なりたい
※真ん中25歳くらいのバースデー
『誕生日は、ひとつ歳を重ねてきれいになれるから』
確か初めて携帯電話を持ったのは、中学校卒業の手前。まだモノクロで小さな画面だった。パケット使い放題なんてプランもなく、一日何通もメールを送ったりネットに繋いで遊んでいたら、ひと月の料金がすごいことになってお母さんに怒られたっけ。
それが、もう10年ほど前のこと。今の通信機能の進歩は著しく、無料で使えるメールや通話機能が誕生している。SNSも、10年前にはなかった代物だ。画面も大きく液晶の画素はハンパなくきれいで、これから先どんなモバイル機になっていくのだろうと、いささか不安もある。
クロゼットの前でひとりファッションショーを始めてどれだけ針が動いただろうか。今夜は大事なパーティーがあるというのに、『一張羅』がありすぎる彼女、あきらにとって、服が決まらないことは死活問題だった。悩んでいる最中に鳴り続ける、LINEの着信音。どれもが、今日を楽しみにしているとのメッセージ。きっと、LINEの他に友人からのフェイスブックやツイッターログが溜まっているんだろうなと、あきらはベッドの上のスマートフォンを今は少し面倒そうに手に取った。
それは、両親からの誕生日プレゼントだった。
数日前、実家に届いたあきら宛ての手紙に書かれた、HAPPY BIRTHDAYの書体。中にはホテルのバンケットの招待チケットと、両親からのメッセージ。
『誕生日に、高崎の夜景を贈るよ。あきらの笑顔が見られないのは残念だけどね』
『お誕生日おめでとう、あきらちゃん。生まれてきてくれたのがあなたで本当によかったわ』
嬉しい言葉に瞳が潤む。しかし、当日は両親共に病院勤務なんだそうだ。バンケット…恐らく、お友達をたくさん呼んで楽しくやりなさい、そういう意味があってのことだろうと読んだあきらはすぐに、涼介と啓介に相談を持ちかけた。
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例え自分が苦手であろうが嫌いであろうが、あきらにとってその人物が大切な存在であるのならと、彼女のために幾多の走り屋に連絡を取った涼介は苦虫をつぶす。
「お兄ちゃん、なんか、ごめん」
「気にするな。苦手なヤツは京一だけに限らんからな」
「…ハッキリ断定するのね、相変わらず」
高橋家御用達の、高崎市内のとあるホテル。バンケットは欧風の造りになっていて、洒落た調度品があきらの、本日の主役の心をくすぐった。あきらにとっての友人とは、兄弟にとってみれば走りに限らず『色々の』ライバルである。両親があきらのために贈ったプレゼントは大変喜ばしいものだが、それは今夜、あきらをたくさんの輩から守らねばならない、まさに兄弟VS走り屋の死闘の幕開けだった。
「神奈川の連中、ちょっと遅れるってよ。北条のアニキの退社を待ってたら、出発が遅くなったんだとさ」
「そのまま病院に居ればいいのに」
「お兄ちゃん、先輩になんてことを言うのよ」
「啓介、相手は豪か」
「おー。病院のバス一台使って、箱根全員乗ってくるらしいぜ。しかもオカカエ運転手付きで」
それは職権乱用ならぬ跡取り乱用のように思えるが、バラバラに到着するよりまとまってくれていた方がこちらも嬉しいというものだ。だって、道中何かがあって、例えば皆川さんだけがまだ到着していないってことになったら不安だもの。
(例に挙げてしまってごめんなさい、皆川さん)
バンケットには、まだ私たち三人とホテルスタッフ数人だけ。約束の時間がそろそろやってくる。
「さ、準備しておいで、あきら」
「オレたちも着替えようぜアニキ。あっそうだ!一緒に着替える?アネキ」
「ばか!」
今はまだラフなワンピース姿。涼介と啓介も、動きやすい普段着のままだ。この日のために、ようやっと選んだとびきりのドレス。さあ、みんなにお披露目といきましょうか。
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こん、こん、こん
