左折して右折して〜8月6日〜
中元の時期が終われば、次は残暑見舞い。ギフト配達の数は数日前に比べれば格段に少ないけれど、それでも、この暑さの中での仕事がしんどいことには変わりない。早番で上がろうとしたときに急に業務が舞い込んで残業になることも、社会人最初の年でもう既に慣れてしまった。すべてが終わって、午後9時。明日の早朝配達は文太で仕事は遅番。それが拓海の気を緩ませ、帰って昼まで寝ようとひとつあくびをこぼす。
『タクミ』
「…なんだよ」
職場のスタッフパーキングに停めてある相棒。偶に、本当に偶になのだが、声が流れる。
「オレ、眠いんだけど」
『秋名、いこうよ』
「明日お前親父と行くじゃん」
『今日じゃなきゃ、だめだよ』
「なんで」
『いいから』
「…ハァ、しゃーねーなぁ」
頭の中に直に響く声は、拓海にしかわからない。耳から聞こえてくるものは、エンジン音と、ロードノイズ。いつ、どんなときに頭に響くのか、それは拓海本人にもわからないことだった。朝なのか夜なのか。走っているときなのか寝ているときなのか。突拍子もないときに響くこともあった。たぶん、気まぐれなのだろうと拓海は思うことにしている。
ハチロクの声は、少年のようだった。
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『タクミはぼくに甘いよね』
「充分ムリさせてると思うけど」
『主(あるじ)が現役の頃に比べたら、とっても甘いよ』
「どんだけだよ親父」
いつもは自分のハンドルにきちんと応えてくれているから、声が響いたときは極力、ハチロクのわがままを聞くことにしている。どうしても今日、秋名に行きたいというので、仕事が終わって直接、ドライブになった。
『攻めないの?タクミ』
「今日は疲れたから。あんまりギリギリ走りたくねーの」
『ふぅん』
そういうところが甘いんだよ、とハチロクは思う。いつものラインとはまったく違うクルージングドライブは、車体に負荷をかけずゆったりと流れていた。
「ここでいいのか?」
『うん』
とりあえず、ダウンヒルスタート地点まで上ってきた。シートから降りて、拓海はからだを伸ばす。平日の夜中。これが週末ともなれば、秋名は走り屋で溢れている。そのキッカケを作ったのは、自分と相棒なのだけれど。
「なんかあったのかよ。ずいぶん久しぶりに、お前の声がしたから」
『そうだね、タクミに話しかけたの、ずっと前な気がする』
あれは、栃木戦の八方ヶ原だったか。啓介でなくまさか自分がドライバーに指名されるなど思ってもいなくて。まったく動揺しなかった…とも言えない。責任がすべて自分ひとりに圧し掛かったのだから。そんなときだった。
『タクミはぼくを信じて「頼む」と言ってくれた。だからぼくは応えたんだよ』
「そうだったな、あれ、春くらいだったな、たしか」
『ライト消してなんてぼくは一言も言ってないよ』
「だからあれはごめんて。咄嗟に思いついたんだ」
『この前だってしたじゃないか。オレンジのロードスター相手に』
「悪かったってば。怖い思いさせて」
端から見れば、それは異様な光景だろう。誰もいないのに、青年が独りでぶつぶつと呟いているのだから。まわりに誰もいなくてよかった。拓海はボンネットに腰掛け、夜空をあおぐ。
『タクミ』
「んー」
『今日、何の日か、しってる?』
「今日ー?…そういや配達、やったらハムが多かったんだよな、ハムの日だろ?何も日付を語呂合わせにして贈らなくていいのにな」
『もう。ったく、忘れたの?去年、秋名で、涼介さんと』
「……あ」
『やっぱり…忘れてたね』
真っ赤な花束に添えられた日付。去年の今日。8月6日、午後10時。秋名山、山頂。
「そ、っか。あれ、今日だったんだ」
『…こないだ、松本さんのガレージで、涼介さんがね』
「うん」
『啓介が藤原と出会っていなければ、今ごろDはなかったって。すべての始まりは、秋名だって。言ってた』
「…うん」
『去年秋名で涼介さんと走ったとき、ぼくは怖かったよ』
「うん、」
『ぼくは誰よりも秋名を走ってる。ずっと昔から、主と一緒に。負けないってもちろん思ってた。それでも、あのFCと走るのは、怖かったよ』
「そ、か」
『でも、タクミはぼくを信じてくれた。拓海の声が、ぼくのちからになるんだ』
「うん」
『タクミ』
「うん」
『迷ったら、とにかく走って。どこにいくのかわからなくても。ぼくは、タクミの行くところへ、ついていくから』
意志疎通。人車一体。唯一無二の自分の相棒は、さすがというか、言わなくても気付いていた。
Dが終わった先に、なにがあるのか。想像を上回る、不安や希望。一体なにが待っているのか。輝いている未来があるのか。
『左折と右折をくりかえしてたら、きっとね、大切なものはそこにあるよ。ぼくは、タクミと一緒に、それを見付けたい』
「お前…えらそーに言ってくれるじゃん」
『伊達にタクミより長生きしてませんからねー』
盆が過ぎれば、神奈川もいよいよ最終戦。相棒の声を信じて、自分の技術を信じて。不安は、涼介にも啓介にもある。チームの誰もが思う負の感情を、ドライバーが見せてしまえば士気に関わり本末転倒ではないか。絶対に勝たなくてはいけない。だれが、相手になったって。
「ハチロク」
『なあに』
「お前、ずっとオレといろよな」
『あったりまえじゃん』
「…ムリ、させたらごめん」
『いいよ、タクミになら。へっちゃらだよ』
ボンネットが黒くなり、シートもバケットになった。新しくなったエンジンも順調で、足回りとの連携も抜群。何より、かつてここで戦った涼介の指導の元、今の拓海には速さへの知識がある。去年までに自分とハチロクになかったものを、拓海はひとつひとつ、思い返していた。
「勝つぞ、あと、ひとつ」
『うんっ』
ずっと、ずーっと、一緒にいろよな。
8月6日、午後10時。秋名山頂にて。
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ファイナルステージを観まして。
ああ、このふたりは本当に、絆が強いなと思いました。お互いが好きでたまらない、そんな気持ちが伝わればと思います。ハチロクは、相棒で、家族で、恋人のような、唯一無二の存在ですね。涼介バトル→アニメでは9月15日、原作は8月×日とありましたので、原作に合わせていささか無理矢理ですが日付を本日にしてみました。ハムの日です。
擬人化にしちゃうとややこしいので、声がする、とまでに留めました。パンダちゃんは永遠の少年です。年季ものだからと言って決しておっさん扱いにはしたくない←
2014,8月6日りょうこ