※少し注意



「しゅーさんって性欲ないのかなあ」
「ぶっ」

 わたしの放った一言に不意打ちをくらったのか、すぎるさんはげほげほとむせている。飲んでいたコーヒーが変なところに入ってしまったのだろう。ほんの少し罪悪感が湧いた。確かに突拍子もないことを言ってしまったし、社内の休憩室で話すようなことではないかもしれないけれど、幸い残っているのは今日はわたしたち二人だけだし、目を瞑っていただきたい。それに、言い出したのは唐突だけれど、今ちょうど思いついたとか、そういうことではないのだ。むしろ、ここ最近ずっと頭を占めているトピックと言ってもいい。

「……しゅーさんと、なんかあったん?」
「いや……なんにもないんです。びっくりするぐらいなんにもない。それが問題なんです」
「あぁ……」

 何かを察したように、すぎるさんはずずず、といたたまれなさそうにコーヒーを喉に流し込む。
 私の彼氏であるしゅーさんとは、付き合い始めてそろそろ三ヶ月になる。入社当時から仲がよく、二人で食事に行ったりすることも頻繁にあって、気付いたら恋に落ちていた。告白してくれたのはしゅーさんからだった。すごくすごく嬉しくて、わたしは二つ返事で付き合うことを決めた。しかし、恋人同士になってからも、なる前の関係とあまり変化していないような気がするのだ。別にいち早くそういう行為をしたいとか、そういう訳じゃないんだけれど。二十歳を超えた恋人同士が、未だにキスしかしたことないって、どうなんだろうか。

「しゅーさんって、すぎるさんとか、蘭たんさんはっちさんとかと一緒にいる時は、かなり下ネタ言うタイプなんですよね?」
「あー……いや……まあ確かに?」
「蘭たんさんが言ってました」
「(蘭たん余計なことを……)」
「それを売りにしてるって言ってましたし」
「どういうことやねん」
「それはさておき、ですよ! そういう知識はあるわけじゃないですか。それなりに女性経験だってあると思うし。なのにですよ? まったく手を出してこないって、もはやそれ、わたしのほうに問題があるんじゃ……とか思ってしまって」

 そう。問題はそこなのだ。健全な男性なら、そういう欲求がない、というのは考えにくい。だとしたらしゅーさんは私に対してだけ、そういうことをしたい、という気持ちがわかないのではないだろうか。わたし、胸おっきくないし。いやそれは関係ないとしても、何かしらわたしの女性的魅力が欠けているからとか、そういうことかもしれない。

「それはないと思うんやけどなあ」
「そうですかね……」
「うん。だってしゅーさん、明らかに#name1#ちゃんにベタボレやし」
「ええ?」
「間違いないよ。俺の目を信じるんや」
「あんまりアテにならないんですが」
「なんやと!?」

 だってすぎるさん、恋愛においては何度も失敗を繰り返していらっしゃるっぽいですし……。なんてことを言ったらより怒られそうなので、「冗談ですよ」と誤魔化しておく。

「ん〜、まあ、あれやな。しゅーさんもしゅーさんで悩んでるんやないかな」
「悩む……?」
「男は悩むもんなんよ。どー手を出していいかわからへんもん。それが好きな子だったら尚更や」
「……なるほど」

 そういうもの、なのか。それが原因だったら今のわたしの悩みはただの杞憂で終わるわけだけれど。ずずず、とコーヒーを流し込む。少し苦い。どうしてもマイナスなほうに思考がいってしまって嫌になる。「だから、解決策としては、」暫し黙っていたすぎるさんが、唐突に口を開く。

「思い切って#name1#ちゃんから誘ってみたらええんちゃう?」
「ぶっ」

 今度はわたしがコーヒーを詰まらせる番だった。





 心臓が破裂しそうだ。
 そもそも、誘い方なんてわたしにわかるわけがない。少女漫画やテレビドラマで得たお決まりのものしか知らないし、それがしゅーさんに通用するのかもわからない。ただ、このまま悩んでいるよりはマシだと思ったのだ。
 金曜日、仕事後、しゅーさんの家にお泊り。これ以上のチャンスはないと思った。シャワーを止めて、バスルームのドアを開ける。髪をよく拭いて、身体にバスタオル一枚を包み、寝室で待っているであろうしゅーさんの元へ向かう。ドアの前で立ち止まって深呼吸する。あー、もう、どうにでもなってしまえ!

「……#name1#?」

 羞恥心で、しゅーさんの顔を直視できない。明らかに戸惑っている声色だ。どうしよう、でも今さら引き下がることなんてできない。わたしは何も言わないまま、ゆっくり顔を上げ、しゅーさんを見つめる。頼む、何か言ってくれ。いい雰囲気になってくれ。これ以上は、さすがに、無理だ……!

