ある日の正午過ぎ、玄関を開けると彼氏の生首が私を見上げていた。

「よっす!なまえちゃん!」
「……よっす、十四松…?」

驚くなかれ、比喩ではないのだ。本当に、私の足元に彼氏である十四松の頭部だけがごろりと転がっている。
普通はきっと悲鳴をあげる場面に違いない。でも、彼は死んでいるわけでもなく、まして血が出ているわけでもない、ケロッと元気ないつもの笑顔で私を見上げているのだ。まず最初に頭に浮かんだのは、スカートじゃなくて良かったなということだった。

「…え、なにしてんの十四松」
「遊びに来た!」

十四松という男は、頭一つになっても十四松だ。なんでもない顔をして、普段となんら変わらず遊びに来たと言う。いつもの落ち着きない様子もそのままに、コロリコロリと頭だけで忙しなく彼のありのままの感情を表現する様は、まさに十四松。怖いくらいに彼は十四松でしかなかった。

「とりあえず、近所の人に見られたら困るから入って」
「オッス!お邪魔します!」

十四松は十四松という種類の人間だが、とても礼儀正しい。それが十四松なのだから、体が無くなっても十四松は礼儀正しかった。
ころりと転がって室内に入る十四松を見下ろして、ここまでこうやって転がりながらやって来たのだろうかと想像する。そしてその想像はそのままその通りなのだと思うと、警察に通報されていたりしないのかと首を傾げたくなった。生首滑走事件なんて、冗談みたいなことになっていなきゃ良いけれど。

「なまえちゃん、なまえちゃん。ぼく、お腹空いた!」
「ああ、なんか食べ…れるの?」
「食べれるよ!」

快活に言い切った彼だが、見るからに彼にはお腹そのものが無かった。無いものが減るのだろうか。なんだかとても哲学的な話に思えて、私はかぶりを振った。
本人が空いていると言うのだから空いているのだろう。本人が食べられるというのだから、食事だって出来るのだろう。深く考えてはいけない、なんせ相手は十四松なのだ。

「昨日作ったロールキャベツが余ってるよ。それと食パンでも焼こうか?」
「うん!あ、でもなまえちゃんに食べさせてほしいな」

もとより手が無い彼に、皿だけ出すつもりはなかった。一応これでも自分の彼氏だ。食事を食べさせるくらいのこと、なんてことはない恋人同士の風景だ。生首に食事を与えるのは、人類史上初めてかもしれないけれど。

私が昨日の余りを温めて、食パンを焼いている間、十四松は私の足元で猫のようにコロコロとじゃれついていた。踏まないように気をつけて歩く私に、十四松は時折嬉しそうな声で、えへへと笑う。こちらが気を遣っていることが嬉しいらしい。彼氏の頭を蹴ったり踏んだりする趣味は無いのだから、特別なことをしているつもりはなかったのだけど、十四松が喜んでいるのならそれはそれで良かったと思う。

「はい、出来たよ」
「やったー!超良い匂い!!」
「十四松、持ち上げるよ?良い?」
「バッチコイ!!」

床に転がる十四松の頭を両手でもって持ち上げる。人間の頭部は意外に重いというけれど、まさに。
見た目よりある重量感を感じながら、十四松の頭をテーブルの上に置く。クッションとか気を遣ったほうが良かっただろうかと一瞬頭を過ぎったけれど、あれだけフローリングの上をごろごろ転がっていたのだから、今更心配することでもないかと思い至った。

彼氏の頭が食卓の上。ロールキャベツと食パン、デザートに用意した梨と一緒に並んでいる。トリックアートか、でなきゃサイコパスの食卓の様相に、私は今一度現実に目を凝らした。どう見たって、十四松は頭一つだ。もしや私の頭がおかしくなって、十四松の頭しか見えなくなってしまったのだろうか。

「ねぇ十四松、あなた今頭しか無いように見えるんだけど」
「うん!頭しか無いよ!」

どうやら見間違いや勘違い、はたまた私の脳みそのせいではないようだ。安心半分に息をつく。
まぁいいか、相手は十四松だ。考えたってきっと答えは出ない。私は諦めて、彼に食事を与えることにした。
まるで雛鳥に餌をやるような感覚で、小さくしたロールキャベツや食パンを何度も十四松の大きな口に運ぶ。十四松はパクパクとその全てを飲み込んで、二度のお代わりまでペロリと飲み込んでしまった。飲み込んだあとの物はどこに消えるのか、じっくり観察してみたけれど、その答えは終ぞ出ることはなかった。今、私の目の前に四次元空間が存在しているとしか思えない。いや、頭部一つしかない十四松が満足げにニパニパ笑っているだけでも怪奇現象だ。

「いやぁーやっぱなまえちゃんの料理最高っす!うんまーい!」
「お粗末さまでした」
「ぼく、なまえちゃんのご飯大好き!なまえちゃんのご飯ならお腹はち切れるまで食べられるよ!」

