愛に時間を
セットした目覚ましより早く起きてしまった。普段からぼうっとしていると自覚のある頭が、更にぼけぼけしている。上体を起こし、髪をばりばりと掻き、これから持ち主を起こす仕事を与える前にアラームをオフにした。ついでに見た、今日の日付。
「たくみ、ほら」
「ねーちゃん、どこ?」
「こっちよ、たくみ」
「ねーちゃん、みっけ!」
「はぐれないように、ね、手、つなご」
「ん!」
七月七日。姉が、嫁ぐ日。
まだ夏本番ではない爽やかな陽気の中、いくつもの花が舞う。
その花、その花弁ひとつひとつに、姉とのたくさんの思い出を映していた。
自分が一生、頭が上がらない人が、ウチの親父の前で深々と頭を下げ、挨拶に来たのは去年の春のことだった。
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「涼介さんとお付き合いしてるの」
プロジェクトDが終わった年の冬。クリスマス、新年を迎えてしばらくした頃に、陽向は弟・拓海に告げた。たぶん、きっと、そうなるんだろうなと感じていたことが現実になった拓海は、嬉しそうに恥じらいながら話す姉が少々面白くなかった。
一時、大事な人を亡くした姉。恋人という存在、言葉が、姉を苦しませていると思っていた。冬が来て雪が降るたびに、姉は意識していないかもしれないが、笑顔も口数も少なく、ぼうっとする時間が多々あることに、拓海は気付いていた。
そんな姉を、大事で大事でたまらない姉を笑顔にしたのが、自分が敬愛し導いてくれた高橋涼介。姉を生涯守るのは自分だと誓ってきた弟は、姉の告げた言葉に、喜ぶことも怒ることも出来ず、モヤモヤと葛藤するしかなかった。姉と涼介が恋人になったということだけで、ふたりのことを嫌いになんてなれるわけがない。
『オレの大好きな姉ちゃんが、オレの尊敬する涼介さんに奪われた』
今の拓海の頭は、これのみだった。
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それから、二年が経った春。
ふたりの恋路にこれと言って大きな障害もなく、順調に時間を重ねていく。
教育学部を卒業した後、陽向は希望通り、教育実習で通った自身の小学校の副担任として勤務している。相変わらずパワフルな生徒に振り回され毎日クタクタになりながらも、その生徒たちから元気をもらい、教育者として勉強の日々を過ごしていた。
ときに、職員室へプリントを持ってきてくれた四年生の女子生徒が放った一言で、設定温度二十五度の室温がいくらか上がることとなる。
「藤原先生のお星さま、すごくかわいい!」
「え?ああ、このネックレスのこと?」
「きらきらして、まるでいちばん星みたい!すてきです!」
「ふふっ、ありがとう。先生の宝物なのよ」
「もしかして、カレシのプレゼントですか!?」
「えぇっ!?そ、それは…、えっと、うん、まあ、そう、ね」
「わあっ!ますますすてきです!お星さまをおくるカレシさん、ロマンチックですねー!」
彼女がにこにこと話す様子を傍に居た他の教諭たちも見、初々しく顔を染める陽向を微笑ましく思う。
「こら、あまり先生をからかってはいけませんよ。もうすぐ休み時間が終わりますから、教室へ戻りなさいね」
「はーい。藤原先生、こんどくわしくお話してくださいね!しつれいします!」
「はいはい。気を付けて戻ってね」
彼女が職員室の扉を締め終わるまで見届け、ふう、と息をついてデスクへ向かう。次の授業時間は自分の担当外なので、書類整理に当てる予定だ。そこへ、先程の生徒をやさしく咎めた教諭が、コーヒーマグをふたつ持ってきてくれた。
「お疲れさま、藤原先生」
「橘先生、先程はありがとうございました」
「いいえ、どういたしまして。それにしても、最近の子供はオマセさんね。可愛くて思わず笑っちゃうわ」
「ふふっ、同感です。教育実習中にも、当時の生徒にアクセサリーのことで言われちゃいましたし」
「あらそうだったの?藤原先生って可愛らしい人だから、女の子たちの目に留まるんじゃないかしら?」
