タバコの匂いは嫌い。
あなたを思い出すから。

お酒の匂いも嫌い。
あなたへの想いが募るから。

そんな自分が嫌い、…嫌い。



「…んっ」


目が覚めた時、隣には知らない男がいた。


「おはよう」

「………」

「ちょっ、ちょっ!!」


にこやかに笑ってそう声をかけてきた男に私は冷めた視線を返すと、そのままベット脇に放ってあった下着を取り、手早く身につけた。


「いやっ!確かに君とは昨日初めて会ったわけだけどほらっ、すごく運命的な出会いだったろ?だから、」

「ワンナイトの相手を口説くだなんて自分の価値を下げるだけよ。やめた方がいいわ」


私が何の感情もない声でそう返すと、男は悔しそうに唇を噛んで押し黙った。

─── ほんと、バカみたい。

それは男に対してのものではなく、自分自身に対して吐き捨てたものだった。

それを男に悟られないよう、私は手早くまとめた荷物と共に出口へと向かう。


「でもまぁ、それなりに楽しかったわ。」


最後にもう一度だけ男の方を振り返り、心にもないそんな言葉と貼り付けたような笑みを返すと、私は部屋を後にした。


「っ…! 最悪。」


それは衣服に染み込んだタバコの匂い。

タバコを吸う男は嫌いだと、あれだけ何度も言っておいたのに!!

なのにあの男は行為後、私が眠りについてからその嘘を簡単に破り捨てただけでなく、あろうことか換気扇の下でもなく室内でタバコを吸ったのだ。
でなければこんなにも匂いが服に移る事はない。

それなのに口説こうとするだなんて───
ほんと、価値の低い男すぎて反吐が出そう。


「…まぁでも、そんな男であの人の代わりを埋めようとした私が一番、最低か」


タバコも酒も嫌いだと公言しておいて。そしてそれをしない男を探し求めてるのだと言いながらも私は、それに相反する心でその二つを普通の人以上に摂取する「あの人」の事を愛おしく思っていた。

…けれど、募る私の想いはいつまで経ってもあの人に届く事はなくて。

気が付けば毎夜毎晩知らない男と体を重ね、満たされない心の隙間を埋めるよう、一晩だけの関係を結んでいた。

朝日が昇れば、ひとたび目が覚めれば。
押し寄せるのは後悔と…自己嫌悪だけだというのに。

それが分かっていながらもズルズルとこんな生活を続ける私は誰がどう贔屓めに見ても憐れで、そしてどこまでも惨めだった。


「… 帰りたくないなぁ」


任務でもないのに朝帰り。

毎度の事ながらそんな自分を恨めしく思いつつ、私は肩を落としながらもホームである教団の扉に手をかけた。


「おはようございますなまえさん!」


私が教団内に入った瞬間、私の姿を目にした一人がそう声を掛けて敬礼する。


「おはよう」


だから私もそれに倣って返すと、相手は感極まったように頭を下げて立ち去っていった。

何故ならばそれは私が…

エクソシストだから。

エクソシストとはここ黒の教団に属するAKUMA退治を専門とする黒の聖職者(クラーヂマン)の事であり、ごく一部の者にのみ神の使徒として与えられた力を有する者の事を指す。

だが、聖職者だ神に選ばれた使徒だのが聞いて呆れる。他の人はまだしも、少なくとも私はそんな高尚な存在なんかじゃないし、それは今朝方の件一つをとってみても一目瞭然な事だと思った。

それでもこの“力”がなければ──

エクソシストという肩書きがなければ。

私はあの人と、クロスと出逢う事もなかった。


「あ!おかえりなさいなまえ!」

「…え? アレン?」


自嘲的な笑みを浮かべつつ私が自室へと向かっていると、その途中で白髪の青年によって声がけられ、私は驚いたように足を止めた。


「そんなに驚きます?久しぶりですね、なまえ」


私の反応に苦笑しつつ、声をかけてきたアレンはゆっくりと私の目の前までやってきた。


「実は上からの要請で、僕と師匠の両方ともどうしても教団に帰ってこないといけないらしくて、」


アレンのその言葉を聞き、私の心臓は大きく波打った。

アレンの師匠と言えば、思い当たるのは一人の人物しかいなかった。

クロス、が。…ここに。


「しかもこんな早朝に着いたって事で、師匠ってば早々にコムイさんに当たり散らしに行ったんですよ! まぁ、これ以上は僕も抑えられる自信がなかったので正直助かりましたけど」


アレンがそう続ける声も、もはや私の耳には届いてなかった。

あの人が…!
あの人が帰って来てるだなんて!!