「アネキー、まだー?」
「ごめんもうちょっと」
「箱根以外もう揃ってんぞー。碓氷のヤツらがあきらどこなのってウルセーんだわ」
「ふふっ、沙雪ちゃんか。すぐ行く!」
折角だからとホテルの美容師に頼んで作ってもらっているヘアアレンジが、思っていたより時間がかかり悪戦苦闘。仕上がったのは、啓介が訪ねてきて10分後のことだった。ドレスに合わせて選んだヒールに脚を入れて背筋を伸ばす。ドレッシングルームを出、瞳を閉じて、深呼吸。メイクもヘアもアクセサリーも、これ以上ないほど、完璧だ。
「お兄ちゃん?入らないの?」
バンケットの観音扉前に寄りかかる兄は、仕立てたばかりのスーツ姿。ブラックベースのシャドーストライプ生地に、アスコットタイのブルーがとても映えて綺麗だった。
「お姫様を待ってたんだよ。エスコートは、いつも王子の役目。だろ?」
「じゃあ、もうひとりの王子さまは?」
「中で待ってる」
本当に、どこでそんな所作を身に付けたのか知りたいといつも思う兄のやさしいエスコートは、まるで恋人だと錯覚するほど。腰に手を添え、涼介の大きな掌にあきらの細い指が包まれた。
「こんなに可愛くなりやがって。このまま攫ってしまおうか?」
「ふふっ、みんなに悪いよ」
「…世界で一番、可愛いよ。誕生日おめでとう、あきら」
「ありがとう、お兄ちゃん」
扉が開いたら一礼しろよ、と兄に言われスタンバイ。でもそれってなんだか結婚式みたいだねと言うと、
「オレはむしろそれがいい」
「ばかっ」
披露宴の如く開いた観音扉。涼介に誘われ、満開の拍手の中へ。ドレスの端をそっと持ち、おとぎ話のプリンセスのように腰を落とし礼を贈った。
「アネキ、超かわいい」
選んだドレスは、淡く赤が入ったシェルピンク色のベアドレス。ギャザーをたっぷり使ったミディスカートは、ふんわり揺れてまこと愛らしいシルエット。フラワーモチーフの大振りチョーカーを身に着け、とことん、甘いスタイルになってやろうとあきらが決めた『一張羅』だった。一礼を解いたあきらを迎えに、涼介の反対側に啓介が立つ。ジャケットは羽織らずコットンシャツの袖をルーズに捲り上げ、襟元には兄と色違いのアスコットタイ。ブラックデニムにシャツをインしスタイルの良さを晒した弟は、すかざず姉の手を取り、甲にひとつキスを。
「啓ちゃん!」
「牽制だよアネキ」
「え?」
「…なんでもねェ。さ!おっぱじめよーぜ!」
「う、うん!」
啓介の言葉に引っかかりはあるが、ゲストを待たせては失礼だ。アテンドからフルートグラスを受け取り、姿勢を正し、息を吸い込む。とびっきりの笑顔で。
「来てくれてありがとう!記念日をみんなと過ごせて、とってもうれしいです。今日は楽しんでいってくださいね!」
「あっ乾杯の声!オレやっていい?アニキ!」
「いいぜ啓介」
「やっり!そんじゃやるぜー!アネキの誕生日を祝してー、かんっぱーい!」
ちん、ちりん、ぱりん。
何やらさっそくヘマをしてしまった誰かへ笑い声が起きる。一気に場が和み、『おめでとう』コールが鳴り続いた。
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「あきらー!おめでとー!」
「沙雪ちゃん!さっきはごめんね、お待たせしちゃって」
「ううん、全然気にしないで!こーんなかわいいあきらが見られたんだもん、待った甲斐あったよ」
すぐに駆け寄ってきてくれたのは碓氷の彼女たち。豊満なボディに抱きすくめられ、きゃいきゃいとはしゃぐ。
「お誕生日おめでとうあきら。沙雪と一緒に選んだんだけど…受け取ってくれる?」
「真子ちゃん、うそ、うれしい!沙雪ちゃんもありがとう!」
どういたしまして、と沙雪は照れ笑い。受け取ったショッパーは、パッケージがとびきり可愛らしいコスメブランドのもの。
「見た瞬間あきらっぽいなーって思ったのよねー真子」
「うん。絶対似合うよ、あとで付けてみてよ」
「わかった!楽しみだなー、なあに?リップ?アイカラー?」
