永遠の春を待っていた
・もしも1日だけ10年前の鯉登になったら
※既に結婚済み
鶴見中尉に突然呼ばれた。
なぜ呼ばれたのか、全く検討がつかない。
待ち合わせ場所である第七師団司令部の近くにある茶屋に向かう道中、何かやってしまっただろうか?音之進の身になにかあっただろうか?と良くない事ばかりが頭を過り、不安になった。
普段と同じように家を出た彼は、少し好奇心旺盛ではあるが、職務で大きなミスを犯したりするようなタイプではない。
どちらかというと敬愛する鶴見中尉に褒められ必要とされることに心血を注いでいるので、大きなミスは犯さないだろう。
もしもミスを犯せば彼にとっては命取りになりかねない。
本人には口が裂けても言えないが、彼の敬愛度は異常だ。
そう感じていたのは私だけではなかったようで、月島軍曹も半ば飽きれているとか…。
うーん困った。
やはり呼び出された理由がわからない。
呼び出された理由がわからないとこんなにも不安になるものなのか。
悶々としながら歩いていると、待ち合わせの茶屋に予定の時刻より少し早く着いてしまった。
はぁ…怖いな。とりあえず先にお茶でも飲んで、心を落ち着かせておこう。
茶屋に入ろうとした時、「春香さん?」と聞きなれた声が聞こえた。
月島さんだ!タイミングが悪い!…いや、良かったのか?
そう思いながら振り返ると、自分の目を疑うような光景がそこにはあった。
「あ、月島さん!こんにち、は…?」
「こんにちは。早かったですね」
普段と変わらない表情に軍服姿。
ただ、いつもと違っていたのは、泣いている小さな男の子を抱いている所だ。
浅黒い肌、千鳥模様のズボン、サスペンダー……あれ?見覚えしかないぞ?
月島さんの服に顔を押し付けているため、はっきりとは分からないが、妙な既視感がある。
ぐすっ…ぐすっ…とすすり泣いている男の子の名を、思わず呼んでしまった。
「お、音ちゃん……」
声をかけると男の子は急に泣きやみ、バッとこちらに振り向いた。
その顔はとても見覚えのある顔だった。
…やっぱり、音之進だ。
鹿児島にいた時の、出会った頃の音之進がいる。
にわかに信じ難い状況に、ただ呆然と幼い音之進を見つめることしか出来ない。
それは音之進も同じだったようで、こぼれ落ちてしまいそうなほど目を見開いていた。
「ッ春香!!!!」
「あ!こら、暴れるな!」
私だと分かった瞬間、月島さんの腕から離れようともがきだした。
先程の大人しさはどこへいったのか。
さすがに危険と感じたのか、月島さんはゆっくりと腕の中にいた音之進を下ろした。
すると、その姿はイノシシのごとく。
音之進は一目散に駆け寄ってきた。
ドンッと大きな衝撃によろけながら何とか耐え、元凶である音之進を見つめる。
強く抱きつかれ、息が苦しい。
顔を埋めているため表情は全く見えないが、音之進の身体は小刻みに震えていた。
「音ちゃん……」
震える手で音之進の頭に触れた。
サラッとした質のいい髪が指の間からすり抜ける。
幻ではない。幼い頃に別れた音之進だ。
呆然としていると目に涙をいっぱい溜めながら、音之進は顔を上げた。
「どこ行ってたんだッ!急にいなくなって!おいがッ!おいが…どんだけ探したと思っちょる!」
音之進は目が合うと、顔を歪ませながら大声で叫んだ。
堪えきれなかったのか、ボロボロと大粒の涙が流れている。
あまりの必死さに思わず目頭が熱くなるのを感じた。
急に消えてしまった私を、ずっと探してくれていたのか。
探させていたことに対しての罪悪感と、本当に好きでいてくれたのかという喜びが混じり合う。
「ごめんね、心配させちゃったね」
次から次へと溢れ出る音之進の涙を優しく指で拭いながら抱きしめると、離れないようにとキツく抱き締め返してきた。
