この本丸の一期のところに行かなかったのは、分霊でも少しは気配が違うからなのだろう。同じ時を過ごした一期一振の方が、彼にとっては″いち兄″なのだから。顔は合わせ辛い筈だ。
ポツリ、と溢れた雫が土を濡らす。
厚「堕ちた俺をまた引き戻してくれて、あんたには感謝してもし足りねぇ。でも壊してほしかったのも本当なんだ」
『…………』
厚「俺の兄弟たちは皆折られちまって…、なのに俺だけがこの本丸の兄弟に救われて…。俺は…どうしたら…!」
『生きれば良いんですよ』
そっと近づいて傘を傾ける。まだ本降りにはならないでしょうけれど、傘を持ってきたのは正解ですね。
でも、彼の頬を流れるそれは傘では防げない。
小虎は雨が嫌だったからか、気を遣ってか…、腕から下りて本丸へと戻っていってしまった。片手が空いたのを良いことに、彼の隣に同じようにしゃがんでその雫を拭う。
『貴方に霊力を与え悩ませている私が言うことでもありませんが、再び得た命を…、その身体を大事にしてください』
厚「…………」
『貴方の″いち兄″だって、貴方が破壊されることを望んではいません』
厚「っ、そんなことどうしてわかるんだよ!一度堕ちたっ、粟田口の風上にも置けねぇ俺が生きることをいち兄はっ!」
『生きてほしいから、彼は私に力を貸してくれました』
厚「!!」
胸ポケットに仕舞っていた一期一振の写真を差し出す。
あの日の浄化が上手くいったのは一重に彼のお陰でもあるのだ。私と薬研たちの力だけでは厚藤四郎様を浄化しきれなかっただろうし、最悪、邪気と霊力が反発したことに堪えきれずに折れていた。
繋ぎ止めてくれたのは紛れもない、一期一振のお陰だ。
『最後の最後まで、貴方は″いち兄″に守られていました。彼が貴方に生きてほしいと願ったから、私も貴方を浄化できました』
厚「……、」
『″いち兄″とこの本丸にいる一期を比べてしまうのは、言い方は悪いかもしれませんが仕方のないことです。どちらも貴方の兄ですが、違う時を過ごしてきたのですから。でも…』
それでも、彼は貴方を兄弟として迎え入れてくれますよ。
立ってそちらを見やると、厚藤四郎様も同じように顔をそちらへ向けた。そうして見えた姿に彼もよろよろと立ち上がる。
一「厚」
ナイスタイミングですね、薬研。やはり任せて正解でした。
薬研と共に現れた一期は、一定の距離を保ったまま近づいては来ない。厚藤四郎様の中にある悩みを理解しているからだろう。
厚「い……っ」
呼ぶことを躊躇っているのか苦い表情で俯く彼。まだ″兄″と認識する葛藤が彼の中で渦巻いているのだろう。
手を取って写真と傘を託すと、彼は驚いたように顔を上げた。
『貴方と共に過ごした″いち兄″も、ここにいる一期も、貴方の″兄″です。そして、″いち兄″が生きてほしいと願ったということは、どこかの本丸で再び兄弟仲良く過ごしてほしいという願いでもあったのだと思います』
厚「!お…れは……」
『ゆっくりで良いんです。「現実を受け入れて生きること」それが″いち兄″が貴方に望んだこと。ならば、その遺言を全うするのが貴方の使命です』
厚「っ!」
『…さて。私は先に戻ります』
厚「え…」
傘から出て一期と共に来た薬研の方へと向かうと、慌てたように薬研が傘に入れてくれた。
薬「移動すんなら言ってくれや大将。濡れちまったじゃねぇか」
『少しくらい平気ですよ。一期、あとは大丈夫ですよね』
一「はい。本当に貴女には何と言えば良いか…。ありがとうございます」
『兄弟仲良く、ですよ』
一「勿論です」
頭を下げた一期は再び厚藤四郎様へと向き直る。ここから先は彼に任せようと、私と薬研はそこを後にした。
少し歩いた時、後ろから聞こえてきたその呼び名に二人でほっと息を吐いた。もう大丈夫そうだ。
薬「これでいち兄も大丈夫だろ」
『ですね』
薬「あんたはお人好しなんだか、お節介なんだか」
『そんなことありませんよ。兄弟に関してはどうも敏感になってしまうだけです』
薬「そうか。シロも早く戻れると良いな」
『はい。その為にも日々仕事仕事です』
薬「こらこら、やり過ぎ注意だぜ?」
『そうなったら薬研が止めてくれるでしょう?』
薬「まったく…。……随分降ってきちまったな」
他愛もない話をしながら本降りになってきた空を見上げる。大粒になってきたそれは、暫く止みそうに無い。
『今日はもう外の仕事は出来ませんね』
それはそれで良いかもしれない。
兄弟水入らずの時間を…。
と、空が祝福しているかのように、その日の雨は夜まで降り続くことになった。
燭「おかえり、主、薬研くん」
『ただいまです』
薬「ただいま」
燭「おやつの用意できてるよ。今日はずんだ餅ね」
薬「お、いいねぇ」
『光忠、粟田口の分を多めにお願いします』
燭「!了解。大皿で持っていくよ」