ねがい


すごく、綺麗だと思った。

大学の、生徒用駐車場に停まっている、夏に映える色を見たとき。

重心が低くて、タイヤ径が大きくて、いかにもっていう車は学内でもたくさん見掛けるけれど。

こんなに、ビリッと震える空気を感じたのは、初めてだった。



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「いいな、FD…」


ぽつりと零した呟きを、啓介は聞き逃さなかった。


「お前、一緒に出掛けるときいっつも言うよな、それ」



出会いは夏の大学だった。

公共交通機関で通学している瑠璃はその日、講義が終わったあと友人とカフェへ行く約束をし、車通学のその友人から『先に駐車場で待っていて』と言付かり、陽射しから避暑すべく木陰で待っていた。


「RX、7?」


チューニングやドレスアップまで詳しくないが、外見だけでの型式の判別くらいは出来る知識を持っている。あちらに見える黄色は、前期型FD。前世代のSAやFCよりも、柔らかく流れるようなボディラインが印象的だった。

車通学の友人もそうだが、運転免許を持つ同世代をとても羨ましく思う。自分で車を動かすって、どんな感覚で、どんな気持ちなんだろう。テーマパークのカートなんて比較の対象にもならないんだろうなと、そのFDを見ながら思っていた。


その思いは、この黄色の持ち主と出会ってから、更に強くなる。




「楽しそうに運転するよね、啓介くん」

「本当にそうなんだから仕方ねェだろ」


だからこそ、余計に思うんだ。


「免許、やっぱり取りたい」

「やめとけって瑠璃。ってかこの話何度目だ?」


過去数回に及ぶ、このやり取り。常々『右折』と『左折』を言い間違える瑠璃に対して、啓介は『やめておけ』の一点張り。しかし友人知人、そして隣にいる楽しそうな走り屋の近くに居ると、そんな方向音痴なんぞ関係ないわとあくまで前向きな考えしか出てこなかった。




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「興味あんのか?」

「えっ?」


内装を痛めないようにサンシェードを置いてはいるが、きっと車内は灼熱だろうと愛車を見遣った。やっぱ生徒用にも屋根ほしいよな、と思うのはワガママだろうか。早く風を切って冷やしてやらなきゃなとFDに近づく。と、駐車場を囲うように植えられた木々の陰で、つばの広い麦わら帽子を被り、こっちを見ているヤツがいた。木陰とは言え炎天下のこんな場所で突っ立ってるなんて、余程の物好きでないと出来ないだろう。


「車。こんな暑っちーのに、わざわざここにいるからさ」

「あ、興味というか…。今、友達を待ってるんです。その赤いマーチが彼女のだから」

「待ち合わせならあっちのロビーでいいんじゃね?涼しいし」

「そう、なんですけど…。見てるのが好きだから」

「なんだよ、やっぱ興味あんじゃん、車に」


初対面の相手に、こんなに話し掛けるのも峠以外では珍しいことだった。コイツの雰囲気が、なんつーか、派手じゃなくて、純粋で、素直に見えた。でも決して大人しいようにも見えない。車の傍にいるだけで、ボディに蓄積された夏の熱が伝わり、付近の気温が少し上がっている気がした。


「自分の車あんのか?」

「それが、持ってなくて。免許もないから、取りたいんだけど…」

「取ればいいじゃねぇか」

「……笑わないで、下さいね?」

「ん?」

「私、方向音痴、かも、しれないんです…」


右と左って、たまに間違えたりしませんか?と真剣に訊いてくるモンだから、笑わないでと言われたけれど、オレは吹き出した。方向音痴に対してではなく、その真剣さが、天然というか、やっぱり純粋で。


「わっ、笑わないでって言ったのに…!」

「くくくっ、わり、ツボった。お前おもしれーな、名前は?」

「三年の、吉本瑠璃です。もー、いい加減笑うのやめて下さいー!」

「高橋啓介。啓介でいいよ。オレも三年だから敬語はナシな。あー笑ったー」

「方向音痴なんて言わなきゃよかった…ひどいよ…」

「ははっ、わりーってば。そこに黄色くてカッコいい車見えるだろ、あれ、オレのなんだ。いつか乗せてやるよ」



それが、瑠璃と初めての会話だった。

暑い駐車場で出会ってから、大学の中でも何度かすれ違うことがあって、その度に、一言二言は必ず交わすようになって。移動教室の五分、講義の合間の十分、昼メシん時の三十分、放課後の一時間。瑠璃の声を聞いている時間が長くなるほど、思うことがある。

