金木犀
※兄妹弟高校時代。同じ学校に通っています。
他人のために自己犠牲を払うことなど、涼介は絶対にしたくなかった。いくらまわりに信頼され『頼む』と懇願されようとも、引き受けたことで自分の貴重な時間が割かれることを思うと溜息が漏れ、断固として断り続けて二年とちょっとが経つ。
何故か入学したての初年度、しかも春から役員への勧誘が絶えなかった。断ることで別の人間が代わりに面倒事を担うことになろうが涼介は知ったこっちゃない。将来への進むべき道が拓かれた今、執行部、そして生徒会なんぞ興味がない。と、屋上で友人にのたまっていた。
金木犀
「お前、冷めてんなー」
「興味ねぇって言ってんだろ。無理に押し付けてくるな」
引き受ける義理も余裕もない。自分はそんなに人情厚くはないのだ。
「涼介が断るからオレにまわってきたんだぜ、会長の座」
「よかったじゃないか岡田。これで学校を好き勝手動かせるな」
「まあな、意のままだ」
屋上の風に吹かれながら眼下のグラウンドを見渡し、両手を広げて支配者ぶるこの岡田という男。のちに涼介と同時に群馬大学医学部の研究チームに入り、腐れ縁は今後長く続くこととなる。
「さっきからなに真剣に読んでんだよ、雑誌か?」
「カタログ」
「なんの」
「車」
「ああそっか、お前免許もってんだっけ。早ェなー取るの」
今は家族の車を運転している。乗るならFRだと決めてかかって、方端から自分の愛車となる大事な一台を探していた。
涼介、高校三年生。免許を取ってまだ一か月の春。
「サボるなら付き合うぜー啓介」
「……勝手にしろ」
進級に必要な日数を得るために学校にいるだけで、授業はまともに受けていない。どうして自分はここにいるのか。どうして義務教育でないのに学校なんぞに行かねばならないのか。どうして、兄と同じ空間にいるのか。
常々、涼介と比べられる環境や取り巻く人々から逃げるように過ごしている啓介は、入学して早々にその洗礼を受けてからというもの、サボり癖が身に付いた。最近じゃ、取ったばかりの単車が楽しくて学校そっちのけで走りに行っている。啓介に声をかけてきたのは、優等生でもワルでもないがどこか飄々としているひとつ歳上の青年。啓介の事情の理解者だ。
「オレと一緒にいていいのかよ井口。テメェも日数ヤバくなんぞ」
「へーきへーき。うまくやってっからオレ」
井口という男は姉のクラスメイトだ。のちにあきらと同じ大学で整備士を目指し、180を駆る赤城の走り屋となる。今は啓介同様単車に跨り、夜な夜なかっ飛ばしているらしい。歳上ではあるが、上下関係の必要性をお互い感じていないため、フランクな友人となった。それは啓介にとって居心地が良い。
体育館と教室棟を結ぶ渡り廊下。その中心に、中庭と休憩スペースへそれぞれ左右に分かれる出入り口がある。啓介と井口はパックジュースを目的に、自販機のある休憩スペースをサボり場所と決めた。
「お前ちゃんと家に帰ってんの?」
「ンだよ、急に」
「あきら」
「…」
「心配してっぞ。オレとつるんでること知ってるからしょっちゅう聞いてきやがる」
「…るせ、」
「嫌なのはまわりから言われてる『評価』であって、兄貴や姉貴が嫌いってんじゃねェんだろ」
「…わかったように言いやがって」
「帰ってやればぁ?愛しのお姉さまに会いに」
「……帰ってるよ。だけど、アネキが寝てるときに帰るし、朝も寝てるときに出てくから全然会ってねェだけだ」
「避けてやるなよ。泣きそうだったぞあきら」
「……」
「『啓ちゃんの顔全然見てないー』って」
「声マネすんな気色悪ィ。似てねェし」
自分の黒ずんだ感情がすべて透過されそうな、姉の澄んだ目が怖かった。
大好きなのに。兄も、姉も、自分のいちばんの存在なのに。
