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涼介のその日は、カーテンを開けた瞬間にスタートした。
「いい天気だ」
邪魔な弟は沖縄へ強化トレーニングへ向かってまだ帰らない。両親は昨日から出張で東京へ行っている。そして自分は非番。よし、と部屋を出て階下へ降りる。身支度を整え、FCを起動。目指すは、神奈川。
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『チーフ、お客様ですよ』
チームTRF、テスト日。走行中のマシンを監督とともにウォールスタンドで考察していたときに、流れたインカム。ガレージを抜けて待ち人のもとへ駆けた。
「様子を見にきたんだ」
「お兄ちゃん?!」
今週末、TRFは大阪オートメッセ出展のため関西へ向かわねばならない。ならばその前にと、涼介はスケジュールを練った。
「おや涼介くん。いらっしゃい」
「隼人さん。いつも妹がお世話になっております」
「医者を辞めてウチに来る気に」
「なりませんよ」
プロになった啓介がGTには参戦する気がないと知るや、今度は涼介に焦点を当てるこのリーダー。いつでも待ってるからねと手を振り、兄妹から離れていく。
「テストはいつまで?」
「日没までかな、路面が冷える頃には終わるよ。調整しにくくなるから」
「じゃあ、デートするか」
「え?」
「それとも、誰かと会う約束でも?」
グローブをはめるあきらの手を取り、そのまま指先にキスを贈る。使い込まれた綻びに、妹の頑張りが感じられた。
「…ないけど」
「決まり。終わったら連絡してくれ。上のスタンドで観てるよ」
「ガレージにいてもいいのに。お兄ちゃんのこと、みんな知ってるし」
「身内じゃなくて、外の目線で観てみたいんだ。たまにはさ」
またあとで、とあきらの頭をぽんとひと撫で。
急にやってきて、急に取り付けられたデート。
(やだ、どきどきしてきた)
ものすごく、久し振りな気がした。兄妹弟でもっとも多忙な御身の兄上様と、ふたりっきり。チーフ顔がニヤけてますとクルーにからかわれ、あきらは再びコースへ真剣な目を向ける。
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青いエボのとなりに白いFCが停まっている。傍らに凭れ、涼介が待っていた。つなぎから一変、動きやすいパンツにニット、ダウンコートを着込んだあきらは、スニーカーで軽やかに走る。
「おかえり、あきら」
「おまたせ、お兄ちゃん」
エボに仕事道具を載せ整理しているあきらの姿を、涼介はまじまじと見つめていた。
「…なに?」
「…よし、まずは服だな」
「え…あ、まさか出かけるなんて予定外だったから…かわいくない格好でごめん」
通勤するだけなのだから、そこまで気合を入れる必要はない。いつもより気を抜いたあきらのスタイルはシンプルで見目は良いが、しかしデートには不向きで。
「いや、かわいいんだけど。今日は特別に、もっと着飾りたいなってさ」
「今日?」
「週末、バレンタインだろう?今年はオレからプレゼントさせてくれないか」
「あ…、」
オートメッセ出展に気を取られ、ついつい忘れていた季節のイベント。いつもなら何を作ろうかと楽しく悩んでいるのに、すっかり忘れていたなんて。期待してくれていたとわかる涼介の言葉に、申し訳なく思う。
「チョコ、ごめん、お兄ちゃん」
「だから、今年はオレからだって。ほら、行くぞ」
「ん、」
しょげるあきらの肩を抱き、助手席へエスコート。ルーフに頭をぶつけないように、手を添えて。
「どうぞ、プリンセス」
もっとかわいくしてあげる。乗り込んだあきらにそう囁いて、涼介はFCを街中へと走らせた。
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「着たよー」
しゃ、とカーテンと開けた姿に、思わず笑みが。コーディネートを手伝ってくれた店員も、うんうんと頷いている。
「いいですね、お顔にとってもお似合いのカラーだと思います!お花柄はよくお召しでしょうか?」
「ええ、いつもオレ好みのかわいい花柄を着てくれてますよ」
「まあ!すてきなカップルでうらやましいです〜!あ、今のワンピースにオススメのアイテムがあるので、お持ちしますね!」
明らかにあきらへ向けられた質問に、当然のように涼介が答える。小走りで離れていく店員。あきらはじとり、涼介を見つめた。
「なんだよ」
「カップルって言われた」
「いいじゃねェか」
「よくない」
「あきら」
「なによ」
「"デート"なんだぜ?ちょっとはその気になれよ」
「う…」
「かわいいよ、やっぱりあきらには花がよく似合う」
ワンピースの裾をつまみ、もじもじと俯く。照れる妹に、涼介はさらに詰め寄った。
「恋人に服を贈るっての、憧れだったんだ。叶えてくれるか?」
試着室の大きな鏡には、パステルブルーの花柄を着たあきら。真っ赤になった顔をそっと上げて、涼介をようやっと見遣る。
「…"涼介"の、ばあか」
しゃっ、と勢いよく閉じられたカーテン。照れすぎた愛しい恋人に、涼介は声を出して笑う。真っ白のニットカーデを手に戻ってきた店員が、はて?と疑問に思うほど。
