スノーダスト


雪はあらゆるものを吸収する。

音、色、景色のすべてを。

発するものは、光と、冷たさ。



スノーダスト




「クリスマスに時間が作れそうなんだ。そっちの予定は?」

『天皇陛下のお誕生日から三日間は合宿で苗場』


オレの彼女は淡白だ。今年でもう五年ほど一緒にいるのに、このあっさりとした性格は変わらない。まあ、お互い打ち込むものがあって時間に追われる生活をしているのだから、そのあっさり加減にはオレも助かってはいる。『逢いたい』と頻繁に言われるより、気が楽だ。

だが、それは時と場合に依るものだと、最近思うようになってきた。というのも、直接彼女と顔を合わせたのは、紅葉を見に赤城へ行ったきり。車窓の景色は、今は真っ白だ。今まで幾度もこんな長い期間逢わなかったことはあれど、どういうことか無性に彼女の顔が見たいと思っての電話だった。


「お盛んだな」

『語弊がある言い方しないで涼介。仕方ないわよ、漸くやってきたシーズンだもの』


全日本スキー連盟の強化合宿。選手であるゆきは、夏の間オレたちが車で山を走り込んでいるときに、自らの足でもって山を走り込んでいた。トレーニングの成果が冬になってやっと発揮出来ると、電話口の声は嬉しそうだった。


「毎年だよな、クリスマス付近の合宿」

『先月の初冠雪から降り積もった雪の斜面が良い具合に締まって、クリスマスの頃には滑りやすい一枚バーンになるの。回転にはもってこいよ』


夢はアルペンスキーヤーだと、昔からずっと語っていた。昨シーズン見事に夢が叶い、今年はプロ一年目。ゆきの大好きな季節がやってきた。


『涼介も来る?苗場、久しぶりじゃない』

「雪の道じゃFCは除雪車になるぞ」

『除雪…ああ、車高が低いから』

「鼻先で雪を削ってしまうんだ」

『でも啓介くんは走ってるんでしょ?メールきたよ、アニキが無茶なこと言うって』

「赤城道路は毎朝除雪が入るから平気だよ」


逢えない時間が長くあっても、お互いを想う意識は途絶えたことはない。常に重きを置いている。見えなくても、触れられなくても。だがどうしたものか、自分が女々しくなった気がした。


「…ゆき」

『ん?』

「苗場からは、いつ戻る」

『うーん、25日の夕方には解散の予定だけど。向こう、お昼には出発するから。群馬に着く詳しい時間はわかんないかな、道路状況にもよるし』

「じゃ、そのあと何も予定入れるなよ」

『え?』

「たまには一緒に居たいんだ、クリスマス」

『〜〜ッみ、耳元でその声やめてよ…』

「オレのお願い、きいてくれるか?」

『…善処、します』





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その日の群馬県域は、記録的な積雪となった。市街地でもかなり積もり、足元を取られる。本当ならばイルミネーションで飾られた寒い街を並んで歩きたかったけれど、この雪では到底無理そうだ。迎えを待つリビングの窓からしんしん積もる庭を眺め、溜息をひとつ。


「随分ロマンチストになったものだな、オレは」


雪は音を吸収し、すべてを覆う。耳の良い涼介でさえ、反応が遅れた。しかし、雪にはまばゆい光をもっと輝かせる力がある。イエローのフォグランプが目印。高橋邸に停まった、レガシィアウトバック。既に準備してあったコートを羽織り、首にはカシミアのマフラー。ウォータープルーフのレザーシューズのシューレースを固く縛り、雪降る外へ飛び出した。


