8番目の虹〜8月5日〜


社会人になって最初の夏。この間拓海にもボヤいていたが、制服を着て通学し、今頃は夏休みを満喫していた去年までの自分が本当に羨ましいと思う。ただ、大型休暇が終わればそうも思わなくなるのもわかっていて、社会人になったからこそ学生よりも自由な時間が増え、レビンと走りに行く時間も増えた。速くなりたいと願った七夕も過ぎ、盛夏の八月になった。今日の渋川も、充分、暑い。


「お、載ってる載ってる」

「なんかあったんすかー先パイ」


貴重な休憩時間。エアコンが効いたいつものテーブルで、冷えたコーヒー缶を額に当てながらイツキは池谷の手元を見た。


「ほら、この間富士スピードウェイでハチロク祭りあっただろ」

「それオレが行きたかったヤツっすよー!もう載ってんですか?」

「雑誌よりやっぱSNSは情報速いよなー、便利になったもんだ」


池谷の手元、彼のスマートフォンには、先日富士で開催されたイベントがアップされた記事。イベント事務局のフェイスブックだろうか、画像や動画を逐一チェックしていく。


「お、あきらさんだ。いいなあ、行ったのかあ」

「羨ましい仕事ですよねー…いっつもクルマに触れて、超すっげードライバーとも会えるし、スーパーテクも間近で見られるし…くーうっ!サイコーですよね!」

「遊びじゃないんだぞイツキ。気が抜けないシビアな世界に、軽い気持ちで立ってるヤツなんかいないよ。楽しそうに見えて、あきらさんは相当努力してるだろうさ」

「そうだぞー、ましてや彼女はお前とそんなに歳が離れていないじゃないか池谷。努力を見習って、もっと走り込めよ。イツキも」

「「し、社長!お帰りなさい!」」


イベントレポートには、参加ゲストや一般客の他、スタッフのオフショットなども掲載されている。その中で、イベント限定レースのメカニックのひとりとして、あきらの姿が映っていた。池谷やイツキも見慣れたつなぎ姿。TRFの名前を背負って、ドライバーと打ち合わせをしている写真だった。GS支店会議に出ていた社長の祐一が戻り、会議資料を仕舞いながらふたりに告げる。客のクルマが入ってきたところで、池谷とイツキの話は休止となった。


_______________


「そういやイツキ、さっきのあきらさんの話だけどよ」

「なんすか?」

「お前、いつ彼女と知り合ったんだっけ。オレと健二は、FCとエボVのバトルだったけど」

「あーそうだったなぁ!高橋涼介のとなりにすっげぇカワイイ彼女がいると思って見てたら、エボVの須藤とも仲良さそうでさ、どっちの彼女なんだって思ったよな」

「あの後で高橋啓介から教えてもらって納得したんだったな、オレたち」


その日の夜。健二も合流してスピードスターズのミーティング…という名のファミレス談義。昼間の勤務中に話していたあきらの話題になった。


「オレっすか?確か峠で拓海と、あ、」

「「あ?」」

「その前に一度、秋名湖で会ってるんだ」


_______________


熟知してこそホームコースと言える。高校生最後の夏が終わって秋の頃、水曜日の夜中に秋名へ走りに来たイツキは、ひとつでも多くの情報をモノにしようとやる気になっていた。身に馴染むほど走っている拓海には到底敵いはしないけれど、近付くことは自分の努力でなんとでも出来る。拓海がレビンを走らせたあの日から、イツキは目標を改めたことはない。


「?なんか、あったのかな」


いつもスピードスターズで集まるダウンヒルスタート地点を過ぎ、秋名湖畔の駐車場にレビンを停めた。暗がりでボディカラーがハッキリとわからなかったが、黒か青の、三菱のセダンが停まっていた。ルームランプを点灯させ、更にペンライトのような小さな明りも見える。様子を見にイツキが近付くと、車体の下から人の下半身だけが見えていた。作業中なのかな、と思い離れようとした瞬間、


「いったぁああ!あーあ、指つぶしちゃった…」


自分の思い込みなのだが、クルマをいじる=男性、の先入観を持ってしまっていて、この場合もそうだと思っていた。車体の下から聞こえた可愛らしい声とクリーパーを転がして出てきた姿に、イツキは唖然と突っ立っている。



「お、女の子だったんだ…!」

「いたたた…やばい、青くなってる…、え?あ、ごめんなさい、うるさくしてしまって」

「え、い、いや、あの!こっちこそ、すみません、なんだか、気になってずっと見てしまってて!」


イツキと彼女との距離は、クルマ一台分ほど。お互いの存在に気付いて、軽く会釈をした。彼女はコンパクトなTシャツに、ポケットがたくさんついたカーゴパンツ。手には軍手とレンチ。光源のペンライトを持っていた。


