お、)

分刻みなのは、昼休憩も同じで。

「よ」

こちらを見上げた瞳は、変わらず綺麗で。

「今から?」
「ああ。TRFはもう戻る時間だろ」
「ん、」

サーキット併設のカフェ、窓際の端。食事を終えた想い人が、頬杖をついて窓の外を見ていた。懐かしい横顔だった。そう思えるほど、会っていなかった。

「眠そうだな」
「…なんだか、ほっとしちゃって」

相席を願ったら快諾してくれた。距離をとって、彼女の斜め右前へ座る。マスクを外し、BLTサンドにかぶりつく。うん、この味も懐かしい。

「片時も、マシンとサーキットのことは忘れていなかったんだけど」
「うん」
「いつも近くにいたものに、急に触れられなくなって」
「うん」
「ああ、やっと会えたって。ここからいつもの景色を見てたら、さっき泣いちゃって」
「…うん」
「気持ちが落ち着いたときに、豪が来たの」

力が抜けたような、柔らかい目元でこちらを見るから、少し噎せて。咄嗟にアイスティーで誤魔化したのバレたかな。

「ふふ、大丈夫?」
「っ、ああ」
「…ねえ、豪。私、この数ヶ月でもっともっとマシンもサーキットも好きになったよ。会えなくなるのは二度とごめんだわ。…こうしてる間も、お医者様が人命を守って下さっているのだから、私たちもこの業界を守っていかなきゃって強く思ったの。今の状況で出来る精一杯のことをして、開幕を待っていてくれたファンに楽しんでもらおうね」

彼女もマスクをしているからどんな口元で話しているかは見えないけれど、きっと口角を上げて、笑ってる。

(ああ、好きだな)

だってオレの一等気に入りの、緩やかな弧を描いた優しい目元だったから。


******

>>2020/08/22 (Sat)
>>23:38
『明日に届く2020』
無観客の鈴鹿にて
夢主名前固定


張りがない。
静かすぎる。
新しい試みに着いていけない。

などは言い訳で。それでも勝敗は必ず決まる。この逆境をモノしたチームが今年のウィナーだ。

無観客で開催されているGT戦も、これで3ラウンド目。三重県鈴鹿市。いつもなら、グランドスタンドも芝生エリアも、どこもいっぱいの観客で溢れ、思い思いの服装やアイテムを身につけて力いっぱいの声援を送ってくれている。その声が、応援が、聞こえない。さみしいけれど、他ジャンルのイベントが尽く中止されているなかレースが開催されただけでも幸運と思おう。

予選日の朝。昨年ぶりの鈴鹿を、チーム揃ってコースウォーク。各々の箇所をチェックし、マシンセットと照らし合わせる。朝だというのに既に暑い。肩に下げたボディバッグからハンディファンを取り出したとき、リーダーのスマートフォンが鳴った。

「まいったなあ」
『どうしたのハヤト』
「鈴木くんから。お母さんが熱中症で倒れられて、付き添いで今病院だって。今日の業務は無理らしい」

メカニックのひとりが来られなくなった。しかも、タイヤ交換に絶対の自信と腕を持ち、ピット作業には居てもらわないとならないスタッフだ。死活問題。うちの素早いピットは彼なしでは有り得ない。

「…あきらちゃん、」
『無理よ』
「あきらちゃん」
『今から練習して間に合うと思う?』
共に歩いていた監督やドライバーたちが続けて諭す。

「冷静にやれば大丈夫だ」
「チーフならやれるよ」
「オレたち信じてますから」

かくして、(上手く丸め込まれた)気持ちを新たに、普段のチーフウェアからメカニックスーツに着替え、ヘルメットとインカムをセット。予選前のフリー走行から仕事は始まった。無観客試合であるため中継やオンラインにたくさんの情報を流すべく、普段よりカメラ台数が多い。しかも現在ポイントリーダーは自陣。注目されないはずがない。

(緊張はしてないし、タイヤも持ち上げられるけど…この場所久しぶりだな…)

チーフメカになる前はピットクルーも勤めた経歴がある。懐かしくて、武者震い。マシンがピットに戻ってくる。ロリポップが停止を促す。インパクトレンチを差込む。焼けたタイヤを外す。新しくセットし、インパクトレンチ。

「悪くない」
『ありがとうございます』
「それよりあとでニコ生見てみろ」
『どうしました?』
「お前宛てのコメントがすごかった」

まずインカムに流れたのは監督からの賛辞。ちゃんと仕事が出来たことに安堵の息をした。予選も上手くいくといいなあと思いながら、監督に言われたとおりガレージ内で流れるコメント付き中継のモニターを見ると、丁度先程のピット作業のリプレイ画面だった。

「いやぁ人気者だねあきらちゃん」
『だから嫌だったのよ…チーフの仕事してたってコメント付くのに…』
「顔映ってないから大丈夫、バレてない」

ちっさ!!!
ちっせー!!
めっちゃちっちゃいなあのメカ
女性?
↑まさか力仕事のメカだぞ
いやありえるだろ女性
すげータイヤ軽々持ってる
かっけー!!
誰?!めっちゃ作業うまいな!