きっと先ほど別の男と体を重ねた事さえなければ、私は嬉しさに顔中を綻ばせていた事だろう。

けれども男との行為後、すぐに眠りに落ちてしまったせいで私はまだお風呂に入れてなかった。

だから早く、早く入らないと!!


「俺の前で別の男の匂いか?いい度胸だ」

「! クロス!!」


時すでに遅し。
間に合わなかった。

私が今にもギギっと音がしそうな程の動作で首だけを後ろに振り向ければ、そこにはタバコの煙を燻らせながらこちらに歩み寄ってくるクロスの姿があった。

たとえタバコを吸っていても、いくら距離が開いていたとしても。

この男はそういった事には人一倍敏感で、そして鋭い。

でもおそらくそれは嫉妬だなんて可愛いものではなく、独占欲から来るものなのだろう事もわかってる。
恋人としての関係は持とうとしないくせに。ほんと、勝手な男。

それなのにそんな男の事を考え、別の男との情事後の匂いを消そうと焦る私も私だ。

だから、


「ク、ロス…にはっ! 関係ないでしょっ!!」

「ほぅ。暫く見ないうちに、俺がいなくても済むようになったか」

「…っ!」


正面から鋭くクロスを睨みつけたのに、それに全く怯む様子もないクロスはただ一言部屋で待ってるとだけ告げると、吸っていたタバコを私の唇に差し込み、何事もなかったかのようにそのまま通り過ぎて行った。


「え?! ちょっ、師匠?!!」

「オラ。さっさと歩け馬鹿弟子」


それに抗議の声を上げるアレンを容赦なく蹴り飛ばし、遠ざかって行くクロスの背中。


「なん、…で!」


動作も、口調も。
その全てが掛け値なしにカッコ良くて、

─── 好きで。


「クロスのっ…匂い」


それが一層強く染み付いたタバコ。

タバコなんて吸えないから、きっと煙を肺までいれる『正しい』吸い方なんて出来ない。

…それでも見よう見まね。

私は彼が私の唇に残していったそれを、肺ガンの危険云々の短さギリギリまで吸い込んだ。


「バカみたい…っ!!
バカみたいバカみたいバカみたいッ!!!」


嫌いになれたらどんなにいいか。
あんな男と笑い飛ばし、もっと幸せにしてくれるような相手と落ち着けたら、どんなに楽な事か。


「なんでっ、こんな…」


ポタポタと床に染みを作る涙。

まともに吸えてもいないタバコは嗚咽を漏らす私の唇から滑り落ち、床に落ちた涙によってジュッと鎮火する。


「クロスじゃなきゃ駄目なのよっ…!!」


振り払おうとしても、別の男との記憶で塗り替えようとしても。

…たった一瞬。ほんの少しの会話。

ただそれだけで心はこんなにも締め付けられるように痛み、今すぐにでもあの人の胸に飛び込んでしまいたくなって。


「クロス…!」


顔を覆い、くずおれる様にして硬い床に膝をついた。

お風呂に入ったら。
涙でよれた化粧を落としたら。

─── 私はきっと彼の部屋に行く。

酒とタバコの匂いが染み付いて取れないその部屋で、噎せ返るようなそれらに包まれながら何度も、何度も。

狂ったように体を重ね合わせ、求め合うんだ。

そんな自分が嫌い、…嫌い。

それなのに、


「クロスッ!!!!」


あなたにとって私はあなたを取り巻くその他大勢の女の中の一人なんだとしても、

いくらでも代わりの利く一人なのだとしても、



I need you


私にとって、それが務まるのはあなた一人だけだから。

2017.11.15 企画「いくじなし」 様提出.