薬「よし、決めた」



漸く顔を上げたと思えば、何をするつもりなのかブラウニーを丁寧に仕舞って膝に置き、私に向き直る。

なんだか嫌な笑顔に見えるのですが…?
目を細めて唇が弧を描いたその表情。嫌な予感が…



薬「接吻してくれ。大将から」


『せ…!?』



接吻…て、口付け?

キスを?薬研に?

私…から……?



『っ、む、むり…』


薬「とは言わせねぇぜ?俺のお願い聞いてくれるんだろ?」


『う…』



た、確かにお願いを聞くとは言ったけれど…。でも出来ることと出来ないことが…



薬「"血の契約"の時はやってくれたのになぁ…」


『そ、それは必死で…!』


薬「じゃあ今も必死になってくれ」


『っ!』



卑怯ですよ、それを出すなんて…。あの時は本当に必死で…口付けとかそんなこと思ってやったんじゃないのに…。



『(…でも願いを聞くと言った手前、出来ないとは言えない)』



恥ずかしいけれど、一応出来ることの部類には入ってしまうのだから。

口を合わせるだけ…口を合わせるだけ……。そう念じながら深呼吸。
…だめだ、全然鼓動が収まらない。



薬「たーいしょ?やってくれねぇのか?いつも俺からするばっかりなんだがなぁ?大将はしてくれねぇのかなぁ?」



う…。そう言われてみれば私が薬研の恋人になってからキスをするのは薬研からばかりだ。ふと呼ばれた瞬間に不意打ちでされることが多い。別にそれは嫌ではないし寧ろ愛されていると感じるのだけど、私からとなると…。

でも…そうですよね。愛情表現の一つだと思えば私から何かをするというのは薬研と比べるとだいぶ少ない。良い機会ではある…のかな?



『…わ、わかりましたから…っ。せめて目を閉じてください』


薬「敬語もやめてほしいんだがなぁ〜」



う…、刻燿みたいな喋り方しなくても…。今日の薬研はいつにも増して意地悪です。



『…目、閉じて』


薬「(膨れっ面だ…)ククッ、わかった」



面白そうに笑う薬研が目を閉じたことにまずほっと息を吐く。問題はここからだ。あまりのんびりしていたら目を開けられてしまう。

彼の頬に手を添えて顔を近づける。契約の時はこんなにまじまじと見なかった筈なのに…。睫毛が長いなぁとか、顔が綺麗だなぁなんて感想を抱きながら唇に触れた柔らかなそれ。



『…っ』



触れたその一瞬に恥ずかしさが込み上げてきて、その熱が薬研に伝わらないよう即座に離れた。触れていた時間は一秒にも満たないだろう。

顔が熱い。心臓がバクバクし過ぎて全身の血液が燃えているみたいだ。彼に背を向けなんとかこの胸の高鳴りを抑えようと大きく息を吐き出す。



薬「夜雨、もっと」


『ぇ…』



影が落とされ、振り向いた瞬間だった。いつの間に箱を置いたのか。いつ彼が結界を施したのか。薬研は私の名を紡ぐと覆うように膝立ちになり、目が合う間もなく私の唇を塞いだ。



『ん…っ!』



ぐっと押さえ付けられるようなそれから逃げようにも後ろは桜の木。後頭部に添えられた手は私が木で頭を打たないようにしているのか、それとも私を逃がさない為なのか。



『っ、んぅ…っ…』



どんどん深まっていくそれが苦しくて彼に手を伸ばせば指を絡めるように握られ、反対の手は弱々しく彼の服を握ることしかできない。



『ゃ、げん…、ま…って…』


薬「ん、駄目だ」



桜の木に縫い付けるように押さえ込まれ、だんだんと息が出来なくなっていく。酸素を取り込もうと無意識に開いた唇を彼が見逃す筈もなく、入ってきた舌が私のそれを絡めとり、吸い出し…



カリッ


『ぁ…っ』



噛まれた。


どれくらいそうして口付けていただろう?抵抗もせずされるがままに身を委ねていたからわからない。否、抵抗などしたところで無意味だっただけなのだが。

漸く顔が離れた時には息も絶え絶え。唇を繋ぐ銀糸がプツリと切れ、今更ながらに羞恥で顔に熱が集まってくる。



薬「真っ赤」


『ぅ…っ』



そんな私を見て楽しそうに笑う薬研はまだまだ余裕らしい。悔しい。

顔を隠したくても手を掴まれたままで隠せるわけもなく、逃げる気力も体力も残されていない。逃げたところで彼からは逃げられないことを知っている。結局私は薬研にだけは勝てないのだ。

降参とばかりに薬研の胸に頭を預けると、ふわりと包み込むように抱き締められた。



薬「いじめ過ぎたか。悪い、止められなかった」


『悪いと思ってる?』


薬「後悔は無い」


『だと思った』



クツクツと鼻の奥で笑う薬研には本当に敵わない。私も嫌ではなかったから良いけれど、それを言ったら負けな気がする。



『(薬研には負けっぱなしだ…)』



バレンタイン。女の子からアプローチする日なのに、主導権は完璧に奪い取られてしまった。



『(…でも、幸せだからいっか)』



心がぽかぽかと暖かい。二月の寒さにも負けない温もりに縋りつくように、私たちはそうして暫く身を寄せ合っていた。










そして、私だけホワイトデーの存在をすっかり忘れていた。



薬「(楽しみにしとけよ、たーいしょ?)」


 

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