『ちゃんと会ってやれ』と、夜中走り終えて帰宅したときにアニキに言われたよ。そのときアネキは、もう夢の中だった。
啓介、高校一年生。少しずつ、道が歪んできた夏の頃。
秋風にひと筋の黒が流れる。
今日は体育があるから、いつも下ろしている髪をひとつに結わえ、頭頂部でなびかせていた。特に気合を入れて手入れをしているわけではなく身だしなみ程度に触るだけの髪なのだが、母譲りもしくは兄譲りなのか、漆黒の艶が常より煌めいていた。イマドキの女子高生のように染めたり熱で巻いたりすることへはとりわけ興味がなく、背中まである天然の黒髪、そして同じ色をした深く黒い大きな瞳は、学年はもとより校内でも評判が高かった。可愛らしい見目を備える彼女と擦れ違うたびに香る柔らかさに誰もが振り向く。
「もったいないなあ」
「なにが」
「あきらちゃんならすぐにカレシ出来るのに」
「興味ないもん」
更衣室で体操服に着替えている最中、クラスメイトの恵美がぽそりとこぼす。お花屋さんになりたいという女の子らしい夢を持っている彼女。園芸部に所属し、校内の花壇の手入れを日課としている。のちに地元のフラワーショップで勤務するフローリストだ。生まれてこのかた誰ともお付き合いをしたことがないというあきらへ疑問をぶつける。
「普段からかっこいい人たちと一緒だから目が肥えちゃったとか」
「うーん、それは関係ないと思うよ」
「好きな人とか気になる人いないの?」
「特に…。恋したーいって気持ちになれないんだよね…」
高校二年生の秋。理系と文系クラスに分かれて始まった二年次も中盤だ。そろそろ、本気の進路希望調査がやってくる。既に自分の道、夢を見据えているあきらには、今、恋愛する時間が惜しいくらい、未来のために時間を使っていた。
「そろそろ行こ、体育始まっちゃうよ恵美ちゃん」
「あ、うんっ」
自販機のある休憩スペースの逆側、中庭へ出た涼介は、備付のベンチに腰かける。秋と言ってもまだ陽射しは強く、夏ほどではないが多少の熱を感じたため、ベンチにかかる木陰がヒンヤリとして気持ち良い。約束の時間までもう少し。衣替えをしたばかりのブレザーを脱ぎ、タイを緩めシャツのボタンをひとつ外して、首元へ風を入れた。
褐色の煉瓦敷きの中庭には、木製のベンチが数台とたくさんの木々。中心にはコンクリート造りの緩い階段とステージがある。主に演劇部やコーラス部、吹奏楽部の外練習に使われる場所だ。体育館と教室棟に囲まれたその空間は、閉鎖的なコの字型で入り組んでいるものの、陽射しが注ぎ風が通り木立ちもあって居心地がよく、校内でも人気の場所だ。現に今は昼休み。涼介の他にも生徒が数人。彼を憧れとする者は多かれど、シャツ姿で寛いでいるところに割って入るような無粋な生徒はさすがにいなかった。
「お兄ちゃん」
小さな包みと、ひと回り大きな包みを持って、あきらが駆ける。多少だが中庭がざわついた。それもそのはず。教師からの期待もあるのに生徒会を断り続けたのはすべて愛車のため。拒否されようとも想いを伝える女子たちは後を絶たず。男らしくそれでいてしなやかさも持つ高橋涼介。その寵愛を受けているきょうだいのひとり、妹のあきらが現れたからだ。
『あ、あきら先輩だ』
『お二人揃うとますます素敵よね』
『やっぱカワイイよなー高橋サン、告っちゃおかなー』
耳が良い自分を恨みたくなるが涼介は無視を決め、あきらから大きい方の包みを受け取った。約束の時間ぴったりである。
「すまんな、頼んでしまって」
「お弁当くらい、いつでも作れるよ。気にしないで」