などなど弾幕がすごい。しかも、嫌味がひとつもないのだ。それをリーダーのハヤトはニヤニヤと見ている。

「小柄なのはおいといて…褒め言葉の嵐だね」
『……うれしい。舐められると思っていたの』
「女の子だから?」
『…正直。チーフやってても時々感じる』
「あきらちゃんが勝手に感じてるだけで、誰も蔑んでないじゃないか。おやおやどうしたんだい、いつも自信たっぷりなのに自分を卑下するなんて」
『…いつもと違うポジションにいるからかな。客観的に見てしまうみたい』
「あきらちゃん。あきらちゃんは、すごいことをしたんだよ。女性でここまでやってのける人を、僕は知らない。きみが各方面で名を挙げることで、女性から見たモータースポーツの垣根が低くなった。モータースポーツが更にジェンダーレスになって、凄さや楽しさが拡がれば、ずっとこの業界は生き残る。きみは、その鍵になったんだよ」
『ハヤト、』
「ということだ。みんな、不慣れなあきらちゃんのバックアップよろしくね。普段から助けてもらってるんだから」

なんと、どうやら今の励ましはチーム内筒抜けだったらしい。監督とリーダー、メカニッククルーにしか繋げていなかったインカムがいつの間にか全員へと回線が切り替えられていた。

『…がんばる』
「…無理はだめだよ」
『カメラも多いんです。より自分の姿を見てもらえるよう、全力で今日の仕事をするわ。女なのにって甘く見る人がいなくなるくらい』
「それでこそチーフだ。鈴木くんの分まで、頼りにしてるよ」
『ふふっ、彼の手腕には到底及ばないわよ。ありがとうハヤト』

無観客。
無声援。
いつもと違う仕事。
『違う』ことを、前向きのエネルギーに変えるんだ。明日に届けるために。


*****

>>2020/08/23 (Sun)
>>02:53
『真夜中の買い物』
高橋3人でドラッグストアに行くお話


仕事帰りにドラッグストアに寄ることをすっかり忘れていた。風呂に入る前に気付いた自分を褒めたい。

『忘れ物買いに行ってきまーす』

今日は兄妹弟3人で過ごす夜。両親は揃って当直だ。リビングでGT6オンライン対戦をやっている涼介と啓介に声を掛け、サンダルに足を入れた直後。

「オレも行く」
「ひとりで行くな、危ないだろう」

GT6はどうした。白熱していたはずではなかったのか。

『すぐ戻るのに』
「近所だからこそ危険なんだ」
「FDでいこーぜ、みんな乗れんだろ」

握っていた愛車の鍵は兄に奪われ、弟がご自慢の相棒の鍵を手に嬉々としてスニーカーを履いている。ちなみにGT6は電源をちゃんと落としてきたらしい。

口笛を吹いてガレージに向かう啓介と、ちょっとそこまでの買い物にも足元に気を抜かない涼介。ヌバックレザーのシューレースをきゅっと結ぶと、手を差し伸ばされた。

「暗いから」
『子供じゃありません』
「ははっ、まあいいじゃないか」

手を繋いで外へ出たら、FDに火を灯して準備万端の啓介がズリぃと口を尖らせた。

「アネキなに買うの」
『化粧水』

ドラッグストアは信号をひとつ隔てて車で5分。なんと24時間営業なのだ。有り難いことこの上ない。

『今朝切らしたことすっかり忘れてたの。デパート行けないし、とりあえず繋ぎのが欲しくて』

愛用のものと成分が似たものがあるといいのだけれど。何せ市販は数が膨大過ぎて見れば見るほどわからなくなる。

「薬事法による効果の高い順は知っているか?」
『え?』
「効果を実感したいなら、化粧品より医薬部外品だ」
『お、お兄ちゃん、さすがだね』
「日焼け。気にしてるんだろう?」

以前より少し赤くなった鼻先に、涼介がちょんと触れる。

『私の化粧水、知ってたの』
「興味本位でな。この前リビングに置いてあったから」
『ふふっ参考にする。ありがとう』
「アネキゆっくり決めろよ、オレたち酒とかつまみ見てるからさ」
「近くにいるからな。何かあったら呼べよ」
『ん』

かくして無事、目的を果たして乗り込んだFD。涼介が持っているエコバッグには化粧水以外にちらほらと余計なものが。

「啓ちゃんアイスも買ったの?」
「おーよ、アネキのもあるよ。だから急いで帰ろうぜ!」

啓介が飛ばしたFDは信号にも止まらず、ものの2分で帰宅した。ちょっとした買い物も、短い短いドライブも、兄妹弟の大事な記憶のひとつ。

(おまけ)

『お兄ちゃん、そのブランデーをちょっと拝借したいです』
「ん?」

啓介が選んでくれたのはカップアイス。バニラのそれに、涼介から拝借したブランデーをたらりと添えた。スプーンひとさじを、口へ含むと。

『たまらない〜!おいしー!』
「オレもアネキ!」
「年功序列だ啓介、オレが先だ」

高橋兄妹弟は、今日も仲良し。