泡沫の幸福と


音之進と仲良くなる夢を見るようになってから2週間が過ぎた。
どの時間に寝ても会える、という訳ではなく、22時17分に眠りについた時だけのようだ。
法則に気がつくまで数回会えない日があり、翌日音之進から「ないごて昨日は来んかった!」と軽く怒られてしまった。

あれから音之進は学校に行くようになったらしい。
ムスッとしながら、同級生や先生が驚いてチラチラ見てくるのが煩わしかったと言われた時には笑ってしまった。
不登校児がいきなり来るようになったら、物珍しそうに見てしまうのだろう。
ちゃんと学校に行ってえらいね、と頭撫でながら宥めると、音之進は機嫌がすぐに良くなり満面の笑みを見せる。
か、可愛すぎる。

それにしても…ただの夢だと思っていたが、音之進は本当に明治時代を生きる少年のようだった。
以前から音之進の発言に対して疑問に思っていた。
女性は着物が主流だったり、父親が帝国海軍中佐だったり。
あとは学校ではどうだった、古流剣術の稽古がどうだったなど、個人的な話がリアルすぎたという所だろうか。

また、音之進の話がフィクションでは無かったのだ。
朝 目覚めてから音之進のお兄さんが戦死したという黄海海戦を調べてみたが、本当に松島は大破していた。
戦死者の名前までは調べることが出来なかったが、音之進がお兄さんの話をするまで、春香は黄海海戦も松島が大破したことも知らなかった。
そこで初めて、これはただの夢ではないと悟ったのだ。
寝ている時だけタイムスリップでもしているのだろうか。
そんなSF映画のような出来事を誰かに相談したかったが、頭がおかしくなってしまったと思われかねない。

音之進と一緒にいる夢から覚めたあとも疲れなどは溜まっていない。むしろしっかりと眠ったあとのように、スッキリとしている。
害がある訳では無いし、日々の楽しみにしておこう。と楽観的に捉えることにした。

さて、今日も会えるかな。
春香は時刻を確認すると、布団を深くかぶった。


◇◇◇



優しい風が頬を撫でる感覚で目を覚ました。
いつもと同じ桜島がよく見える緩やかな丘だ。

あれから新しい発見があった。
寝る時に枕元に置いたものは夢の中に持っていけるようだ。
以前、たまたま寝落ちした時にスマホを枕元に置いてしまったことがある。
夢の中で目が覚めた時、制服のポケットの中にはスマホが入っていたのだ。
音之進が来る前だったので、急いで使えるのか確認した。
なんと、写真を撮ることが出来たのだ。
夢から覚めたあと、写真を確認してみたがちゃんと残っていた。
やはり眠っている間、明治時代に居るんだと春香は確信してしまった。

出来ることならば音之進の写真を撮りたいのだが…!
心を開いてくれたのか、優しい表情になった音之進が可愛くて仕方がない。
しかし、文明の利器を音之進に見せる訳にも行かず…音之進と一緒にいる時はポケットにしまっている。
全く残念極まりない。

そんなこんなで今日は音之進にちょっとしたプレゼントを持ってきてみた。
ポケットに入っていた物を出してみたが、なんとか無事のようだ。
喜んでくれるといいな、と思いながら春香は音之進をそわそわしながら待った。

「春香!!」
「あ、音ちゃ、ん…?」

お目当ての音之進が、不思議な乗り物を運転しながら来た。
ドッドッドッと音を立てていたので、エンジン付きの三輪車だろうか。
停車したことを確認してから近寄ると、音之進は三輪車から降りた。

「…なにこれ?三輪車?」
「父上がフランスの知り合いからもろたもんじゃ」
「…ちゃんと借りるって言った??」
「言うた!」

それならいいんだけど。
以前のように叱られないからと言って、やりたい放題ではないようだ。
楽しくないから学校に行かないという発言に、驚いてしまったのは記憶に新しい。
少しずつ音之進が成長していることを感じ、胸が熱くなる。

えらいね と頭を撫でると、音之進は当然だろ!と言わんばかりのドヤ顔をした。
そんなところも可愛い。
憎たらしい所も可愛くみえるとは、だいぶ頭がやられているようだ。
思わず笑ってしまうと、つられて音之進も頬が緩む。
二人でクスクスと笑い合う何気ない時間が増え、春香は幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。

「そうだ、音ちゃん。これあげる」

大したものでは無いけど…と、忘れる前に春香は制服のポケットからラッピングされた紙袋を取り出した。
音之進は中に何が入っているか分からないため、キョトンとした顔で首を傾げている。
そんな様子も可愛いと頬を緩めると、音之進に紙袋を手渡した。

じーっと紙袋を凝視する音之進は、目を輝かせているようにも見えた。
頬を少し赤く染める姿は、突然のプレゼントに喜びと戸惑いを感じている子どもそのものだ。
開けてよかか…?と控えめに聞いてきたため、春香は微笑みながら了承した。

