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陽射しは強く、風は心地いい。空には巻積雲が拡がっている。

秋。箱根は今日も、穏やかだ。





可愛らしいフォルムのクルマがやってきた。自然より都会、アスファルトより石畳、つなぎより、スカート…それらが似合う、ミルクティ色の、丸いクルマ。信司くん、と呼ばれ見れば、ルーフを開けてオープンにしたフィガロに、あの日から仲良しになったお姉さんが乗っていた。


「あきらさん」

「こんにちは、信司くん」


暗い夜、ヘッドライトの灯りが照らしていたあの日。まだそのとき知り合ってもいなかった彼女は、嬉しそうで、でも、切なそうで、いた。相手側にいたあきらさんは、北条さんの元へ来て、こう、言っていた。


「豪、ライセンス取ったって」

「ええ、そうみたいですね」



『待ってるから。また、一緒に走ろ?』



藤原拓海と闘って、自分もなにか、変われた気がした。あれから北条さんと、お兄さんの凛さんにもときどき、走りを見てもらっている。北条さんと一緒に椿ライン以外にも出かけるようになって、視野が、一気に拡がった。


「今日、学校はお休み?」

「試験の中休みです」

「こら、勉強しなきゃ」

「夜にするからいいんです」

「絶対しないでしょ」


キャメルのショートブーツに、マスタード色のフレアスカート。チェック柄のネルシャツに、やさしいベージュのカーディガンを肩から巻いて。フィガロから降りたあきらさんは、ハチロクに凭れるボクにふんわり笑った。大きなレースが終わって一段落して、気持ちいい天気につられてドライブに来たんだそうだ。


「いいお天気だね、今日」

「はい」

「息抜き?試験の」

「明日、物理なんです」

「ふふ、イヤなんだ」

「はい」


明るいところであきらさんを見る機会は、あまりなかった。一度、あきらさんが参加しているチームの公開テストを北条さんと観に行ったことがあって、仕事をしている凛々しい姿の印象が強かった。夜に会うときはいつもつなぎだったから、こんなかわいい姿が珍しくて、つい、目を逸らしてしまう。


「物理やっとくと、便利だよ。クルマに大きく関わるから」

「めんどくさいんですよ、なんとかの法則とか」

「うん、わかる。私も、クルマは好きだけど理系あまり得意じゃなかった」

「アイツは頭良いって、北条さん褒めてましたけど」

「良くないよー、いつもアップアップだもん」


芦ノ湖がぴかぴか光って眩しい。大観山のいつもの駐車場、景色が見渡せるベンチに座って、あきらさんと、話す時間。どきどきした。


「あのね、信司くん」

「はい」

「…豪に、ね」

「はい」

「専属になってくれ、って言われたの」

「…なんの、ですか」

「ココの。サイドワインダーの」


ライセンスを取った北条さんが、あきらさんに報告したとき。その勢いで、誘ったらしい。


「でも、久保さんも」

「メカニックふたりで、だってさ。欲張りね、アイツ。一緒に走ろって言ったけど、こういうことじゃないのに。まったく」



公開テストで見かけたあきらさんは、メカニック部のチーフとして、ひとり違う色のつなぎを着ていた。監督さんと意見交換をして、それに合うセッティングを決め、スタッフに指示を出して、自分も工具を握って、クルマの下に潜ったらどこかにぶつけたのか悲鳴を上げてみんなに笑われて…とても、楽しそうで、いきいきしていた。北条さんがあきらさんに声をかけたら、彼女はすごく、嬉しそうに駆け寄った。そしたら北条さんも、笑ってた。それはとても、やさしげに。


「…ボクは、うれしいですよ。あきらさんがいてくれたら」

「どうして?」

「北条さんが、怒らないでいてくれるから」

「なあにそれ」

「だって北条さん、好きなんですよ。あきらさんのことが」


ボクだって男だ。好きなコを目で追ったりするし、こっちを見てほしくて、見栄を張って自慢したりするから。だから、あきらさんといる北条さんを見ていたら、なんとなく。


「好きな人の前でなんて、怒れないですよ。だから、来てください」

「……っ、信司くん、ちょ、ストップ、え?ええ?」


かあっと赤くなるあきらさんは、すこぶるかわいかった。両手で顔を覆って、いやいやと首を振っている。ありえない、絶対ない、そんなことを言い続けて。


「これは、ボクの勘なんですが」


指の間から困ったような目を向ける。


「あきらさんを、独り占めしたいんじゃないですかね」


例えばボクが北条さんだったら、好きな人のそばにいたいと思う。あきらさんのそば…ライセンスを取っても、プロになってサーキットへ行くことは今すぐには無理だから、その逆で。あきらさんを、自分のそばに置いておきたい。


「だってあきらさん、池田さんとか大宮さんとかにも好かれてるし」

「それは、その、ずっと歳下だから、妹みたいに思ってくれていて」

「いつ誰かに取られるかわからないから、誘ったんじゃないですか?」


ふわ…と風が舞った。彼女のボブヘアが揺らぎ、額や耳まで晒された。


「顔中まっかですよ」

「し、仕方ないでしょ!ああもう…っ」


秋の風が、火照りを奪う。あきらさんはやさしいし、きれいだし、博識だし、一緒にいて、落ち着く人。ボクより歳上に思えないくらい、照れてかわいいその姿を北条さんが見たらきっと、抱き締めてますます離さないんじゃないだろうか。


(写メ撮っちゃおかな)


スマートフォンを取り出したら、着信アリのランプ。未読を既読に変えて返信すれば、すぐに返ってくるLINEメッセージ。試験中なのにドライブに行って帰ってこないと母が嘆いているらしい。そのお目付けに自ら買って出た、我がチーフドライバーからだった。


「あきらさん」

「え、」


不意打ちをぱしゃりと撮って、添付。さあ、秋のサイドワインダーは、果たしてどうなることだろうか。




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ほのぼの信司。
9月になって気温がぐっと下がって、毎日とても過ごしやすいです。そんな秋の箱根でした。

ちょっと、私自身、情緒不安定でして。ゆっくりほのぼのしたお話が書きたかったんですー。

2014,9月アップ