むっかつく。
端的に今の感情を一言で表すならまさにこれだ。別にお腹が空いているとか、カルシウムが足りてないとか、そんなことないんだけど。原因はただひとつ、このシチュエーション。目の前に広がるその光景に、わたしはとても苛立っていた。
「ほんとにお世辞やないで! 似合ってるって!」
彼が嬉々として褒めてしまうのもよくわかる。美人で性格もよくてクラスの人気者の猫桜さんが、長い髪の毛をばっさり切って登校してきたら、大抵の男の子が放ってはおけないだろう。実際、可愛らしい彼女にショートヘアはよく似合っていた。女の子のわたしでさえ、ちょっと見とれてしまったぐらいだ。だから、女の子を褒めることが得意(と自負している)な彼なら尚更、ベタ褒めしたっておかしくない。でも、でもさ。ずいぶんと楽しそうに、きらっきらした笑顔見せちゃってさ。バッカじゃないの。あんたなんて猫桜さんからしたら大勢の男のうちの一人にしか過ぎないんだから!思わずシャーペンをへし折りたい衝動に駆られるけれどぐっと堪えて授業の予習をする。
しかし、作業に集中しようと思っても、向こうから聞こえてくる彼と彼女の笑い声が気になって、どうにも進まない。なによ。わたしがついこの間髪の毛切った時、「失恋でもしたんか?」とかアホみたいなことしか聞いてこなかったくせに。あーもういらいらする。
「#name1#、何イライラしてんの」
となりの席から声が聞こえた。いらいらしていて蘭たんが既に登校してきたことに全く気付いていなかった。「#name1#さ〜ん?何?生理?」とりあえず持っていたノートで殴っておいた。
「ねえ、蘭たん」
「いってぇ……なに?」
「わたし、ショートヘア似合ってない?」
「え、別に普通」
「普通……」
それ以上の答えが返ってくるとは思っていなかったけれど、向こうから「可愛い」って言葉がたくさん聞こえてきて、お腹のあたりがちくちくするような感覚に襲われる。かわいい。その言葉は自分にはとても不釣り合いのように思えた。だってさ、こんなに内側に黒い気持ちを抱えているわたしが、「可愛い」なんてそんなの、おかしいもん。
「……すぎるって猫桜さんのこと好きなのかな」
「は?」
思わず、ぽろっと口から言葉が出ていた。蘭たんとすぎるは長い付き合いらしいし、そういう話だって少しはしているだろう。
「お前、それまじで言ってるん?」
「なにが」
「すぎるが猫桜さんのこと好きだって」
「うん。だって今もめっちゃ褒めてるし」
ぷ、と蘭たんが吹き出した。は、え、なんなの。わたしものっすごい真面目に聞いてるんですけど?!
「何笑ってんの」
「いやぁ、すぎる……哀れだな〜」
何がそんなに楽しいのか、蘭たんはくすくすと笑っている。それはわたしに対してなのか、すぎるに対してなのかは分からない。もしかしたら両方なのかもしれない。とりあえず分かったのは、わたしがものすごく馬鹿にされているということだけだった。
○
「#name1#、一緒にか〜えろっ」
「やだ」
「な!? なんでや?!」
「むかつくから」
「えぇ……?」
放課後、帰りのHRが終わってわたしが教室から出ようとすると、何も知らない脳内お花畑男がわたしに声を掛けてきた。もやもやするわたしに反して、彼は随分と楽しそうだ。わたしはそんな彼を置いてすたすたと先に歩いていく。けれど後ろから「待ってや#name1#!」と、すぎるはしつこく追いかけてくる。
「俺なんかしたんか」
「別に何もされてませんけど」
「……嘘や。絶対なんかあったやろ」
「何もないってば」
そんな言い合いをしているうちに、校舎を出てしまった。これでは結局二人で帰っている状況になってしまう。ああもう!すぎるが声を掛けてくるたびに、朝のもやもやした気持ちが蘇ってくる。わたしの中が、嫉妬でいっぱいになってしまう。猫桜さんが好きなら猫桜さんに声でもかけて一緒に帰ればいーでしょ!そう思って今度は走って彼から逃げる。
「#name1#! どこ行くん!」
「トッ、トイレ! トイレ行きたくなったの! だから一人で先帰って!」
「そんなら俺も一緒に行くって!!」
「何言ってんの変態!!」