今は、そのお腹が見当たらないのだけど。

「ところで、十四松」
「ん?なーに?」
「聞いてもいいか分からないんだけど、このままでも困るから一応聞くね。なんで頭しか無いの?」
「あー…」

目を糸のように細めて大口を開け、十四松はついに聞かれちゃったかーとでも言うような表情を作る。むしろ、ここまで冷静に相手をし続けた私に十四松は疑問を持つべきだと思う。

「うんとね、最初は足の指だったんだ」

脈絡無く、十四松はそう言った。私は言葉の意味を理解出来ず眉を顰めるけれど、十四松は気にせず、私の疑問に最初から答えようとしてくれているようだった。

「なまえちゃんも経験無いかな?お風呂でね、足の指の間を洗ってるとき、あれ?一本足りないなって思うの」
「数え間違うの?」
「ううん、指は五本なんだけど、でもね、指の間を順にタオルで洗うでしょ?そうしたら、ぼくは途中で指の間を洗えてない気になる。指は五本だから、指の間は四つだけど、ぼくは五つ目を洗いたいのに洗えなくてモヤモヤするんだ」
「…うーん…、経験無いかな…」
「ほんと?ぼくは、それがよくあるんだ。洗えない五つ目の指の間がむず痒くて凄く洗いたくなる。六本目の指があるのに無いんだ。トド松に僕の指何本?って聞いても、五本だよって言われちゃう」
「うん、まぁ、私にも十四松の指は全部五本ずつに見えたよ(今は見えないけど)」
「あるのに無いのが不思議で、そしたら、ぼくはぼくを十四松だと思ってるし、全部あると思ってるけど、もしかしたら無いのかもしれないって思ったんだ」
「…うん?うん」

十四松は相変わらず十四松のまま、食卓テーブルの上で、生首のまま話しをする。この奇怪な光景すら、彼が十四松だからだと言えば片付いてしまうのだから不思議な話だ。

「それでね、一松兄さんにぼくはどこまで十四松なのか聞いてみたんだ。一松兄さんはぼくがどうなっても、十四松だって言ってた。十四松はどこまでいっても十四松なんだって!概念だけになっても、ぼくはぼくだった」
「…………うん」

彼がなにを言っているのか分からなくても、私はとにかく頷いた。追加の疑問を呈したところで、さらに疑問が生まれるだけのような気がしたからだ。

「最後は全部ゼロになって消えても、ぼくはぼくだし、みんなはみんなだった。無くなってもぼくはあって、ぼくはあるけど無くも出来るんだよ。それって凄く不思議だなって思った」
「そうだね」
「ぼくはおそ松兄さんや他のみんなにはなれないし、みんなもぼくにはなれない。そもそも十四松ってなんだろうって思った。足の指の、あるのに無い間みたいに、ぼくは認識してるのに無くなっちゃうこともあるのかもしれないって」
「うん」
「そしたら、消えてる場合じゃないな、なまえちゃんに会いたいなって思ったんだ。急いでたから、頭だけで転がってきた」
「なるほど」

納得出来る説明をもとより求めていなかったからか、私は深く頷いていた。
あまり詳しくは考えない。今目の前に居るのが私の知る十四松であることは変えようもない事実だ。それだけで良いのではないだろうか。

「ぼくはなまえちゃんにとって、無いものになったりする?しない?」
「しないよ。十四松は十四松。ほら、頭一つで来ても私は受け入れたでしょ?」
「うん、だからなまえちゃんが大好き」
「ありがとう、私も十四松が好きだよ」
「えへへ」

まぁ、つまり十四松は、日常の何気無い疑問を発端に色々考えた結果、私にとっての自分の存在が不安になったと。恐らくそういうことなのだと思う。過程やその他は適当で良いのだ。ただ、私が十四松を好きで、十四松も私を好きだという真実さえあれば、そこらへんはあやふやの有耶無耶で構わない。

「でも十四松、頭だけだと不便な気がするよ」
「そう?ぼく頭だけでも速いよ!泳げるし、多分遠投も出来るよ!」
「うん、どうやってとは聞かないね。でもさ、私とは?」
「なまえちゃんと?」
「私が抱き締めてほしいときどうする?」
「えっ」
「十四松といちゃいちゃしたいなーってときは?」
「うっ」
「えっちな気分になったときはどうしよう?」
「ま、待って待って!なまえちゃんちょっと待ってて!!」

赤い顔した十四松が、慌てた様子で食卓テーブルから転げ落ちる。なんだか少しダルマに見えたことは、この際黙っておこう。十四松が落ちていった食卓テーブルの向こうを覗いてみる。
そうしたら、わっと十四松が現れて、どしんと体当たりをされてしまった。
いや、体当たりよりはもっと可愛らしい、十四松なりのハグをされながら、私は手足の有難みを今一度確認せざるを得なかった。

「なまえちゃんが望むなら、いつだって抱き締めてあげる!いちゃいちゃもするし!えっちもしたい!」
「うんうん、ありがとう。でも少し苦しいから力抜いてくれる?」
「分かった!」