本当にこの子は…!なんて可愛いんだ。
すすり泣く音之進の頭を撫でながら、ずっと待たせてしまっていた月島さんへ顔を向ける。
いつもと変わらぬ表情でこちらを見ているが、恐らく「やっと終わったか。」と思っているに違いない。
「月島さん、お待たせしてすみません。」
「いえ…職務中、突然鯉登少尉の姿が見えなくなったかと思ったら、代わりにこの子が居たんです」
突然上司にそっくりな子どもがいて、たいそう驚いただろう。
名を聞けば鯉登音之進。全く一緒だった。
見知らぬところで心細かったのか、半泣きで父や母を呼んでいたようだ。
話を聞こうにも混乱しているのか、話が食い違うばかり。
鶴見中尉に指示を仰いだところ、私に任せてみよう。となったようだ。
「そ、そうなんですね。そんな経緯が……ご迷惑をおかけして申し訳ございません…。」
「いえ。鶴見中尉から、春香さんにご伝言が。」
幼き日の鯉登少尉になっている。
とりあえず今日は連れて帰り、様子を見ていて欲しい。とのことだった。
「明日、どうなったか報告が欲しいようです」
「分かりました。わざわざありがとうございます。」
月島さんも予定が詰まっているようで、「よろしくお願いします」とだけ言うと第七師団司令部へと帰って行った。
果たして明日までに元の音之進に戻るのだろうか。
未だ離れないようにとくっついている音之進を見てみると、既に泣き止んでいるみたいだ。
不安でいっぱいだが、とりあえず家に帰ろう。
音之進の頭を撫でながら「音ちゃん」と呼ぶと、抱きついたままこちらを見上げてきた。
う、上目遣い…かわいい……。
「とりあえず…おうちで話そうか」
◇◇◇
無事、家に着いた。
結婚するにあたり第七師団司令部がある旭川に新居を建てたのだが、これがまぁすごい。
大きな和風暖炉があったり、明治時代では結構値の張るソファがあったり…函館にある鯉登邸には劣るが、とても豪勢な家だ。
ソファに座りながら幼い音之進とゆっくり過ごすことにしたのだが、「なぜ消えたのだ」「今はこっちの世界にいるのか」とマシンガンのように質問をされ、正直困った。
未来の話をしてもいいものなのか。
「ん〜…よく分からない」と適当に誤魔化して何とか乗りきろうとしたのだが…そうは問屋が卸さない。
あからさまに不機嫌になった音之進に、話せる範囲のものを一つずつ返答していくはめになった。
惚れた弱みなのか、幼いとはいえ音之進に悲しい顔をされるのは辛い。
やれやれ…と自分の甘さに頭を抱えると、突然音之進が大きな音をたてて立ち上がった。
な、なにごと?!
驚いて音之進の方を向くと、こぼれ落ちてしまいそうなほど目を開きながら、私の左手を凝視しているようだった。
「だ、だ…誰と!!」
「え?」
「誰とといえした!!」
音之進は私の左手を取り、薬指に煌々と輝く指輪を見つめる。
結婚指輪に気がついてしまったのか。
未だ指輪を凝視している音之進は、ボロボロと大粒の涙を流し、悔しそうに顔を歪めた。
「え、音ちゃん…?」
まさか泣くとは思ってもみなかった。
これは正直に「私の旦那さんは未来の音之進だよ」と話すべきだろうか。
いや、この発言のせいで、彼が青春を棒に振る事になるのは避けたい。
どうしよう どうしよう、と考えていると音之進は、私の左手を両手で包み込んだ。
「おい、春香のことがすっじゃ!おい、おいの方が春香を幸せにしてみせる!だから…ッ!おいを選べ!」
開いた口が塞がらない。
乙女ゲームでしか言われることのなさそうな台詞を、まさか言われる日が来るとは…。
しかも11歳の男の子にだ。
不覚にも幼い音之進にときめいてしまい、顔が火照るのを感じる。
なんと答えればいいのか分からなくなり、「あ、ありがと…」と言うのが精一杯だった。
