ふわふわ



黒髪のボブになって、もう長い。いつからだろうかと考えてみると、ワークキャップを被りだした大学時代。整備士になるため邁進している頃だった。


「髪型、変えようかなあ」


キャップを被っていると、どうにも髪を伸ばす気にはなれない。熱いレースが続くこの夏、只でさえ暑いつなぎを着ているのに、髪が長いと尚更暑くなるからだ。首にまとわりつくのも煩わしいし、動いているときに自分の髪が視界にチラつくのも嫌だった。

しかしこの高橋家の長女は、それこそ大学より前には髪が背中ほどまで長かった。当時のそれを家族以外で知る広報部長は『絵に描いたような少女だ』と絶賛していた。大学入学と同時に切った長い黒は、あれから四、五年経った今、取り戻す気などあきらにはなかった。

なのでこのボブを保ちつつ、神奈川に向けて気分転換をした兄のように様変わりをしたくなった妹は、今日このあとの予定が真っ白なことを確認、活発なレーススケジュールでフル稼働のエボTを休ませ、もうひとつの愛車フィガロに乗り、街へ繰り出した。



最終戦へ気合十分なメンバーたちが集まった、いつもの赤城道路。大学を定時で終わらせ、いつも途中参加のプラクティスに初めから腰を下ろしていた涼介は、赤城ではあまり聞かない、けれど最も身近なそのターボ音にタイピングの手を止めた。日中の熱に少し冷たさを増した夏の夜に、あたたかく優しいミルクティ色のパイクカーが上って来る。


「あれ、あの可愛い車、あきらさんですよね」

「来るなら来ると連絡しろよアイツは…」


涼介のとなりでモニターを覗いていた拓海は、丸いフォルムの車を見、涼介と共に立ち上がった。ちらと見遣った彼の顔は、嬉しそうで、困ったようで、少し怒ったようで。語彙力の乏しい拓海の頭では形容し難い表情だったという。

作業の邪魔にならないよう、端へ控えめにフィガロを停めたあきらは、ポーチから手鏡を取り出し、少し手櫛で整え、リアシートに置いた差し入れを持ち、外へ出た。


ふわり、揺れるシフォンのブラウスと、

ふわふわの、ウェーブヘア。


「こんばんはー!急に来てごめんねー!」


エンジン音で湧く一帯に聞こえるように、元気な声が通る。そこでやっと姉の到着に気付いた啓介が、宮口とのセッティング談義の途中で顔を上げた。その動きは、まるで飼い主が帰ってきて嬉しそうに耳を立てる従順な大型犬のようだと宮口は思った。


「アネキ!来るなら来るってどうしていつも連絡寄越さねンだよ、ったく!」

「だから言ったじゃない、急に来てごめんって」

「そういうことじゃなくて、って、あ、」

「あ…?あ、はいこれ差し入れ。みんなでどうぞ」


たたっ、とあきらへ駆けた啓介は、連絡なしで夜の峠へ出向いた姉に叱咤するも、少しの異変に気付き、静止した。


「…啓ちゃん?どうしたの?」


差し入れに持ってきた数本のボトルコーヒーを受け取ってくれない弟が固まっている。見上げたまま、ことんと首をかしげて窺うと、啓介の目が泳いだのが見えた。

夜にも映える白いシフォンブラウスから、肌が少し透ける。イエローやオレンジでいっぱいの花柄ショートパンツからは、すらりとした白い脚。いつものボブヘアではなくなっただけで、ファッションもスタイルも、まるで別人のように新鮮に見えた。雰囲気を変えたあきらに、啓介の動悸は激しいままだった。



「…あ、ごめん、啓ちゃんブラック飲めなかったっけ、これ全部無と「あああアネキ!」

「……っビックリした、なに?」

「あ、ああのさ、そのさ、」



沈黙。



(ダメだ、かわいい、かわいい、やべぇ。すっげェかわいい。なんだこれ)

(なによ啓ちゃんさっきから…。気付いてるなら何か言ってよ…)


顔を赤らめ、あきらに視線をやれない啓介と、そんな弟に拗ねそうな妹。

ふたりが至近距離でいることが面白くなかった兄が、カツカツと革靴のヒールを鳴らして近づいて行く。それを間近で見ていた拓海は、自分のタイムアタックの開始が予定より遅くなることを見据えていた。