マスキングテープで留めてある紙袋の口を、破らないようにと慎重に開け始めた。
開けやすいようにとマスキングテープを使ったのだが、意外と几帳面なのだろうか。
音之進は綺麗に開けると、ゆっくりと中を確認し、目をさらに輝かせた。

「これ、おいに…?」

中には様々な形をしたクッキーが入っていた。
桜や星、ハートと言った在り来りな型抜きクッキーだ。
確か明治時代にはビスケットが日本で製造されるようになっており、世に出回るようになったはず。
型抜きクッキーは物珍しいかもしれないが、口にしたことはあるのでは無いかと思い、作ってみたのだ。
味見は済ませてあるので、おそらく不味くはない。
あとは食べ慣れているか、いないか。甘い食べ物が好きか嫌いかにかかっている。

「うん。クッキーを作ってみたんだけど…甘いものは好き?」
「すっじゃ!」

音之進は、ぱあああと効果音が出ていそうなくらい顔を明るくさせた。
そのままクッキーの入った紙袋を大事そうに抱え、喜びをかみ締めているのか口元を緩ませている。
よかった。甘いものが好きなら、あとは食べ慣れているかいないか、だな。

「春香は洋菓子を作るっとな?」
「簡単なものだけだけどね」
「食べてよかか…?」
「うん、口に合えばいいんだけど…」

音之進は春香の顔とクッキーを交互に見つめ、本当にいいのかと戸惑っていた。
音之進のためだけに作ったんだよ。
そんな恥ずかしいことを言える訳もなく、春香は芝生に座りこみながら音之進の顔を覗き込んだ。
それに倣い音之進も春香の隣に腰掛けると、ハート型のクッキーをひとつ取り、ゆっくりと口の中に入れた。

「ッ!美味か!!」

音之進は更に、ぱあああと顔を明るくさせる。
口にあったようでよかった、と春香は胸を撫で下ろした。
余りにも嬉しそうに食べる音之進に、春香の顔も自然と緩んだ。
喜んでもらえて本当によかった。
しかし…可愛すぎる姿を写真に収めることが出来ないことが残念で仕方ない。
全て目に焼き付けておかなくては。

美味しそうにクッキーを食べる音之進を観察していると、やはりいい所のお坊ちゃんだからか、食べ方に品があることに気がついた。
音之進くらいの年齢だったら、一気に口に含んで食べてしまう子が多い気がするが…一つ一つゆっくりと味わって食べている。
気がつけば全て平らげてくれていた。

「美味かった。あいがと、春香」

春香は料理が上手じゃな、と頬を少し染めながらはにかんだ。
これで上手と言ってもらえるとは思わなかった春香は、一瞬目を開くが恥ずかしそうに目を細めた。

褒め上手さんめ。将来は引く手あまただろうなぁ。
そんな事を思いながら、音之進を見ると口元にクッキーの食べカスが付いている事に気がついた。
あんなにも上品に食べていたのに。
春香は小さく笑いながら音之進の口元に触れた。

「音ちゃんに気に入ってもらえてよかったよ。」

食べカスを指で拭った途端に、音之進の顔が首の付け根まで朱を注いだように真っ赤になった。
こぼれ落ちそうなほど目を大きく開き、黒曜石のような潤んだ黒が艶めいている。
小刻みに身体を震わせ、春香を見つめたまま動かなくなってしまった。
不思議に思った春香は、顔を近付けながら音之進の頬に触れようとした。

「き、」
「き?」
「キエエエエ!!!!」

音之進は突然猿叫し、飛び退いてしまった。
そんなに嫌だったのだろうか。
軽くショックを受けていると、ハッと我に返った音之進が慌てて弁解をした。

「ごめんね、急に触られて嫌だったよね」
「ち、ちごっ!嫌じゃなか、ちご、ちごっど…」
「本当…?」
「ほんのこてちごっど!春香が触れた場所が急に熱うなって…」

音之進は急に口を押さえた。
狼狽し顔を更に真っ赤に染め、言葉に詰まっているようだ。
春香が心配そうに大丈夫かと声をかけると、すっくと立ち上がりながら言葉にならない声を出した。

「ーーッ!今日は帰っ!また明日!!」

そう言うと音之進は慌てて三輪車に跨り、家路へついてしまった。
一人残された春香は、遠ざかっていく音之進の背中を見つめることしか出来なかった。

どうしてしまったのだろうか。
急に触れてしまったことが嫌だったのだろうか。
でも、嫌じゃないって言っていたし…嫌われたわけでは無い、と思いたい。
また明日。音之進は確かにそう言っていた。
明日になれば、教えてくれるのだろうか。
明日になれば…また……

春香は一人、膝を抱えながら目を瞑った。





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