音之進の愛情の深さには、驚かされてばかりである。
落ち着くために一度深呼吸をしてから、こちらを真っ直ぐ見つめる音之進の手を握り返した。
「ごめんね、今は返事が出来ないの。」
「な、ないごち!」
「実はね、ここは音之進が生きてる時代から10年後の世界なの。」
「じゅ、10年後…?」
なに訳の分からないことを言っているんだ、と言いたげな顔をしながら音之進は混乱していた。
まぁ…普通はそうなるよね。
「信じられないよね…」
「…いや、春香が言うなら……信じる」
音之進は戸惑いながらも信じてくれるようだ。
その健気さに胸がいっぱいになる。
私は力なく笑いながら、音之進の頭を優しく撫でた。
「10年後…きっと、また会える。その時まで…音ちゃんが私のことを好きでいてくれたら…もう一度言って欲しいな」
「10年…それまで会えんのか?」
「うん…」
音之進は黙り込んでしまった。
無理もない。いきなり10年待てと言われたのだ。
我ながら、中々酷なお願いをしてしまった。
まぁ…ただのお願いだ。約束ではない。
以前、花畑で告白された時に「私よりいい人がいたら、そちらを選ぶこと」と伝えてある。
彼の一度しかない青春を、いつ会えるか分からない私なんかに捧げなくていいのだ。
少し静かになってしまった音之進を見つめていると、か細い声で「でも…」と声を発した。
「でも…10年後には春香は、こっちん世界に住んじょるんじゃろ?」
「そういうことになるね」
「なら…平気じゃ!また会えるなら…おいは、ずっと待つ!」
先程の不安そうな顔から一転して、音之進は口元をほころばせた。
「また会えた時、惚れてもれるような…よかにせになる!」
「音ちゃん…」
「覚悟しちょけ!おいはずっと、ずっとすっじゃ!!」
まったく。私はとんでもない人に好かれてしまったようだ。
だから会うまで誰のものにもなるなよ、と念押しをしてくるのには驚いたが。
どこまでも真っ直ぐで純粋な人だ。
「ありがとう…(好きだよ、音之進)」
あまりの愛おしさに抱きしめ、頬に触れるだけの口付けをした。
すると音之進は、ボンッと湯気が出るのではないかと思うほど顔を真っ赤にさせ、固まってしまった。
先程の威勢の良さはどこに行ったのやら。
しばらくの間、鯉登邸に私の笑い声が響いていた。
◇◇◇
その後、一緒にベッドで寝て起きたら元の音之進に戻っていた。
綺麗な寝顔だ。
見惚れていると、音之進は目を覚ましたのか薄らと目を開けた。
「おはよ、音ちゃん」
「ん…春香……」
まだ眠たいのか微睡んでいる音之進の頬を撫でる。
すると背中に腕が周り、優しく抱き寄せられた。
同じものを使っているはずなのに、音之進は特別いい香りがする。
結婚してからしばらく経つが、やはり音之進と共に過ごす時間はとても心地いい。
「私を探し出してくれて…ずっと好きでいてくれて…ありがとう」
「当たり前だ…春香以上の女はいない…」
「まーたそういうこと言って…」
はいはい。と笑って流そうとすると、音之進の顔が近づき、唇に触れるだけのキスをした。
驚いて目を見開くと、音之進は優しく、愛おしそうに微笑んだ。
「愛しちょ…」
その姿に、胸が大きく高鳴った。
かっこいい。元々端正な顔立ちの音之進だ。破壊力が違う。
恋は盲目とはよく聞くが、まさか私も体験するとは思ってもみなかった。
愛おしさでどうにかなってしまいそうだ。
頬が自然と緩んでしまっていることを感じながら、こんなにも愛おしい人に出会い、愛される幸せを噛み締めた。
「私も…愛してる、音之進」
世界で一番愛おしい人。
鶴見中尉にはもう少し後で報告に行こう。
今は音之進との時間を大切にしたい。
音之進の首に腕をまわすと、再び唇を重ねた。