ドキドキしながら、あきらは持ち手にくるんと巻かれたリボンをいじっていた。
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ひとりひとりと顔を合わせ会話を楽しんでいるあきらに声を掛けることを、中里は極力避けたかった。しかしとなりにいる女性に手慣れた馴染みの男が、遠慮を知らずにあきらへ近づく。「時には遠慮はいらねェんだぜ毅」そう小声で話しながら。
「あきらサン、ちっす」
「っ!びっくりしたー、慎吾くん!いらっしゃい!」
話相手だった連中…秋名の面々に(ほんの少しの)詫びを入れ、あきらの興味を自分へと引き込んだ。こういうのはうまいんだよな慎吾はと、中里はふたりの姿を目で追う。
「あ、中里くん。こんばんは!」
「ど、どうも」
「妙義から時間かかったでしょう?ありがとう、来てくれて」
「コイツ予定より超早ェ時間にウチ出たんスよ、間に合うか不安でさー」
「慎吾!」
「ふふっ、間に合ってよかったわ」
几帳面で計画的な中里へ微笑むと、照れ隠しのように中里が「これ、」と小さな紙袋を差し出した。
「毅と意見分かれちまってさ。絶対ェあきらサンはフローラル系なのによ」
「大人な彼女はムスク系だ」
「どっちも好きだよ。なあに?フレグランス?」
「開けてからのお楽しみだぜ。すっげェかわいいから」
「じゃああとで必ず見るね!どんな香りなのかなあ?ありがとう中里くん、慎吾くん」
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「オレは、止めたんだ」
「なんでだよ延彦。ノリノリだったじゃねェか」
「乗った覚えはないぞ。ったく女性に贈るモンじゃないだろうが」
良く似た顔のふたりが目の前でケンカ一歩手前の会話をしている。渉の手には、小さい頃から馴染みのあるオモチャ屋のロゴが入った包装紙。けっこう大きい。
「こういうのはな、性別関係なく相手が好きなモン贈るのがいいんだって」
「だからって可憐で女性らしいあきらさんにそれはどうなんだ」
「…あの、ふたりとも」
「ごめんなさい、うるさくって。これ、秋山三人からプレゼントです。おめでとうあきらさん!」
兄ふたりを放って、渉の手から包装紙を奪い、和美が渡す。大きさの割には軽く、持った感触に覚えがあった。試しに振ってみると、プラスチック同士がぶつかるような音がした。
「和美!なに勝手にあきらに渡してんだよ」
「アニキがもたもたしてるからでしょ、延彦も」
「ああもう、すみませんあきらさん。気に入ってくれると、いいんですが…」
「…!わかっちゃったかも!渉くんすごい、どうして私の好きなもの知ってるの?!」
「ほーらな!あきらなら絶対喜ぶと思ったんだよ。オレの勝ちな延彦!」
「あきらさん、前に私に教えてくれたから。それでピンときたんです」
「ありがとう和美ちゃん、うれしい!延彦くんもありがとう!がんばって組み立てるね!」
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「アネキー、こっち」
「啓ちゃん、恭子ちゃん」
「楽しんでるかお姫サマ?」
「とっても!いらっしゃい恭子ちゃん」
「お招きありがとうあきらさん!お誕生日おめでとうございますっ」
微笑ましく会話をしているふたり。邪魔しちゃ悪いなとそっと見守っていたら、パチと啓介と目が合った。おいでおいでと手で招かれ、久し振りに会う恭子とハグを交わす。
「もー、あきらさんかわいすぎますー。ふわふわしてお人形さんみたい!」
「私は恭子ちゃんみたく大人っぽくなりたいよー」
「一生ムリじゃね?アネキはカワイイほうがいいって」
「啓ちゃんたら!」
「私もそのまんまのあきらさんが好きだなぁ。はい!可愛いレディへ私からプレゼントです」
恭子からの贈り物を既知である啓介が(何をあげるか教えてもらったらしい)、「アネキそれ絶対ェ好きなヤツだぜ」と何故か自信たっぷりな顔で言う。
