新春の柔風


「疲れたろ。少し、目が垂れてきてる」




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北条家に到着したのは、日の入りが早い冬の空がまだ少しオレンジを残すくらいの頃だった。NSXの深いシートに着物姿で座るのが少しだけ辛かったけれど、出迎えてくれたご両親と、助手席から降りやすいようにエスコートしてくれた凛さんに会ったら、そんな辛さなんて飛んでいってしまった。高橋の祖母に言われたように、しっかり、しなければと姿勢を正す。

新年のご挨拶を告げお茶を頂いているときに、ご両親のご厚意に甘えて着物から洋服へ着替えさせてもらうことになった。手伝いましょうと、豪のお母様と一緒に和室へ向かう。


「あの子、運転が粗雑じゃないかしら。隣に大事な人を乗せているということをわかってくれている?」

「大丈夫ですよ。申し訳ないくらい、豪さんは私を気遣って下さっています」


和室に据えてある衣桁に着物を羽織らせた北条の母に、ここへ座ってとドレッサーへ誘われた。


「小さい頃から、凜にべったりでね。どんなことでもお兄ちゃんと一緒がいいって言っていたのよ」

「ふふっ、どこの兄弟も同じですね。私と弟も、兄にべったりでした」

「車だってそうよ。凛のように走りたいって、豪が18歳になったらすぐに免許を取ったの。あの赤いNSXは、凜が選んであげたのよ。豪によく似合うって」


ワックスで固めてあった夜会巻をブラシで解いてくれる手は至極やさしくて、ときどき首に触れる指は、ほんのりあたたかかった。


「…何年か前、凜のことで、豪まで変わってしまったわ。凛が出て行って、豪は笑わなくなって」

「……」

「でも、突然凛が帰ってきたの。何があったか訊いたらただ、『後輩のおかげだ』って。あきらちゃんの、お兄様でしょう?」

「兄を、ご存じだったんですか?」

「ええ、もちろんよ。凛の大学時代に、よくお名前を聞いていたわ。勉強にも車にも熱心な後輩がいるって」

「…」

「涼介くんにお礼を言わなきゃって、ずっと思っていたの。それに…あきらちゃんにもね」


ブローしていたドライヤーを置き、鏡ごしにこちらを見る北条の母。指通り良く仕上げてくれた黒髪を撫でる手は、自身の母のようだった。


「豪を、笑顔にしてくれてありがとう。あきらちゃんがいてくれて、よかったわ」

「お母様…」

「凛が戻ってきてから、豪は本当に笑うようになったのよ。あきらちゃんとのお付き合いも、その頃からなのでしょう?」

「はい…」

「ありがとう、豪のとなりにいてくれて。あきらちゃんがお嫁さんになってくれて、私たちとても嬉しいの。どうか、息子をよろしくお願いします」

「そんなお母様…!こちらこそ、よろしくお願いします!」

「ふふっ、あきらちゃんたら、『お母様』はよして。あなたはもう私の娘なんだから、ね?」




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「さっき、」

「ん?」

「お義母さんに、豪の昔のこと聞いたの」


夜も更け、おやすみなさいと告げたあと、北条家の客間に通された。今日は朝からずっと賑やかな宴会が続き、さすがに身体に堪えている。着物を着ることは好きだけれど、如何せん身動きが制限されてしまい、羽織の重さで肩も凝る。持ってきていたワンピースに着替えてからは文字通り肩の荷が降り、客間のベッドに腰掛けコキコキと首を鳴らした。となりに座る豪が目元に触れ、疲れたか、と気遣ってくれた。


