9月14日
将来お花屋さんになりたいという夢を、今はアルバイトとして謳歌しているフローリストの友人が勤めるお店にふらり立ち寄った。大学の通学路沿いにあり、自然と目についた看板に車を寄せる。店先で友人が花たちの手入れをしているところ、声をかけた。
「わぁっあきらちゃん!いらっしゃーい」
「恵美ちゃんの姿が見えたから寄ってみたの。んーいい香り!」
赤と黄色の可愛らしい小振りなバラを使ったミニブーケを手にした恵美が、そう言えばと語り出す。
「昨日ね、先輩いらしたよ。久し振りにお会いしたなー」
「え?お兄ちゃんが?」
「うん。あきらちゃん元気ですかって訊いたら、相変わらず可愛いよってさ」
「う…そんなこと言ってたの…恥ずかしいなあ…」
兄と同じ高校に通っていた私たち。美麗の兄はやはり学内で目立ち、卒業しても誰もが記憶に残っている存在だった。私のクラスメイトで友人だとどうやら兄に話した恵美は、接客しながら私の近況を尋ねていたらしい。
「あれ?あきらちゃんのお仕事って、渋川だっけ?」
「ううん違うよ、神奈川だよ」
「じゃああれはあきらちゃん宛じゃないのか…。ね、先輩って彼女いるの?」
「いない、はず。ねぇ恵美ちゃん、話がわかんなくなってきたんだけど…」
「赤いバラのブーケを頼まれたの。大事な相手に贈りたいからって。送り状のね、お届け先のお名前を無記名で預かったから、私てっきりあきらちゃんへサプライズプレゼントかと思ったんだ」
「渋川…?きっと学校関係の誰かに贈ったんじゃないかな」
そう、このときは、お礼とか敬愛とか、何か感謝のしるしに兄が誰かに贈ったものだと思って、あまり気にしていなかった。
8月の終わり。大学生の私たちはまだまだ続く長期休暇も、高校生や中学生にとっては一番さみしく思う。そんな日のことだった。
ガレージにFCがいない。啓介のFDがいないことはしょっちゅうなのに、併せて兄が出払っている日が続いていた。
「お兄ちゃん、最近よく走ってるんだ…。私も行こっかな」
平日の午後9時。今日はずっと神奈川にいて先程群馬に戻ってきたばかりだけれど、この時間に兄弟揃って外出中=峠、の可能性が高いとわかっているため、エンジンが冷めないうちにもう一度愛車を目覚めさせた。初秋の峠は、平野部よりも朝晩の気温差が著しい。一旦部屋に行き薄手のパーカを掴んで、赤城道路を目指した。
「ちょっと真面目に、上ってみよう」
平日なら車も少なく走りやすい。窓を開けて耳を立て、エボ以外の音が聞こえて来ないと確認してからのフルスロットル。
「そういえばまだ全然走れてない頃、四ドリがなかなか決まらなくてコーナー出口でモタモタしてお兄ちゃんにアドバイスもらったな」
整備士としても公道レーサーとしても幼かった自分。FRと4WDの違いを事細かに教えてくれたのは涼介だった。それだけじゃない。小さい頃から兄にべったりだったあきらは涼介がやることに自分も興味を持ち、子供のときは『おにいちゃんといっしょがいい』と口癖のように話していたらしい。その甲斐あって自然に車にのめり込み、知識も増え、それを活かせる学校へと進み、業界へと就いている。
今のあきらは、涼介が居てこそ。それは啓介にとっても同じであろう。
(……?)