ふわりと、頭を撫でられた。


「お兄ちゃん…?」

「変えたんだな、髪。よく似合うよあきら」

「…啓ちゃん、何も言ってくれないの」


しゅん、と俯いてしまったあきらに、啓介は冷や汗。おまけに涼介から一睨みが送られた。


「コレを見せに赤城に来たのか?」

「うん…。でも、差し入れ渡して、すぐ帰るから」


あんまり居たら邪魔でしょう?と涼介を見上げた瞳が潤んでいた。困ったように眉を下げ、口をへの字に曲げている。そのまま兄の胸へ顔を埋めたあきらの背中をぽんぽんとあやしつつ、涼介は顔を上げ、前にいる弟へ目で語った。『あとで覚えてやがれ啓介』と。





「あきら」

「……ぐすっ、」

「こら、なに泣いてんだ」

「だぁってけいちゃんが、」

「言ってくれないって?」

「連絡、しないで赤城、行ったら、みんな、気付いてくれる、かな、って」

「うん」

「でも、けいちゃ、私のこと、見て、くれないもん…!」


白い肌に、揺れる髪。顔の小さいあきらの輪郭を優しく囲うようになびくそれを一束すくい、涼介は続ける。


「啓介は、あきらが可愛くて仕方ないんだよ。可愛いあきらに照れて、直視出来ないでいるんだ」

「…似合わないから、見てないんじゃないの?」

「卑下するんじゃないあきら。こんな可愛く変わったお前に、誰が似合わないなんて言うもんか」


(今までより少し短くなったせいか…、うなじ、こんなに白かったんだな…。ああ、くそっ、かわいい!)

内心、涼介も啓介と同じだったが、そこはさすがというべきか。理性を抑え、『優しいお兄ちゃん』を貫いた。本当は、いや、いつもそうなのだ。『オレの妹は世界一可愛い』と声を大にして言いたいが、その大事な妹にシスコンで嫌われたくないがため、兄は必死で抑えている。目下の悩みは、これ以上可愛くなられるといつか自分が爆発しないかという不安だった。その悩みを、自身が掲げる理論に集中することで気を紛らしているとか何とか…。

大好きな姉を兄に取られたくない啓介は、考えるよりまず行動!と意を決し、さっきからずっと『うっとり』と撫で続ける涼介から、あきらを奪った。シフォンと一緒に髪が揺れ、シャンプーの良い香りが啓介に届くと、勢いであきらの髪にキスを落とす。



「……かわいい」

「え…?」


頭上から、ぽそりと零れた声。


「かわいい、アネキ、最高にかわいい」

「けいちゃ」

「アニキの言うとおりだよ。ごめん、ちゃんと言えなくて」

「…遅いよ、啓ちゃん」

「うん、ごめん。すげー似合ってる」

「……えへへ、ありがと」


抱き締める啓介を見上げ、悲しげだった瞳が綺麗に弧を描く。下がった眉も上がり、口には笑みが。女の子らしいふわふわの髪に、誰もが見惚れるあきらの笑顔。駐車場の一角、そこだけに、まるでほのぼのした春のような花が咲いていると、自分のタイムアタックがまだ始まらないダウンヒラーは思った。






「あきらさん、かわいいですね、似合ってますよ髪」

「わ、拓海くん!ありがとう、うれしいな」

「ふわふわ、触っていいですか?」

「うん、はい、どうぞ」

「…おお〜、やわらかい…」

「ふじわら!テメェ!」

「何ですか?啓介さんがあきらさんを泣かせたから、そのせいでオレのタイムアタックまだ始まってないんですよ。ちょっとくらいいいじゃないですか」

「こっ、ノヤロ…!!」




松本は思った。藤原はやはり侮れないと。








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首にかかる髪が暑くてどうしようかと悩んでます。切るべきか…


真ん中が愛されまくるお話を書きたくてですね。露出が多くなる季節ですから、目のやり場に困りますね、お兄ちゃんたち。



2013,6アップ







おまけ↓






最終戦。



「お前、それ寝グセか?」

「…!ひどい、豪…!」

「照れるなよあきら。いやー、すげェ爆発な寝グセだな」

「……せっかく、見に来たのに。豪なんてきらい、大っ嫌い!」

「うお、ちょっ、待てってあきら!」




「…惚れた女苛めて嫌われて、子供かいなウチの大将は」




おそまつ!