「あの、えっと、なんか、あったんですか?よかったらァ、オレも手伝いますよ!」


クルマに興味を持ってから数年、整備やドレスアップの知識もあると自負していたイツキは、相手が女の子とわかり『デキる男』を演じようと笑顔になった。暗がりでよくわかっていないが、自分より細くて小柄だということは確認できた。背が小さいと、届きたくても届かない場所だってあるはずだ。ココは男の自分が助けてあげないと…と彼女に近付いたとき、今まで消えていたセダンのフォグランプが点き、辺りが少しだけ明るくなった。彼女の顔が、ハッキリと見えた。


「か…っ、かわいい…ッ!」

「え?」

「あ、あのっ!自分、クルマが好きで!チューニングとかも自分でやってるんです!どこか具合が悪いなら、オレ、見ますよ!」


彼女の大きな瞳がイツキを見、益々どきりとした。小柄で細く、スタイルもいい。秋名に来てよかったと、イツキは心でガッツポーズ。


(こんなカワイイ子がいたなんて!しかもしかも、自分でクルマいじってるってことは、相当好きなんだよな、やっぱ、彼女にするなら共通の趣味があった方が楽しいもんな!これってまさか運命かも…!)


「ふふっ、おかまいなく。私、こう見えて職業メカニックだから」


「……へ?」

「お気遣いありがとうございます。もう直ったから大丈夫よ。ジャッキを下ろして、おしまい」

「そ、そう、なん、ですか?」

「今日はちょっと、人を探して秋名に来たの。夜に走っていないのかしら…。ワタナベを履いたパンダ色のAE86なんだけど、ご存じありませんか?」

_______________


「…っていう、出会いでしたねー」

「ほー」

「結局はあきらさんも拓海に会いに来てたってコトか」

「その日、拓海は一緒じゃなかったのか、秋名へは」

「そーなんですヨ。誘ったんですけど、眠いとかなんとかで来てくんなかったです。でも、そのあとあきらさんといっぱい喋って仲良くなれたから、よかったですよ!」


彼女の名前は、あきらと言った。ハチロクは自分の親友が乗っていると言えば、彼女のチーム監督の長年のライバルが拓海の父文太でクルマがハチロクだったと聞かされ驚いたものの、間接的だが共通点が見えて一気に彼女と近付けた気がした。だが、


「あの高橋涼介と啓介のきょうだいって聞いたときは、イッチバンびびりましたよ…」

「だよなァ…高橋兄弟がイケメンなら、あきらさんがカワイイのも頷けるよ」

「TRFのメカニックだっていうのも、GT戦の中継観てたときにあきらさんが映って、目ェ疑いましたからね、オレ」

「オレらより歳上なのは驚いたけど、あの可愛さでメカに精通してて、また優しい人だもんな、あきらさん。モテるだろうなぁ」

「そーなんですよ池谷先パイ!オレ、カレシじゃなくていいんで、あきらさんみたいなお姉さんがいてくれたら毎日楽しいだろーなーっていつも思うんです!」



夜も更けたいつものファミレス。今日は拓海はその高橋兄弟とプロジェクトの遠征に向けて勉強中のため、ここにはいない。男三人、寂しいミーティングを続けていた。180SX、S13、85レビンが並ぶ駐車場の、イツキのとなりに丸いフォルムの可愛らしい一台が停められた。一階がパーキングで二階が店舗のファミレス、窓から愛車を見ていたイツキは、見たことがないその丸いクルマを見て、おや、と思った。池谷と健二からあれはフィガロだと車名と教えてもらったのだが、降りてきたドライバーを二度見してしまう。


「こんばんは、イツキくん。池谷くんも健二くんも、こんばんは」


背合わせにしたボックス席で、イツキはこのあとしばらく、あきらの通る可愛らしい声を聞きながら、落ち着かない時間を過ごすのだった。



***************
最後は2013版と繋げてみました。

イツキがまだ高校生、1stと2ndの間くらいの時期に、彼女と会っています。『親友が勝った』『兄が負けた』っていう会話をきっとしてると思うんです。ちょっとそのときは、気まずくなったんじゃないかなー。当初そんな内容で書いていたんですが、長くなりそうだったので止めました。で、そのあと、真ん中ちゃんと拓海が出会います。これはまたどこかのお話で。


2014、8月5日アップ