新春の嵐


「少し痩せたんじゃないあきらちゃん。ウエストがまだ余っているわ。ガーゼもう一枚持ってきましょ」

「ええー…そんなに入れなくてもいいよおばあちゃん」

「何言ってるの。お相手のお宅に伺うんだから、キチンと着こなさなきゃいけません」

「う…」


高橋の祖父母を自宅へ招いての新年の宴。両親も在宅で、珍しく家族が揃ってのお正月になった。現在、午前八時。朝食には、祖母と母が作ってくれたお雑煮を頂いた。祖母に着付けを頼んだ晴れ着には、成人式以来、久し振りに袖を通す。


「お着物、もっと着ておけばよかったな」

「お嫁に行くのはまだ先でしょう、それまでにたくさん着ればいいのよ。結納もあることだしね」


今年の春。桜が芽吹く頃に、あきらは高橋家を出る。家族が揃ったのも、あきらが『娘』でいられる最後の年だからだ。母方の祖父母には、初詣の後に挨拶に行くことになっている。


「さみしくなるわね」

「おばあちゃん、まだ早いよ」


帯の形を整え、お端折りの線を正す。家の和室に置いてある姿見の前で、祖母に見守られ背筋を伸ばした。


「しっかりね、あきらちゃん」

「うん、ありがとう」


襖を開けたらそこはリビング。『相手をせい』と祖父に言われカーペットに胡坐をかき碁の対局をしている涼介と、ソファを陣取って寝転がりながらお正月の特番を観ている啓介。父と母は、ダイニングテーブルで仲良くコーヒータイム。


「着たよー」

「あら綺麗に着せてもらったのねあきらちゃん」

「久し振りに見たなあ晴れ着。よく似合うよ」


父と母がコーヒーマグから手を離し、にこやかに見つめる。


「あきらは何でも似合うのお、かわいいぞ」

「ありがとうおじいちゃん」


対局中の碁盤から顔を上げた祖父が、おいで、と手招きをする。襖に対し背を向けている涼介と和室からは死角になるソファに寝転んでいる啓介に祖父は『お前たちも見てやらんか』と促した。しかし、


「あらあら。涼ちゃん啓ちゃん、拗ねちゃだめよ。ちゃんと見て、褒めてあげなきゃ」

「…だってよぅ、ばーちゃん…」

「…チッ」


成人式のときは、これでもかというくらいたくさん褒めてくれた晴れ姿。あれから八年が経ち、少し大人になったはずだからと、ヘアアレンジは落ち着いた夜会巻にしてもらった。同じ着物でも髪型を変えるだけでぐんと違うものに見える。その姿を、見てほしいのに。


「お兄ちゃん、啓ちゃん」

「まったく、仕方のないヤツらだ」

「あきらちゃんがお嫁にいっちゃうのがそんなにイヤなのかしらねぇ、お父さん」


さっきからこちらを見てくれない兄弟に、さすがに寂しくなってくる。しゅん、と項垂れ、持ち物の準備してくるねとあきらは自室へ戻っていった。


涼介と啓介が拗ねているのは、当然と言えば当然であった。何よりも誰よりも大事に想い愛しているあきらが、今年結婚するという事実。五年前にあきらから『お付き合いしてる人がいるの』とカミングアウトされた衝撃は忘れることが出来ないだろう。そして、自分たちからあきらを奪った不届き者に対しても、もう五年も経っているのに未だ許せないでいるのだ。


「いつになったら…認めてくれるのかなぁ…。ね、豪…」


自室の鏡で軽くメイクを直して、兄弟のせいでなかなか笑顔になれない頬を軽く叩く。デスクに飾ってある許嫁とのツーショットを手に取り、小さな声で呟いた。


高橋あきら、今年の春に、北条豪と結婚します。



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私たちは先におばあちゃん家に行ってるからと、兄妹弟三人だけで向かった初詣。赤城道路に雪はなく、肌を刺すほど冷えてもない外気温。新年の天気は上々で、この分だと神奈川も青空かなと、FDのリアシートから外を見ていた。普段は滅多に混まないこの道が、まるで栃木の観光名所の如く渋滞している。慣れたヒルクライムで行き詰ってしまったドライバーから、軽い舌打ちが聞こえた。


「仕方ないよ啓ちゃん、お正月だもん」

「…わーってる」

「啓介、もっと車間開けろ。危ないぞ」

「…ん」


車内が、重い。さっきから、会話という会話をしていない。豪と付き合っているとわかってから、あきらが神奈川へ出向くときはいい顔をしてくれなかった。仕事だと言っても、信じてくれないときが多々あった。兄妹弟喧嘩をしているワケではない。ただ単に涼介と啓介が拗ねているだけなのだが、いつも通りに接してくれないふたりに対し、あきらはそろそろ本気で泣きたくなってくる。車窓から見える青空が、いよいよ滲んでしまった。