朝、赤城を走っていたときにふと思いついて、まだ寝ているだろう妹にメールで頼んだ昼食は、見事に自分の好みばかりの弁当になって手元に渡された。朝から慌てさせてしまったなとあきらに詫びを入れ、丁寧に手を合わせて箸をつける。少し砂糖を入れた甘めの卵焼きを咀嚼して頬が緩んだ。
「…啓ちゃん、今日、来てるかな」
あきらの膝上には、涼介の包みと一緒になっていたもうひとつの弁当箱。校内にいるかどうか信憑性のない啓介のものだった。あきらが言うには、朝登校するときには既に啓介は部屋におらず制服もなかったらしい。
「連絡は?」
「したけど、返ってこないの…」
三人でお弁当食べたかったなあ、と苦笑いで自分の弁当を開ける。小さなハンバーグにケチャップで描いたスマイルマークがこちらを向いていた。
(いつまであきらと顔を合わせないでいる気だ、啓介)
あきらに気付かれないよう携帯を操作し、涼介は校内の情報網を頼る。
屋上にいた啓介は、階段を一気に駆け降りる。途中の踊り場で人とぶつかりそうになるたびに『ワリィ!』と軽く一言。
史浩は、井口と同様に啓介の良き理解者であり、涼介の幼馴染だ。親友から『あきらがとうとう泣きそうだから啓介を中庭に寄越してくれ。たぶん、校内にいる』と妹思いのメールが届いた。同じクラスメイトの岡田と共に校内を捜索する。貴重な昼休みではあるが、友とその妹のためならばと、ふたりは時間を費やすことを厭わない。
「あーいたいた、涼介の弟クン」
「ンだよテメェ」
「ガン飛ばしお断り。キミの兄貴とクラス一緒の岡田っての」
あとタバコ禁止ね、と、吸っていた一本を撤去され、啓介は余計に立腹する。
「知らないと思うから言っとくけど、オレ、生徒会長なんだわ。教師に喫煙バラされたくないっしょ」
「……チッ」
「はいこれ。見てみなよ」
涼介よりカーボンコピーで送られた史浩と同文のメールを見せる。岡田の隣を、脱兎の速さで啓介が駆けて行った。今頃きっと体育館あたりを探している史浩へ、岡田は捜索終了の知らせを送った。
昼休み、残りわずか。廊下を走るな高橋!と響いた教師の声に涼介は振り向く。
「やっと来たか」
あきら、と中庭入り口へ妹の視線を促してやる。
「あ、ねき……、」
「……啓ちゃん、おべんと食べる?」
作ってきたんだよ、とはにかむが、瞳が少し潤んでいた。その表情を見た啓介は、からだの中で何かが削げ落ちたようだった。苦手だと思っていた姉の瞳が、透過されそうで怖いと言っていた澄んだ瞳が、愛おしかった。いつも笑っていた姉を困らせ、そして今、自分のせいで涙をこぼそうとしている。
「…たべる」
小さな小さな声でこぼした返事を拾い、あきらは啓介の手を取った。涼介と三人、並んでベンチに座る。よかったな、と涼介があきらの涙をぬぐってくれた。
中庭に咲く金木犀。可愛らしいオレンジが、秋の青空に映える。あきらは花のように、綻んだ。
(進路希望、そろそろだろ?二年だし)
(うん、もう決めてる)
(大学いくの?アネキ)
(国立なら群大狙えよ。一緒に通えば何かと楽じゃないか?)
(うわ、お兄ちゃん受かる気まんまん)
(オレも来年はそんなめんどくせェことすんのかー、かったり)
(群大じゃないとこに行くよ。私、整備士免許取って、プロチームに入るんだから)
(本気なんだな、あきらの夢は)
(アニキ振られてやんの)
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母校をイメージして。中庭…もっのすごく声が通って響くんです。反響した自分の声を聞きながら音を拾って練習できるので最適でした。あ、コーラス部です。ソプラノパートリーダー兼伴奏者でした。補足ですがあきらちゃんの目指す大学のモデルはとある県の自動車専門の工学大。を、群馬県内に置き換えた仮想の大学です。
2013,10〜12