hand in hand


※ヒロインのプロフィールが顕著に表れています。設定の一読をオススメします。





からん、からん

轟音の代わりに聞こえてくるのは、軽やかな足音。

スキールの金切音やエキゾーストの咆哮は、今日だけは聞こえない。

熱気溢れる歓声に代わって、子供たちがはしゃぐ可愛らしい声。

一瞬の勝負を、今日だけは忘れよう。

富士山の裾野で、提灯が揺れる。

納涼祭。



「馬子にも衣装とはこのことだな」

「コンパニオンもいけるんじゃないの?あきらちゃん」

「あのねぇ…」


富士スピードウェイのパドックを中心に開催されている納涼祭には、ここを拠点とするチームの有志が盛り上げ役としてボランティア参加をしている。レースの種類や団体を問わず、各チームの協力のおかげで来場客が沸き立った。チーム毎にピットを分け与えられ、持ち込んだ其々のエントリーカーと記念撮影が出来るよう、ピットウォークも開催される。もれなく我らTRFもそうであり、ピットの前には既に人だかりが出来ているのだが。


「サーキットで浴衣ってどうなの…」

「よ、可愛いぞチーフ」

「ピットにいるのに作業着じゃないなんて落ち着かない…」

「ほらほら、写真撮ってる人いるんだから、笑顔だよ」


雑誌の撮影は何度かある。が、こう、モデルとなって改まったようなものは正直苦手。しかも、いつもの恰好じゃないし。後ろで監督とリーダーが囃し立てている。こういう類の撮影ならウチの女の子たちが適任でしょうに。


「TRFガールズはどこに行ったの」

「今イベントブースで集合写真中だよ」

「あ、そう…」


要は自分は彼女たちが戻って来るまでの繋ぎってことね。


「おいあきら」

「…なんでしょ」

「お前も充分、可愛いぞ」

「お世辞はいいですー」

「ふてくされてるの、バレバレだよ」

「そんなことないもん」

「ったくこの子は……、はい、僕です。あ、ちょっと待って、傍にいるから代わるね」


リーダーが付けているインカムに、チームメンバーから連絡が入った。どうやら私宛らしい。浴衣姿にインカム…滑稽な姿だけれど、チーム間での連絡は常にコレであるから、レースのない今日であっても離さずに着けていた。リーダーに入った連絡を私に繋ぐと、賑やかなバックグラウンドが聞こえる。噂をしていた、広場にいるガールズたちからだった。





メインスタンド裏手のショップエリア。通常のショップの大半が閉じられたままで、代わりに祭り独特の出店が連ねている。イベント広場の空間を有効に使い、イートインコーナーも設備してあった。多くの来場客、特に家族連れのための配慮なのだろう。そうすることで通路の確保にもなり、安全面にも効果がある。いつもの富士が祭り会場になり、がらりと違う別の場所に見え、浴衣で正解だったかも、と、あきらはその空気に溶け込んだ。

『案内所で待ってると言付かってます』と、女の子たちからの連絡だった。広場にやってきたその人物は、恐らくTRFカラーの彼女たちを見つけ、私の居場所を尋ねたのだろう。しかしピット内へは関係者しか入れず、かつピットレーンは撮影の客たちで混雑。それならと、広いイベント広場の目立つ所を指定したらしい。

パドックとピット、イベント広場やメインスタンドを繋ぐ歩行者用の地下通路は、地上の熱気を蓄えずヒンヤリしていた。からん、ころんと、下駄の良い音が反響する。誰かは知らないけれど待ち人を待たせるわけにはと急ぎたい気はするが、浴衣姿で急ぐとロクなことがなさそうなので、出来るだけ足を細かく動かした。

毎年の恒例だった、母の実家の夏祭り。今年は残念ながら、この富士と日時が被ってしまい、かつ兄妹弟の予定がまったく合わないというスケジュールだった。涼介は大学病院、啓介は夏の高山トレーニングで双方不在。去年は珍しく三人揃った夏祭りも、今年は一人も祖母の着付けをお願いすることが出来なくて、それを伝えると祖母は『あらあら大変ねぇ』と少し寂しそうだった。

かくして『せっかくだからあきらも着たらいいじゃないか』との監督のお達しに従い、チームガールズと共に浴衣着用にて迎えた富士の納涼祭。動き難い浴衣をサーキットで着ることに最初は少し抵抗していた自分も、何だかんだで普段と違う風景と恰好に楽しくなっていた。


