守るべきもの


西洋のそれと比べればカジュアルではあるが、社交界とはなんと堅苦しいものかと涼介は息を吐いた。


「すまんな、忙しいのに」

「忙しいのはお兄ちゃんだって同じでしょ、言いっこなし」


家業の病院が増設し、新病棟が完成した披露パーティー。高橋家御用達のホテルが会場となり、関係者各位を招いての食事会が開催された。『三人揃って必ず来るのよ』と一言据え置き、バタバタと支度をして朝から出向いていった両親は今頃、多くの来賓の相手をしていて食事どころではないだろうな。ホテルのお料理おいしいのに、と娘の沙羅は父と母の心労を思う。


「啓ちゃん、遅れるって」

「鈴鹿だったか」

「ううん、茂木って言ってたからそこまで遅くはならないよ」


あれから数年が経ち。

研修医になった涼介は毎日が忙しなく、休息の時間も思うように取れていない。言ってみれば、今日は病院の激務から離れられた貴重な時間。その時間を、たとえ苦手な居場所であっても愛する妹と一緒に過ごせるのであれば、涼介にとっては癒しである。


「"期待のルーキー"か。負けられないな、お姉様」

「クラスが違うだけ助かってるわ。ほんっと、あの子速いの。うまく乗れてるし、乗りながらマシンの癖を掴むのが上手なのよね」


GT500クラスのとあるチーム、レクサスRCFを駆る啓介は、セカンドドライバーとして今春にプロ契約を結んだ。峠出身の先輩ドライバーからの激励や、ベテラン陣から時には叱咤も受け、日々成長している様子を、嬉しくも寂しい複雑な面持ちで同じパドックから姉は見守っている。


「オレだけの出席でいいはずなのに、なんでお前たちもなんだか」

「"高橋家"としてお迎えするからじゃない?だからお母さん、揃って来なさいって言ったのよ」


社交辞令は、業界に入って場数を踏んだ実績がある。作った笑顔も時には潤滑油になるんだと知ったのはもう随分昔のこと。幼い頃はただ両親の後ろに隠れてばかりでかろうじて挨拶くらいしか出来なかったけれど、立場・役職・上下関係…それらを考慮し、いやらしい話だが、上手く立ち回るための言葉遣いを、大人の女性になった沙羅は化粧と共に覚えてきた。


「遅くなったけど、似合ってるよ」

「ふふ、ほんと、遅いよ」


自宅から乗ってきたタクシーがホテルに着く。馴染みの支配人が出迎える。手荷物とコートをクロークに預けた。涼介が指の背で、すり、と沙羅の頬を撫でる。ピンクのルージュが、やさしく笑った。選んだドレスは、兄がいつも好んで着ているシャツの色。沙羅の白い肌に映えるロイヤルブルーを褒めた涼介は、愛し姫の手を取り、甲にひとつ、口付けを。さあ行こうと、それが合図となった。


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「涼介、沙羅」


バンケットに大きく目立つ輪が。中心は、考えずともすぐにわかる。


「お父さん」

「啓介は一緒じゃなかったの?涼介」

「アイツは少し遅れますよ。今こっちに向かっています」


子供たちの到着に気付いた両親が手招いた。囲う来賓方にまずは軽く会釈をする。涼介の顔は医師会ではほぼ既知であったが、沙羅や啓介の存在は希薄なものだった。沙羅の、母によく似た容姿と父によく似た凛としたオーラに、ひとりの医師が感嘆の息をつく。


「ご息女がこんなに立派になっておられるとは!ああ、失敬、数年振りにお姿を拝見しましたもので」

「父さんの後輩だ。新病棟を任せようと思ってな。昔お前も会ったことがあるぞ」

「そうなのですね!何分、幼い頃の記憶が曖昧で…大変失礼いたしました。改めまして、娘の沙羅と申します。父や病棟をどうぞよろしくお願いいたします」


自分を知っているような口ぶりに頭を捻らせれば、父が助けてくれた。その医師の目を見てにっこりと笑い、深く礼を贈る。


「沙羅さんも、この先は医療に就かれるのでしょう?ご長男とご長女が名を継げば、お父上も安心ですね」

「…いえ、わたくしは、」

「妹は自動車関係の職に就いております。ご無沙汰しています三輪先生」


す、と涼介が沙羅の肩を抱く。むき出しの肌に、兄のあたたかい掌が触れた。


「やあ涼介くん、研修生活は順調かい?」

「毎日しごかれて、充実していますよ」

「それはなによりだ。ところで…沙羅さんには恋び「三輪先生、ワインは嗜まれますか?ここのホテルと特約を結んでいるワイナリーから今年のボジョレーが届いたと、先程支配人が申しておりました。沙羅、お持ちして差し上げなさい」」


