ゆっくり吸って吐いてを何度も繰り返し、落ち着くとシロの目尻に溜まった涙がぽろっと零れた。



「…っ、ごめ……クロ……」


「もう大丈夫だよ」


「ん…、ごめん…っ」


「気にしなくて良い。少しの間、″おやすみ″」



瞼に手を添えて耳元でそっと言霊を紡ぐと、すぅっと寝息が聞こえてきた。大事に至らなくて良かった。

…でも、大和守にはトラウマを思い出させてしまった。彼は私が言った通りにシロの手を握ってくれているけれど、その表情は苦しそうで身体も震えている。



「ありがとうございました、薬研、大和守。いきなり命令してすみません」


「気にすんな。これくらい命令の内に入らねぇよ」


「っ、そうだよ主。良かった…本当に…」



ほぅっと息を吐いても尚シロの手を放さない大和守の肩を、薬研は苦笑してポンと叩いた。
薬研もいてくれて良かった。医術の心得もあるとはいえ、突然のあの状況で冷静に私の言葉を聞いてくれたから。



「母さん、さっきのは言い過ぎだから!」



私たちがシロが助かったことに安堵していると、聞こえてきたのは真黒さんが麗華様に意見する声。
貴女まだいたんですか。とっくに帰ってくれたと思ってましたよ。



「あら、そんなことないわよ。今だってクロがいたから助かった命でしょ?生きてたって苦しいだけだってのによく生きるわね」


「いい加減にしてよ!シロが一生懸命生きてるのがわからないの!?」


「そうね。入院してもう十年以上経つんだもの、その努力は認めてあげないこともないわ」





「…………」





「でもね、その影で支援してたのは他でもない鈴城家だって、そろそろこの死に損ないの白猫にはわかってもらわないとね」


「ッ!!」










「″黙″」










「っ!?」


「…………」


「!?た、いしょ…?」


「っ主…」


「!言霊を…」


「!」



今のは流石に黙っている必要も無いだろう。
あまりこういうことに力を使いたくは無いけれど、私にだって許せることと許せないことの境界くらいはある。



「クロ……チョーカーは?」


「つけてますよ」



でも、それが何だと言うんです?
このチョーカー、私の霊力を全て抑え込むほどの力は無いんですよ?言霊くらい使えます。



「麗華様、何か勘違いしておりませんか?」


「っ!」


「ああ、話せませんか。…″解″」



言霊を解くとぜぇぜぇと肩で息をし、麗華様の額から汗が流れた。呼吸は止めなかったと思うのだけど?

信じられないと言いたげに目を丸くした彼女の前に歩み出ると、行く手を阻んだのは重春様だった。
何も言わずじっと見下ろしてくる彼は威圧的だけれど、そんなもので怯えるほど私は脆くない。



「どいてくださいませんか、重春様。私は麗華様に言いたいことがあるのです」


「このままでも話せるだろう」


「相手の目を見て話すのは人として常識でしょう?」


「…………」


「もう一度言います。どいてください」



鋭く目が細められたけれど、私が引かないとわかると重春様は横にずれた。重春様という盾が無くなり、再び麗華様に近付くと反射的に彼女は一歩下がる。でも残念なことにそこはもう壁だ。

真正面で歩みを止め、頭一つ高い彼女の目を真っ直ぐに見つめる。瞳に映るは恐怖心。…こんな小娘相手に何を怯えているのやら。



「あ、あんた…っ」


「言霊を使ったことに関して謝るつもりはありません」


「ふざけ…っ」


「ふざけるなは私の台詞だ」


「ッ!」


「私のことは貶そうが何しようが構わない。そもそも貴女なんか眼中に無い。だからずっと黙っていた」



どんな暴言吐かれようと気にも留めていない。だって貴女は私の″大事なもの″ではないのだから。
そんな人に何を言われたって傷つくわけがないでしょう?



「でも、私の大事な片割れの命を脅かそうものなら容赦しない」


「ッ!!」


「″首輪″があるからと飼い慣らしてるつもりみたいだが、勘違いするな。こんな枷、私がその気になれば簡単に破壊できる。つけなきゃシロの入院費の援助をしないと言われたからつけただけのこと」


「っ、はっ!じゃあ何よ?自力で首輪破壊したらどうなると思ってんの?シロが生きてんのは鈴城が…!」


「貴女の言う通り、鈴城の援助があったからこそ今までシロが生きてこられたと感謝している。けど、私もシロも″生きてて苦しい″だの″死に損ない″だの言われてまで鈴城にすがりついて生きるつもりは無い。多くの患者がいるこの病院でよくそんな言葉が吐けたものだな」


「っ!」



扉が閉まっていて良かったですね。開きっぱなしだったら他の患者さんと親族に駄々漏れでしたよ、その暴言。
必死に生きようとしている人に対して何様のつもりでいるのだろう?

まだまだ言いたいことは山のようにあるけれど、病院でそんなこと長々と語っていても仕方がない。



「忠告しておく」


「…忠告?」


「黒猫は″首輪″があろうと主人に爪を突き立て、噛み付くこともあるのだということ。覚えておいてくださいね?麗華様」


「ッ!!」



ビクッと肩を震わせた麗華様は最後に私をキッと睨むと病室から出ていった。



「…………」



用が無くなったのだろう重春様も麗華様が中途半端に開けた扉へと向かう。
すれ違い様にやはり何も言わず私を見つめていたが、やがてゆっくりとした足取りで出ていき、室内は何事もなかったかのような静寂に包まれた。


 

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