「えっ!いえ、そんなことは…。慎ましく過ごしているだけなんですけど…」
「で、その慎ましいお嬢さんの心を射止めた彼って、どんな方なの?」
「たっ橘先生!?」
「私も次の時間空いているの。コーヒー持ってきたことだし、ね?」
「いよっ、涼介」
「非番のヤツが何の用だ」
「昼飯まだだろ、行こうぜー」
「人の話を聞きやがれ岡田」
群馬大学医学部付属病院。
たった今、担当教授の勉強会が終わりこれからひと時の休息というときに、かつての級友が現れた。
「休みなのに出てくるなんてな、そんなに真面目だったか」
「酷ェなお前…オレだって休みでもやることあって大変なんだぜ?」
大学を卒業して二年、研修医としても二年目を迎える。来年からは、自身が専攻する分野に特化した日々が始まろうとしていた。忙しい時間が始まる前にと、涼介は決意を胸に秘める。
「あ、そうだ涼介。今日の夜空いてるか?会ったついでに予定教えてくれよ」
「飲み会ならパスだ」
「わーってるって。さっき研究室に顔出したら、井上教授から食事に誘われたんだけど。お前どうする?」
迷う。非常に迷うところだ。在学中の恩師には、同じ敷地内に居るとは言え卒業以来なかなか会えていない。話したいことも、たくさんある。しかし、何故に今日なのだろうか。もっと別の日ならば、快く合意するのに。
「すまん、先約がある」
「は、マジか。尊敬する教授より、って、ああ、はいはい、わかっちゃったぜー」
オレをからかうときのその顔、変わってないな岡田よ。何を考えているか予想できるから余計に腹が立つぜ。
「教授には改めて謝罪と一緒に顔を出しに行く。彼女と大事な約束があるんでね」
「うおおハッキリ言いやがったなお前…!ええ、ええ、仲良しで結構ですね、藤原さんと!」
クリスマスの、雪の赤城。あの日から、もう冬は怖くないと笑顔になってくれた彼女へ。
今日この日、一世一代の勝負を決めたんだ。
5/23 18:21
From>>涼介さん
Sub>>お疲れ様
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こっちはもうすぐで終わるよ。今、どこにいる?
(小学校から直接、前橋に向かってます、っと)
研修医と教諭。お互い時間に追われるような忙しい仕事ではあるが、ふたりの時間はちゃんと作ろうと意識している。いや、意識していなくても、想い合っていれば逢える時間なんて意外に簡単に作れるものだと、最近思うようになった。病院勤務の涼介の方が遅くなることが大半なので、少しでも長く一緒に居たい陽向は、こうして病院にほど近い前橋駅で涼介を待つことが多い。しかしその待ってる時間すら、ふたりにとって楽しいものだった。
(涼介さん、まだかな)
前橋で待つ陽向と、向かう涼介。その時ふたりを占めるものは、お互いのことしかないのだから。
「陽向、このあと時間ある?」
「え?ええ、大丈夫だけど…」
「よし。いいよって言うまで、目を閉じててくれ」
「?」
ライトアップされた市街地が一望できる展望レストランでディナーと一緒に会話を楽しんだあと、駐車場にて告げられた。てっきりこのまま渋川へ向かうのかと思っていた陽向は、けれど予定のない今夜のことを考え、涼介に応えた。
耳に聞こえるのは、もうすっかり馴染んでしまった13B音と、ギアを変えるレバーの音。「ちょっとだけだぞ」とたまに攻めてくれるスキール音は聞こえて来ず、静かで穏やかなロードノイズ。目を閉じているのをいいことに、時々、からかうように太ももに触れてくるイタズラな左手をぴしゃりと叩く。赤信号なのか、FCが一旦停止した。
「いたっ」
「怒りますよ」
「怒った顔が見られないのが残念だよ」
「じゃあ目、開けていいですか?」
「それはダメ。まだいいよって言ってないからね」
我慢してて。
そう囁いて離れるときに、耳に触れた、彼の口唇。目を閉じているから、神経が、身体中が敏感になって、一気に体温が上がった。
「……涼介さんのばか」
「陽向限定のな」