「おかえり、ゆき」

「ただいま涼介。ごめん、予定より遅くなったの。長野が猛吹雪でさ」

「無事でなにより。お疲れさん」

「……どうしたの涼介」

「何が?」

「だって…、言葉がやさしい…」

「恋人を労わっちゃダメか?」

「だから、その声やめてってば…」


充分に暖機された車内は快適なぬくもり。しゅる、とマフラーを取り運転席のゆきの首へ巻くと、そのまま少しだけ強く、助手席へ引っ張った。




「逢いたかった」



紅葉が煌めく秋のあの日から、ずっと。

久しぶりの、ぬくもり。



「りょ、苦しい、よ」

「息出来るくらい苦しくないようにしてるんだけど?」

「…ッいじわる」

「いじわるになっちまうんだ。仕方ないだろ、ゆきが好きなんだから」

「う〜…、もう、しらないっ!」


抱き締める腕からもがいてみるが、そこは涼介も緩める気など更々ない。だって、やっと得られた愛しい存在なのだから。


「はーなーしーてー!」

「オレより苗場を選んだ罰だ」

「合宿なんだから仕方ないでしょう!」

「スキーとオレ、どっちを愛してる?」

「そっくりそのまま返すわよ!車と私、どっちが大事?!」


高橋邸の前から、一向に進まないアウトバック。ボクサーの音が響くだけのしんとした車内。窓ガラスが、ふたりの体温で霞んでしまった。


急に静まり、視線がぶつかる。お互いきりりと真剣だった目が緩くなったのは、ほぼ、同時。



「当たり前のことを訊くな」

「バッカじゃないの」


微笑み、こつん、と額を合わせる。



「ゆきだよ」

「涼介に決まってる」


それは、何ヶ月ぶりかのキスだった。




_______________


大事なプリンセスに今日の雪道は危険すぎると、ほぼ無理矢理ハンドルを涼介に奪われた。雪道をすいすい走りたいがために選んだレガシィなのだから平気なのに。って言ったら、

「頑張り屋のプロレーサーを休ませてあげたいんだよ、いいから甘えとけ」

ですって。こんな涼介に『でも』とか『だけど』と反論しても、上手い理由を言われてコッチは諦めるしかないとわかっているから、私はこれ以上何も言わないことにした。それだけもう長く、涼介と一緒に居る。きっと、私が知らない涼介の部分もまだまだいっぱいあるんだろうな。


(ずっと一緒にいたら、涼介のぜんぶ、わかるかな)


そんな言葉、恥ずかしくて絶対に言えない。



外の豪雪から隔離された屋内、群馬県庁展望台。時刻はもうすぐ日付が変わる頃。訪れる者は大半がカップルだが、時間も時間で明日からウィークデーだし路面が荒れているせいか、景色を眺めるより帰り支度のエレベーター降下待ちの人数の方が多かった。またベタなところへ連れてきたなと隣を見上げると、手を取られ誘導された。


「見事に白いな」

「うわ、どのへんが家なのかまったくわからない」

「ああ、あの辺りじゃないか?荒牧がここだから、こう行って…」


窓枠の柵に手をつき雪の街並みを見渡す私を、無駄に高い身長が後ろから覆う。細い指が前橋市内を辿る軌跡を見つめていた。






「ゆき」

「あ、あそこかな、いつものコンビニっぽいものが見える」

「こっち向いて、ゆき」

「じゃあ次は、高崎の涼介の家ねー、えっと」




耳にかかる涼介の声が、あつい、から。




「お願いだから、オレを見て」



気付かないフリ、してたのに。


やめてってば、その声。



「〜〜〜〜ッ、なん、でしょうか」

「すっげェ真っ赤だぞ」

「だ、れのせいよ!」

「いい加減慣れろ。何年目だオレたち」

「…五年目です…」


自分はまわりの女の子より、恋愛には執着心がないと思う。涼介と逢えない時間が増えても、さみしいなんて感じなかった。昔からお互い夢中になれるものを持っているし、逢えなくてもちゃんとお互いを想っているってわかってるから。電話もメールも、連絡は毎日取っている。

