音なき幕開け


明治時代にタイムスリップしてから1年が過ぎた。
未だに、現代へ戻る兆しはない。
今では明治での生活にも慣れ、ひと通りのことはなんとかできるようになった。
アシㇼパやフチのご好意のおかげだ。本当に頭が上がらない。

いつまでも迷惑はかけられない、と始めたアルバイトも順調だ。最近は月島さんという軍人さんともお話できるようになった。
お客さんは優しい人たちが多くて、本当にありがたい。

給料も入ったし、アシㇼパたちに家賃を払おうとしたが「いらない。」と突っぱねられてしまった。
じゃあせめてお手伝いを…とアルバイト終わりには裁縫や織物を。休みの日にはフチのお手伝いや、アシㇼパと共に山へ出かけたりしている。
元々裁縫などは嫌いではなかったし、初めてやった織物も結構楽しかった。
携帯やテレビなどの娯楽が何も無い時代だが、そこまでストレスになっていないのは毎日が充実しているからだろう。
現代では学べないような知識を得ることもできるし、お手伝いもできるしで万々歳だ。ラッキー!

そんな中、今日はお仕事がお休みの日。
つまりフチのお手伝いをする日だ。
アシㇼパは今日も出かけているようで、おそらくクチャと呼ばれる仮小屋で寝泊まりをしているのだろう。
さて、何から始めようか。とフチに声をかけようとした時、何やら外が騒がしくなった。
チセから出て見ると、人だかりができている。
どうやらアシㇼパが帰ってきたようだ。それも年上の男性を連れて。

「アシㇼパ!おかえり!」
「春香!ただいま。久しぶりだな」

アシㇼパは私の方へ駆け寄ると、ギュッと抱きついてきた。
う…可愛い……
出会った頃は姉のように頼もしかったアシㇼパだが、日が経つにつれ可愛い部分をたくさん見せてくれるようになった。
今では、まるで妹のようだ。
よしよしとアシㇼパの頭を撫でると、こちらをじっと見つめる男性に目を向けた。

傷跡があるが整った顔立ち、ガタイもいい人だ。
よく見たら外套の中からヒグマの子どもが顔を出している。え?ずっと抱っこしてコタンまで来たの?ギャップがあって、とてもいい。

「こんにちは」
「杉元、この人は春香だ。同じシサムだぞ」
「こんにちは…って、え?和人なの?」
「はい。1年ほど前に山で遭難しているところをアシㇼパに助けてもらいました。天霧春香です」
「へぇ…杉元佐一だ。よろしく」
「はい!よろしくお願いします、杉元さん」

アシㇼパが連れてきた人だからかコタンの人たちも興味津々で、ずっと杉元さんを見つめている。
その視線が気になるのか、杉元さんはチラチラと周りを確認していた。

再び明治時代にタイムスリップしてしまったあの日、帰る家もお金もなくなってしまった私に、アシㇼパは「私の家に来るといい」と言い、コタンに案内してくれた。
しかし、見知らぬ土地に、見知らぬ人たちからの視線。見知らぬ文化に、とても戸惑ってしまった。
あの時、すっごく怖かったもんなぁ…
もしかしたら、杉元さんも同じ気持ちだったのかな。
私が和人って聞いてから、どこか硬い表情だった杉元さんは、口元を緩ませながら挨拶をしてくれたし。
同じ和人がいると思うだけでも、少しは気分的に違うのだろう。

私たちは子グマを預けて引き返そうとする杉元さんを引き止め、チセの中へと案内した。


◇◇◇



話してみると杉元さんは気さくな人だった。
ここ数日間アシㇼパと共に山で過ごしていたようだが、アシㇼパと共に狩猟をしていたようだ。
だからか。アシㇼパがあまり帰ってきてなかったのは。
仲がいいんだなぁ…。
アシㇼパと杉元さんの会話は見ていて癒された。