「他のヤツらからもイロイロもらってんのか。開けたの?」
「んーん。みんなとってもかわいいラッピングしてくれてるの。もらってすぐに開けるのもったいなくて、後でゆっくり開けようかなって…」
「じゃあ、私のは寝る前に開けてください。きっとピッタリだから」
「うん、わかったよ。ありがとう恭子ちゃん」
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出入り口の観音扉が大きく開かれて、アテンドが何かを運んできた。と同時に、ふっと照明がやさしく落とされる。
「あきらお嬢様、どうぞ前へ」
実家御用達のホテル支配人とは、もう随分の顔馴染みである。彼に呼ばれ、たたっとカーペットを駆けた。
「走るなあきら。転ぶぞ」
「京一さんっ」
そっと腕を差し出され静止された。上質な大人のカジュアルスタイルを着こなす京一を、今日はバンダナ巻いていないんですねと見上げていたら、肩を抱かれて支配人の元へエスコート。ヒールを履いたあきらの歩幅に合わせて、京一はゆっくり歩いてくれる。ちら、と兄を見た。…とっても難しい顔をしていたけれど、今日は、どうか許してね。
「わたくし共よりささやかな贈り物でございます。どうぞ、皆様で召し上がって下さいませ」
ワゴンに乗っているものは、真ん丸の大きな大きなバースデーケーキ。
「すごい!まるでサーキットだわ!」
「お嬢様が夢中になっているものを、涼介様よりお伺いして作らせて頂きました。お車もすべて、召し上がって頂けますよ」
「わあっエボもいるのね!かわいいー!」
たっぷりの苺で縁取った中に敷かれたオンロードサーキット。TRFを掲げたマジパン製のあきらの青いランエボが走り、チェッカーを切ろうとする瞬間が表現されている。なんとも素晴らしいデコレーションケーキに感動が治まらない。気になったゲストの仲間たちも、どれどれと見に集まったり、すげー!と声を上げて撮影したり。ホテルからのサプライズに、バンケットが沸き立った。
「苺は、須藤様からなんですよ」
「え?」
「お兄様が教えて下さったんです。お嬢様は須藤様が作られる苺が大好きでいらっしゃると」
「きょう、いちさん…?」
「…あきらのためだったからな」
となりに立つ、決して『涼介に言われたから提供した』と言いたくない頑固な皇帝。見上げた京一は、少し面白くない顔をしていた。涼介を見ても、それは同じ。
「…うれしい、とってもうれしい!ありがとうお兄ちゃん、京一さん!」
泣きたいくらい嬉しかった。今すぐにふたりに抱きつきたい。けれど、それはたくさんのロウソクを消してから。
「あきらさん、お誕生日…っ、おめでとーございまーーっす!」
「ありがとーイツキくーん!」
ふうっと消したら、更に盛り上がる歓声と拍手。イツキのテンションに釣られて、あきらも声を高らかに上げた。
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(デコレーションを崩すのはかなりもったいないが)切り分けるために一度場を離れて行ったケーキと別れたとき、啓介に一報連絡が入る。
「あーオレ。おっせーよテメェら、アネキ待ってんぞ。早く上がってこ…、ッチ、切りやがった」
「来たのか啓介」
「うるっせー団体サマのご到着だぜ」
電話の相手は北条家令息。かの一戦を経て、なんだかんだ仲良くなった弟たち。走り屋として、また悪友として、啓介と豪は繋がっている。連絡を聞いた涼介は、あきらと談笑している秋名の面々に詫びを入れて告げた。
「箱根勢が来たようだ。出迎えておいで」
「はーい。あ…でも、その前にお化粧、直したいな」
「それなら、一緒に出ようか。オレも外の空気に当たりにいくよ」
涼介と退室する際、『少し外します』と扉の前で腰を落として一礼をした。控室として借りているドレッシングルームに向かうふたり。突然、涼介が壁にあきらを縫い留めた。
「おに、ちゃん?」
「…無防備に晒すなよ」
「…どういう、意味」