聞き分けよく、十四松は少し力を抜いて私の顔をすぐ近くで見下ろした。
どういう原理か知らないが、すっかり五体を取り戻した十四松が、先ほどまでと変わらない笑顔でニパニパにっこり、少し赤い顔を隠しもせずに私の目の前にいる。
ふむ、やはり頭だけよりは体があったほうがいい。私は、十四松の細く引き締まった体も好きなのだ。毎日の無駄に思えるようなトレーニングで締まった筋肉は、はっきり言ってとても好みなのである。

「なまえちゃん、ちゅーしてもイイっすか?」
「うーん、どうしよう」
「エッ!だめ?!スリーアウト?!チェンジっすか!?」
「っ、あははっ」
「なまえちゃん…?」
「ごめんね十四松、ちょっとからかいたくなったの」
「ぼく、からかわれたの?」

純粋な表情で首を傾げる十四松。彼は、体があろうと無かろうと、例え指が五本だろうと六本だろうと、十四松であることに今後も偽りない。その事実が今日も愛しい。

「ねぇ十四松、さっきの指の話だけど」
「足の指の話?」
「そうそう、もしかしたらそれって幻肢ってやつかもね」
「ゲンシ?」
「六本目の指はお母さんのお腹の中に置いてきたのかも」
「そっかぁー、じゃあそれってぼくにとって無い?ある?」
「うーん、難しいな。十四松だからね、あると思えばあるし無いと思えば無くなるかも」
「そうなの?」
「でも十四松にとって必要無いから無いんじゃない?」
「そうかなぁ、凄くむず痒く感じるのに」
「十四松が必要無いって思ったら、もしかして私も消えちゃったりするのかなぁ」

ふと過ぎった考えだけれど、あり得そうで少しぶるりと震えが走った。十四松にかかれば、赤だって青に変わりそうだ。ただ、十四松が優しいからそうならないだけで、十四松が本気を出したら世界すら覆りそう。
ぼんやりそんなことを考えていたら、十四松にムギュウっと抱き寄せられた。そのまま、内臓が飛び出すかと思うほどキツく抱き締められて、息がつまる。し、死ぬ…

「ヤダ、ダメ」
「ぐ、ぐるじ、じゅっし、」
「なまえちゃんが消えるなんて、絶対ダメ」
「…、じゅし、」
「必要無いなんて、思わないよ。それはひどいよなまえちゃん」
「うん…、ごめん、ごめんね?十四松…」

苦しかった締めつけが、次第に縋るようになって、十四松を傷つけてしまったのだと分かった。すぐに後悔した私は、すっかり顔を俯かせてしまった十四松の顔を覗き込んで、頬を撫でる。

「ごめんね十四松、私は消えたりしないよ」

顔を上げさせて、カサついた唇にキスをひとつ。十四松は視線を揺らして、むぅっと唇を尖らせる。拗ねた顔も可愛くて、思わず頬が綻ぶと十四松らしからず軽く睨まれてしまった。

「どうしたら許してくれる?」

そう聞いたのと同時に、私の体はいとも容易く持ち上げられていた。あらら、このままベッドに直行かしら。なんて思っていたら、十四松は私を抱き上げたまま玄関に向かっていた。なんだか、私の心が汚れているようで恥ずかしい。
十四松は、裸足のまま外に飛び出して走り出した。頭一つで来たのだから、裸足なのは当然だけれど、いったい彼はどこに向かっているのだろうか。十四松の走る振動に揺られながら、十四松を見上げる。彼はいつも通りの笑顔をその満面に浮かべていた。

「十四松っ、どこに行くの?」
「ぼくの家!」
「えっ、十四松の家?どうして?」
「なまえちゃんを連れて行ってみんなに紹介する!」
「紹介って…」

そう言われても、私は既に十四松のご両親とも他の兄弟とも面識があって、なんなら十四松とお付き合いをすることをとても不思議がられたり、珍獣ハンターを見るような目で見られたり、躾を任されたりと、決して浅くはないお付き合いをしているはずだ。だから、今更家族に紹介と言われましても。

「ぼく、なまえちゃんと結婚する!」
「…えっ!?」
「お嫁さんになったらぼくから離れていかないでしょ?ぼくはなまえちゃんとずっと一緒が良いっす!」

こんなプロポーズ、アリだろうか。十四松だから、アリなのかもしれない。私は、可笑しくなって笑ってしまった。

「なまえちゃん?」
「あははっ、十四松には本当、驚かされてばっかりだなぁ」
「ぼくと結婚するの嫌っすか?」
「ううん、いいよ。しよっか、結婚」

私が笑うと、十四松は幸せをそのまま形にしたような笑顔を見せて、大声をあげて喜んだ。色んな人が見ているし、遠くから生首の人なんて声も聞こえてきたけれど、なんだかもうどうでもよくなってしまった。

「なまえちゃーん!!だーいすきー!!」
「あはは!私もー!」

私たちは松野家に着くそのときまで、周りの目や迷惑も考えずに叫び合った。


お邪魔します、
ところで私たち結婚します。


後日、十四松が見て見てと言うから覗き込んだら、なんと十四松の足に指が六本あった。満足げな十四松を見て、私はやはり十四松は十四松なのだと再認識したのだった。
(2017.08.04)


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