波長が合う、んだろうな。すっげェ、心地良いんだ、瑠璃の近くが。車のことばっかなオレの話も、笑いながら聞いてくれる。元々知識のあるコイツに色々教えてやると、そうなんだ、って驚いて嬉しそうな顔を見せてくれる。

瑠璃をFDのナビに乗せるまで、時間はかからなかった。



そういや、同じ頃なんだよな。

瑠璃と出会ったのも、

藤原に完敗喰わされたのも。




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「…なに考えてるの?」

「ん?…何だと思う?」

「え、うーん、と…、あ!藤原くんのこと!」

「……お前、すげーな」

「あれ、当てちゃった?ほんとは私のこと考えててくれたらいいなって思ってたんだけど…。自分でそれを言うのはちょっとね」

「とかって今言ってんじゃん、自分で」

「えへへ。でも少ーしは私のこと思ってくれてた?」

「ちっとも」

「あっ、ひどい!」


FDのナビが瑠璃の指定席になって、もう一年が経つ。変わらず、コイツとの会話は心地いい。

彼氏彼女になってわかったんだが、どうやら瑠璃はオレよりFDに先に恋したらしい。オレよりFDを取るのかよ、と冗談で訊いたのにコイツときたら『FDは可愛くてキレイでカッコいいの。そんなのズルすぎて好きになっちゃうよ』とオレより熱く語り出した。目がマジで真剣だったことは、たぶん、忘れないだろう。


「私が免許取ったら、いつかFDも運転させてくれる?」

「安心しろ、その時は一生来ねェから」

「もー、何で免許取っちゃだめなの?」

「……オレの"左"じゃ不服か?」

「自分で動かしてみたいんだもん、車…」

「瑠璃、オレが言った意味、わかってねェだろ」

「え…?」

「"一生、オレの左にいろ"。瑠璃がどっか行きたいときは、オレも一緒だから」

「けい、すけ、く」



夕陽に包まれる赤城道路。FDに凭れて、瑠璃を見れば、泳ぐ瞳と、染まる頬。

本音を言えば、瑠璃を危険から遠ざけたいんだ。いつも、オレの手の届くところに居てほしい。

だから、免許を取る必要なんて、ないんだよ。


「オレに、瑠璃を守らせてくれるか?」


これから始まる、一大プロジェクト。

きみの存在が、ぼくの進む力になるから。













「あれ、今日、瑠璃さん一緒じゃないんですか?」

「あ?なんだよ藤原。アイツに用でもあんのか?」

「ちょ、そんなに睨まないで下さいよ…」


埼玉エリアも中盤戦になったプラクティスのとき。タイムアタックを終えた拓海が戻ってきた。

ギャラリーが少ない平日に限り、啓介は瑠璃を連れて峠へやってくる。当然涼介とは知った仲で、既に瑠璃を妹のように思っているのか、優しい兄の顔だった。走りに集中するためには色恋は不要だと確かに言っていたよな啓介、と言いつつも、その二人を微笑ましく見遣る史浩。松本と宮口に至っては、『瑠璃さんが居るときのほうが確実に速いし、しかも優しい走りになっている』とのたまっていた。自分の場所=啓介の隣、を瑠璃に取られたと初めはキーキー騒いでいたケンタも、車の知識を持っていて『FDに恋しちゃったの』と自身が敬愛する啓介の愛車を褒め称える瑠璃と意気投合し、今では仲が良い。


そして、このダウンヒラーは。


「お得意様なんですよ、瑠璃さん」

「は?豆腐屋のか?」

「ええ。瑠璃さんちって渋川でしょう?お母さんのお使いでって、よく軒先で話すんですよ」


初めて瑠璃の家に行ったとき、どこぞの豆腐店と近いなとは思っていた。まさか、得意先とは。


「じゃあお前、オレが瑠璃を峠に連れてくる前から知ってたのか、アイツのこと」

「あ、そうです。啓介さんの彼女だったなんて、世間は狭いですねー」


そうか、それなら納得がいくな。初対面にしてはやたらと仲良いなって思ったんだよ、瑠璃と藤原。


「てっきり今日も啓介さんと一緒かと思って、赤城の帰りに店に寄っていけって親父が」

「あー、わりーな。アイツ今晩友達と出かけてるわ」

「ああ、可愛いですよね、瑠璃さんの車。コペンでしたっけ、軽で2シーターって初めて見ましたよ、オレ」




……は、




「お前なに言ってんの、免許ねェよ瑠璃」

「え?確かにハンドル握ってましたけど…赤くて丸い車の」


藤原は、ウソは言ってないと思う。というか、ウソを言うヤツじゃないし、言ったところですぐ顔に出るだろう。ということは、瑠璃がオレに黙ってたってことか?そりゃ、Dが始まってから瑠璃と会う時間は減ったけど、短くても、時間がある限り傍に居て、それこそ、『免許取りたい』なんていつも通りの話もした。