はあ、はあ。息を切らせて走るけれど、だめだ。大声を出してしまったせいで、酸素が足りていない。次第にどんどんスピードが緩む。後ろから腕を掴まれる。どきりとした。からだが熱いのは全力で走ったからなのか、それとも。
「つかまえた」
「……はなして」
「嫌や。何で怒ってるか、理由聞くまで離さへん」
すぎるがこんなに真面目な声を出しているのは初めてかもしれない、と、頭の片隅でそんなことを考えた。掴まれた腕の力は強く、顔を上げると彼がまっすぐにこちらを見ていた。慌てて視線を反らす。むかつく、なんて今まで何度も言ったことがある。それでも、先ほどの「むかつくから」というわたしの言葉が、いつもとは違うものを含んでいるってことを、すぎるは分かっているんだ。いつもは鈍いくせに、肝心なところで鋭いの、ずるい。ああもういいや、どうにでもなってしまえ。
「かわいーよね、猫桜さん」
「え?」
「ショートヘア、すごい似合ってたし」
なんて、そんなことを言ったら返ってくる反応は目に見えている。わかっているのに。案の定、すぎるは何が何だかわからないという顔をしながら、「似合ってる」の部分に対しては、「あぁ、それはまあ、そうやったけど……」なんてあっさりと肯定をし、尚且つその言葉を噛みしめている。そんな彼の態度に自分の中の、押されてはいけないスイッチが、カチリと音を立てて押された気がした。ついでにぷつんと糸のようなものが切れる音もした。
「じゃあわたしなんかに構ってないで猫桜さんと一緒に帰ればいいじゃん!!」
「えっなんでそうなんの」
「うるさい!! 離してよっ、わたしのことなんか好きじゃないくせに!!」
腕を思いっきり振ると、彼は力を抜いていたのか、あっさりとその拘束は解くことができた。だけど、一度あふれ出した言葉は、止まりそうになかった。
「わたしが髪切った時は、可愛いなんて言ってくれなかったっ……!」
しまいには涙まで出てきた。あーもうヤダ。馬鹿みたい。すっごい馬鹿みたい。わたしはガキか。自分の精神の未熟さが恥ずかしい。ううう、と情けない声が喉から出てくる。自由になった両腕で、彼の身体を叩くけれど、うまく力が入らない。これじゃあまるで、小さい子どもが親に駄々をこねているみたいだ。馬鹿、すぎるの馬鹿、ともう一度彼の身体を叩こうと腕を振り上げたとき、それを静止するかのように抱き締められる。胸元に顔が埋もれて、何が起きているのかよく見えない。
「なんか色々勘違いしてるってことは分かったわ」
「な、……なに、が、」
「俺、女の子に対して可愛いって思ったらすぐ言ってしまうんよ。正直者やから」
「しってる」
「でも#name1#に対してだけは、別やねん」
抱き締める腕の力が強くなるのを感じた。
「だって、俺、#name1#のことはいつでも可愛いって思っとるから」
「……は」
「だから思うたびに言えって言われたら、ずーっと言い続けることになっちゃうんよな」
「え」
「#name1#、かわいい」
「な、は、ちょ」
「かわいい、め〜っちゃかわいい」
「やめ」
「やきもち妬いてくれたんやろ、めっちゃかわいいわそういうとこ」
「も、もういいから!!」
「──とまぁこんな具合や。うっとーしいやろ、こんなん」
よりによって抱き締められている状態で、耳元でそんなことばかり言われたら、羞恥心でどうにかなってしまいそうだ。腕の中で暴れまわるわたしを見てやめてくれたのはいいものの、無理だ。こんなの耐えられない。顔が熱い。でも、分かってしまった。今朝、蘭たんが意味ありげに笑っていた理由も、目の前にいる彼の気持ちも、自分の中にあった強い想いの正体も、全部。
抱き締められていた腕が解かれ、身体が自由になったので、いそいそと彼から離れる。恥ずかしくて顔が上げられない。何も言えないまま固まっていると、ゆっくり上から影が近づいてきて、そのまま頬に何かの感触があたる。いや、何かの、っていうか、どう考えてもこれ、くちび、
「やっぱり、かわええな」
、ああもう、やっぱりずるい。こいつ。
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