肩に置かれた手に、とん、と輪から外すように押し出される。父の後輩、三輪という医師はそのまま、涼介と昨今の医療の話でもしているのだ。『話題』を一切、意識させないように、涼介の巧みな話術でもって。


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北関東でも五指に入る高橋総合病院と父の名は、医師会に於いて位が高い。それ故に涼介に対する期待値も相当だ。研修生活が終わる頃を見て引き抜きにかかる院長も多いことだろう。だが、自分の跡を継がせると公言している父の手前、交渉してくる強者はそうそういない。それならば。


(ミエミエ、だよ)


高橋と強い繋がりを持つために。"血"以上の鎖は、この世にはない。


(きっと息子さんがいらっしゃるのね、三輪先生には)


涼介をウチの婿にと見合いを設定してくる医師が多くて困ると、いつか両親が言っていた。『涼介にもやりたいことがあったろうに、家を思って将来を決めてくれたんだ。せめて生涯の相手くらい、自由にさせてやりたいよ』と、父が話したことを沙羅は覚えている。だからすべて、涼介に話が行く前に父や母がやんわりと断っているらしい。

それならと。ターゲットが自分へ回ってきたのか。自分が医学へ進んでいれば、愛息子とも何かと好都合だろうと。それは専門知識であったり、不規則な生活リズムであったり、医師にしかわからない苦悩だったり。支え合える関係になってくれればと、思ってのことだ。だがたとえ相手親の愛だとしても、沙羅がそれを受け入れるはずもない。


(ありがとう、お兄ちゃん)


さすが、上手くあしらってくれた。言葉で逃げることも出来たのだが、それより先に涼介が動いてくれたのは、やはり沙羅のことを見てくれていたから。


(お兄ちゃんと啓ちゃん以外に、男の人のこと、考えられない)


涼介の掌が触れていた肩に、自分の手を重ねる。未だ到着していない啓介は、今頃どこを走っているのだろうか。見守り、愛してくれているふたりの王子を想い、ホテルのバルコニーから星空を見上げた。さながら、家との繋がりを案じる昔話の姫のように。


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「もう夜風が冷たい季節ですよ。寒さで肩が泣いておられる」


バルコニーに肘をつけて、肩を抱くように星を見ていた。声に振り向けば、柔らかい雰囲気の男性。くりっと丸い瞳が特徴的で、女性のようなやさしい笑みだった。


「あの、どちら様でしょうか」

「失礼。突然、後ろから声を掛けてしまって。お祝いの席でおひとり静かにいらっしゃったので、お身体に何かあったのではないかと危惧してしまいました」


こういう者ですと、カードケースから渡された名刺。見覚えのある名前だった。


「今は別の病院におりますが、僕も時々、父と一緒に新病棟に入ります。ご令兄様と同じく、研修医なんですよ」


どうぞよろしくお願いしますと差し出された手に、反射的に触れて握手を交わす。と、ふんわり笑われた。


「整備士というのは、本当なのですね」

「え?」

「指球が少し、硬いので。毎日何かを強く握っているからでしょう?」


繋いだ手をそのまま表に返され、掌を触診された。放っておくと綺麗な手にマメが出来ますよ、などと言いながら。


「先程、父から聞きました。レース関係に携わっておられると。女性の身で過酷な世界にいらっしゃるとは、クルマがとてもお好きなのですね」

「ええ…。両親には、この仕事を止められましたが。兄が支えてくれて、今、こうしていられます。弟も兄のおかげで、レーサーになったのですよ」

「そうでしたか。素晴らしい御方ですね、お兄様は。ご妹弟への想いも……走りも」

「…え?」


触れている手を、ぎゅっと握られ引き寄せられた。優男に見えた彼は強引に沙羅を抱き込み、言葉を続ける。


「負けてるんです。赤城の白いFCに」

「…、あなたは、」

「僕の地元に、道場破りのようにレッドサンズが現れたんだ。調子に乗ってる高橋兄弟を、叩きのめそうと躍起になってた。地元じゃ負けなかったんです、僕。たった今やってきたばかりの余所者に、あっけなく負けたんです。悔しいって、一言で言えないくらいですよ」