「神奈川の連中が、あまりに危険なんだ」
「ちょっと、みんな良い人なのに。大丈夫よ」
「群馬と埼玉の連中は許せる。だが京一と神奈川勢は確実にあきらを狙っているだろうが」
「お兄ちゃん、そんな、狙うだなんて」
「化粧を直したいっていうのも、連中の中に想うヤツがいるからじゃないのか」
「そんな理由じゃないって!ただ、楽しくてはしゃいじゃったから、崩れたのを直したいだけよ!」
「…不安なんだよ、あきら。ずっとオレと啓介のそばにいてくれるか?誰のものにもならず、ずっと」
「…未来は、どうなるかわからないけど、ただ、今の私には、お兄ちゃんと啓ちゃんより大切に想う男の人は、いない、よ」
「…そうか」
「だから、ね。神奈川のみんなは、私の走り仲間なの。危険な人なんて、絶対にいないわ。安心して?」
困った顔で眉と目尻を下げ、涼介へ懇願の目を向ける。どうにか納得して離してもらいたいあきらは、兄が絶対に堕ちる子犬のような潤んだ瞳で見上げた。
「…ッくそ、そんな目で見るな」
「お兄ちゃん」
「わかったよ、オレはしっかりした妹を持って幸せだ。自慢の妹だよ、あきら」
「ふふっ、ありがとう」
「じゃあ、はい。絶対に大丈夫っていう約束。あきらからしてくれよ」
「え、なに」
「頬でいいから。してくれたら、この腕離してあげる」
「…〜〜〜っ!」
早くしないと、みんなをお出迎え出来ない。周りにはふたり以外誰もいないが、美麗の兄に見つめられるとどうしても戸惑う。それはいつまで経っても慣れない。観念したあきらは、ヒールを爪立てて涼介の胸に手を添えた。兄の頬に、ルージュの艶が少しだけ残る。
「…お化粧っ、直してくる」
「照れやがって。キスなんてもう慣れっこだろ」
「慣れない!もう、私行くから!」
「はは、はいはい」
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(お兄ちゃんのばか)
火照った頬を掌で包み、ドレッサーの前で呼吸を整えた。涼介に告げたように、兄と弟以外、今の自分には『特別』と思える男性はいない。しかしやはり、『家族』としての想いが強いのも確かだ。
(…京一さんは、好き。だけど、)
慕うのは、憧れているから?それとも、本当に好き?
(…もう、なにがなんだか。私って、誰がいちばん、好きなんだろう)
今日集まった中に、自分の心を動かす唯一の人はいるのだろうか。友人としてなら、間違いなく全員好きなのだが。
(…無理に探すのも、疲れちゃうよね、うん。考えるより、今日はちゃんと、楽しもう)
パウダーで肌を再度整え、髪を少しいじる。最後にピンクのルージュを置いて。さあ、やっと到着したお客様をお迎えにいきましょうか。
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箱根勢力、全員集合。威圧感もさることながら、メンバーから伝わる個々のオーラに少し、場の空気が冷めた。中里と慎吾は眼をやや鋭くし、真子はレーサーとしての目つきに変わる。しかし肝が座っているというのか、この空気の中で沙雪は自前の審美眼でなにやら思慮深く連中を見…いや、見定めていた。
「遅くなってすまん涼介」
「来なくていいです先輩」
「アネキのために、すんません。池田さん」
「何、謝ることはないよ啓介くん。あきらには普段から世話になっているからな、オレたち。広也、挨拶したのか」
「っち、めんどくせー」
「ひっさしぶりFDの兄ちゃん!この間富士で走ってたっしょ、オレ観てたよアレ」
プロジェクトDから2年。啓介は幾多のオファーからひとつのチームに加入し、今は国内を中心に参戦している。プロのキャリアはほとんどない啓介が、すでに初戦から好成績を上げ順調に活躍していた。小早川が言うアレとは、スーパーGT開幕前の記念イベントのこと。とあるワークスチームのゲストとして、今季のエントリーカーを啓介が駆っていた。
「一丁前にレクサス乗りやがって。うらやましいヤツ」