「案内所…うわ、けっこうお客さんいっぱい来てる…!」


メインスタンドを抜けた先。出店の他にもステージイベントの予定が組まれ、大盛況だった。オープンからずっとパドック担当だったあきらは、ここまで来客があることを知らず、運営側の立場から言うと嬉しい光景だった。だが。


「先が…見えない…!」


改めて言おう。いくら高さのある下駄を履いていても、あきらは小柄であると。サーキットの敷地図はとうに頭に入っているとは言え、人波に飲まれてなかなか目的地に辿り着けない。もう案内所の屋根は見えているのに。


「あきら!」

「っ!?」

咄嗟に、腕を横に引かれてバランスを崩した。下駄がもつれ、足首がかくんと捻じれるその前に、ふわりと肩を抱き留められる。柑橘系と、煙草の香りが少し。






見上げた右には、北条豪。



「ご、う!?」

「よ、遊びに来たぜ」


にか、と歯を見せながら私を見下ろす。こっち、と、案内所の軒下、日陰になっているところへ連れて行かれる。


「豪、ひとりで来たの?」

「いんや、大宮サンと。アニキも誘ったんだけど今日出勤だったわ」


あっちで皆川と小柏見かけたぜ、とその方向を差す。その大宮さんは彼らと一緒にいるらしい。そういえばカタギリの名前がリストにあったかもと、今になって思い出す。


「ところで今日はお供の姿が見えませんが?あきら姫」

「そうなのよ豪王子。ふたりとも出払っていて残念でたまらないの」

「ではオレが姫の護衛をつかまつりましょう」

「ふふ、頼もしいこと」


豪に今日の経緯を話し、『友達と遊んできます。何かあったらすぐ呼んで』とインカムでピットに伝える。


「それにしても駐車場大丈夫だった?レース並みにお客さんいっぱいだけど」

「伊達にココ通ってないぜオレは。穴場知ってんだよ」




あれから、二年が経っていた。

当時の夏は、彼らにとって宝物で。お兄ちゃんも啓介も、拓海くんも、豪だって、新しい道へ進んで、今、軌道に乗り始めた。豪は凛さんと一緒に、将来大きな病院を継ぐ決意をして、次期院長のお兄さんを支えるために経済学を専攻しているらしい。


「とりあえずひと回りすっか。オレ来たばっかで全然見てねェ」

「ん、じゃあパドック行こ?展示車いっぱいで見応えあるよ」


豪を連れて、今自分が来た道を戻ろうと下駄を鳴らしたら、待て、と肩を掴まれた。見上げる彼の、目が、泳ぐ。


「なに?」

「……浴衣、」

「え?ああ、うん、動きにくいんだけど監督が着「かわいい」………え」




目が、合って、




「似合うな、それ」



髪に結わえた花飾りに触れた豪が、ぽけ、と呆けたあきらに吹き出す。


「ち、ちょっと!急に笑うの酷くない?!」

「ぷ、くくっ、わり、おまえ、アホ面見せんなよー」

「ごーおー?」

「冗談、じょーだんだって。かわいいよ、あきら。惚れ直した」

「っ、ほれ…っ、ちょ、なに、」

「オレ、お前にマジだから。今日はあきらの時間、オレがもらったぜ?」

「…さらっと凄いこと言わないでよ…」

「ってことで、はい」

「……?」

「お手を。お守りいたします、あきら姫」

「……ばーか」









「アイツらって、付き合ってんのか?」

「だれッスか皆川さん……あー、TRFの高橋さん今日浴衣だ、ってええぇえ!!豪さん!?」

「ひとりで行って会えなかったら虚しいだけだから付いて来いって、無理矢理乗せられたぜNSX」

「放っておきゃいいだろう大宮。人がいいなお前」



パドックにて語り合うカタギリのふたりと、豪の連れである大宮。グリッドに並ぶチューンドカーやピットの様子を仲良く見て回る豪とあきらを眺めながら。


「…可愛いよなー、高橋あきらさん」

「ああしてると普通の小娘にしか見えんな」

「小娘ってお前ね。しっかしまあ、一見したら恋人だよな、ありゃ」

「えっ、付き合ってないんスか?」

「弟の片想いだとさ。アニキ情報だ」

「高橋も満更じゃないように見えるがな」

「…皆川さんが人の恋愛を語っている…」

「オレを何だと思っているんだ小柏」




右手で袖を押さえ、左手を口元に添えて、あきらはくすくすと楽しげに笑う。帯と同じ緋色の花飾りが髪で揺れる様子を、豪は視界の隅で拾った。前を向いて、ふたりはゆっくりと敷地内を歩いている。足元からの熱が大分落ち着いてきた。時既に夕刻。下げられた提灯に、光が灯された。



