水底にたゆたう星屑


いつもより少し早めの22時17分。

疲れた訳では無いが、なんとなく寝てしまいたかった。
見たいテレビ番組もやらない。明日の授業の予習もした。
なんならもっと先の予習も済ませてある。
学校がつまらない訳では無い。むしろ楽しいのだが…なんとなく日々を無駄にしているような感覚になってしまう。

明日も学校だし、と春香はお気に入りの睡眠用BGMを流しながら、布団を頭から被った。


◇◇◇



チチチッと野鳥の鳴き声がし、ぼんやりと意識が浮上した。
そよ風が優しく頬を撫でる。とても心地いい。
ぽかぽかとした陽だまりの中で眠る夢でも見ているのだろうか。
なんて最高なんだ。

「……!…」

最高な夢を見ていたはずなのに、なにやら声がするような気がする。

「…おい!いい加減起きれ!」

まだ気持ちよく眠っていたいのに…
意地でも目を開けないぞ!と意気込んでみたが、思いのほか強く揺すられ、寝るに寝れない。

「ん…(仕方ない。眠りを妨げるヤツの顔でも拝むか…。)」

せっかくいい夢だと思ったのに…と春香は嫌々ながらゆっくりと目を開けた。
寝起き特有のぼやける視界に、青空とムスッとした色黒の少年が映った。

誰だ。見たことも無い少年に驚き固まってしまった。
恐らく10、11歳くらいだろうか。
千鳥模様のズボンにサスペンダー。前髪もきっちりと整えられている。
格好からするに、いいところのお坊ちゃんなのだろう。
少年は春香が起きたとわかると、眉間にシワをぐっと寄せた。

「そこはおいん場所や。どかんか!」

なぜ起きて早々少年に怒られているのだろうか。
しかも、とても訛っている。何弁なんだ。全く検討がつかない。
それに…いつの間にか外で寝てしまったのだろうか。
いや、布団に入って寝たのは確かだ。
揺すられる感覚があったが、まだ夢でもみているのだろう。
春香は独特すぎる夢に頭を抱えながら、自分が座っているところを確認した。
どこかの丘なのだろうか。とても緩やかな斜面になっており芝生と所々花が咲いている。
目の前には現代とは考えられない景色が広がっていた。
コンクリート製の高い建物がない。
木製の平屋が多く、所々レンガ造りの建物がある程度だ。
道路もアスファルトではなく土のままだし、車も通っていない。
そしてなによりも、大きな山が視界に入った。

「おい、聞いちょるんか…」
「うわー!めちゃくちゃ大っきー!なにあれ!!」
「あ?ないって…桜島に決まっちょっじゃろ?」
「え?桜島って…鹿児島の?」
「今更何をゆちょっど。当たり前じゃろ。びんたでもぶったんか?」
「なに、びんたって……」

びんたはびんただ!と少年は自分の頭を指して言った。
あぁ 頭ってことか。なるほど納得。
方言がすごいと本当に何を言っているのか分からないものなんだな、と春香は改めて実感した。

「(というか何で鹿児島なんだろ…?)」

生まれてこの方、一度も鹿児島には行ったことない。
夢って本当に不思議だな…と思っていると、少年がじーっと春香を見つめていた。
どうしたんだろう。
首を傾げながら少年を見つめ返すと、それにしても…と口を開き始めた。

「変な格好じゃな。おなごが足を出すとははしたなか。」
「え?足?」

少年に言われて自分の格好を確認したら、何の変哲もない制服姿だった。
どこが変な格好なのだろうか。
春香の学校はあまり校則が厳しくないため、スカートの丈が膝よりも少々上である。
酷い人はもっと短いし、自分は長い方だと思っていた春香は、そう?とさらに首を傾げた。

「普通の制服だと思うんだけど?」
「おなごは着物が主流じゃろ。わいは洋装やし、ないより足を出してはしたなか!」

着物が主流?足を出すのがはしたない…?
随分と古風な発言に、春香は驚きが隠せなかった。

「着物が主流とか何年前の話しよ…本当に変な夢だな…」
「ないをゆちょっど。やっぱい、いかれちょるんか」

変や、わい。と少年が鼻で笑う姿を見て、春香は苛立ちを覚えた。
何故こんなにもバカにされた言い方をされなくてはいけないのか。
しかも年下と思われる少年に、だ。
大人げないと言われるかもしれないが、自分の夢の中なのだから許して欲しい。
春香は少年の鼻を思いっきりギュッと摘んだ。
年上はバカにするものでは無いぞ、少年…!
すると、少年は驚いたのか キエエエエ!と猿叫をあげた。
なんだその猿叫は。少ししてから離してやると、すごい形相で少年は睨んできた。