ずっとオレの左にいろって、言ったじゃねェかよ、瑠璃。

慣れない運転で、お前に何かあったら、どうすんだよ。

なんで、オレに話してくれなかったんだよ。



すぐに会いに行って確かめたかったけれど、どうやら次のバトルまでに会って話す時間はなさそうだった。でも頭にモヤを残したまま遠征に行くのも嫌だった。いつもは、バトルに勝つとオレ以上に喜んでくれる瑠璃の笑顔がすぐに思い浮かぶのに、目を瞑っても、瞼の裏にも、笑顔はなかった。







「何か考えごとか?啓介」

「アニキ」


埼玉県、間瀬峠。

そろそろ涙が零れそうな空の下、バトル本番までしばし休息中のプロジェクトメンバーたち。少し離れたガードレールに凭れ、細く紫煙を吹く啓介の傍に、涼介がやってきた。


「口数がいつもより少ないと、宮口が言っていた。集中しているのか、それとも別のことでか?」

「前者だよ。決まってんだろ」

「にしては、さっきからケータイを忙しなく弄っているじゃないか」

「メール溜まってたんだよ」

「…瑠璃、」

「ンだよ」

「今日がバトルだと、伝えてあるのか?」

「…言ってねェ」

「連絡くらいすぐしてやれ、触ってるだけで何もしていないそのケータイで」

「…余計なお世話だ」

「痴話喧嘩にオレを巻き込むなよ」



なんで、ウチのアニキはお見通しなんだよ。そのまんまだよチキショー。

腹を立てたオレに小さく笑ったアニキから離れたくてFDを動かし、路肩にあった丁度いいスペースに停め、ひとりになった。


(瑠璃…)


走りに集中したい。そのためにオレは恋人なんて持たないと、公言してきた。でも、あの夏の日。藤原に負けた日。瑠璃に会った日。タイムが伸び悩んだときも、スランプだったときも、むしゃくしゃしたときも、瑠璃に話すと、ふっと肩の重りがなくなったんだ。昔みたいに無茶な走り方をしなくなったとアニキに褒められたよ。瑠璃は、精神安定剤みたいな、抱き枕みたいな、そうだな、オレの嫌なところも全部包んでくれる、ふんわりした甘いわたあめみたいなんだ。

メールじゃなくて、電話して、すぐに声を聞きたい。ただ簡単なことじゃないか、『なんでオレに黙って免許取ったんだ』って訊くだけなのに。






このタイミングで恭子と会ったのは、啓介にとって、良い切り替えになった。涼介と離れてひとりFDに寝転んだはいいけれど、頭を占めるのは瑠璃のことだけで、それがいつもと違い、煩わしく思えていたからだ。バトルに勝つことと、そのあとに待つ瑠璃の笑顔。いつもイメージできるはずなのに、それが今はどちらにも霞がかって掴めなかった。イライラ、しているのかもしれない。空腹なことも相まって、自然と、恭子に余暇を尋ねていた。








「差し入れ、準備完了、っと」


Dのホームページには、バトルの日程や場所の記載は一切ない。結果だけが載っているため、瑠璃はいつも啓介から詳細を教えてもらっている。夜に行われるバトル、県内なら数回あるが、県外遠征のプロジェクトが始まってからは、尚更危ないからと連れて行ってもらったことはないけれど、情報は毎回教えてくれていた。確かに『次は来週末だ』と聞いたはずなのに、しかしながら啓介からはその後何の連絡もなかった。ここ数日、都合が合わなくて、お互いの顔を見ていない。それならと思い立った瑠璃は計画を企てた。啓介には内緒で。でもメンバーには、自分がそちらへ向かうことを知らせておいた。