繋いでいた手は、時々離され、時々繋がる。今は離している手を、豪はもう一度引き寄せた。



「パドック抜けて、100Rまで行こう。富士山が良く見えるから」

「お天気良くてよかった。今日は夕陽ね」


抵抗なく繋がったあきらの小さな掌に、豪は緊張が走る。どうか、このまま、と。



アスファルトの上を鳴らしていた音楽は、芝に吸い込まれて今は聞こえない。100Rの内側、遊歩道を外れ、コーナー中腹まで近づく。


「初めて走ったときね、力がなくてココのGに耐えられなかったの。アドバンに向かう前に、振り切れなくてコースアウトしちゃった」

「はっ、ひ弱だな。細っせェ体してるからじゃん」

「今は大丈夫だもん。そりゃ進入スピードは選手より到底遅いけど」


選手と一緒にしないでと、膨れながら役職を言い訳にしているあきらが、可愛くて。


「…ナイトレース、やってみたいな」

「おいおい」

「お祭りが終わって、提灯も消えて、コースだけが煌々としてて、有志で集まったチームの打ち上げみたいにさ、車の種類もカテゴリもみーんな違った混戦レース。楽しいと思わない?」

「エフポンとヴィッツが一緒に走るんかよ、スゲェなその光景」

「でね、私も走るの」

「浴衣でか」

「まさか、着替えるわよ。つなぎとエボ持って来てるから」

「どんな想像レースだそりゃ」

「もし本当にできたらさ、豪も走ったら?ライセンス持って来てるなら」



100Rとこちらを隔てるフェンスに手を掛け、コースと夜空を見ながら生き生きと話す。

本当に、富士が好きで、車とレースが好きで、走ることがもっと好きで、





その手の、その瞳の先に、オレが居ればいいと、




「も、耐えらんね」



「ご、」








「オレのものに、なってくれよ。あきら」




ずっとずっと、オレの隣で一緒に走っていてくれ。

決められたスタートとゴールのあるサーキットじゃなくて、ずっと続く道を。









フェンスに掛ける手を後ろから包み込んで、浴衣の上から細肩を全身で抱いた。少し冷えた山風が撫で、あきらの髪と花を揺らす。彼女の黒髪が頬に当たってくすぐったいけれど、それより彼女の香りがくすぐったくて、このまま、ずっとこうしていたかった。



「豪、わたし」

「冗談で言うかよ」

「そうじゃ、な」

「マジだっつったろ、さっき」

「けど、」

「我慢、もう、しねェから」

「だけど…っ」

「好きすぎンだよあきらが!もうどうしようもねんだよ!」

「っ……!ふ、う…、」

「………わり、」



後ろから抱き込んだまま、首筋に顔を寄せて愛を伝えた。横から覗いた目元が辛そうに閉じられているとわかり、豪は身体を離し、今度は白い項を見つめた。



「……ごめん、泣かせて」

「ちが、あやまらな、ごう、」

「オレ、がっつきすきた。ほんと、ごめん」

「そう、じゃない、ちがう、の」

「……あきら?」


フェンスに掛けていた手を離し、背を向け、豪の方へ振り向いた。浴衣の袖をきゅっと握り、俯きながらぽつぽつと紡ぐ。涙はまだ止まらず、加えて鼻を啜る音もやってきた。


「わたし、車しかないよ」

「……は?」

「お兄ちゃんみたいに多方面に詳しくないし、啓介みたいに速くもないし、考えてること車のことばっかだし、車以外で興味あることって強いて言うならファッションだけだし、背ェちっちゃいし、お料理だってあんまり上手くないし、おたまとかしゃもじよりレンチ持って車弄ってたいし、時間があれば一日中エンジンルーム覗いてたいくらいだし、ほんとに、ほんとーに「あーはいはいわかってるからそんなこと。全部オレの好きなあきらだから気にすんな。それより、





顔、上げてよ。あきら」





「……かわいくない顔ですいませんね」




「うわ、ほんとだ。涙と鼻水でスゲェぞ」




「…っ、きらい!豪なんて!」




「わ!コラ、走るなって!」




『浴衣で走るとロクなことがない』と、さっき自分で思っていたじゃないか。なのに私、ムキになって何をしているんだろう。アスファルトだったら、おばあちゃんが選んでくれた大事な浴衣が破れてしまうところだった。走った私を引き止め、自分の胸に抱き寄せた豪は、そのまま、芝生の上に倒れ込んだ。私を守るように、自分が下になって。


