きみの檻に囚われたい
某日。パドキア共和国デントラ地区のククルーマウンテンに一台の高級車が停車した。ゾルディック家の所有するものである。
中から顔を出すは、シンプルな白いワンピースの似合う華奢な女。空から降り注ぐ光夏の日差しは刃物のように女の真っ白な肌を刺し、逃げ場を奪っていった。ひどく焼けた空気が頬を打ち、ひと息ごとに体の内側まで火照っていく。
「……イルミは?」
ゾルディック家の豪邸を前にし、誰からの出迎えがないことを確認するとすぐさま冷房の冷ややかな空気が充満する車内に顔を引っこめた。不機嫌で棘のある声色で運転席に座る若い執事に問い掛けると、慌てたように執事はどこかに連絡を入れる。
フン。気まぐれな猫はへそを曲げる。しばらくしてから男が現れ、車窓をノックするも、女は見て見ぬふりをした。炎天下。艶のある黒髪を腰下まで垂らす美しい男、イルミは困ったように息を吐いた。女は一瞥した。
___はあ? 兄貴、言ってなかったのかよ?
ふわふわの銀髪が、きゅるきゅるの瞳を瞬かせて首を傾げたあの光景を思い出す。あの時、彼女は脳を揺らすほどの衝撃を与えられたのだ。
そうよ。もっと困ればいいのよ、イルミ。
+
「なまえ。何が嫌だったの?」
「自分で考えれば」
「いつまでそうしてるつもり?」
「フン」
彼女はすぐに不機嫌になる。高飛車で、ワガママで、奔放で、気まぐれで、それでいて甘え下手だ。イルミを前にすると、それは顕著に現れる。
彼女はイルミの婚約者である。毒の耐性もなければ、とりわけ暗殺技術が高い訳でもない。その上に身体は弱く、少しでも無理な運動をすると翌日は決まって寝込んでいた。ただ念能力に恵まれ、血筋が優秀なだけでこれまで花よ蝶よと温室で育てられた生粋の箱入り娘。双子の兄がいるらしいが、彼は本来妹に与えられるはずだった栄養を胎内で全て奪い取ってしまったらしく、常人よりもぶっちぎりのフィジカルを持つ超人へと成り果てた。無論、優秀な暗殺者として現在はイルミ含むゾルディックと時たま協力関係を持つことだってある。
「オレが悪かったよ。これでいいの?」
イルミは軽々と謝罪を口にする。
なまえは見向きもせず、長い廊下をただひたすら歩く。目当ての部屋の前で立ち止まると、ただ一言。
「ン。」
言外にも、顎でイルミに合図した。これにはイルミも眉をひそめたが、やれやれと呆れたように肩を竦め、彼女の代わりにドアノブを捻った。
部屋に入ってまず目に付くのはベッド。繊細なレースのカーテンに包まれたそれは、まるで一輪の白薔薇のように、優雅な気配をただよわせていた。しかし彼女はそれに目もくれず、一目散にソファへ向かって腰掛けた。陽だまりに照らされたそのソファは、やわらかな光を受け止め、部屋全体に微かな甘い気配を広げている。この部屋だけが明らかに異様で、暗殺を生業とする家系であるゾルディックから浮いていた。
(あの人、またモノを増やしたのか)
この部屋を最初に用意したのは、イルミの母であるキキョウであった。たかだか1gのシアン化カリウムでさえ飲み込むことのできないなまえであるが、意外にもキキョウからのウケは良かったのだ。血筋や念能力が優れていたこともあるだろうが、きっとキキョウに一番刺さったのは相性の良さである。女性というものはやはり理解し難い。婚約が決まった一週間後には用意されていたこの部屋を見た時、イルミはそう思った。
「荷物、そこに置いててくれる」
「いいけど、そろそろ何が嫌なのか教えてくれない」
「それくらい自分で考えてちょうだい」
簡単に明かしてくれるとは思ってはいなかったが、ここまで頑固だとも思っていなかったイルミは観念して顎元に手を当て、考えてみる。正直、思い当たる節は無いとは言いきれないが、ここまで怒られるとは思っていなかったのだ。
「……。お兄さんから君の写真を買ってること?」
「そ、そんなことしてたの……?」
「違うの?」
「ちがうわよ。もっと他のこと。あるでしょ」
ひとつ、軽めの罪を懺悔したイルミであるがそれは違ったらしい。肩透かしを食らったような気分のなまえが他の事象を促すと、またイルミはウンと考えた。
「オレがたまに君の部屋に入って一緒に寝てること?」
「は……はぁ!? そんなことしてたの!?」
「あれ? 違ったか。おかしいな」
「ちがう!!」
イルミは悟った。なんだ、バレてたのか、と。少し乱れた髪を手ぐしで整えながら笑う姿はあまりにも周りに散る死体と不釣り合いで、それでいて彼がいるだけで不思議と誰もがつられて笑ってしまうような、イルミ自身とは正反対の男。彼女の幼馴染み。その彼の不自然死の要因はイルミであることに。
彼は、彼女に焦がれていた。イルミと結ばれたことを知っても尚、幼馴染みという肩書きを使っていけしゃあしゃあと彼女に接触するほど。それを許容できるほどイルミは出来た男でもなければ、甘くもなかった。らしくなく、性急に事を進めたことを少しだけ後悔した。
「もう。ほんとにわからないの? キルのことよ。どうして家出したって教えてくれなかったの?」
「は?」
「ヨークシンで会った時、驚いたんだから」
イルミは思い出した。彼女がキルアのことを大変気に入っていることを。それはもう猫可愛がりという範疇を超え、できる範囲でキルアの望みを二つ返事で全て叶え続ける、キルア専属の神龍。金と権力にモノを言わせるバーサーカー。キルアが物心着く前からそうだったので、ゾルディック家の英才教育のムチと彼女のアメが上手く機能し、キルアも彼女のことを大層好いていた。
彼女が幼馴染みのことに気付いていないなら好都合。イルミはすぐに思考を変え、依然ソファに腰掛けたままのなまえに近付いた。
「怒らないでよ。バタバタしてたんだ。」
「いいわよ。キルと今度お茶するもの」
「それ、オレじゃだめなわけ? どうしたら機嫌なおる?」
イルミは下から覗くように跪いて頬を撫でる。わかりやすいご機嫌取りだが、なまえには意外と効果てきめんだった。彼女がイルミのことを大好きなのも、それをひた隠して冷たくあしらってしまうのも、その行いを一人で後悔しているのも、イルミは全て知っている。そんな女に振り回されるのが楽しくて仕方がないのだ。
「悪かったよ。なまえがキルにゾッコンなのが気に食わなかったんだ」
嘘である。まさか彼女がここまでキルアのことを気にしているとは思っていなかったが、流石のイルミも実の弟にまで嫉妬をするなんてことはない。あくまで彼女のご機嫌をとるため。素直になれない彼女の本当の表情を引き出したくて、イルミは続けた。
「なまえ」
「……」
「好きだよ」
唇を寄せるけど、またしてもフイっとそっぽを向く。ここまで来たらあと少し。彼女の耳が紅く色付いたのを視認して、イルミは楽しそうに嗤った。
「勘弁してよ」
キスを拒まれるのも、焦らされているようで燃えることをイルミは初めて知った。そして自身の気が長くないことも、また改めて再確認させられた。
なまえの頬に指を滑らせると、イルミの袖に手を添わせた彼女がきゅっと掴む。何度も繰り返して啄む音が部屋に響いた。ベッドではなくソファで行為に臨むのも悪くないかもしれない。イルミは真っ黒な瞳に、執着を滲ませた。まだ一日は長い。
終焉