「……っ、ひ、く」


「…アネキ…っ」
「あきら」


最後、なのに。幸せなときを、過ごしたいのに。


「ふたりとも、ひどぃ、よ…っ、ど、して、なにも」

「……あー…ったくよー、アニキのせいだぞ」

「オレのせいかよ啓介」

「ばか!ふたりのせいだもん!ぜんぜん私のこと見てくれないしいつも通りにしてくれないじゃん!そんなに豪のことがイヤ!?わたしが選んだ人なのに、ちゃんと、認、め…っ…ふ、うぅ…っ」

「……そーだよ、イヤなんだよ、北条が」

「け、い」

「付き合ったキッカケは富士なんだろう。オレたちがいない神奈川で、北条豪があきらに手を出していたことが許せない」

「だって、豪は、そんな」

「アイツ箱根でオレに負けたから、アネキを奪って勝ったつもりでいんのかよ」

「奪うって…、豪はそんなんじゃないもん」

「…何より北条凛のニヤけた顔が気に入らないんだ、オレは」

「お兄ちゃん、凜さんは私の人となりを買ってくれてるのよ?そんな言い方失礼じゃない。仮にもお義兄さ「オレは絶対に許さんぞ!あきらのお兄ちゃんはオレだけだ!」……だめだこりゃ」


北条にあきらを渡したくない。その気持ちが強く大きくなってしまい、とうとうあきらを傷付けてしまった兄弟。拗ねていたのは自分を愛してくれているからだとわかっているから、今まで怒ることも出来ないでいた。兄弟の本心が聞けた今、あきらはリアシートから身を乗り出してふたりに近付く。涙は既に止まっていた。


「ねえ、お兄ちゃん、啓ちゃん」

「あ?」

「なんだよ」

「…だーいすき!」

ふたりの頬へ、小さなキス。照れ隠しに咄嗟に前を向きハンドルを握りしめる啓介と、片手で目元を覆って車窓へ向く助手席の涼介。リアシートの真ん中から身を乗り出したあきらは、兄弟がいちばん好きな笑顔だった。



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無事に赤城神社での初詣が済み、まだまだ続く上りの渋滞を悠々と見遣りながらダウンヒルをこなし、その足で母方の祖父母宅へ挨拶に行った。昼食をそちらで頂いた折、やはり話題になるのは自身の結婚のこと。先程ようやく兄妹弟間の確執がなくなったばかりなのに、『結婚』の二文字が出た途端に兄弟の眉間にシワが寄る。それをやんわり緩和させるのも、真ん中であるあきらの役目。両親が乗る父のクラウン、そして三人で出向いたFDの二台が祖父母宅を発ったのは午後三時のことだった。


「あきら」
「アネキ」


FCとフィガロが眠る定位置にクラウンとFDを収めた高橋家のガレージ。着物を着ていて身動きがし辛いあきらの手を取り、エスコートをするのは兄の涼介。玄関ポーチまで来たとき、ふたりがあきらを呼び止めた。


「なぁに?おうち入らないの?」



「いままで、ごめん」

「悪かった、あきら」



「……っ、ばーか…」

「振袖、すっげーかわいい。つーか、めっちゃキレイだよ、アネキ」

「ますます嫁になんかやりたくなくなったぜ。こんなに綺麗になりやがって」


赤城神社で、たくさんの参拝客に紛れてはぐれないようにふたりが繋いでくれた左右の手も嬉しかったけど。

いま、頭を撫でてくれたあたたかい手と、頬に落としてくれたやさしいキスと、抱き締めてくれた大きな腕が、何より、嬉しい。





「あ…」


ふ、と耳を掠めた過給機音。それは涼介と啓介も同じであった。


「ち、来やがった」

「何時に約束してあったんだ?」

「…時間、ジャスト、です」


おめでたい色、と言われるだろうその赤は、この兄弟にとってみればめでたくもなんともないただの迷惑な色でしかない。相模ナンバーのNSX。あきらにとって、将来を共にする特別な相手がやってきた。今日はこのあと、彼と一緒にあきらは神奈川で過ごすことになっている。


