highway86
最初に目に入ったのは、眠たそうな、というか、やる気のなさそうな瞳だった。主(あるじ)とは違うその瞳は大きく、生前の奥様に似ていると思った。主も通常、気怠げな雰囲気をしているけれど、この少年の空気もそうだったので、ああ、やはりご子息なんだと理解した。
昔の話をしよう、僕と、タクミの
highway
eighty
six
タクミ、と呼ばれた少年は、主に連れられ、まだ陽が昇らず薄暗い朝、僕に乗り込んだ。そのときのめんどくさそうな顔と言ったらなかった。毎朝の日課、秋名湖畔へのお豆腐の配達。僕は、背中に乗せた大事なお豆腐を崩さないよう、主のステア通りに走る。主の注文を正確にお返しすることが、僕の使命で、誇りなんだ。
タクミがまだ小さい頃、主は彼を隣に乗せて毎朝の配達をしていた。豆腐の積み下ろし以外することがなく、ただ乗っているだけのタクミから、オレ別に一緒に行かなくてもいいじゃん、という言葉を何度聞いたことだろうか。それが何年も続いた。僕は何となく、主がやろうとしていることがわかってきていた。
「今日はお前が運転してみろ」
主がタクミに言った頃、彼は中学生になっていた。
「……バッカじゃねェの、オレ免許あるわけないし」
もっともだ。
というか、僕が嫌だった。
主以外の人間に、ステアに触れてほしくなかった。
なんとなく予想はついていたことだったけれど、ハッキリと主から聞かされると、ショックだった。
「今までこの時間に何台の車とすれ違ったか覚えてるか」
「……全然」
「誰も見ちゃいねェよ、お前がガキだって気付きやしない」
タクミの言う『全然』は、『周りなんて見ていない』の意で、決して『車はほとんど走っていない』ということではないだろうに、この主ときたら。
「最初はゆっくりでいい。オレが隣に乗るから、走ってみろ」
「無理だって親父…」
「いいから、とっととやる」
「……ちぇ」
覚束ない手でセルを回された感触は、ずっと忘れることなんて出来ない。
僕とタクミは、その瞬間から始まった。
「すまねェな、もっと長く、使ってやりたかったんだが」
いいえ、いいえ主
「とうとう、寿命がきちまったな」
僕は、幸せです
「オレはな、もう、お前から離れようと思ってる」
そんな気は、少し、感じていました
「拓海を、頼むな」
『大好き』と言ってくれた。
嫌々運転していたあの頃は、一体どこへ行ったのだろう。
何も感じず、何も考えず、ただ配達を早く終わらせたいだけに速く走っていたタクミが、
僕のために、泣いてくれた。
最初は、主とまったく違う操作をするタクミが嫌いだった。こうも違うと、僕もちゃんとしたレスポンスがしにくくて。
『コイツに僕は無理なんじゃない?僕は主だけが操作できるんだよ』
僕にはそう思えて仕方なかった。
「直せるのか…?」
「アテはある。心配すんな」
僕の傍から離れることになったタクミは、意気消沈の言葉がピッタリだった。いつも一緒だったのに突然いなくなる寂しさ。あの頃のタクミからは、想像ができない。
「しばらく、お別れだな」
僕の額、ボンネットに触れたタクミの大きな瞳が伏せられた。
政志さん、そして主に見せられたときは、僕も正直、不安があった。
こんな大きなもの、僕に耐えられるのだろうか。
というか、どこから回ってきたのか、その人脈が気になるのだけれど。
「明日にはシェイクダウン出来るぞ」
僕の新しい心臓、4A-GE
『拓海を、頼むな』
エンジンが回ったとき、僕の意志は、
たまに、一人でのんびりしたくなったのか、タクミは僕を連れ出した。遠征のない週の平日、気持ちの良い青空。手慣れたもので、セルを回す動作がしっかり板についている。
森の緑を見るようにゆっくり流し、僕を労るような走りは、とても優しかった。
「昼間に走ったの、久々かもな」
悠々とステアを切るタクミ。主以外に触ってほしくないって、言っていたのにね。
あたたかな陽射しにあふれる秋名湖畔すぐそばに僕を停め、タクミは外で、うーん、と身体を伸ばす。
タクミが何か考え事をするときは、いつもここだ。
考えて、悩んで、すすんで、
タクミ、僕ね、タクミのことバカにしてた。
主と全然違うタクミを、嫌いに思ってた。
だけどタクミは、僕を好きだと言ってくれた。
僕を、大切に、大事にしてくれた。
ごめんね、タクミ、僕もタクミが大好きだよ。
主が、僕をタクミに託した想い、僕はちゃんと受け止めるよ。
今じゃすっかり馴染んだタクミのステアリング、僕は、タクミの"想い"通りに応えてあげられてる?
タクミはバトルの中で進化していると、涼介さんが言っていた。
タクミが速くなるためなら、僕は何だってしてあげたい。
でも、あの、ブラインドアタック?『楽だからつい使っちゃうんです』じゃないよタクミ、僕の目を閉じるのはあまりしてほしくないなぁ、こわいから…。
「最近遠征が続いたから、随分汚れちゃったな」
そうだね、タクミ、雨の中も平気で飛ばすしね
「帰ったら、久しぶりに洗おうか」
丁寧にしてね、僕、見た目よりデリケートなんだから
「バトルばっかりで、労ってやれなくてゴメン」
「いつもありがとな、オレのハチロク」
運転の違いはあるけれど、主もタクミも、僕を想ってくれる気持ちは、一緒だ。
僕は、ふたりのもとで走れて、幸せです。
こちらこそ、大事にしてくれて、ありがとう
(でも僕は、ナマイキな羽根をつけたアイツをもうひとりの相棒だなんて、まだ認めてないんだから)
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8686hitでハチロク独り語りでした。
擬人化まではいかずとも、車にも心や人柄(ひと?)があると思うんですよ。藤原家のハチロクは、もうずっと前から文太と一緒にいて、文太の運転しか知らなくて、文太に応えることが自分の使命で喜びだと思っていたとします。そこへ息子が現れて、なんやかんや運転するようになって、文太との違いにすごく戸惑うと思うんです。嫌だな、乗ってほしくないなと思っていても、主である文太のやり方には逆らえないわ、息子の運転も下手だわやる気ないわで、ハチロクもイライラしたと思うんですよ(笑)
そうこうしていて年数が経って、文太のやろうとすることが見えてきて、少しずつ、ハチロクにも心の変化があって…という感じで。
『タクミは僕がいないと何にもできないもんね』とかちょっと上から目線だったらかわいい。拓海が涼介さんに褒められると自分もうれしいって思ってたり。ここでも人車一体か(笑)
余談ですが、タイトル『ハイウェイ86』、カナダはウィスラーのゲレンデより拝借しました。
拓海とハチロクが、高速道路のようにずーっと一緒に走り続けていてほしいと願いを込めて。フィナーレなんて嫌ですよ、しげの先生。
2013,4アップ