かすかに、過給機音。
続いて聞こえる甲高いロードノイズは、二台分だ。窓を開けて走っていたけれどハッキリ確認したいあきらは道幅が広い地点で一旦停まり、ハザードを灯して外に出る。
(三角形が頑張ってる音がする…二台…ってことはお兄ちゃんたちで間違いないかも)
近づいてくるロータリーに耳を立て、確信を持った。だけど、
「………え?」
最近、FCの音を聞いたのはいつだったか。そんなに遠い過去ではないはずだ。つい先日、雨が酷いときに大学まで迎えに来てくれた。それから一週間も経っていない。聞き間違いでなければ、自分の耳が正しければ、
「アニキ、さっきの青いの」
「ああ、気付いているよ」
着いて来いと言われ一本走り終えたダウンヒルのゴール地点に、白と黄が並ぶ。二台の他は誰もいない場所へ、ロータリーより重々しい音が響いた。自分の真横を走り抜けて行った兄弟を追い、中腹からのダウンヒルに変更したあきらの青い初代ランエボだった。
「ひとりで走りに行くなとあれほど言っているだろうあきら」
「だって帰ったら家に二台ともいなかったから絶対赤城にいると思ったんだもん」
「オレたちがいなかったらどーするつもりだったんだよ」
「そのときは一本くらい走ってそのまま帰るわよ。誰かに絡まれたら走り去ってやるわ。それよりお兄ちゃん」
「ん?」
「FC、どうしちゃったの?」
「……どうした、って?」
「なにか調子悪いの?マフラー変えた?あ、違うか、ゲートかな。トルク抑えたの?さっき聞いてたら、なんだか、回転の音が違ってて…」
「アネキ。アニキな、今度」
「ね、私に中見させて。エンジンフード開けていい?おかしいところ見つけるから」
「はは、落ち着けあきら。オレのFCはどこも悪くないよ」
「え…だってお兄ちゃん…音がいつもと違うんだもん、私びっくりしちゃって…」
(100馬力下げたことを耳で感じたか…啓介も一緒に走ってたのにそれでも違いがわかったのか。さすがだな)
兄の大切なFCが一大事だと慌てるあきらを、涼介はにこやかに見つめる。違いを音で聞き分けそれがFCの不調だと勘違いした妹に、意図してのセッティングだと伝えると、どういうことだとまた更に驚いて、あきらはとっさに涼介のシャツを掴んだ。
「明日、大事な一戦があるんだよ」
「アネキももう知ってんだろ、秋名のハチロクのこと」
「え、うん。知ってるけどさ」
「申し込んだんだ、ハチロクとのバトルを」
「お兄ちゃん、が…?」
「ま、アニキは負けっこねェけどな。今うしろから見ててハッキリわかったぜ」
「秋名へ見に来てくれるかあきら。明日の予定は?」
「ちょっと待って、ダウンヒルだからって馬力下げたの?タイヤは?」
「グリップ力を上げたかったからな、少しだけ弄ったよ」
「そう……。そ、か…」
涼介のそばで大人しく待つFCのボンネットに触れ、リトラクタブルを撫でる。ヘッドライトがあきらの頬を照らし、伏せて憂いをたたえた黒い瞳に光が灯る。それがまるで、そっと涙を含んで潤んでいるような、美しく儚い情景だった。
(……いかん。まさか愛車に嫉妬するとは、な…)
こんな表情のあきらが触れているFCを羨ましく思うオーナーは、妹への愛もいよいよ末期かと苦笑する。そばに寄り、細い肩を抱き締めた。
「……お兄ちゃん、渋川宛にお花贈ったでしょ。恵美ちゃんから聞いたの。もしかしてそれって」
「オレに情熱を持たせた相手だからな。申し込みと一緒に贈ったよ」
「……松本くん、怒らなかった?最高の仕上がりだったFCを、低性能にするなんて」
「まあ、説明したときは驚かれたさ。でも、オレは決めたんだ」
「……啓ちゃぁん、」
「そんな顔すんなよアネキ。アニキは負けねェってさっきも言ったろ?」
「でも、」
「オレは、負けないよ。ああ、でも、そうだな。勝つために必要なものがあるな」
