めそめそするには明るい月だ


明治時代で過ごす夢を見なくなってから半年以上経った。
あれから何度も22時17分に眠ってみたが、一度も明治時代へは行けていない。

音之進は大丈夫だろうか…
1番傷つける形で消えてしまったのだ。
まさかすぐに消えるとは、夢を見なくなるとは思いもしないだろう。
しかし、音之進は若いのだ。きっとすぐにいい子に出会えて、幸せになるだろう。…そうなって欲しい。
大きなため息をひとつ付くと、いつも通り学校へ向かった。

季節はもう冬本番を迎えようとしている。
凍てつく風が頬を掠めて、冷たいと言うより痛い。
今日は一段と冷えるようで、朝のお天気お姉さんも「今シーズン1番の寒気が南下し、大雪や吹雪に警戒が必要です。」と説明をしていた。
あまり寒さが得意ではない私は、フリースのインナーを始め、ロング丈のダッフルコートにモコモコのスヌード、裏起毛の黒タイツと万全の状態だ。
どんとこい、冬将軍。

そんなことを考えながら見慣れた通学路を歩いていると、雪がしんしんと降り始めてきた。
このままずっと降り続けると積もるのだろうか。
あまり雪が積もらない太平洋側に住んでいるため、今まで見た最高積雪は5cm程度だ。
しかしその5cmをなめてはいけない。
路面が凍結する可能性があるため、転ばないようにと普段の倍時間をかけて通学する。
ちなみに高確率で私は滑って転ぶ。気をつけていても転ぶのだ。
通学に支障が出るのは嫌だなと、一人またため息をついた。

そのときだった。
背中に大きな衝撃が走り、身体が前傾するのを感じた。
倒れる…!!!
次に来るであろう痛みに耐えるため、強く目を瞑った。

ボスッと大きな音がたったが、いつまで経っても痛みは襲ってこない。
ゆっくりと目を開けると、倒れた場所は雪で覆われている。
よかった…これのお陰で助かったのか。
ほっと息をついたのもつかの間、なぜこんなにも雪が積もっているのか疑問に思った。
雪は先程降り始めたばかりだ。
なのに、なぜ…?
慌てて起き上がると、そこは…雪原の世界だった。

「どこ…ここ…」

雪原なんてスキー合宿の時に見た以来だし、歩こうにも足が雪に埋もれてしまい動けない。
あれ?バッグどこに消えた??
どうすればいいのか分からず呆然としていたところ、奇跡的に通りかかった女の子に助けてもらえたのだ。

名はアシㇼパ。アイヌ民族のような格好をした子だ。
事情を話してみたが、不思議そうな顔をされるし、変わった服装だと言われた。
「そんなことを言ったらアシㇼパだってアイヌみたいな格好してるし…」と呟いたら何を言ってるんだと言わんばかりに「私はアイヌの女だぞ」とさらっと言われる。

「え?アイヌ…?北海道に住んでいる?」
「さっきから何を言っているんだ。ここは北海道だろ」

頭の中が真っ白になった。
私はさっきまで地元を歩いてたはずだ。
呆然と目の前のアシㇼパを見ることしかできなかった。

次第に涙がこみ上げてきて、ボロボロと年下の少女の前で泣いてしまった。
その後、心優しいアシㇼパの気遣いにより、しばらくの間アシㇼパの家に住まわせてもらうことになったのだ。


◇◇◇



突き飛ばされた感覚の後、目を開いたら雪原でした。という謎の展開から1ヶ月が経った。
夢かと思ったが、あれから何日経っても帰ることができず、無情にも時だけが過ぎてしまった。
現在、アシㇼパの祖母(フチ)の家に居候させてもらっており、フチのお手伝いをしながら日々を過ごしている。

衣食住のすべてを提供してもらっているので、流石になにかお礼がしたいと思い、アシㇼパと共に小樽の街へ出てびっくり。
明治時代にタイムスリップしてしまったようだ。
以前と違うところは夢ではないこと。
すでに何日か過ぎたが、寝て起きても現代には戻らなかった。
何度目か分からないため息をつきながら、小樽の街を歩いたのは記憶に新しい。

そんな私は今、小樽の洋食店でアルバイトをしている。
理由は簡単。お金が無いのだ。
何故か財布の入ったスクールバッグが消えてしまったし、あっても紙幣が違うため使えない。
フチやアシㇼパにお返しするどころか、自分の服すら買えない状態なのだ。
それを脱却するために従業員募集をしていた洋食店へ行き、なんとか雇ってもらえることになった。

元々現代でも飲食店のアルバイトをしていた。
料理をするのも嫌いではない。
ただ、明治時代のキッチンに慣れるのには時間がかかったが…メインはホールなので、今のところ何とか順調だ。

制服も支給された。クラシカルなメイド服だ。
黒を基調としたロング丈のメイド服で、フリルの付いた真っ白なエプロンドレスとホワイトブリム付き。
こういうのをヴィクトリアンメイドって言うんだっけ?
とにかく可愛い。

我ながらいい働き口を見つけた。
じーんと熱くなる胸を手で抑えていると、カランコロンとお客さんが入店する音がした。

「いらっしゃいませ。お客様は…おひとり様でしょうか。」
「ああ」
「お席へご案内致しますね」

反射的に振り返ると、軍人と思しきお客さんが立っていた。
持ち前の営業スマイルでお客さんを席へ案内をする。
働き始めて気がついたのだが、軍人さんがチラホラお客としてやってくることが多い。
店長に聞いたところ、近くに第七師団の兵営があるようだ。
第七師団と言われてもピンと来ないが、おそらく帝国陸軍なんだろうな。

私が働く洋食店は、明治の割に結構繁盛している。
明治時代の西洋料理は高級で、フランス料理が中心だった。
そのため雇用された当初は閑古鳥が鳴いていたのだが、現代的な大衆向けの洋食の方がウケるのでは?と作ってみたところ、店長からメニューに付け足そう。と言われ、今では看板メニューになってしまった。

その名もオムライス。
確か、明治時代の日本では、西洋料理の食材を完全に揃えることは困難で、しばしば代用品が使われていたはずだ。
また日本人向けにアレンジが加えられることもあったはずだし…歴史を大きく変化させることは無いだろう。
なによりも食べたかったのだ。私が。
久しぶりにオムライスが食べたいという欲には勝てなかったのだ。許せ。

さて。もうすぐお昼のピークがくる。
よし!と下腹に力を込めて気合を入れると、呼び鈴のなるテーブルへ「お伺いいたしまーす」と声をかけながら向かった。





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