涼介さんの笑い声。目を開ければ、きっと、私の好きな優しい顔がすぐ傍にあるんだってわかる。でも、言われた通り、しばらくその笑顔を見るのは我慢しておこう。
キッ、とシフトレバーが引かれる音と、運転席側のドアが開く音がした。続いて、陽向が座る助手席側が開かれる。
「陽向、手を前に。まだ目は閉じていて」
「ん、ちょっと、怖い」
「大丈夫、信じて」
涼介に左手を預け、腰に手を添えられ支えられて車外へ降りる。少しひんやりした春の夜風が運ぶ木々の香りで、ここが外で、公園のような場所なのだとわかった。
「涼介さん、ここ、どこ?」
「どこだと思う?」
話しながら、ゆっくりと、涼介は陽向を連れて歩き出す。
「初めて一緒に来たのは、二年前のクリスマスだったかな」
「……あか、ぎ?」
「ご名答」
目を開けて、陽向。
拡がるのは、赤城山麓の夜景と、たくさんの星たち。
「陽向」
「結婚しよう」
ここから始まった赤城で、これからの未来を、誓うため。
伝える場所は、陽向の『雪』を溶かしたココしかないと思った。
こんなにも緊張するものなのかと驚くほどだ。どくんどくんとうるさい胸を、オレがどれだけ想いを込めているか伝わるように、わざと、陽向にぴたりとくっつけた。駐車場の縁から夜景を見つめる陽向を後ろから抱きしめたとき、ぴくりと、細い肩が震えた。
「涼介さん」
「ん?」
「涼介、さん」
「どうした?陽向」
「りょ、す、」
「……陽向、」
覗き込んだ顔は、眉間に皺を寄せ、下唇を噛んでいた。目から零れた大粒のしずくが抱き締めたオレの腕にぽろぽろと落ちる。振り向かせ、愛しい顔を包み込んだ。
「ははっ、何て顔してるんだ」
「うぅ〜…。だ、って…」
「陽向」
「は、い…」
「オレの奥さんに、なって下さい」
きみが零した大粒のしずくには、とうてい敵わないけれど。
きらきら輝く一等星を、永遠の想いと共に、贈ります。
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それから、同じ五月のこと。
藤原家の正面に、かつても今も憧れのままでいる白い彗星号を拓海は見た。
拓海自身、プロジェクトDが終わってしばらくの後、とあるプロチームからの声により(文太繋がりだったため信頼性もあった)、めでたくメジャーデビューを果たす。同じく啓介も着々と各レースで名を上げ、ふたりのカテゴリーは違えども、公道のダブルエースは健在であった。
チームミーティングが終わって帰宅した拓海が、姉と同等に大事な愛車を定位置に停めるそのずっと前。自宅の軒先が見えてくるよりも前に、気付いてしまった。嫌な予感がする、と、過去や現在の走りで培われた勘が、ここでも働いた。そして、見事命中。「久し振りだな、藤原」と、相変わらず綺麗な恩師に言われ、自分が居ない間に何がどうなったのか、言われなくてもわかってしまった。
「……涼介さん」
「なんだ」
「姉貴、泣かしたらオレ、涼介さんブン殴りますからね」
「おい拓海、もうすぐで義兄ちゃんになる人なんだからちった言葉控えろ」
「親父は黙ってろ。いいですか涼介さん、姉貴、しっかりしてるように見えて抜けてるし、おっちょこちょいだけど、それでもいいんですか」
「ちょ、拓海!」
「姉貴は、ずっと、かなしい思いをしてたんです。涼介さん、それ、失くせますか」
「藤原、オレは」
「くやしいんですよ、オレ。オレじゃ姉ちゃんを心から笑顔に出来なかった。オレが姉ちゃんを守ってやりたかったのに。最近、すっげェ幸せそうに笑ってんだもん」
「拓海…」
「涼介さんが姉ちゃんをとったって、オレは涼介さんを嫌いになんてなれっこないし、幸せそうな姉ちゃん見てたら、なにも言えねェし」
「(ここまで姉ちゃん子だったとは親のオレもビックリだなおい)」
「オレから姉ちゃん奪ったんですからね。責任とってくださいよ涼介さん」
「……ふっ、言いたいことはそれだけか?義弟よ」
「まだオレは認めてません!お義兄さんだなんて!」
「安心しろ藤原。いや、拓海と呼ぶべきか。陽向の苦しみや悲しみは、オレが全部拭い去る。絶対に泣かせはしない。嬉し涙は別としてな」