あの時、あの夏の日。

最初に目に入ったのは、鮮やかな黄色。瞬間に感じた電気みたいな気持ち。そして、


「…がんばってる、もんね。エースなんだし」


子供みたいな、大輪の笑顔。


「FDに恋した、っていうのも、間違いじゃないけど」


そのFDを操る、楽しそうな彼が、いちばん、


「大好きなのは、啓介くんだよ」


逢いたい。FDと彼を、間近で感じたい。


「よし行こうか、コペン」


目指すは、群馬と埼玉の県境。

シャイニングレッドのその車に、昨晩作ったスティックケーキを乗せて。









雨足が強くなる森に、ひとつの過給機音を涼介は拾った。小さな身体に大きな心臓、自身の愛車と同じ構造を乗せているとは思えない、可愛らしいそのフォルム。


「瑠璃か?」


『免許取ったんです。啓介くんには内緒にしておいて下さいね』と、いつぞや届いたメールには、赤い車の写真。弟の恋人から今日のバトルを訊かれ、間瀬の場所を教えたと知ったら、啓介はさぞや怒るだろうなと涼介は思った。まだ慣れない運転でこの雨だ。ここまで大変だったろうにと労るため、今し方ダウンヒルが終わったばかりの拓海から離れ、瑠璃へと近づく。


「涼介さん」

「よく迷わずに着けたな。山道、大丈夫だったか?」

「ゆっくり走ったんで、なんとか…」


涼介に迎えられ、ほっと顔を綻ばせる。コペンに付いたたくさんの雨粒が、ハチロクのライトに照らされキラキラとしていた。そのオーナーはというと、少し小柄な男性と何やら話しているようだ。


「これから啓介のバトルだけど、今は会わないほうがいい。集中してるからな」

「はい。お邪魔しちゃダメですもんね。それに、サプライズは最後にとっとかないと」


涼介が示したその先に、黄色い姿が見えた。拓海と同じ白黒パンダと一緒に、スタート地点へ移動している。


「がんばって、啓介くん」


コペンと同じ赤い傘の柄を、ぎゅ、と握り、必ず勝って戻ってくることを信じて。そのあと、自分を見た彼はどんな顔をしてくれるんだろう。無事にバトルを終えることを祈りながら、啓介の帰りを待っていた。













「お疲れ様でした!啓介さん!」

「おー、サンキュ、宮口」

「スピンなんてな…やっちまったぜ」

「運も実力の内だぜ渉。またやろーな」


予想だにしなかったレビンのスピンにより、ヒルクライムは啓介に白星。揃って、メンバーの待つベースへと戻ってきた。延彦と共にいた恭子は、啓介のFDへと駆け寄る。空は徐々に小雨になってきていた。


「啓介さん!」

「あれ、お前ずっといたのかよ、ひっでー雨だったのに」

「えへへ、啓介さんのバトル、応援したかったから…」

「応援、て、いいのか?お前コッチのメンバーだろ?」

「いいの。ここにいたのは、チームじゃなくて、私の…、その、個人的なものだから…」


バトルが終わり、下り上り共にプロジェクトDが勝利した。雨足が弱くなり、後片付けもスムーズに行える。涼介は延彦と、拓海は渉と坂本、史浩たちは埼玉勢にとそれぞれ挨拶を交わし、談笑しているその少し前。自分は場を離れるから啓介に会ってこいよと涼介に言われた瑠璃は、満を持してのカミングアウトをしようと、啓介へ近づく。何て言おうか、何て言われるだろうか。


(最初は『お疲れ様』でしょ、それから、えっと、)


赤い傘をくるくると閉じる。


だんだん近づいてきた黄色と、


啓介の笑顔。



(え?)



『あのさ、ゴールで待っててくれるか?』

『いいけど…どうして?』

『走り終わって、すぐに瑠璃の顔見てェもん』

『…ふふっ、なにそれ』

『満面な笑顔で、ひとつよろしく頼むわ』

『はいはい、かしこまりました』



いつかの、連れて行ってくれたバトルで言われたこと。あのとき、FDから出てきた彼は、すぐに私を見つけてくれて、いつもの大きな笑顔を見せてくれたの。


だから私も、お願いされた通り、満面の笑顔で






「だ、れ?」



いま、啓介くんの笑顔を見ているのは


仲良さそうに、笑い合っているのは







かつん、とアスファルトに拡がった、赤い傘。

とさり、と持っていた紙袋が落ちる。



啓介が音に気付いたのは、濡れた地面を蹴る後姿が少し遠ざかっていった頃だった。







「っ…!!はな、しっ」

「離すかよ!!」



何でここにいるんだとか、どうやってここまで来たんだとか、当り散らすように口走った。こんな夜遅くに、こんな遠くまで。何かあってからじゃ遅いんだと、怒り心頭で瑠璃に当たってしまった。大事に想うから怒ってるんだと、伝わるように。なのに


