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チーム監督の手を離れ、サーキットから現役引退した初代ランサーエボリューション。勉強のために乗せるなり外すなり好きに使えというご厚意に甘えて、頂いた大事なマシン。
WRCで数々の賞を取ってきた、進化の名車。その第一世代、進化が始まった最初の車が、高橋家にやってきたときのお話。
また派手にカラーリングしたなと、写真を添付した監督へのメールの返事が返ってきた。
監督がバリバリ走らせて出来た擦り傷をそのままにしておきたかったのだけれど、それを言ったら『古いモンは捨てろ』とスパッと潔い答えをもらった。そうと決まれば、パテで傷を埋め、オールペン。自分の好きな青色にした。両サイドに大きくチームロゴも入れ、オマケにリアに赤いバラも添えてみた。
譲ってもらったことはチーム以外には話していないので、エボを連れて群馬に帰るのは今日が初めてだ。綺麗にピカピカになったエボ、まるで生まれたての赤ちゃんを初めて家に連れて帰るようにドキドキしていた。産んだことは、まだ一度だってないけれどね。
確かガレージにはまだ台数の余裕があったはずと思い出し、『一台持って帰ります』と兄に連絡、直ぐ様『楽しみに待ってるぜ!by啓介』と兄のケータイで弟が返してきた。どうやら二人とも在宅らしい。
が、
「あきら、いい加減泣きやんでくれ」
「うう…っ!うえぇ…っ」
「ホラ、顔あげて。可愛い顔を見せてくれ」
「ふえぇ…!っく、ひ、っく、け、ぃ、だいっ、きら…い…!うわぁあん!」
「啓介!何そこで落ち込んでんだ!しっかりしろ!」
絶望的だと、啓介は後悔のドン底にいる。
ガレージに納める前に、玄関先のポーチに停めた。どこかの皇帝と同じ音に気付いた涼介は、バルコニーから下を見遣り、目を開いた。
「驚いた。またレアなモンを持ってきたな」
運転席から降りてきた妹におかえりと上から声をかけ、リビングで寛いでいる啓介を連れて、外へ出た。
「はじめまして、今日からウチの子になります」
にこにこ顔で新しく連れてきた青に触れ、ぺこりとお辞儀をするあきら。限定車なためあまり見かけることがないその車を興味津々で触れる涼介と、なにやら膨れたような、面白くないような、興味がないような、簡単に言えば兄と正反対の啓介。
「啓ちゃん?どうかした?」
「…けっ」
「…おい啓介、あきら相手にその態度はよせ」
「…ンで、ソイツなんだよ」
「え…?」
群馬の連中には良く知られたことだが、兄弟ほどあまり峠に赴かないあきらは知らない話だった。
「オレ、ランエボ乗りって、嫌いなんだよ」
ぼそっと零した小声でも、この距離では何の意味もなく。
「性能に頼って、自信満々でさ」
あきらの目を見ず、その青を見ながら。
「WRCで強いヤツを公道に持ってくるなんざ、GTRよかタチ悪ィぜ」
「啓介!」
「アネキには、そんなのに乗ってほしくなかったな、オレ」
「……なん、で」
「アネキだって走りのセンスいいんだし、ランエボ以外の車の方がオレは向いてると思う」
悪気があって言ったつもりはない。姉のドライビングを褒めて、啓介は伝えたはずだった。
ほろり、ほろ、ほろ
なのに、アスファルトには、灰色の水跡が後を絶たない。
「ひ、ど…、」
大泣きした妹を宥めながら、拳でぶん殴ったあと玄関の隅で縮こまる弟を更に叱咤し、涼介はやれやれと息をつく。
「GTRやエボ乗り全員がそうとは限らないと、何度も言っているだろうが。なのになんでそれをあきらに言うんだお前は!デリカシーを考えろ!」
「……」
「あきら、啓介の言葉は気にするな。とりあえずガレージにしまって、ゆっくりお茶でもしようか。コイツの話、お兄ちゃんに聞かせてくれよ。な?」
「ふ、っ、うぅ…」
くすんくすんと、先程より幾分落ち着きを戻したあきらは、一度エンジンをかけ、涼介の誘導でガレージにぴたりと納めた。
「今日の夜、赤城にでも行こう。オレとふたりだけで」
あきらの髪にキスを落とし、手を繋ぎながら玄関のドアを開けた涼介は、視界の端で捉えた未だ落ち込む弟を一瞥、『ふたりだけ』という部分を強く発して、リビングへと消えていったのだった。
それから、随分と時間が経ったころ。
「やれやれ、またランエボか…なんでいつもオレの相手は4WDばっかりなのかね。ゲップが出そうだ」
「それ、あきらちゃんの前で言うなよ…」
「ばっか言うワケねェじゃん。アネキのエボは特別なんだよ。なんつーか、アネキがハンドル持つと、パワフルなのに軽いっつか、ふわふわしてるっつか、車体デケェのに忙しなくちょこまか走るから、こう、追いかけて捕まえてぎゅってしてェっつか、捕まえてそのまま喰っちまいたいっつーか「わかったわかった。始めるから早く車並べてくれ」
くしゅんっ、
「今頃、コッチのチームとバトルかな。ふふっ、がんばれ」
涼介に拳を喰らったその後、どんな経緯でこのエボTを連れてきたのかあきらから聞いた啓介は、「ごめん!」と一瞬でころりと態度を変え、プロ仕様のそれが気になって仕方がなく、かつ大好きな姉が手を入れているともなれば、特別中の特別になった。それ以降時々赤城では、ランエボ嫌いのはずが青いエボTのハンドルを握るヒルクライマーの姿が見られるという噂が、風と共に流れていた。
場所は違えど、同じ神奈川の地。GTチーム研究所にて、あきらは群馬勢の勝利を願った。
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啓介に「どんなセッティングしてあるんだ?」とか「ちょっと走ってもいいか?」とか「アネキの運転で攻めてみてくんね?」とか「オレと勝負しようぜ!」とかもうイロイロ言われ、それが嬉しくて弟の望み通りにやっちゃうお姉ちゃんでありました。啓介に気に入ってもらったことが、なによりのなぐさめになったようですね。
2013,6アップ