しろとくろ


エンペラーの群馬侵略が赤城へ到達間近というとき。

屋上でイツキが盛り上がり、拓海は盛り下がり、という頃。

同県内、某自動車工学大では。


「高橋先パイ、ちーっす!」

「あきら、おはよー」

「今日もカワイイな高橋!付き合ってくれ!」

「全力で遠慮します。っていうかなに、この朝から異様なテンション」


どことなく、ワクワクと浮き足立っている生徒が、あきらの視界の中で確実に二、三人はいるだろう、朝の昇降口。自身の学友は多い方だと思う。朝は特に声をかけられることが多いが、今日はいつもの比じゃない。


「どちらが勝つと思います?」

「やっぱお兄さんですよね!」

「先パイ見に行かれるんでしょ?」

「……何のこと?」


一コマ目の教室へ向かう道すがら、すれ違うたびに投げ掛けられる質問の数々。さっぱりまったく話が見えないあきらは、そんな彼ら後輩たちに構う時間はないと腕時計を見、「ごめんねまた今度」と急いで離れた。




「いやー、朝からおモテになりますな」

「井口…からかわないでよ」


私よりやや遅れて教室に入ってきた友人の井口。赤城をホームとしてひとり気ままに愛車180を転がす走り屋だ。啓介とも仲が良く二輪時代から知った仲で、私たち兄妹とも親交がある。


「で、どーすんだよ」

「なにが」

「今日の赤城だよ、行くんだろ?」

「なんで」

「とぼけんなってあきら。どっちが勝つと思う?お前の予想を聞きたいね」

「だから何のこと」

「お前マジで言ってんの」

「だからッ!本当に何のことかわかんないんだってば!」

「……たーかーはーしー、オレの授業がそんなにわからんのなら補習してやろうか」

「……全力で、えんりょします…」


井口の話が本当にわからず、声を上げてしまう。教授に咎められ、顔が一気に上気した。背中を丸め机につっぷす勢いで顔を隠す。周りから聞こえる小さな笑い声が、更に体温を上昇させた。

(どっかのマンガみたい…なによもう恥ずかしい…)




コマとコマの間に時間が出来たので、昼休み前で人がまだまばらは学内カフェでひと休みすることにした。いつもは必ず知り合いがいるカフェも、この時間はみんな自分の授業に出ていて、あきらはひとり、天気の良いオープンテラスで秋の風を受けていた。








初めて会って、一目惚れだった。

同じエボ乗りだからということももちろんある。車に対する姿勢も理論も、自分に似ているからこその親近感。怖そうに見えて、熱くて、やさしい人。


初めて訪れたいろは坂。オレから離れるなと兄の後ろに隠れていたけれど、ランサーワンメイクチームのバトルが見たくて、兄の忠告を無視して前へ出た。



そこで、完全に心を持っていかれたの。


兄にはすぐに気付かれた。だから余計に私を峠に連れて行くことを渋っていた。いつ、どのバトルでヤツが現れるかわからないって。それでも、私は会いたくて、何度も栃木へ通って姿を探した。涼介の妹だと言うと、初めは毛嫌いされているようだった。でも少しずつ、時間がそれを柔らかいものにしてくれたの。

妹のように思われていい。そばに居られるだけで。恋人に、パートナーになりたいなんて望まないから。ただ、頭を撫でてくれたり、やさしく微笑んでくれるだけで、私は幸せだから。