「そうだ。昨日しかけた罠の様子を見に行かなくては」
「どこに罠をしかけたの?」
「近くの清流だ。川魚用の罠を仕掛けたんだが…春香も来るか?」
「え?いいの?」

とっても魅力的なお誘いだ。
しかし、今日はフチのお手伝いをすると言ってしまっている。
どうしようかとフチの顔を見ると、アイヌ語で「行きなさい」と言ってくれた。

ちなみにまだ私はアイヌ語を完全には理解できていない。
1年間アシㇼパやフチと暮らしたおかげで、何となくは分かるようにはなった。
しかし長文になると全く分からない。
そういった時はアシㇼパやコタンの人達に訳してもらって、意思疎通をとるようにしている。

フチにお礼を言うと、アシㇼパたちと共に清流へ向かった。
コタンからあまり離れていないが、アマッポと言う毒たっぷりの仕掛け矢が設置されているため、気をつけなくてはいけない。
まあ、この周辺のスペシャリストであるアシㇼパについて行けば、よっぽど大丈夫だ。
清流に着き、川魚用の罠・ラウォマプを引き出してみると、小さな魚が溢れんばかりに掛かっていた。

「うわー!沢山捕れてる!」
「『エゾハナカジカ』だ。こいつらは寝るときだけ岸に来るからラウォマプを岸の近くに沈めておいた」

ピチピチと跳ねるその魚はカジカといい、冷たい水が好きなのだという。
冬によく捕れ、冬のカジカは脂がのって美味しいのだとか。

「鍋にする分はここで内臓を取ってしまうから杉元も手伝え」
「やべ……小刀も銃剣もアシㇼパさんの家に忘れてきた…」
「なにィ!?カジカは捌かないと味が落ちる!早く取りに行けバカ!!」
「ひどーい!」
「あ、あはは…私も頑張るからあまり怒らないで」

プリプリと怒るアシㇼパを宥めながら、カジカの内蔵を綺麗に捌く。
現代ではまともに魚を捌いたことがなかったが、アシㇼパに教えてもらった。
今日みたいに早く処理をしなくてはいけない時、アシㇼパのお手伝いをできるくらいには上達している。
小刀を取りに村までわざわざ走って行った杉元さんには申し訳ないが、戻ってくるまで終わらせておいてあげよう。

「だいぶ早くなったな、春香」
「先生が教えるの上手だからねー」
「春香は筋がいい。いいコシマッに成れる」
「コシマッ?」
「嫁だ。裁縫も織物も料理だってできるし、性格だって優しい。私が男として生まれていたら、嫁に来て欲しいくらいだ」

カジカを捌いていた手を止め、こちらを見つめるアシㇼパに、顔が一気に熱くなるのを感じた。
危ない危ない。こんな事をサラッと言えてしまうアシㇼパが男だったら、絶対に惚れていた気がするぞ。

恥ずかしさと嬉しさで緩んでしまいそうになっている頬を必死で抑えながら「あ、ありがとう…」と伝える。
全くもって心臓に悪い。ちょっと褒めすぎなのではないだろうか。
ふと脳裏に、浅黒い肌をした少年が浮かんだ。

「“ 春香! ”」

浅黒い肌と対象的な白い歯を見せながら、私に笑いかけてくれた彼は今、どこで何をしているのだろうか。
…元気、かな…音之進。
先程までの火照りは治まり、胸の奥がチクリと音をたてる。

「…?どうかしたか?春香」
「んーん、なんでもないよ。」

杉元さん遅いねーと言いながら手際よく作業を終わらせると、タイミングよく杉元さんが息を切らしながら戻ってきた。

「ごめんね、今から…って、あれ?もう終わったの?」
「遅いぞッ!!杉元!!!」

アシㇼパの怒号が森中に響いた。
うーん…今日も平和だなぁ…
あ、あはは…と苦笑いを浮かべながら、私は必死にアシㇼパを宥めるのだった。





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