※ラジオネタ
こつん。何かがつま先にぶつかった感触で、わたしは立ち止まる。見ると、ぶつかったものの正体がサッカーボールであることが分かった。恐らくこのお店の売り物だ。子どもが遊んで転がしているのかなあ、と思って拾い上げた時、「すんません!」と声がした。男の人の声だ。顔を上げると、その声の主とばっちり視線が重なった。するとその男の人は、不思議なことに少し驚いた顔をした。
「……? あの」
わたしはこの人のことを知らない。完全に初対面だ。けれどその男の人は、目を細めてじいっとこちらを凝視してくるものだから、わたしは縮こまってしまう。
「……もしかして、蘭たんの彼女さん、ですか?」
「えっ!?」
目の前の男の人から、唐突に聞きなれた名前が出てきて今度はわたしが驚く番だった。その問いに対する答えは紛れもなくイエスなのだけれど。けれど、なぜ、わたしがあなたのことを知らないのにあなたはわたしのことを知っているんだ。
「あっ、す、すんませんいきなり!俺、蘭たんの友達のすぎるって言います」
「すぎる、さん……?」
どうしよう。そんな名前、蘭たんの口から一度も聞いたことがない。普段から友人の話はお互いある程度はしているはずなのに。いや、でもこの人が嘘を吐いているようにも見えないし、う、ううん。
「もしかして……蘭たんから、何も聞いてへんの? 俺のこと」
「あ、え、えーと」
「そうか、……そうなんやな……」
あ、あれ。なんかすっごく落ち込んでいるような気がする。もしかしたら、知っているフリをしておいたほうがよかったのだろうか。でも本当のことだし。「今日、蘭たんと一緒に来てるんやけど」すぎるさんは俯いたままぼそぼそと喋り始めた。
「俺、サッカー部だったんよ。そんでリフティング蘭たんに見せようと思ってたのに、今日に限って全然うまくいかへんし、蘭たんは気付いたらいなくなってるし、挙句の果てには彼女に名前すら紹介されてないって…ヘコむやろ、そんなん」
ボールをいじりながら、あからさまに落ち込んだ様子のすぎるさんに、わたしは心の中で思わず突っ込みを入れてしまった。あんたは蘭たんの彼女か。構ってもらいたがる彼女か。友達に紹介してもらえなくて複雑な気持ちの彼女か!と。いや彼女はわたしなんだけど。どうやらすぎるさんは、わたしに負けないぐらい蘭たんのことが好きなようだ。そんな言い方をしたら誤解を生んでしまうかもしれないけれど。何にせよ、そんなことで本気で落ち込む目の前の男の人が、なんだかちょっぴり可愛く見えてしまって、ふふっと笑い声が漏れてしまう。
「ちょっと」
あ、この声。振り返ると、予想通りの姿がそこにあった。
「蘭たん」
「何やってんの。てか、なんでいるの」
「ちょっとお買い物」
「……そうじゃなくて、」
蘭たんははあっとため息をついて、いかにも面倒くさそうにすぎるさんのほうへ視線を向けた。なぜよりにもよって今日ここへ来て、おまけに自分の友人と接触してしまったんだ、とでも言いたげだ。
「ちょっと! 蘭たん!! なんで俺のこと紹介してくれへんの!?」
すぎるさんは蘭たんに涙目で掴みかかる。うるさいなあ、と蘭たんはため息をつく。カップルか、あんたらは。またツッコミを入れそうになってしまう。カップルなのはわたしなんだってば、もう!
必死になって問い詰めるすぎるさんも、今のこのシチュエーションも、なんだか何もかもが可笑しくて、わたしは吹き出してしまう。わたしが突然笑い出したことに驚いたのか、すぎるさんは口をつぐんだ。次の瞬間、強く手を引かれて、わたしはバランスを崩しそうになる。蘭たんはわたしの腕を掴んだまま、「じゃあ」とだけ残しお店の出口へと向かっていく。すぎるさんが何かを言っていた気がするが、流されるままにお店の外に出てしまったので、その声はもうほとんど聞こえない。
「ら、蘭たん、いいの? 一緒に買い物してたんじゃないの?」
「いいよ。もう用事終わってるし」
「で、でもなんか……」
ちょっと、かわいそうだったような。小声でわたしがそうつぶやくと、蘭たんはこちらを見ずに「何が?」とわたしに問う。いや、わかるでしょ!?
「私にすぎるさんのこと、何も紹介してくれてなかったでしょ?」
「……ああ」
「めちゃくちゃ落ち込んでたよ、すぎるさん」
それはもう、ものすごく。彼の姿を思い出してわたしは思わずまた笑ってしまう。
「すぎるさん、あんなに面白い人なのに。なんで紹介してくれなかったの?」
「お前が仲良くなると思ったから」
「へ」
「お前、面白い人好きじゃん」
呆れるような視線を向けられた。そりゃあ、面白い人は好きだ。でも、だからって、なんで。なんてそんな恍けたことは言わない。ポーカーフェイスで感情があまり見えない彼だけれど、なんとなくわかる。いつもより少し低めの声色。歩く速度もほんの少し速くなっている。眉間に寄った皺。離れないように掴まれた腕。導き出される答えは一つだった。
「蘭たん」
「なに」
「もしかしてやきもち?」
蘭たんはこちらを見ない。わたしを引っ張ったまま、黙り込んでしまう。
「大丈夫だよ、わたしは蘭たんがいちばん好きだから」
「……」
「蘭たん以外の人を好きになったりしな──いたっ」
わたしが言っている途中で、蘭たんは、走っていた車が赤信号で急ブレーキを踏むぐらい急に動きを止めた。そしてそのままわたしの顔の目の前に手を持ってきて、ぴんとおでこの前で指を弾いた。痛みでしゃがみ込むわたしを置いて、蘭たんはすたすた歩いて行ってしまう。慌てて追いかけようと立ち上がる。走るわたしを振り返って、
「はは、おでこ赤くなってる」
馬鹿じゃん。と、蘭たんは笑う。蘭たんだって、耳、赤くなってるくせにさ。
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