「きさん!ないすっとか!おいは帝国海軍 鯉登平二中佐ん息子じゃっど!!おなごんくせに鯉登家ん人間にこげなマネをしっせぇ ただで済まんち思ちょっとかッ!」
「だれよ。鯉登なんて聞いたことないし。」
「はぁ!?きさん!」
「それに、親の名前で威張り散らすのは弱い人間のやることだよ、少年。威張る前に自分の名を名乗りなさい。」

せっかく綺麗な顔なのに、性格が残念とは…
ぐうの音も出ないのか黙り込んでしまった少年に、やれやれ とため息をひとつ付く。

「私は天霧春香っていうの。少年は?」
「…鯉登、音之進」

発言だけではなく名前も古風とは、なんとも変わっている。
少年…音之進は名前だけ言うとまた黙り込んでしまった。
さすがにやりすぎただろうか。
春香はそっと音之進の頭を優しく撫でた。

「そう、音之進ね。ちゃんと名前言えて偉いねー、音ちゃん」
「お、お、音ちゃん?!」
「そう。音之進って長いし。愛嬌があっていいでしょ?」

頭を撫でながら ふふ、と笑うと、音之進はキエエエエッ!っと猿叫を上げた。
だからなんなんだ、その猿叫は。
照れているのか先程より眉間に皺を寄せ、耳を赤く染めている音之進。

「折角綺麗な顔なのに、そんなに眉間に皺を寄せたら取れなくなっちゃうよ」
「おいが…?」
「うん!将来有望って感じ!」

音之進の眉間を指でグリグリと伸ばしていると、最初は嫌そうにしていたが反抗しなくなっていた。
年の離れた弟がいたらこんな感じだったのだろうか。
可愛く見えて仕方がない。いや、顔の作りがいいから反抗的な態度さえとらなければ可愛いのだが。
春香は眉間から指を離し、再度頭を撫でると、音之進は抵抗することなくされるがままになっていた。

「天霧どんは…変わっちょ…」

先程のようなバカにした言い方ではなく、戸惑いを感じているようだった。
撫でていた手を止め、そうかな?と首を傾げながら言うと、変わっちょ!と音之進は声を上げる。
人から変わっていると言われたことが生まれてこの方無いが、こうも言いきられると否定しづらい。
春香は そうかもね…と呟くと、音之進は嬉しそうに目を細めた。

「あ…!一度帰ってけと母上に言われちょったんだった。……そいじゃあ」
「あぁ、うん。気をつけてね」

音之進は用事を思い出したようで、慌てた様子で春香に背を向け、帰路につこうとしていた。
まるで嵐のような子だ。
夢の中だと言うのに少しだけ疲れてしまった。

帝国海軍の息子か…本当に変な夢だ。
時代は明治あたりだろうか?
寝る前に予習したのも明治時代だった。
きっとそのせいでこんな夢を見てしまっているのだろう。

春香は徐々に離れていく音之進の背中をぼんやりと見つめていると、急にピタッと勢いよく止まった。
なにかあっただろうか?
首を傾げていると春香の方へ振り返り、なにか言おうと口をもごもごさせている。
何かを決意したのか、音之進は大きく深呼吸をしてから …あの!と大きな声を出した。

「また、会えもすか…?」
「…きっと、会えるよ」

これは一時の夢に過ぎないため、同じ夢がもう一度見れる確証はない。
下手したら起きたら忘れているかもしれない。
しかし…何故かそう言ってしまった。

音之進は ふふ、と笑うと今度こそ走って帰路についた。


◇◇◇



「ん…?」

目を覚ますといつもと変わらぬ天井が視界に入った。
やはり、先程までのは夢だったようだ。
なんだか壮大な夢を見てしまった気がする。
春香はベッドから起き上がり、部屋のカーテンを開いた。
陽の光が眩しい。いつもと同じ朝のはずだが、少しだけ気分がいい。

鯉登音之進、か。
とても個性の強い可愛い少年だった。
また、夢の世界で会えるといいな。

春香は大きく伸びをすると、着替えるために部屋を出た。





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