花飾りが、豪の胸に落ちる。


「…ごめん、豪」

「ったくこのお姫様はもー。これじゃ兄弟が目を離せないのもわかるぜ」

「わるかったわね、子供で」

「……返事、くれないの?」





今日、豪が来てくれて楽しかった。

もちろん、チームで進んで参加した納涼祭だから、他チームやお客さんみんなとワイワイ盛り上がるのも楽しい。けど、普段着ない浴衣を、友達や家族に見せたい気持ちがあったから、直接感想を言ってくれた豪にはすごく感謝してる。お兄ちゃんと啓介とおばあちゃんには、あとで写真を送っておこう。


はぐれないようにって繋いだ手も、人が少ない方を歩せてくれた遊歩道やパドックも、浴衣の私を思って、動きやすいように、転ばないように気遣ってくれた。それは全部、豪の優しさだ。





お兄ちゃん、啓ちゃん。『北条』はライバルだけど、私、いいよね。




だって、好きにならないなんて、むりなんだもん。





落ちた花を結わえてくれた豪に引き寄せられ、私は、目を閉じた。








「待たせて悪い」

「まったくだこのお坊ちゃまめ」

「大宮さん」

「あきら、久し振りだな。今日はお疲れ。浴衣で大変だったろう」


ずっと歳の離れた妹のようなあきらに労りを込めて髪に触れようとしたら。


「……あら?」

「さ わ ん な」


最近じゃあまり見かけない、以前は本当にこの表情しか出来ないんじゃないかと思っていた、眉間にシワを寄せた嫌そうな顔で手首をガッと掴まれた。


「………はいはい、そういうこと。来てよかったな、豪」

「ふん」

「ごめんなさい、大宮さん…」

「ほんと可愛いなああきらは。いい子いい子」

「てめッ…!」


言うなればこの北条だって、歳で言えば弟のようなモンだ。恋が実った弟分を、今この場にいないアニキに代わって、祝福してやろうじゃないか。だからあきらの頭を撫でるくらい許してくれてもいいじゃないの。


「さーて豪くん、オレぁ明日仕事なんで早く送ってくれないかね」

「…わーったよ。さっさと乗れよ」

「気を付けてね。飛ばしちゃダメだよ、豪」

「ん、またメールすっから」

「おやすみなさい、大宮さん」

「また富士に顔を出すよ。じゃあな」








「……送信、っと」

「ほっとんど一日パドックから姿を消してナニをやっていたのかな、チーフ」

「っ、リーダー!」

「おや、おやおや。可愛いカップルだね。僕が見るにこの待ち受けの女の子は僕のよーく知ってる子に見えるんだけど」

「わあああケータイ返してぇええ!!」

「かーんとくー!あきらちゃんにカレシが出来ましたよー!」







「やかましい着メロだなおい」

「うっせ」

「どうせあきらだろ。見なくていいのか、丁度赤信号だぞ」

「〜〜〜っ!クソっ、あいつめ!」

「なにどうした…、あーあ、ゴチソウサマ」

「あ!コラ!見るな!!」





To>>北条豪
Sub>>no title
_______________


今日はありがと。



さっきの、待ち受けにしちゃった。




好きよ、豪。


______end______









お兄ちゃんと啓ちゃんとおばあちゃんに送るために、豪に撮ってもらった浴衣の写真。それを見た豪が、その、一緒に撮ろうって、言って、その、嬉しかったの。


プライベート用のケータイはお兄ちゃんたちにも見られちゃうかもしれないから、豪との写真は仕事用の待ち受け画面に。これがバレたら、きっと、箱根戦が再熱しそうだ。






「車バカなあきらが、オレには必要なんだよ」

「窓開けていいかい豪くん、砂糖吐きそう」










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高橋さんにはお休み頂きました。完全に私得な豪さんでほんっっとすみません。優しい大宮さんとカタギリが書けて満足です。神奈川…熱いぜ…!

富士に行きたいです。本当は5月に旦那のプリウスカップを観戦しに富士へ行く予定だったのですが流れてしまって…残念でした。


納涼祭は捏造ですよー!元ネタは先日行われた旦那のディーラー納涼祭です。がっつり豪さんのお話が書けて、いやー楽しかった!



2013,8月アップ