「なあに?明日までに準備できるものなら、私お手伝いするよ?」
私は不安でいっぱいです。
そう顔に書いたあきらは、涼介が勝つためなら必要あらば何でもしてあげようと、抱き締められた涼介の胸元から顔を上げる。その瞬間、
ちゅっ
「明日、あきらが来てくれないとオレは勝てる気がしない」
極上の笑みで見つめられ、慈しむような優しい瞳。甘く囁く大好きな声。触れるだけのフレンチキス。
頬に触れてきた涼介の掌がひんやり心地いいとか、私の髪を梳く指使いがセクシーだとか、このときのあきらにそんなことを考える余裕などなく。大きな瞳を更に見開き、かあっ、と一気に顔が染まる。
「そんな顔してると、またキスするよ」
だから明日は秋名においで、あきら
赤くなった両頬を大きな手で包まれ、こつん、と額を合わせられる。囁かれた言葉にぽうっと酔わされたあきらは、こく、と頷いた。
「いーつーまーでーくっついてんだ、よッ!」
「啓ちゃんっ!」
「アニキの邪魔しちゃワリィだろーから、明日秋名に行くときはFDに乗ってけよ。な、アネキ」
「今のお前が一番邪魔だぜ啓介」
「どさくさにアネキにちゅーすんなよ、ずりーだろアニキ」
「どさくさじゃないさ。あきらがキスしてほしい顔をするから」
「してません!心配だって顔をしたんです!」
きゃあきゃあと、三人の声が夜の赤城に拡がる。そのあとで、FCにあきらを乗せてもう一本下る。涼介が判断し、松本が組んだセッティングを体感したあきらは、啓介が『デチューンがデチューンじゃなくなった』と言った意味を理解する。
自分が、啓介が進む、道しるべ。
お兄ちゃんには、いつも先を見据えていてほしいから。
こんなところで、同じ群馬で、お兄ちゃんが負けるはずがない。
追い付きたくて、追い越したくて、届かない人。
それが私の、大好きなお兄ちゃん。
9月14日、夜10時
決戦まで、あと、24時間。
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補足:あきらちゃんと拓海くんはまだお友達じゃないです。最近ハチロクの噂をよく聞くなーくらい。実際にバトルを観て、拓海に会ったのはFC戦が初めてです。知り合ったキッカケはこの下のおまけにて。
それにしても20歳涼介は相変わらず美しいですね。健二が入手した、AVよりもすごいVHS(ドキドキドキ)、FCから降り立った涼介、の、モブ!!全員、頬、染めてますよオォイ!!どっかに凛さんいないかなとスロー再生しまくって必死に探したけどいなかったよ残念!1stは神回が多くてハートビート止まりません。
2013,9,15アップ
おまけ
「あきら、お前の兄ちゃん負けたんだってな」
「なんで知ってるんですか監督!」
「高橋涼介の名前がコッチでも有名なことくらい、お前だって知ってるだろ」
「そうじゃないです、兄のことじゃなくて…。昨日のバトル、観てたんですか?」
「人伝だけどな。相手のハチロク、昔オレもやりあったことあんだよ。そん時ゃオレも勝てなかったなー」
「……アタマおかしくなりました?監督。ドライバーはまだ若いんですよ?」
「そのドライバーの、親父だよ、オレの相手は。まだまだ現役だなァあいつんとこのハチロクは」
「……え?ちょ、っと、待ってくださいよ、藤原とうふ、ふじ、わら、え、まさか、」
「親父直伝だったらそりゃ息子も速ェわ。元気でやってっかなー文太」
「きゃぁあああ文太さん?!藤原文太さんで間違いないんですね?!どっドライバーは息子さん?!わ、わたしっ、明日秋名に行ってきます!」
「……ハチロクで藤原、ってオレ世代じゃ文太しかいねェだろーが…。お前アイツの戦歴知ってんだから気付けよ…」
今じゃあきらちゃんの癒しになっている、藤原拓海なのでした。
おしまい!