「カラ松、おねがい」

俺は、なまえのこの言葉に弱い。
それがなにに繋がっていても、確実に叶えたいと思ってしまう。

「はい、これ」

そして今日の「おねがい」は俺にとっては手慣れたものだった。
受け取った若竹色のペディキュアを持って、ソファに深く腰掛けるなまえの前に跪く。すべすべで綺麗な足を慎重に持ち上げて、膝の上に乗せる。もちっとした脹脛を撫でて、可愛い膝小僧にキスをひとつ。マッサージをしながらやっと爪先に辿り着いて、桜貝みたいに可愛い爪にもそれぞれキス。指の間に舌を伸ばしたら、「それ、違うから」と怒られた。

「なぁ、なまえ」
「んー?」

世の中にはトゥーセパレーターというものがある、男の俺が知る数少ない女の子用の便利グッズだ。これの存在を知れたのも、ひとえになまえのお陰。
甘皮の処理もきちんとして、爪の油分をエタノールで拭き取る。まずはベースコート。
ちらりと見上げたなまえの顔は、跪いている俺からは雑誌に阻まれて見えなくなっていた。表紙には最強モテ技なんて煽り文字がでかでかと書かれている。

「なんで今日はこの色なんだ?」
「んー、そんな気分」
「緑は、チョロ松の色だろ」
「ふーん」
「確かになまえは何色だって似合うが、あまり他の男の色は使ってほしくない」
「へぇー」

片足のベースコートが乾くのを待ちながら、一度床に下ろした足と反対の足を膝の上へ誘って、同じようにマッサージからスタートする。両足のベースコートが乾くまでは、俺に与えられた短い自由時間だ。
今日のなまえはデニム地のワンピーススタイルで、スカートの中にはちゃっかりショートパンツなんかを穿いている。跪く俺から、真っ白な花園が見えないことは非常に残念なことではあるが、ショートパンツから伸びる素肌の太ももがソファに乗って楕円に潰れる様もなかなか扇情的だ。程よい肉つき、触ると意外と筋肉があって、柔らかいのに中は少し硬い。太もも同士の隙間に手を差し込んで、下から上に揉むように撫で上げる。手のひらや手の甲全体にしっとりとまとわりつく肉感と体温。うん、至福である。

「ちょっと」
「ん?」
「乾いた?」
「ん」

残念。言葉少なに受けた催促に促されるまま、片足を膝に乗せてペディキュアを手に取る。

「なぁ、やっぱりこの色はやめないか?」
「だめ」
「だって、今日はデニムだろ?それなら空色の方が合うんじゃないか?」
「明日はレモンイエローのパンツ穿くからその色でいいの。デニムにだって合うでしょ」
「なんで明日はレモンイエローなんだ」

俺となまえの間に居座っていた雑誌の横から、伺うようになまえが顔を出す。眉間に皺を寄せて、口はへの字だ。そんな顔も最高に可愛いのだから、なまえは本当に神様に愛されている。

「明日は、十四松と草野球観戦なの」
「オレも行く」
「来なくていいよ」
「なぜだ」
「野球下手くそじゃん」
「下手でも観ることは出来るだろ」

もう、なんて愛らしいため息。なまえは雑誌をソファに置いて、そのままゆっくりと艶めかしく足を組んだ。俺の右頬を彼女の左足の甲が撫で上げる。

「わがまま言わないで」

ね?なんて小首を傾げてコケティッシュに微笑むなまえはずるい。

「ほら、カラ松、おねがい」

頬を撫でていた足は、俺の膝の上。俺の大好きな声色で紡がれる「おねがい」を叶えるため、若竹色の蓋を開けた。

「ふふ、ムスッとしてる」
「…べつに」
「への字口してるとチョロ松みたい」

すぐに口角を上げた。なまえを見ると、頬杖をついて俺を見下ろしている。愉快そうに結ばれた唇は、お手本のように緩やかなカーブをえがいていて、頬の柔らかな肉を持ち上げていた。どうしてそんなに可愛いんだ、ハニー。

慣れた手つきで塗り終えたペディキュア。なまえの足先を彩る若竹色はやはり気に食わなくて、自然と眉間に力が入る。なまえはと言えば、まだ乾かないペディキュアを眺めてご満悦。今日も綺麗な仕上がりだ。

「ありがと」

なまえの「おねがい」を叶えると必ず貰えるこの笑顔と言葉が、俺を最高に満たしてくれる。でもいつもこれだけじゃ物足りない。なまえに言わせれば俺は「欲しがりさん」なのだそうだ。なんだそれ、最高に興奮する。

「なまえ」

ソファの背もたれに両手をついて、なまえを閉じ込める。彼女のお尻の横に膝をつくと、ソファのスプリングがぎしりと鳴いた。
傍から見れば形勢逆転、そう思うだろう?でも実際はそうじゃない。