なのに、




ケータイの履歴が兄弟の名前よりも多くなって

手帳には必ずデートの予定がある



『慕ってくれる姿が愛しい』

『涼介の元へ帰したくない』



抱き締めてくれたとき、死んでもいいと思った。





秋風にやさしく吹かれたオープンテラス。口元に笑みをたたえ、心には恋人の須藤京一。

うとうとまどろんでいたあきらを学友たちが見つけ告げられた言葉に、あきらの笑みは、ゼロになった。







『下から一台上がってきます!青のランサーです!』



双方のチーム無線が同時に鳴り、同じ内容が伝わる。白と黒が並び、今にも飛び出しそうな唸り声を上げていたときのことだった。


「伝えたのはお前か涼介」

「そのまま返すぜ。オレは一言も言っていない」


赤城の最終コーナーを過ぎ、ストレートを猛スピードで駆けてくる。立ち上がりの滑らかさに水のような流れを見た涼介は、感嘆の息を零す。


「さすがオレのあきらだ。昔教えたコーナーワークは限りなく美しいものに成長している」

「ほざけ涼介。あきらにランエボの極意を教えたのはオレだぞ」


因縁のバトルが始まるピリピリとした緊張が充満していたはずのこの赤城。しかし今はまったく違うベクトルの火花が見え、サポートにまわっていた史浩と清次は一抹の不安を抱いていた。飛び出さんとする二台を立ち塞ぐように真正面に停車したその青は、紛れもなく、今日の当事者ふたりが愛する彼女のもの。運転席から降り立ったあきらの姿に、周囲のざわめきが起きる。こつん、と地につけた足元にはヒールのパンプス。肩にカーディガンを引っ掛け、半袖のパフスリーブブラウスにふんわりしたスカート。すらりとしたあきらのスタイルに非常に良く似合っているのだが。


こつ、こつ、こつ。ゆっくり、涼介と京一に近づいて行く。


「あきら」

「……」

「その姿で運転したのか?あまり賛同しないな」

「……ん、なの、どうでもいいの」

「どうでもいいなんて言うな。そんなヒールで踏み外したりでもしたら大事故になるかもしれないんだぞ」

「お兄ちゃんと京一さんが事故っちゃうほうがイヤだ!」

「……あきら」

「なんで今日のこと私に黙ってたの!大学で、みんなこのことで騒いでて、わたし、なんのことか全然知らなくて!わたし、だけ、知らなかっ、こんな…っ、大、じ、な」

「……すまん」

「ひど、い…よ!きらい……っ!おにいちゃんも、きょ、いちさんも、何かあったら、どうするの…っ」

「……っ!!」



出来ることなら、極力バトルの日は峠へ連れて行きたくない。涼介の妹だからとて、男ばかりの夜の峠で何も起こらないとは言えないからだ。それに、今回は特に意味のある大きなバトル。余計な心配をかけたくなかった兄心が妹を泣かせるハメになり、手で顔を覆ってえんえんと泣き続けるあきらを前に、いつものクールな涼介などまったく見られない。オロオロ落ち着かない涼介の様を見た赤城の面々は、これまた一抹の不安を感じていた。


「涼介さん、どうしたんスか…?」

「アネキが泣くときゃいつもああだぜアニキ。あーあ、オレ知らねーぞ」


お兄ちゃんきらいと泣きながらあきらに言われ、夏に合わせてイメチェンでもしたのか茶に染めた髪の色素が一気に薄くなったな涼介、と傍らにいた史浩は思った。その場に項垂れる兄、だがしかし兄妹の様子を面白くないように凝視していた栃木の皇帝は、愛する恋人を泣かせ、嫌いと言われ朽ち落ちた涼介などまさにアウトオブ眼中。泣き続けるあきらを、そのまますっぽり抱き締めた。


「こんなに冷えて、体を壊してしまうぞ」

「きょう、いちさん」


薄いニットから伝わる彼の体温と一緒に、たばこの香り。


「心配してくれるのは嬉しいんだがな、あきら。やらせてくれ」

「っでも!」

「オレたちがヘマをするように見えるか?」

「……みえません。けど、京一さん絶対無茶するでしょう…?」

「…そうでもしないと涼介には勝てん」


アニキしっかりしろよと啓介が宥めているその間。エボVの横で、あきらの涙は京一によって止められた。俯きながら泣いていた顔を上げさせ、少し逆剥けた親指であきらの目尻をそっと拭う。自分はこんなに甘い男だったかと疑うほど、あきらには優しくしてやりたいと思う。額にひとつ口づけを落とし、お互いの額と額を触れさせ、周囲にはエンジン音でかき消されるほどの小さな声で、あきらにだけ聞こえればいいと、京一は囁いた。