「あー、なんだ。高橋さんよ。すまんな、拓海が暴走しちまって」
「いえ。以前一緒に行動していたときとは違う彼の気持ちを知ることが出来て、僕は嬉しいですよ。いつか拓海くんに、僕を兄と呼ばせてみせますから」
「…当分は無理かもしれないわ、涼介さん…」
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そして、一年が過ぎ。
『星』にちなんで決めた挙式は、七夕の日。
晴天の元、チャペルの白い階段を、手を取り合ってゆっくり降りるふたりには、色とりどりのフラワーシャワー。
「今朝、夢、見たんです」
「あ?」
階段の下から、幸せな姉を見上げ、隣に立つ彼に話す。
「小さい頃の七夕祭りで、姉貴とはぐれて、お互いがお互いを探して、見つけて、もうはぐれないように手をつないで」
「……」
「すっげェ、笑ってたんです。オレも姉貴も」
「そっか」
「絶対、離さないでね、って、約束したんだけどな」
今、姉の手をしっかりと取っているのは、隣の彼の兄で、自分じゃない。
「まだ認めてねェのかよアニキのこと」
「認めてますよ、尊敬してる人が自分のお義兄さんになるなんて、こんな素敵なことってないです」
「だったら言ってやれよ『義兄さん』て」
「…くやしいから言いたくないんです」
「あれ、っつーかさ、オレもお前にとっちゃ、オニーサンじゃね?」
「げ……さいあく……」
「ふーじーわーらー!」
ふわっ、
「っ!?」
ぽすっ、と、拓海の胸元に飛んできたのは、白とピンクのバラで作られたラウンドブーケ。
「拓海!」
「…姉ちゃん」
「…心配?」
「…ん、」
「だいじょうぶ。涼介さんがどんな方かは、拓海だってよく知ってるでしょう?」
「それは、そうだけど」
「だから、ね、笑って拓海」
「……ねえちゃん、」
「ん?」
「おめでとう」
「ありがとう、拓海」
「珍しいな、拓海が笑ってやがる」
後日、出来上がったたくさんの写真を見ながら、文太は微笑んだ。
棚に飾る一枚はこれにしようと手に取った中には、陽向と拓海を真ん中に、拓海の隣に啓介、陽向の隣に涼介が並ぶ。
四人とも笑顔で、啓介が拓海の肩を抱き、涼介が陽向の腰に手を添え、藤原姉弟の手は、仲良く繋がれていた。
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陽向さまへ
10000hit企画へのリクエスト、ありがとうございます。
まこと、遅くなりまして申し訳ございません…!しかし大いに楽しみながら書かせて頂きました!ありがとうございます!拓海の切ない想い、姉ちゃんを大事に想う気持ちを考えるのがすごく楽しかったです。婚約のお話、とのことでしたが、ふたりを見守る弟ズをちょっと入れたかったので、挙式まで延ばしてみました。
姉ちゃんのネックレスは、以前melt the snow in meで書きました星のネックレスです。エンゲージも同じく星をイメージしてます。スタージュエリーです。
1000hitに続いてのリクエスト、本当にありがとうございます。そして日々のご訪問やコメントにも大変感謝しております。
2013,7りょうこ
おまけ
拓海が帰宅する前。
「……」
「(涼介さん…顔が強張ってる…)そんな固くなる相手でもないですよ、父は」
「いくら婚前、親父さんと仲が良いとは言ってもな、こういうときはしゃんとしなきゃダメだろう」
「しゃんとしすぎてガチガチよ涼介さん。肩、力抜いて」
「すまんな、待たせた」
「…改めて、ご挨拶に伺いました」
「おお、ご丁寧にどうも、高橋さん。大体言いたいことはわかってるぜ、オレとし「単刀直入に言います!お嬢さんを僕にください!」……いいよ」
「えぇええ!?お父さん!?というか涼介さん落ち着いて…!」
「まあ、アレだ。オレとしちゃ陽向はいつでもお前さんに持ってってもらっていいと思ってたからな。心の準備はとうに出来てたさ……娘を頼むぜ」
「はい!」
「……ありがとう、お父さん」
お幸せに!