「カラ松、ここあなた達の部屋だけど?」
「分かってる」

ぎしり、もう一度スプリングを軋ませて、ソファに乗り上げる。彼女の膝に座っているようにも見えるだろうが、体重なんか絶対に掛けない。なまえに負担なんか掛けられるはずがない。

「ペディキュア、綺麗に塗れたろ?」
「うん、ありがとう、あとは綺麗に乾かすだけね」
「色のことだって我慢した」
「今も嫌そうな顔してるくせに」
「ハニーの“おねがい”は絶対だろ?」
「ふふ、ありがと」

だから、分かるだろ。な?俺の欲しいもの分かってるんだろう。

「ちゃんと言って、カラ松」
「……なまえ、」
「ちゃんと聞きたいの、ね、おねがい」

君は本当にずるい小悪魔ちゃんだ。まさにスウィートデビル。言葉も体もどこもかしこも甘くてとろけそうなのに、ピリリとしたスパイスも忘れない。たまにスパイスが多すぎるときもあるけれど。

「…御褒美が欲しい」
「ん、なにがいいの?」
「……ぜんぶ」
「それはだめ、誰か帰ってきたらどうするの?」
「いいだろ、あいつらだってそろそろ気を使ってくれてもいい頃だ」
「知らないのに、気なんか使えないでしょ」

そう、なまえと俺の関係を兄弟たちは知らない。というのも、なまえがあいつらに隠すと決めているからだ。曰く、そのほうがドキドキするのだそうだ。俺にその気持ちは分からないし、兄弟どころか世界中の人たちにだって二人の関係を知らしめたいくらいだ。なまえは俺のものだといくら叫んだって足りないくらいだが、なまえが隠すと決めたのだから、イコールそれが俺の決定でもあるのだ。

無言のまま、なまえの頭に顔を寄せて、綺麗な髪に頬を擦り寄せる。そのまま頬まで下って、可愛い鼻に自分の鼻を合わせてすりすり。ふふ、とくすぐったそうに微笑む表情が目の前。なんて幸せなんだ。
そのまま唇同士も合わせようとしたら、ふにっとしなやかな指で止められた。なんで、と目で訴えると、軽く睨まれる。

「ちゃんと言って」
「…キス、したい」
「ふふ、ん、いいよ」

思ったより簡単にお許しが出た。待ってましたと唇を合わせると、グロスでベタついた唇では本来の甘さが香料の味に遮られていた。一度唇を離して、自分の口についたグロスを舐めとる。次に、目の前でキラキラと光って俺を誘うぷっくりとした唇に舌を這わせた。

「ん、」

グロスでキラキラ輝く唇は綺麗だ、可愛い。しかし、キスをするのにこの香料の味や油っぽさは邪魔でしかない。本来のなまえのとろけるような甘さを俺は味わいたいのだ。
一番良いのは、お風呂あがりにするキスだろうか。ほんのりと火照って、湿り気も最高、どんなドルチェも敵わないくらい甘くて美味い。あまりに夢中になりすぎて、いつか本当に食べてしまわないか心配になるくらいだ。

グロスを舐めとったら、再度唇を合わせる。俺の唾液で濡れた唇は、柔らかくて甘くて、俺の唇となまえの唇は二枚しかないパズルのピースみたいだ。驚くほどぴったりとハマるのだ。まさにこれが運命ってやつ、俺たち二人は前世から繋がるデスティニーオブLOVEによって巡り合った彦星と織姫、ロミオとジュリエット、アンドレとオスカル!無論、俺たちの未来は悲恋では有り得ないがな。

唇の隙間を舌でなぞると、なまえはぱくりと俺の舌を柔らかな唇で食む。目を見ると、下瞼がくっとアーチ状に上がっていて、彼女が楽しんでいるのが分かった。俺も負けじと微笑んで、なまえの口内を無遠慮にまさぐっていく。「カラ松の舌は肉厚で好き」とは勿論なまえの言葉だ。俺はその「好き」に全力で答えなければいけないという使命感で、彼女の可愛くて甘い舌を味わうのだ。

「ふ、っ、んん、」

ちゅ、ちゅ、
わざと音をたてて舌を吸い上げて、上顎や歯肉を撫でまわすと、なまえの閉じられた瞼がぴくりぴくりと反応を示してくれる。それが嬉しくて、どうやればもっと気持ちよくなってくれるのかを考えてしまう。俺は研究熱心なほうだから、キスをするたびなまえの表情が甘くなっていくのを実感している。それは最高の幸福だ。
ゆっくりとろとろと懐柔されていくなまえを、こんなにも間近で観察出来るのは俺だけの特権だ。誰にも譲れないし、そんなことを考えただけでも虫唾が走る。