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「なんだか悪いなあ、こんなにしてもらっちゃって」
服を見立ててもらって、サロンに行って、ヘッドスパにヘアアレンジ、メイクにネイル。全身揃った時刻は、ちょうどディナーの頃。
「何度も言うけど、今日はオレに華を持たせてくれ。謝るより、別の言葉がうれしいんだけどな」
一路、箱根へ。街並みが一望出来る高台のレストランへ、FCは向かう。助手席のあきらは、それはもう、涼介好みに仕上がった。
「ありがとう、涼介」
「どういたしまして、あきら」
山道へ入る手前、赤信号で停まった隙に。淑やかにはにかんだあきらの頬へ、ちゅ…と、いたずらをひとつ。
「っ、ばか!」
「誰も見てねェよ」
つ、と顎に添えられた涼介の指。誘うような流し目。甘い仕草に、どきりと高鳴る。
(どうしよ、ほんと、今日)
秘密の恋を貫いて数年。自分たちの年齢が重なるごとに、お互いの立場に『責任』が着いてくる。比例して、時間の余裕もない。シーズンオフであるあきらには幾分か余裕が出来たものの、医療現場にシーズンオフなど存在しない。スケジュールを調整してくれた涼介との時間に、どうしようもなくうれしくて、つい緊張して、なかなか素直になれなかった。気持ちを隠すように、車窓を眺める。
「…FCに乗るのも、久し振りなんだよね」
「そうだな。コイツも喜んでるよ、お前に乗ってもらえて」
「ほんと?きっと嫉妬してると思うよ」
「どうしてだ?」
「クルマは恋人、でしょう?FCにとって、涼介はカレシだもん。他の女の子を乗せたら、怒っちゃうよ」
顔を涼介には向けず、ぷく、と膨れるあきらが可愛くて、涼介は彼女の右手を取り、操るシフトノブに重ねた。
「お兄ちゃんっ危な…っ」
「ははっ、咄嗟のときには"お兄ちゃん"なんだな」
名前と、呼称の使い分け。数年経ってもまだ慣れていない様が、なんだか可愛いと思った。
「FCは、あきらを愛してくれてるよ。クルマを大事に想ってくれるメカニックを、誰が嫌いになる?」
2速から3速へ。ふたりで繋ぐスピード。
「オレの大事な人は、FCにとっても同じさ。だからいつでも、乗っていいんだぜ」
むしろずっと乗っていてほしいと、涼介は告げる。暗がりで定かではないが、きっと今、となりで俯くあきらは真っ赤になっていることだろうな。
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ディナーのあと。箱根まで来たのならと、涼介にとって懐かしい場所へあきらは案内した。空気が澄んで夜景がきれいだから、涼介と一緒に見たかった。
「夏とはまた違うでしょう?」
「ああ、きれいだ」
あの夏の日。ココで闘った最終戦。以来、涼介は訪れていなかった大観山。贈られたニットカーデの上に自前のダウンコートを着て息を吐く。箱根の星空に、白が舞った。
「大学の頃もさ、迎えにきてくれたことあったよね。校門まで」
「そうだったな」
「涼介には言わなかったけど、あのあと大変だったんだよ。『あの子の彼氏はFCに乗った超イケメン』って騒ぎになって」
「ははっ、そうか」
「高橋涼介を知ってる生徒なら『アニキ迎えにきたぞー』とか言ってたけど、その他大勢がね」
「彼氏って言われて、あきらはどう思った?」
大観山パーキングの橋の上。柵に手を着き夜景を見つめるあきらを、涼介はうしろから抱きしめた。小さな頭に顎を乗せ、話を促す。
「…はずかしかったけど、うれしかった」
「うん、安心した」
「え、…んっ」
くい、と顎を引き寄せて、少し強引にキス。涼介の掌が、火照るあきらの頬を包んだ。
「彼氏ヅラ、したかったんだ。大成功だったんだな」
「…ばあか」
「…ずっと、あきらの彼氏でいさせてくれる?」
正面を向かせ、こつん…と額を合わせる。甘い声色に、ふるりと震えた。
「…ほかの女の子、好きにならない…?」
「箱根と赤城の神様に誓うよ」
「…FCの、助手席は、」
「あきらだけだよ」
「手、繋いだり、ぎゅってしてくれるのも」
「もう、黙って」
言葉より雄弁だと、涼介はあきらに覆いかぶさる。食べられてしまいそうな強引なキスと、すべて包んで隠れてしまう広い胸元。このままひとつになれたらいいのにな…と、涼介の力強い腕に抱きしめられて、あきらは思った。
「あきら」
「ふぁ…、な、に…?」
「男が服を贈る理由、知ってる?」
「…?」
「教えてあげる」
バレンタインの少し前。自分好みに着飾った愛しい恋人を、自分の手で乱す。
(その姿が、手作りのチョコより数倍うれしいって言ったら…怒るだろうな)
"ひとつになりたい"
想いが重なる、甘い、甘い夜は、これから。
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77777hitありがとうございます。セブン繋がりでバレンタイン涼介さんでした。ファッションセンスのないお兄ちゃん(酷い)はこのお話にはおりませんのでどうぞご安心を!デートしたい!わたしが!糖分補給〜!
2015/2/16間に合いませんでした!