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「茶色の封筒?」
『ああ、提出期限が今日だから忘れないように机に置いておいたんだが、ウッカリしてたよ』
「ふふっ、朝慌ててたの?お兄ちゃん」
『徹夜が続いたからな、集中力がなくて身の回りの確認が疎かだったみたいだ』
「帰ったら休んでよね。どこに持っていけばいい?」
『井上教授の研究室だ。場所はインフォメーションを見たらすぐにわかるよ』
「わかったよ、今から向かうね」
『すまんな、折角のオフなのに』
「気にしないで、家に居てもヒマだし、お買い物でも行こうとしてたところだったの」
『あきらが家に居てくれて助かったよ。じゃあ、気をつけて来るんだぞ』
「はぁい!」
11月、快晴
仕事はオフ
時間を持て余して家に居るより、折角の快晴、外に出なきゃ勿体ないと身支度をしていたときに、涼介からの電話。
自宅から群馬大学までは、ドライブするには丁度良い距離。
涼介に封筒を渡したら、帰りにショッピングモールで買い物していこうと考えながら、愛車フィガロが待つガレージへ。
今日は、色付いた街路樹がとても良く映える、雲のない青空だ。
あきらはフィガロの幌を開け、オープントップにして軽快に走り出した。
「オープンにしたの、春以来だなー。気持ちいいー!」
日差し避けに、ブラウンのビッグサングラス
ショールカラーのグレイ色ウールジャケット
こっくりとしたマゼンタ色のボウタイブラウス
グレンチェックのクロップドパンツに、足元は漆黒のアンクルブーティ
「ジャケットにパンツスタイルなんて久しぶりかも」
涼介の大学→医学部→秀才いっぱい→偉い先生いっぱい→身なり整えなきゃ→ここはジャケットよね、ということらしい。
快晴のドライブの後、無事に群馬大学に着いた。
来客用の駐車場にフィガロを停め、インフォメーションへ向かう。どうやら目的地は2階にあるようだ。
こつ、こつ、こつ、
(…廊下、結構響くなぁ。もっと静かに歩こう)
医学部って、いろんな議論とか専門用語が飛び交って賑やかかと思ってたけど…
ブーティのヒールが響くのを極力抑えながら、漸くゴールに辿り着いた。
コンコン、
……
「…あれ…?」
コンコン、コ
「はーい!どちら様!?」
「っ!?」
二回目のノックの途中で急に開けられたドアから出てきたのは、髭を少し伸ばした若い男性だった 。
「あっ、す、すみません!あの、高橋、おりますか…?」
「……」
「……あの…?」
「………かっ、」
「は?」
「かぁああわあぁいいーー!!!」
「きゃあぁあああ!!!!?」
(なにこの人なにこの人何で抱き締めてくるの意味わかんない!)
閑静な医学部の廊下には、彼の嬉々とした声と、あきらの悲鳴が響き渡り、他研究室から『何だどうした』と生徒たちが現れた。
「ちょ、はなっ離してください…!!」
「うっわぁマジかわいい…涼介が可愛がるのもわかるわー。あ、俺、岡田っての。お兄ちゃんの親友だから安心し、テェッ!!!」
「ふざけんじゃねぇ岡田。あきらを離してもらおうか」
あきらを抱き締めていた岡田の頭を、ファイルの角で叩きつけた涼介は、すかさず、彼と妹を引き剥がした。
「ッてぇー!いいじゃんよ涼介、少しくらい妹ちゃんにくっついたってー」
「お前はさっさと戻って顕微鏡見やがれ」
「へいへい、じゃあねー妹ちゃん!」
目の前の兄は、最近あまり見ていない、冷徹なる微笑みだった。
「……おにい、ちゃん?」
「ん?」
「…(やばい、怖い…)これ、頼まれてたやつ」
「ああ、ありがとう、助かったよ」
「っ!?」
封筒を渡そうと差し出したとき、
強く、腕を引かれた
目の前いっぱいに、汚れのない白と
鼻を掠める、涼介の匂い
「お兄ちゃんっ!ここ、廊下…!」
「誰もいない。俺たち以外は」
「え…」
ひと騒動が去って、生徒たちはそれぞれの研究室に戻ったようで、廊下は先ほどと同じ、静寂に包まれていた。
「……さっき、岡田にどこを触られた?」
「…ぎゅって、されただけで、特に…」
「そうか…あきらの声が聞こえたから、何事かと驚いたぜ」
「ん…ごめんね、うるさくして」
「いや…。それよりどうしたんだ?今日の格好。やけに大人っぽいな」
「お兄ちゃんの大学に行くから、ちょっとオマセさんになってみました」
「はは、パンツスタイルもいいな。かわいいよ」
さっきの氷の笑顔は、どうやら溶けてしまったようだ。
「今日は早く帰れそうだ。一緒に夕飯食べような」
「うん、待ってるね」
別れ際にもう一度抱き寄せた妹から香る、インカントブルーム
甘い花に、やさしい口付けを、ひとつ
「お兄ちゃん、私、お買い物に行きたいんだけど…」
「もう少し、このまま、な」
(う…ぎゅってされるの大好きだけど大学じゃさすがに恥ずかしい…!!しかも白衣…!!)
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作中の岡田くんは、家主の友人です。医療系工学を専攻しています。涼介さんとはちょっと分野が違うかな?
2012,11アップ