「涼介に勝ったら、オレのものになってくれ。あきら」

「…もう、なってますよ…?」

「アイツに有無を言わせたくないんだ」

「…勝て、ますか…?」

「バトルが終わったらすぐ戻る。攫ってやるから覚悟しておけ」


だから笑ってくれないか、と伝えると、まだ少し涙を含ませた瞳を向け、京一へ微笑む。頬に触れる大きな手に自身の小さな手を重ね、武運を、と囁いた。





京一から離れ、未だに項垂れている生気のない涼介へ近づく。嫌いと言ったことが相当の一撃だったようで、あきらは先程の発言を撤回すべく、涼介の後ろから抱きついた。


「おにいちゃん…」

「…あきらはオレより京一がいいんだな」

「そんなこと、ないもん」


クロスマフラーカラーのベージュニットはいささか老けすぎじゃないかと思ったが今は立ち直させることが先決だ。兄のセンスは見ないことにして、あきらはここぞとばかり『お兄ちゃん大好き』オーラを発揮する。


「私が本気でお兄ちゃんを嫌いになると思った?」

「…さっきはそう思ったさ」

「世界でたったひとりのお兄ちゃんなのに…?」

「恋人だって、『たったひとり』だろう?」

「もう…どうしてそんなに捻くれるの?こんなにお兄ちゃんが好きなのに…」


今度は涼介の正面から抱きつき、ニットをきゅっと握る。潤んだ瞳で見上げ、まるで子犬が構ってほしいと甘えるように見つめた。


「ねぇ、おにいちゃん…」

「ん…?」

「(よし、あと一押し)本当ならバトルなんてしてほしくない。絶対、無事に戻ってきてね」

「…ああ」

「京一さんは私の大事な人だけど、お兄ちゃんもとっても大事なの。お願い、わかってね…?」


ヒールを履いていても届かない涼介の身長に背伸びをし、首に腕を回して囁いた。


「……戻ったら、ココにキスして…?」


ちゅ、と可愛らしい音で口づけをしたのは、涼介の口の端ギリギリ。人差し指で涼介の口唇に触れ、兄が絶対に堕ちる笑顔を贈った。






かくして(なんとか)無事に始まった因縁のリベンジバトル。果たしてこれは本当にリベンジなのか、はたまた互いが愛するあきらの争奪なのか。しばらくの後に『涼介が勝った』と連絡があって、喜びと落胆が混じった複雑な思いをしているところ、ひとりにこにこと戻ってきたカリスマに抱き締められ、そのまま濃厚なキスを贈られたあきらだった。



「おにいちゃんの…っ、ばかぁあ!!」

「無事に帰ってきたんだぜ?あきらのご要望どおりにキスしただけだぞ」

「ばっ場所考えてよ!みんな見てるのに!」

「ほう…なら『場所』を変えてもっとキスしてやろうか。京一に勝ったごホウビをもらわないとな?」



一方、ゴール地点では。


(合わせる顔がねェな、これでは…)


涼介の走りを再確認し、腑に落ちるように認めた途端、何だかスッキリしたように感じた矢先。あきらに対して大きく宣言した手前、京一はスタート地点へ戻るに戻れないでいた。ひとこと連絡を入れ、このまま栃木へ帰ろうと携帯を取り出したとき、同時、振動が走る。




From>>高橋あきら
Sub>>京一さんへ
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無事にゴールに着いたことが何より嬉しいです。




攫いにきてくれるの、ずっと、待ってますから。








お兄ちゃんよりも、誰よりも、京一さんが大好きです。



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「京一…栃木に着くまでにその顔なんとかしろよな」

「だまれ清次」



強面で仏頂面がデフォルトの須藤京一。メンバーに示しがつかないほどの崩れた表情を見た清次は、彼の歳下の恋人が誰よりも最強なんじゃないかと思った。







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涼介さん名言の神回です。ギャグにしてみました。当初はシリアスで、ふたりが戻ってくるのをスタート地点で健気に待っている真ん中ちゃんを書いていたんですが、『きらい』と言われショックを受けたお兄ちゃんを書いてから流れがギャグ路線に…。小悪魔な真ん中ちゃんでした。カフェオレCMみたいな感じで。涼介さんに反発されつつ、京一さんとのお付き合いは続きます。



2013,8月アップ