だからかな、『逢えなくても大丈夫』って気持ちに慣れちゃったみたい。逢えなくても、涼介がずっとそばにいるって感じられたから。

だから今、その反動に、すごく戸惑うの。気を抜いたら、爆発しそうで。こんな、心臓が掴まれたようになること、五年間で一度もなかったから。



「サンタクロースがオレのお願いを訊いてくれたようだ」

「何をお願いしたの」

「オレの恋人を、連れてきてくれた。しかも自ら『赤鼻のトナカイ』になってな」


どうやら真っ赤なのは頬だけじゃないらしい。鼻頭をつん、と触られた。


「ほんっと、キザね涼介」

「ゆきに逢えるのなら、キザにもなるさ」

「…ばっかじゃないの」


恥ずかしくて、恥ずかしくて。涼介を見ていられない。彼のマフラーを掴んで、まるでカーテンに隠れるように胸元に顔を埋めた。しゅるり、背中で何か布擦れの音がした。


「顔上げてゆき」

「いーやーだ」

「いいものあげるから」

「いーりーまーせーんー」

「じゃあこのダイヤは展望台から投げ捨てるか」

「!!」


まだまだ顔が熱かったけれど、彼のその声が『有言実行』するときの声色だったから。思わず『それはダメ!』と叫んでしまった。


「ッははは、展望台の窓は全部開かないようになってるから、捨てるのは無理なんだぜ?」

「またいじわるする!」

「だから言ったろ、ゆきが好きだからいじわるするんだって」

「……もう、どうにでもして…」


涼介はどこまで、私の体温を上げるんだろう。冬なのに、たくさん汗をかいた気がする。




「はい、メリークリスマス」

「わ…、」

「雪に埋もれて街の一部になるより、ゆきのからだの一部になってくれた方がオレは嬉しいよ」

「…その台詞がなかったらもっと感動したのに」

「そうか、それは失態だったな。取り消す気はないけど」



さっきの布擦れは、青いリボンが解かれた音。ガラスケースに収まっている、小さな小さな、雪の結晶。



「…昨日、苗場でみたの」

「新潟はずっと晴れだったもんな」

「気温が低くて、太陽でキラキラして」

「本物はもっと綺麗だろう」

「……こっちのが、きれい」

「どうした、急に素直になって」

「…涼介さんに溶かされたせいです」

「そうか、じゃあ素直なゆきさんにオレがつけてあげようか」


ゆきの掌に乗っているガラスケースから、繊細な結晶をひとつまみ。細いけれど男らしい涼介の指が、少々苦戦しながらキャッチャーを外す。


「痛くないか?」

「平気だよ」


右と左。両耳に煌めくスノーダスト。冬と雪とスキーが大好きで、寒さがへっちゃらな愛しい恋人にピッタリだと、涼介は迷わず選んだ。


「うん、やっぱりゆきには雪が似合うな。かわいい」

「…かわいいなんて、久しぶりに聞いた」

「オレはどんな時でもそう思ってるよ」





(…もう、爆発、しちゃえ)






「…おっと、どうし「逢いたかった」……やっと言ったな、このやろう」



言ったら急に楽になった。でも恥ずかしくてたまらなかったから、もう一度マフラーに埋もれた。抱き締めてくれた涼介の腕は、今日出会って触れ合った中で一番強くて、熱かった。耳に残る雪が光り、火照ったからだを冷やしてくれた。





でもね、私だって


「涼介」

「うん?」

「…だぁいすき」



思いっきり、柔らかく。涼介へたっぷりの愛を詰め込んだ目で見つめて、笑ったら。



「ッ、ばかやろうが…!」



溶かされてばっかりじゃ悔しいから、恥ずかしさを捨てて、滅多に言わない顔で滅多に言わない言葉を伝えたら。




「…んっ、ちょ、りょ、す…!んんッ」



思いっきり、今度はキスで、溶かされました。









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昨年大失敗だったクリスマス(アップ26日)、今年は間に合わせましたよってか早すぎました。

真ん中ちゃんでないヒロインさんでした。恋人に逢いたくてたまらない甘すぎる乙女な涼介さんと、ツンデレ?なスキーヤーさんのお話です。長年付き合っている恋人から『逢いたい』と甘えてもらえないのがちょっとつまらなくなってきたので、彼女を再び落とすために涼介さんはがんばります。お互い想い合って愛してるんだけど時には言葉も聞きたいよねー、という。ベッタベタ甘い涼介さんが書けて私は大満足です。

2013,12月アップ


おまけ!




『自己ベスト更新で初の表彰台、おめでとうございます!』

『ありがとうございます。次回は更に上の段に立ちたいですね、頑張ります』


「アニキ―、ゆき出てんぞ」

「ああ、録画してある」

「…あ、そ」


『予選のときにはつけていなかったピアスを、なぜ決勝で?お守りでしょうか?』

『…クリスマスに、あ、いえ!お守りということにしておいてください…』


(ピアスにして正解、だな。似合うよ、ゆき)





おそまつさまでした。
(リングやネックレスだとウェアで隠れて見えないのでピアスを選んだ涼介さんでした※滑降中はキャップやビーニーで耳も覆いましょう!凍傷になりますよ!←なった)