「きらい、けい、す、きら…、い…っ」


オレの手を解いて駆け出していく。一度も見たことがなかった悲痛な顔に、大粒の雨を降らせながら。どうすれば降り止むのか考える前に、解かれた腕をもう一度掴み、胸へと引き寄せた。バトルで汗をかいているだろうがこの際どうでもいい。


「っふ、うぅ…っ、はな、し」

「……赤いコペンはお前のか」

「、けいすけ、く」

「……瑠璃」

「…、ぃ、た…っ、」

「答えろ瑠璃!!」


掴んだ細い腕が、ぎり、と軋む。抑えられなかった。


「オレと話したこと忘れたのかよ!ずっと一緒だから免許必要ねェって!なに勝手なことしてンだよ!」

「…っ、私は…っ!啓介くんの操り人形じゃないもん!勝手って、啓介くん酷い!!」

「、ンだと」

「ずっとずっと、啓介くんの隣にいたいよ!だから余計に、啓介くんと同じ気持ちを知りたかった!自分で走りたかった!そしたらもっと啓介くんと近くになれると思ったから!」

「…お前、」

「啓介くんにはわかってほしかった!そりゃ私は方向音痴だよ!ここまで来るのにいっぱい迷ったよ!でも、想像よりずっと、もっと、運転て楽しいって、思って、バト、ル、っく、応援、しに、びっくり、させたっ、く、て…っ、けい、介くん、っふ、あい、たくて…っ、なのに、」

「……瑠璃、もういい」

「そこに、いるの、わたしじゃ…っ、なかった、から…っ!がんばって、あいにきた、の、に、最近、連絡くれなかったのも、さっきの、子と一緒っ、っふ、ん…っ!」




今まで一度だって、彼女のこんな強い声を聞いたことなどあるか。

そうさせているのは自分だと、悲痛な声を聞いていられなくて、強引に塞いだ口唇は、震え、冷たかった。




バカかオレは。

オレの欲望を、瑠璃に押し付けて。縛って。どこにも行かないように、オレの"左"に固定して。

それでいいと思った。いちばん近くに居てほしいから。


でも瑠璃は、オレの考えと違ってて。

オレと同じ位置で、オレの近くに居たいと言った。同じ気持ちになって、楽しさを共有して。


なのにどうだ、守らせてくれと言っておきながら、泣かせている自分。そんな自分が、バトル後に一緒に居たのは、コイツじゃなくて、恭子だった。




「…ごめん、ごめんな、瑠璃」

「…っひ、っく、…っ」

「アイツは、恭子は、相手チームのメンバーなんだ。だた、それだけ」

「ふ、うぅ…、ほん、と?」

「ああ、ウソじゃないよ」

「っ…、ん…」

「車のことも、ごめん。瑠璃だって車大好きだもんな、オレと一緒で。なのに、オレ、瑠璃が大事だから、お前が運転中に事故りでもしたらって思うと、さ。それならオレとFDで守ってやる、って。だけどそれが、瑠璃を困らせてたんだな、あーもー、バカだオレ…」

「け、い、」

「瑠璃。どうしたら、許してくれる…?」


自分でも驚くほど優しく、落ち着いた声色だった。愛しい人を泣かせ、傷付けた罪は、どんなものでも被る気でいた。強く掴んでいた腕をそっと撫で、すっぽりと収まる瑠璃の身体を胸に抱き締め、どうか泣き止んでくれと、ずっと髪を撫でていた。雨上がりの森が湿気を帯びて木の葉が潤い、瑠璃の髪にまで艶を与えている。だんだん泣き声が落ち着き、すんすんと鼻をすする音が数回聞こえたあと、啓介の胸元から、瑠璃は少しだけ顔を上げた。