「余計なコト言ってねェだろうな母さん」

「豪ちゃんはお兄ちゃんがだーい好きなんだよねー」

「だ・ま・れ」

「いいっ、いひゃい、いひゃい!もー、ほっぺた抓らないで」

「…このフザけたおクチ、塞いでやるよ」


疲れた身体に力なんて入らず、とん、と肩を押されただけで後ろに倒れ込む。ふわり、真っ白い羽毛のベッドに沈んだ。


「…酔ってる?豪」

「いんや、シラフ」

「うそばっかり」

「オレはお前に酔ってるの」

「うわー、似合わないセリフ」

「その似合わないセリフを言っちゃうオレをさ、あきらのかわいいおクチで閉じてくんない?」

「…ばーか」

「好きだよ、あきら」


柔らかな口唇で塞がれ、大きな掌で髪を撫でられる。お兄ちゃんや啓介の掌と違う、安心するけれど、もっと、どきどきするような。


「…ん、っふ…ご、う…」

「ほっぺ、赤くなってる」

「さっき、っ、つね、ったでしょう」

「ほんとにそれだけ?それとも酒かな」


額を合わせ、至近距離で交わす睦言。豪の吐息が、あつい。片方の手が背中に回り、ワンピースのバックファスナーに指がかかった。


「っ、ココで、するの…?」

「だめ?」

「だ、だめって…!だって皆さんいらっしゃるのに!」


ぐ、と覆いかぶさる胸元を押してみるが、見た目よりずっと筋肉のあるこの細身の彼にはまったくの無意味。今日の疲れとアルコールのせいで力が入らない腕を、豪は軽々と掴み、ベッドへ縫い留めた。


「…アニキとあんなに仲良くしやがって」

「え…」

「全然オレんとこ来てくんなかったじゃんあきら」

「あ、あれはっ!凛さんがずっと離してくれなくて…!お酌のお相手してる途中にそばを離れるのも失礼じゃない!」

「それをいいことにアニキは楽しんでンだよ!ったくあきらはオレのモンだっつーの」

「ちょ、ご、待って…っ、」

「も、待てねェ」


性急に下ろされたファスナー。肩に出来た空間に手を滑らせ、ストラップに指がかかる。ハスキーに掠れた低い声で、耳元で甘く呟いた。


「やっと、ふたりになれたんだぜ。オレもお前に甘えたい」


ずるい、と思った。

そんな、色っぽい声で、そんな、かわいいコト、言われたら。


「この、あまえんぼさんめ」

「何とでも言え」

「……そうっと、してね…?はげしいの、やだよ…」

「うん、無理かな」


くすり、豪が笑う。ストラップにかかっていた指がぐっと下がり、露わになった胸元へキスが落とされた。『オレのもの』と付けた印を満足気に見つめる豪はまるで、誰にも渡さないよう宝物に名前を書いた少年のようだと、ぼうっとする頭で思っていた。夢中になる豪にほだされて、心も身体もふわふわと包まれる。だから、近付く足音になんて気付かなかった。






「あきら、寒くないか?ベッドに湯たんぽ入れてやろう…、…」



ノックの直後、間髪入れずに開いたドア。立つ凛さんの手元には、布に包まれたあたたかそうな湯たんぽ。未来の義妹を想ってのやさしさを、今だけは遠慮したかった。私に覆いかぶさる彼の額に、一筋の、怒り。


「空気読みがやれアニキィイ!!」


胸元が開いたままの私にシーツをかぶせ、真っ赤な顔で凜さんに殴りかかる豪。弟の拳を受ける義兄は、何やら楽しそうな顔だった。





(いや、邪魔したなあきら。すまん)

(え、あの、その…)

(とっとと部屋帰れアニキ!あきらに近付くんじゃねェ!)

(照れるなよ豪。ソレ、どうにかしろよな)

(ソレ…?っ、や、ごう…っ)

(ああ、あきらは見ちゃ駄目だ。そうだ、この部屋じゃ心細いだろうから今日はお兄ちゃんと一緒に寝rぐあッ!)

(り、凜さん!)

(マ ジ で 帰 れ ア ニ キ)





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復帰一発目がちょい裏ってどうなんでしょうかと思いながらの北条家でした。いやー、兄弟楽しい。

香織事件〜凛さん元通りまでの経緯を、北条母は息子たちから深く聞かなくてもなんとなくすべてわかっているような気がします。母とは不思議。凛さんはたぶん、香織さんほど愛する人が現れなくて生涯結婚しないんだろうな…。真ん中ちゃんのことは兄として愛しているので、彼女が豪さんと結ばれて自分の近くにいてくれることが凛さんの安らぎにもなって…てくれると嬉しいな。豪さんはちょっかいを出してくる凛さんから真ん中ちゃんを守るのに必死になっているとかわいい。

凛さんナンバー37564hit、ありがとうございます←数字どうにかならんかったのかとアニメの方々に抗議したい。


2014,1月アップ