「悔しかったらプロんなれよ北条、蹴散らしてやっから」
「っざけんな高橋。つーかオネエサマどこだよ」
「け、テメェにアネキは見せてやんねーよ、もったいねェ」
「な ん だ と コ ラ」
一触即発。どうしてこう、血気盛んな弟たちは出会って早々こうなのだろうか。扉越しにふたりの声が聞こえたあきらは、少しだけ開けた隙間から中を窺った。
(入るに、入れない)
「何やってんだあきら、さっさと入れよ」
「うわっ、渉くん!」
「つーか入ってくんねェとオレが入れない。ほら、開けた開けた」
「ちょ、と、うわああ!」
主役のお戻りだぜー!と、やたら通る秋山渉の声。外へタバコを吸いに行っていたのか、となりの彼から少し煙の香りがした。じゃーな、と頭をポンと撫で、ビール片手にふらり離れていく。渉くんのばか、そう心で呟いた。自分が出迎えるつもりだったのに既に到着してしまっていた箱根勢力が、一斉にあきらに気付く。
「ああ、あきら。誕生日おめでとう。オレとお前が出会ったのは奇蹟としか言えん」
「り、凜さん、わ、すごい真っ赤な薔薇…!」
「おいおい抜け駆けだろう死神サン。またなんつーかわいいカッコしてんのあきら、似合うよ。今日はおめでとう」
「ほんとう?うれしいな。ありがとうございます大宮さん」
「あきら、いくつになった。まあ、出会った時より少しも変わらんがな」
「あーひどい池田さん!これでもちょっとは女らしくなりましたよ?」
箱根勢、年長組。自分にとって頼れる兄のような三人から祝辞を贈られた。相当の本数…恐らく歳の数ほどあるだろう真っ赤な薔薇の花束を潰さないよう、凜はあきらの腰を、大宮は肩を、池田は頭に触れている。にこにこと笑みを返すあきらだが、そばで様子を窺っている天下の高橋兄弟は気が気ではない。
「招いてくれてありがとうな、あきら」
「皆川さん!お忙しいのに、すみません」
「レースが終わったGW明けから、オレたち休暇もらってんです。気にしないでくださいあきらさん。久し振りに群馬に来られてうれしいし」
「そう?ありがとうカイくん」
「なんで今日そんなピンクでふわふわしてんの?ロリータ?」
「うーん…ちょっとロリータとは、違うんですけど…に、に似合わないですか?奥山さん…」
「の、逆だよ。すっごいかわいいあきらちゃん!広やんは照れてるだけ!」
ねー池田さん、と小早川が池田を呼ぶ。奥山は居心地がすこぶる悪そうだ。見兼ねたあきらが、フォローに入る。
「今度、シルビアみたいなブルーの服、着てきますね。そっくりな色、持ってるんです」
「ふーん、じゃあ、それでデートしよっか」
「ふふっ、はい」
ニヤリと笑う奥山に、北関東全員がストップをかけた。「あたしたちだって青いわよ!」と碓氷ブルーのレディたちが叫ぶ。
「京一、眉間のシワすっげーぞ」
「…小僧め、けしからん」
栃木の皇帝が動いた。だがそれより前に、今の今まで隅で大人しくひっそりと時間を過ごしていたのか、一切あきらの前に現れなかった、キレると誰も止められない温厚なダウンヒラー藤原拓海が、奥山の前にするりと割って入る。
「…ンだよハチロク。ジャマなんだけど」
「あきらさん独り占めするならオレに勝ってからにしてくださいよ」
そう言われて、誰が前に出られようか。全戦全勝の拓海より前に出られるとすれば、彼が崇敬する涼介と啓介のふたりしかいない。よくやった藤原、と、遠征当時と同じ声色で涼介が告げる。
「あまり妹に手を出してもらっては困るな」
「アネキとデートぉ?許すワケねーじゃん」
ダブルエースと代表者。頭も良く顔も良く腕っぷしもいい三人があきらの前に立ちはだかる。中里は「全員のオーラが一層濃くなった」、そう思ったという。
(い、今のうち…っ)
なんだか面倒になってきた主役は、このタイミングで、逃げ出した。
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「やっぱ、呼ばない方がよかったのかな」