「#name1#、もしかして」
「……っ」
「着替え、持ってくるの忘れたの?」

 ……は?
 思わずそう言いたいのをぐっと堪える。

「そのままだと風邪引くよ。ほら、これ着て」

 立ち上がったしゅーさんは、クローゼットから自身のTシャツとズボンを取り出し、それをわたしに手渡した。
 何これ。どういうこと。
 予想していた展開とは180度違う方向に行ってしまって、困惑する。そしてみるみる湧き上がってくるのは羞恥心だ。わたしなりの精一杯の「お誘い」は、しゅーさんに通用しなかった。それどころか、気遣いまでされている。恥ずかしい。やっぱり、そういうことを考えていたのは、わたしだけだったんだ。しゅーさんが鈍いとか、そういうことじゃない。多分、しゅーさんの頭の中には、ないのだ。わたしとそういうことをする、という思考回路が。考えるのと同時に、じわじわと目頭が熱くなる。しまいには、ぽた、と涙が頬を伝い始めた。

「え、な、#name1#?」
「……わたしって、そんなに魅力ない、かな」
「……え」
「そりゃね、付き合う前から仲良かったし、そんなに何かが劇的に変わるわけじゃないってわかってるけど」
「ちょ、」
「でも、やっぱり不安に、なるよ」
「え、」
「しゅーさんは、わたしのことほんとに好きなのかなって」

 本当はわかっているのだ。こうやって家に泊まらせてくれたり、何気ないラインを飛ばしてくれたり。そういう日常の何気ないことを共有できるだけで、それは好きってことなんだと思うし、付き合っている証だって。でも、やっぱり、わたしは触れ合いたいのだ。愛されているという、確信が欲しいのだ。こんなよくばりな女、しゅーさんに嫌われたって仕方がないかもしれない。ぽたぽたと、わたしの涙がカーペットに落ちていく。

「ごめん、しゅーさん、ごめんなさい」
「待って、ちょっと待って! ストップ」
「……ぅえ?」
「あの、ごめん。違ったらごめん。もしかして、今、……誘って、た?」

 慌てふためいていたしゅーさんが、おそるおそる、わたしに尋ねる。直球で聞かれるとなかなかクるものがあるけれど、今更恥ずかしがっている場合でもないなと思い、小さく頷く。しゅーさんはそれを見て、間髪入れず、わたしを抱き締めた。

「ごめん、ほんとにごめん。恥ずかしい思いさせて。正直、もしかしたらそうかもって一瞬思ったけど、いやでもそんなわけないよなって考え直したっていうかなんていうか」

 しゅーさんはつよくつよくわたしのことを抱き締めている。

「もしかして、今までずっと不安にさせてましたか」
「……ちょっと、だけ」
「あー……うわーー……マジか……」

 落ち込むのはわたしのほうな気がするのだけれど、しゅーさんのほうががっくりと項垂れ得しまっている。ごめん、としきりにあやまる彼の、わたしの身体を包むその腕の強さに、胸がきゅっと縮こまるような気がした。彼に触れられるのは、やっぱり幸福なことだ。だからもっと、触れあいたい。

「いや、そりゃ、したいとは思うけど、さ」

 正直か。そこまで言われるとさすがにこちらも照れくさい。ていうか、全然そんな素振り、見せなかったのに。

「でも、そういうことがしたいってだけで、付き合ってる訳じゃないし。そこをこう、勘違いされたら嫌やなーってのが、俺の中であって……」

 あとはまあ、その。しゅーさんはもごもごと口ごもる。何か言いにくいことなのだろうか。なあに、とわたしは彼を抱き締め返して、その先を尋ねる。

「一回したら、そっからどんどんセーブが利かなくなりそうだな、と」

 その台詞に、顔が熱くなる。うん、まあ、そうだよね。なんとなく予想はついていたけれど、わたしはそれでも構わない。「ごめん、どうしようもない男で」としゅーさんは再度わたしに謝った。もしかしたら、すぎるさんが言っていたことは本当だったのかもしれない。しゅーさんもわたしと同じように、いや、もしかしたらわたし以上に悩んでいたのかもしれない。

「わたしはしゅーさんのこと、好きだから。しゅーさんが望むことをできるだけしてあげたいなって思ってる」
「……ほんとにいいん?」
「うん」

 いいよ。と、わたしが答えるのを遮って、しゅーさんはぐっとこちらに体重をかける。その反動で、身体は倒れて、ふかふかのベッドに横たわった。そうやって、夜がはじまる。


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