心とからだに休息を


午後に異変を感じたとき、ふと頭に浮かんだもの。先日のニュースで見た、まるでパンデミックのように赤く感染した日本列島。自分の大学も、春からのDの準備も、これからが忙しくなるというのに。まさか、と重いからだが更に重くなった。


「大丈夫、陰性だ。季節風邪だから治りは早いだろう」


講義が終わってすぐに向かうは同じ敷地内の総合病院。内科でウイルスチェックをした結果は陰性。日本中に猛威を振るうインフルエンザでなくて安心はしたが、茹だる頭と高熱にしばらく悩まされることが、仕事人涼介にはとんでもない足枷で。


「その熱で運転はするんじゃないぞ。帰りのつてはあるのか、高橋」

「ええ、大丈夫、です。お世話になりました、先生」


マスクと高熱のせいで声が張れず、弱々と喋るのがやっと。顔馴染みの内科医に会釈して、待合の椅子にどかっと座る。力が入らない。処方箋が出来るまで、無意識に目を閉じていた。胸元に入れたスマートフォンが震える。今はそれに応えることも億劫だ。

会計を終えて外へ出る。肌に刺さる冬の空気が高熱の涼介にはちょうど良かった。少し意識がはっきりしたところで、家までの手段を探さなくてはとバスとタクシーを当たる。


(オレは日頃の行いは良い方だと思うんだがな…)


大丈夫だと言ったものの、こんな日に限ってバスは1時間後、タクシーはまったくいないときた。かくなる上は啓介を頼るか…いやアイツも今は講義中だ、あきらは…この平日は神奈川で仕事だろう。家族に迷惑はかけず自力で帰宅するため、タクシー会社に送迎依頼をしようとスマートフォンを取り出し、ロック画面を解除したとき。不幸中の幸い。度が過ぎるほどの幸いが涼介にやってきた。


*****


「私がいてよかった。ゆっくり休んでね、お兄ちゃん」


あのとき。会計待ちで震えた通知は、あきらからだった。帰宅途中に水分や食料を補充して、自室に戻ってきた。


「すまん…せっかくのオフなのに」

「ううん、気にしないで。でもちょうど帰ってきた頃でよかった。まだ神奈川だったら、とうてい迎えに行けなかったもの」


午後からオフになったあきらからの連絡に、あのとき涼介は安堵の息を吐いた。辛いときに、愛しい顔を見られること。あきらの運転するエボの助手席で、どれだけ心安らいだか。


「私、自室かリビングにいるから。頼みたいことがあったらコールしてね」


ベッドに入り、布団をかぶる。ベッドに腰掛けるあきらの柔らかな声が、ぼうっとする耳に響く。安心をくれる愛らしい笑顔で立ち上がり、部屋から出ていこうとする後姿に、急に、寂しくなった。


「あきら」


か細い声だけれど、


「ん?」


届いて、振り向いてくれた。


「…そばに、いてくれ」

「でも、私お邪魔になるよ」

「邪魔、じゃない。たのむ」


人間は弱いものだ。どんなに強くても、体調を崩すとひとりでは心許なく、寂しくなる。大学も、Dも、大事なときだ。休んではいられないと奮闘していたことが、仇になったのかもしれない。涼介は肩の力を抜いた。


「あきらがいると、落ち着く」

「ふふ、そう?」

「ああ…」

「お兄ちゃん、疲れが溜まっていたのね、きっと。いつも大変そうにしてる。神様が休めって言ってるのよ」

「…治ったら、いろいろ、遅れを挽回しないと」

「こら、そうしたらまた無茶するでしょう?お兄ちゃんは働きすぎなの!」

「はは、お前に怒られるとはな…」

「おしゃべりやめて、休もう、お兄ちゃん」

「ああ…。なにか、話をしてくれよ。あきらの声を聞いていたい」


ベッドから手を伸ばし、ラグに座るあきらの頬に触れた。その上に重ねたあきらの手は適度にひんやりとしていて、火照った涼介にはとても心地良い。


「ふふ、甘えたさんだなあ」

「いいだろ、たのむよ」


いつも威厳があって頼りになる涼介。あきらや啓介がつい甘えてしまう、大好きな兄。そんな彼の、普段は色白の頬が熱のせいで桃色になっている。苦しんでいる本人を前にして言えた言葉ではないが、上気した顔で甘えてくる姿が、可愛らしくて。


「みんなには、見せられないな」

「ん…?」

「なんでもないっ、じゃあ、この前テストした新マシンのお話してあげる!」


あきらは今日、午後からオフになって本当によかったと思った。



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FCは後日取りに行きました。
インフルエンザが恐ろしくて人が集まる場所へ行けません…皆さまどうかご自愛下さい。

2018,2,15りょうこ