兄弟にとって走りに於けるライバルは、自分を挟むと『厄介なライバル』になる。それを知らないわけではなかった。喧嘩…にはならないにしろ、面倒事になるのは読んでいた。だから自分が、口論になる前にフォローに入ればと思っていたけれど…
「お疲れ」
「…本当、いいタイミングで来るんだから」
バンケットを出た先の、小さな噴水。その、充分に腰掛けられる幅の縁で一息ついていた。ぱしゃん、と背後から水の音がして振り向く。彼、豪が水に触れた音だった。
「どうにかしてよお兄ちゃんたち」
「お手上げだ、オレも」
「大事にしてくれるのはとってもうれしいし、今日のパーティーだってお兄ちゃんと啓ちゃんが仕切ってくれたの。いつもそばにいてくれて、感謝してる。けど…」
「もう少し、自由がいい?」
「わかる?」
「あきらを見てたらそりゃ、な」
2年前。啓介と戦ってから、豪は喜怒哀楽が豊かになったとあきらは思う。それも、彼と出会った数年前よりもずっと良い顔で。精悍で男らしくて、ときどき、ドキリとする。
「…天使、みてェ」
「なにが?」
「あきらが」
「どうして?」
どうしてか。ふっと笑った豪は、そこで立ってみろとあきらを促す。
「欧風のインテリアに噴水。ピンクでふわふわの可愛いお前。もうね、天使だろ」
「豪までそうやってからかうんだから!」
「今日のあきらをからかうヤツ、誰もいねーよ。さっきの奥山だって、あいつマジだったぜ」
「うそ!」
「…なら、オレの『マジ』、見てみる?」
す、と豪は立つあきらの足元に片膝をつけてしゃがみ込んだ。ジャケットの胸ポケットから取り出したのは、小さな小さな、セルリアンブルーの宝石箱。
「今は、右手でガマンするよ」
本当に整備士の手かよと見紛うくらい、白く滑らかなあきらの手。右の薬指に残したのはピンクゴールド。ちゅ、とキスをひとつ落とし、豪が見上げたあきらは真ん丸な目で、赤くなっていた。
「あきら、誕生日おめでとう。プレゼントは指輪と…オレ。ってダメかな」
あきらの右手を包み込んだまま立った豪は、硬直している隙にと、あきらの頬に手を添えた。わざと色気を含ませた目で彼女を見つめ、同じように赤く熟れた口唇に近付く。
「あ、いた。豪さん」
「……〜〜〜!シンジ…!」
「凛さんが探してましたよ。あきらさん、お誕生日おめでとうございます。言うの遅くなってごめんなさい」
「し、シンジくん!ありがとうっ!」
「?…何かあったんですか?おふたりとも」
「「別になにも!」」
自分も観に行っていた、箱根最終戦。当時、ほやんとしていてあまり表情に出さない少年だと思っていた、乾信司。少年の成長とは著しく、2年そこそこですっかり『男』の顔になり、今は豪と行動を共にし、サイドワインダーとして走りに精を出している。信司とあきらが知り合い仲良くなったのは、プロジェクトDが終わってしばらく経ってのことだった。今日は先輩方と北条病院のバスに乗り駆けつけてくれた、大事なお客様のひとりだ。どうやらレストルームにでも行っていたのであろう、噴水の前を通りかけた信司が、(寸でのところで)声を掛けた。
「そうだ、あきらさん。さっき藤原さんにケーキの写真見せてもらったんですよ」
「ああああれ!す、すごかったでしょ!あとでみんなで食べようね!」
豪から離れ、信司と一緒にバンケットへ戻っていくあきら。その瞬間。
「…覚えてろよテメェ、シンジ」
ちら、と自分を見た信司の目つきを、豪は宣戦布告と受け取った。
バンケットに戻ってから、それはそれは大変だった。豪にもらった指輪に誰もが気付き、質問責め。涼介と啓介、そして拓海。それに京一まで言い寄ってくる。
(なんだかんだ言っても、ね)
愛されている、この幸せが。
(最高のプレゼントだよ)
みんなが私を愛してくれる想いに、応えてあげたい。
(なりたい。もっといい私に)
ありがとう、でも、ね、
(もう少し、時間をください)
まだ、つかまえないでいて
「みんな大好き!今日は本当に、ありがとう!」
誕生日は一年でいちばん、自分が好き
ひとつ歳を重ねて、きれいになれるから
おしまい