「は、からまつ、」

息継ぎと一緒に紡がれた声は、俺の腰に直下型の大打撃を与えてきた。無意識なのか、なまえは俺の腰を下から上にゆっくりと撫で上げてくる。それはいつもなまえが快楽を感じているときにする癖のようなものだ。
まったく、自分でダメだと言っておきながら、最大限に煽ってくるこの小悪魔ちゃんをどうしたものか。きっとこのまま事に及ぼうとすれば怒られるだろう。けれど、元気になってしまった俺のオレのことも少しは考えてほしいものだ。
ぐるぐると考えながらキスを続けていると、とんとんと優しく両肩を叩かれた。仕方なく、ゆっくりと体を離す。
互いの唾液でてらてらと光る唇に、とろんとした眼差し、上気してほんのりと色づいた美味しそうな頬。こんな表情をしておいて、これでおしまいだと言うのだから、マイハニーは本当に残酷だ。

「さっき、物音したから…」
「そうか?」

本当は俺にも聞こえていた。きっと兄弟の誰かが帰って来たのだろう。静かだから一松かチョロ松辺りのはずだ。

「ほら、カラ松、降りて」
「…もう少しいいだろ」
「だーめ、ほら」

鼻をちょんと指先でつつかれて、渋々俺はソファを降りた。なまえの足の横の床に座り込んで、膝を抱える。胡座をかいたらズボンの膨らみがバレてしまうからだ。なまえにバレる分には一向に構わないのだが、それが他の兄弟にバレて、なまえにそれを気付かれるのはまずい。俺たちの関係については、なまえが良いと言うまでは秘密にしないといけないのだ。

がら、と襖が開いて顔を出したのはチョロ松だった。

「あれ、なまえちゃんカラ松と居たの?」

嬉しげに弾んだ声に、だらしなく緩んだ笑顔。分かりやすいほどデレついたチョロ松の顔を見ないように、俺は窓の外に視線を投げた。

「おかえり、チョロ松」
「えへへ、ただいま、なまえちゃん」
「みんな居ないから、カラ松とお喋りしてたんだー」
「そうなの?え、なに話すのカラ松と」
「フッ、ブラザー…オレたちは永遠の「いいからそういうの」えっ」

サングラスを掛けながらチョロ松を見れば、なまえに向けるのとはまったく逆の目を俺に向けていた。同じでも困るが、天と地ほど差がある対応には少しばかりムッとしてしまう。勿論、なまえへの対応にムッとしている。
暗く色づいたガラス一枚隔てたことで、少しだけ平静に兄弟を見ることが出来た。なまえと二人きりで過ごしていたハピネスアワーでユートピアなタイムを邪魔したことや、なまえに雄の目を向けていること自体には腸がぐつぐつと煮えくり返っているが、どうにか溢れ出る嫉妬心を抑えていられるのはこの漆黒のヴェールが俺の目を覆ってくれているお陰だろう。

「あ、見て見てチョロ松。このペディキュア、チョロ松カラーなんだよ」

えへへ、なんて外向きの笑顔を浮かべて、なまえは先程俺が塗った足先をパタパタと揺らして見せた。もう乾いているのか、トゥーセパレーターを外して、もう一度チョロ松に視線を投げている。

「え!え、う、あ、嬉しいな…」

最大限デレっと鼻の下を伸ばして、表情もなにもかもとろけさせて、チョロ松はなまえの足先を眺めて頭を掻いたり体をくねらせたりと忙しない。
ペディキュアがなにかも知らないくせに。というか、それを俺が塗ったのだと言うこともこいつは知らない。

(女の爪の色なんか知るか、ケツ毛燃えるわと喚いていたのはいったいどこのどいつだ)

チョロ松の反応に満足したのか、なまえは嬉しそうに笑う。けれど、再度手に取った雑誌にすぐさま彼女の興味は流れてしまったようだ。
チョロ松は変わらずデレデレしながら、俺とは反対側のなまえの足の横に座り込む。なまえの生足をガン見して生唾を呑んでいるひとつ下の弟に、ギリッと奥歯が鳴った。殺したい。

「……!」

ふわり、後頭部を撫でられた感触がしてバッと振り仰ぐ。雑誌に向けていた視線を、一瞬だけこちらに寄越して、にやりと効果音がつきそうな愛くるしい笑みを見せたなまえ。
ああ、俺は一生彼女には敵わない。

きっと明日、草野球観戦を終えたなまえは、十四松に振り回されたとか歩き疲れただとか理由をつけて、俺に素肌の両足を投げ出して言うのだ。

「カラ松、おねがい」

俺は喜んで彼女の「おねがい」を叶えようと全力を尽くすのだろう。
そうしたら今度こそ、最後まで御褒美を貰おうじゃないか。


マイスウィートデビル
君はぼくらを翻弄する
(2016.07.04)


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