「相変わらず、仲良しなことで」

「ごう、」

「おめでとうあきら。今日はまた一段とかわいいな」


こっち来いよ、と腕を差し出される。兄弟から離れ、愛する彼の手を取ろうとからだをそちらへ動かした。のだが。


「易々と高橋の地を踏ませると思うのか北条豪」

「ご挨拶だなぁオニイサマ」

「お前に兄などと呼ばれたくもない」

「つーか、オレらに言うことあんじゃね?アイサツ」


豪から身を守るように涼介の後ろに隠されたあきらは、ひょこっと兄の肩口から豪を見る。一触即発。しかしどことなく、豪は余裕の表情だった。


「あ、いたの弟クン。いやー気付かなかった」

「てンめぇ…マジでぶん殴られてェのかよ」

「豪、だめよ。啓ちゃんも」

「ジョーダンだよあきら。そんな泣きそうな顔しないで。まあソレもかわいいけど」

「〜〜〜っだー!!むかつく!!なあ、本ッッ気でコイツと結婚すんのかよアネキ!」

「う、うん…まあ…」

「よろしく頼むぜ義弟クン。オネエサマは『オレ』が幸せにするからさ」


だからオレのところにおいで、ともう一度呼ばれる。今度こそ豪の元へ行こうとすると、ぐ、と兄に肩を抱かれた。


「オレたちがどれだけあきらを想っているか、わかっているのか」

「相当の覚悟を持って、群馬へ来たつもりだぜ?」

「ふん、そうはまったく見えんがな」


冷徹な空気。涼介の目は鋭く、豪を捉えた。低く伝わるその声に、豪は少し、佇まいを正す。




「…改めて、ご挨拶に参りました。あきらさんを、オレに預けてはくれませんか。…涼介義兄さん」

「ごう、お兄ちゃん、」



肩を抱く涼介から、ふ、とため息が聞こえた。見上げると、なんとも複雑な表情だった。


「…行っておいで、あきら」

「アニキッ!」

「豪、絶対に泣かすな」

「…わかっていますよ」

「…ありがとう、お兄ちゃん」


お父さんたちに挨拶してくる、と出発の言葉を伝えに一旦家に入るあきらを『きょうだい』たちが見届け完全に見えなくなったとき、豪が続けた。


「ああ、そうだ。ウチの院ちょ、あ、アニキも喜んでたぜ。やっとあきらが妹になってくれるって」

「院長、だと」

「ホントはアニキも一緒に迎えに行く予定だったんだけど。NSXじゃ三人乗れないから、アニキの34で」

「…っち」

「『涼介と兄弟か…なんだかくすぐったいな』なんて言ってたz「やっぱりオレは認めん!誰が北条凛と義兄弟になるものか!」……あーあ…」


今頃遠く神奈川の地で、元旦早々勤務に励む北条病院の院長室にて、凜はほのかに笑っているだろう。それが容易に想像できるから、涼介はまこと面白くなかった。自分より優秀で歳上であるが故に、自分より早く跡を継いで『院長』になったこともまた、然り。


「おまたせー。行ってきます、お父さん、お母さん」

「今日は帰らないの?あきらちゃん」

「明日TRFの顔合わせもあるからこのまま神奈川に泊まってくるよ」

「ああ、豪くん。あけましておめでとう。今年からよろしく頼むな」

「おめでとうございます。新年早々、あきらさんをお借りしてすみません」

「そうだわ、ねえ豪くん、TRFさんでなくて北条さんのお宅に娘を泊めて頂けないかしら。そのほうがお父様お母様のお相手がゆっくり出来てよ?」

「ええ、かまいませんよ。実は両親はそのつもりでいます。兄もあきらさんと会うのを楽しみにしていますから」

「まあそれはよかったわ!ねえ涼ちゃん啓ちゃん」

「「まったく良くない!!」」


にこやかなのは両親、そしてあきらを勝ち取った勝利の笑みの豪。一度は手離そうとしたあきらの腕を、涼介と啓介は再び固く繋ぐ。


(いつになったら行けるのかなあ、ね、NSX)


愛される喜びを、元旦から何故か玄関先で感じたあきら。青空に赤がよく映えるなあと、未だ戻らない主人を待つNSXを見、耳では両親と兄弟、豪のやり取りを聞きながら小さな息をついた。





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皆さま、あけましてめでとうございます!昨年は本当にほんとーーーに、お世話になりました!たくさんの方々にご訪問頂けて、感謝の気持ちでいっぱいです。

さてお話していた通り、新年最初は北条家の次男坊にお任せしました。凛さんは背景です(^o^)昨年、宅のお話で豪さんを好きになって下さった皆さま、ありがとうございます。あれから5年、真ん中ちゃん28歳の新年のお話でした。豪さんと婚約中、プロポーズの言葉は果たして?今後の特設ページで明らかになると思われます(婚約のお話、たぶん書きます)。兄の涼介に怯まず、しっかり言葉を伝えた男らしい豪さんを書けて楽しかった。啓介とはケンカ腰になりつつも悪友になってくれると萌e、あ、嬉しいな!


2014,1,1りょうこ




おまけ


「まあまあいらっしゃいあきらちゃん!お待ちしていたのよ」

「あけましておめでとうございます、おじ様、おば様。本年よりどうぞよろしくお願いいたします」

「そんな固くならなくていいんだよ、もう家族じゃないか。なあ凛」

「いらっしゃいあきら。ほら、こっちへ」

「わ、凜さ…!く、るしいです…」

「…アニキ、おい」

「ああやっとあきらが妹になってくれるのか…春とは言わず今すぐに神奈川へおいで」

「凛さん…お顔すりすり痛いです…」

「あきら、『凜さん』はもうやめてくれ。お前の兄になるんだからな」

「う…(お兄ちゃんに怒られそう)」



おしまい!