「大将、今ちょっと良いか?」


「薬研?どうしました?」



部屋で自分の準備を済まして時間になるまで縁側でファイルを眺めていたところ、渡り廊下から一人、薬研がやって来た。隣に座るよう促すと素直にそこに座った。



「どうしたってことでもないんだが。一つ言っておきたいことがあってな」


「?」


「…近侍、俺っちを選んでくれてありがとな」


「!…改まってどうしたんです?」



なんだか素直すぎて薬研らしくないような…。
って言ったら失礼だろうか?ぱちぱちと目を瞬かせていると薬研は苦笑して頬を掻いた。



「はは、やっぱ俺らしくねぇな。いや、言いたくなっただけだ」


「…素直に言ってくれて良いですよ?」


「!」



何かを我慢している。そんな感じがした。

なんとなくだけど、私が感情を呑み込む時に似ているように思えて…、そんなこと薬研にはしてほしくなくて言ってみると、どうやら図星だったらしい。



「はぁ、大将は鋭いな」


「薬研には負けますよ。それで、どうしたんですか?」



私が逃がさないとわかると、薬研は観念したように参ったと言ってまた笑った。



「…″約束″、無くなっちまっただろ?」


「!」



そうだ。桜の木の下で交わした約束。
私は薬研に過去の一部を話して秘密にしてもらい、私はいつまでも強くあろうと決意した。



「そうですね…。結局、約束も何も無くなっちゃいました」



約束云々関係なく私が過去の全てを語ったことで、それは秘密でも何でもなくなった。せっかく指切りまでしたのに呆気なく無くなって、勿体ないなぁと私も思っていた。



「大将のことは俺っちが一番最初に″主″って認めて、過去だって…少しだったが俺っちが最初に教えてもらってた」


「…はい」


「他の奴より多く大将のことを知ってるのが、俺っちは思いの外嬉しかったらしい。大将に許されてるんだって…、まぁ自惚れてたんだろうな」


「!それは違いますよ薬研。私は…」


「わかってるさ。あんたは誰彼構わず軽々しく自分のことを話すような人じゃない。これは俺っちの我儘だ。もう少しあんたを独り占めしたかったっていう、子供みたいな独占欲が沸いちまってた」


「…………」


「だから、今回限りでも近侍にしてもらえて嬉しかったんだ。あの日の宣言通り、あんたを一番近くで守ることが出来るからな。じゃ、話はそれだけだから」


「待ってください」



逃げるように立ち上がろうとする薬研の手を掴むと彼は驚いたような顔で振り向いた。私がこうして誰かを引き止めるなんて思わなかったのだろう。自分でもちょっぴり驚いている。

それは置いといて、私はそのまま彼の手を引いて部屋に入り、襖を閉めた。その外側に更に厳重な結界を施すと、彼は目を丸くして私を見る。



「大将、何を…」


「もう少し…」



薬研に待ってもらっている間に、私は手のひらサイズの小さな懐紙に筆で文字を書く。なるべく綺麗に、丁寧に。

墨を乾かしてから彼を振り返ると、不思議そうな顔で正座していて少し可笑しく思った。



「あの日…、薬研が″守る″って言ってくれて、私は凄く嬉しかったです。そんなこと言ってくれたのは貴方が初めてでした」


「大将…」


「それだけじゃありません。薬研は私の初期刀で、初めて一緒に戦ってくれて…。いつも私に初めてをくれます」



抱き締めてもらって、私が甘えたのも初めてのことだった。あれを甘えたと言って良いのかはわからないけれど、でも凄く安心したのだ。頼って良いんだと…、心が軽くなった。



「そんな貴方にもう一つ、知ってもらいたいものがあるんです」


「?」



首を傾げる薬研に、先程の紙を手渡す。

それを受け取って暫く、何のことかと思案していた薬研だったが、やがて意味を悟ったのだろう。″それ″と私を交互に見て顔色を変えた。



「な…っあ、あんたこれ…っ!」


「読めますか?丁寧に書いたつもりなんですが…」


「″読めますか″って…!読めるがこれ…っ意味わかってやってんのか!?」


「はい、勿論です」



驚かせ過ぎただろうか?なんて、驚くのも無理もないでしょうね。



「″猫塚夜雨″と申します。これが″私″です」


「…っ!なんで…」


「私にも″欲″があったものですから」


「…、″欲″?」


「はい。…ずっと欲しかったんです。真名を託しても良い…、心から信頼できる存在が」


「!!」



今となっては、真名を知り呼べるのはシロだけ。でも、月に一度しか会えない上に政府管轄の病院では簡単に真名での呼び合いは出来ない。
真黒さんや鈴城家、政府では情報として管理されているだけであって呼んでくれることは無い。それどころか、場合によっては私自身が名で縛られてしまう。

もう何年と自分の名を呼んでもらっていない。両親にまで″クロ″って呼ばれていたから、どっちが本当の名前なのかもわからないくらいだ。



「っ、だからって俺っちに教えて良いものでもないだろうが」



そう。薬研は付喪神。末端と言えど神に名を教えてしまったのだ。神隠しされても文句は言えない。

何を薬研が焦っているのやら、本来なら私が焦るべきなのに。



「いらなければ燃やすなり何なりして消滅させてください。そんなものただの紙っぺらです」


「はあ!?」


「でも…、本当の意味で私が私の名を呼ぶことを許した存在はシロと貴方だけです」


「!」


「上から言ってるわけじゃありません。薬研が独占欲を抱いたのと同じように、私も名前を教えて良い人が…近くで″私″を呼んでくれる人が欲しかった。だからこれは私の我儘です」



薬研は″私″を知ってくれた。″守る″と言ってくれた。
そんな彼になら真名を託しても良いと思えた。

誰でも良かったわけじゃない。薬研だから教えたのだ。



「…………」



薬研は暫く″それ″に目を落としていたが、覚悟を決めたのか自分の依代に括りつけてあるお守り袋を開き、丁寧に畳んだ″それ″を中に仕舞った。



「…有り難く受け取っておく」


「はい。…そろそろ時間ですね。行きましょうか」


「ああ」



立ち上がろうとすると目の前に手が差し出された。先に立った薬研の手。見上げるとそっぽ向いていたけれど、少しだけ頬を染めているのがわかった。照れているらしい。見た目年齢相応に見えますね。

手を乗せると、どこにそんな力があったのか思った以上にグイッと強く引き上げられ、気づいた時には私の顔の真横に薬研の顔があった。



「ありがとな。…夜雨」


「!…はい」



久しぶりに紡がれた真名。初めて呼んでくれた真名。
たったそれだけのことなのに、私の心は暖かい感情で埋め尽くされてしまった。










「でも大将?ここでもそう簡単には呼べねぇんだからな?」

「わかっていますよ。他の皆さんに聞かれたら堪りませんからね。薬研が″私″を知っているという事実だけで十分です」

「っはぁ…(ほんと敵わねぇ…)」


 

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