「けー、き」

「ん?」

「差し入れ、もって、きたの」

「…オレの、好きな味?」

「がんばったから、食べてくれる?」




ぽそぽそ喋る瑠璃が、オレを見る。泣いて真っ赤になった目で。ぽんぽんに腫らした目蓋で。初めて見るその酷い顔が、すごく、この世界でいちばん、愛しかった。




「ありがたく、いただきます」





『啓介くんとFDはひまわりみたいだね!』


良く晴れた夏の日に瑠璃に言われた、その顔で応えたら、




「残したら許しませんよ」



照れたように、やさしく、オレの好きな瑠璃の笑顔が戻ってきた。






「啓介を、慕っていたんだろう?」

「っ、あなたは、リーダーの、」

「兄の涼介だ。定峰峠では世話になったな」

「いえ、あの時は、私の方が…。啓介さんには、何度お礼を言っても言い足りません」


自分と話していた啓介が、急に振り返り駆けて行く様子を始終見ていた恭子は、抱いた恋心の行方をくらましていた。アスファルトに忘れ去られた、赤い傘と小さな紙袋を拾いながら。夜の峠、しかも雨の中。女の子ひとりでやってくるなんて、相当強い気持ちがないと出来ないことだ。だって、自分もそうなのだから。


「諦めろとは言わないが、そっとしておいてくれないか、あの二人を」


それを預かろうかと、拾ったものを涼介へと渡す。二人の元へ歩く涼介と反対に、恭子は、延彦たち埼玉勢へと戻っていった。誰にも気付かれず、目尻に雨粒を乗せて。








「痴話喧嘩は終わったか啓介」

「うっせーぞアニキ」

「ほう、コレがいらないと言うんだなお前は」

「あ、ケーキ…」

「なにっ!?アニキくれ!よこせ!」

「なあ瑠璃、オレにもくれるよな?」

「はいっもちろんです!皆さんの分もありますよ。涼介さんは、えっとー、」


やってきた涼介の手には、瑠璃が持ってきていた差し入れ。啓介に見せびらかすようにヒラヒラとさせ、持ち主の元へ返す。受け取った瑠璃が中を探す様子を啓介が横から覗き込むと、個々にクリアラッピングされたスティックケーキ。白いリボンで結ばれたひとつを、涼介に差し出した。


「手作りなので、味の保証はないですけど…。涼介さんはちょっとビターなモカにしました」

「可愛いケーキだ。ありがとう瑠璃。おっと、どうやら食べるのはこの膨れっ面に渡してからの方がいいかもな」

「え…?あ…、啓介くん…」


涼介と瑠璃がほのぼのと話している間ずっと頬を膨らますその顔が、普段より幼くて、まるで駄々っ子のよう。


「はい、どうぞ。お味は食べてみてからのお楽しみね?」


オレより先にアニキに渡すんじゃねェと言いたいんだなとミエミエな啓介に、黄色いリボンを。

涼介がいつの間にか居なくなったことに気付いたのは、キャラメル風味のキスをして、ふたり、笑い合ったあとだった。











***************

瑠璃さまへ


この度は10000hit企画へのリクエスト、ありがとうございます。


大変長らくお待たせ致しまして、わたくし何とお詫び申せばよいか…すみません…。大事でたまらない彼女と初めてのケンカからのどきどきキュンキュンなお話とのご要望、ちょっとシリアスになってしまいましたが、お兄ちゃんに頑張ってもらって、なんとか、甘く、なったかな、と…。お気に召して下されば嬉しいです。


お仕事が何やら大変だったとお伺いしました。宅のお話が少しでも瑠璃さまの元気に繋がりますよう、祈っております。ふぁいと!瑠璃さま!



2013,6りょうこ






おまけ





「史浩さんと松本さんは、えっと、はい、瞳に優しいブルーベリー。宮口くんとケンタくんはチョコレート!」

「みんな違う味にするのって、けっこう面倒じゃなかったか?瑠璃ちゃん」

「途中まで一緒で、そのあとのアレンジは簡単なんですよ」

「あ、オレのリボン、14と一緒だ!こういうとこ気遣ってくれるの、やっぱ女の子だよなー」

「はい、藤原くん。いつもお豆腐ありがとう」

「それはこっちのセリフですよ、ありがとうございます瑠璃さん。オレの、何味なんです?」

「ふふっ、ひみつ」

「…?」

「おい瑠璃、オレよりコイツのが特別じゃねェだろな」

「睨まないで下さい啓介さん。特に、別の味しないですよ。でも、みんなみたいにしっとり、っていうより、ふんわり……あ!」

「えへへ、お豆腐使ったの!大成功!」






おしまい