「…私に、あてつけるおつもりですか」

「もう過去のことです。今さらクルマで勝負しようなんて思っていません。ですが…」


とん、と押し付けられたバルコニーの柵。からだが彼の腕で囲われ、顎を掴んで上向きにされた。印象に残る彼の瞳は、やさしくカーブしたまま。


「今はまだ、高橋の傘下に居る父も当院も、行く行くは独立する。そのためには、沙羅さん…不動の守護が必要なんだ」

「なに、を」

「名前を大きくするための政略結婚なんて医療の世界じゃ当然でしょう?大切な妹君が奪われたとあれば、彗星様の端正な顔が悔しさで歪むことだろうね」

「っ、」

「高橋涼介の弱点はあなただ、沙羅さん。僕のものになっ「ならねーよクソッタレが」……ぐっ、あっ、」


背後からはわからなかった。沙羅も、目の前を完全に塞がれてしまい気付かなかった。


「テメェみたいな礼儀知らずで女に馴れ馴れしく触るヤツに、アネキをやれるワケねェだろ。身の程を知れ」

「クッ、たかは、し、啓、介…!」

「アネキ奪って、それでアニキに勝ったと言えんのか。走り屋なら走りで決めろよ、情けねェな、101レビン」



驚いて、何も言えなかった。

だって、今までだったら、



(口より、手が先に出てたはずなのに)



三輪医師の息子の背後から現れた啓介は、彼の首根をグッと掴み、沙羅から離した。昔の癖で、癇癪を起こして殴りかかるかと、思ってしまった。


(ふふっ)


啓介なりに、社交界のマナーというものを学んだのだろう。騒ぎを起こさず丸く収める方法を、どこかで身に着けてきたのだ。啓介を一瞥し、フラフラと退散していく彼は、この後、父親に泣きついているかもしれない。


「…ンだよ」

「大人になったなあって」

「ばあか、誰に言ってんだ」


ポイントリーダーの高橋啓介サマだぜ?と、沙羅の額を小突く。そう、ビギナーズラックとはまるで言い難いほど、啓介のチームはポイントを獲っている。いいチームに巡り合えたことが、姉としてとても嬉しかった。そこで、プロとしても社会人としても、きっと様々なイロハを教わったのだ。


「先輩たちに感謝だね」

「なんのことだよ」

「ナイショ」


ふふ、と笑う沙羅の髪を、くしゃっと撫でる啓介の掌。涼介よりはぶっきらぼうで、ちょっとガサガサしていて、でも、涼介と同じ、安心をくれるあたたかい掌。


「あの人のこと、覚えてるの?」

「ずーいぶん昔の遠征の話だけどな。やったら金かけたようなレビンだったから覚えてた」

「わ、お坊ちゃんなのね」

「なんも、されてねぇ?アネキ」

「うん、だいじょうぶ」

「壁ドンつーか柵ドンされて無事って言えるかよ、間一髪じゃねェか」

「あー、うん」

「ンでアニキと一緒にいねェんだよ」

「なんだかお見合いの話をされそうになったから、お兄ちゃんがあっち行ってなさいって助けてくれたの」

「…ん、それならしゃーねェな」


柵に手を付き、星を見上げる沙羅。柵に背中を預けて、啓介は隣を見つめる。姉はいつだって、何年経っても、かわいくて、きれいで、兄と自分が守るべきひと。


(誰にもやらねーよ、沙羅はオレたちの、すべてだ)


沙羅の横顔に手を添えて、啓介は一瞬だけ、ほんの少しだけ、口付けた。マスカラに縁取られた大きな瞳がふるふると震え、真っ赤になって啓介をぽかぽかと叩く。それすらも、愛おしくてたまらない。


「戻るか、アニキんとこ。オレ親父たちに挨拶してねェや」

「うんっ」


緩く曲げられた啓介の左腕。引き締まった二の腕にそっと手を添えて、妹と弟は仲良く兄の元へ。沙羅が見当たらず心配で心配で仕方なかったという涼介の焦った顔は、きっと今後しばらくは見られない、大変貴重なものだろう。




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55555hit記念、沙羅さまリクエストでした。

お題ブルグ25より8番『優美』とちょっとだけリンクしています。『守られてばかりはイヤだ』というのが彼女の設定なのですが、『いいから守らせろ』と兄弟は言うだろうな。プリンセスな真ん中でした。沙羅さま、ありがとうございます(*^^*)

2014,10月アップ