約束


「先生…こんなところで、何してるんですかっ…」

今日は大事な、俺の学年の卒業式だった。なのに式にこの先生の姿が見えなくて、気になって気になって泣いている場合ではなくなってしまった。退場してからすぐに校舎内を探し回って、最後に行き着いたのは屋上だった。

「山崎くんこそ何してるの?最後の日なんだから、みんなと写真でも撮ってはしゃいで来なさいな」
「俺が居なくたって誰も気付かないからいいんです」
「悲しいこと言わないの」

俺の卒業式なのに参加してくれないなんて、この人も性格が悪い。先生が居なかったら俺は気付くに決まってるし、気にかけて未練が残るに決まってるじゃないか。

「もう一度聞きますけど、どうしてこんなところに居るんですか…」

このまま見つけることができなかったら、俺は一生この人への想いを引きずっていただろう。さよならも言わせてくれないなんて、卑怯だ。

「泣いて化粧が崩れたから、出るのやめちゃった。汚い顔なんて見られたくないもの」
「…式の前から泣いてたんですか?」
「あら、ばれちゃった」
「最後くらい顔見せてくださいよ」
「…代わりに先生の綺麗な後ろ姿でも目に焼き付けておいて」

たしかに先生の後ろ姿はとても綺麗で目を惹かれるし、体のラインが美しい。だからって、違う、そうじゃないんだよ。

「そんなに泣くほど大事な卒業式、なんで出なかったんですか?」
「…怒ってるの?」
「怒ってないです。理由が聞きたいだけです」
「…世の中には聞かない方が良いこともあるんだよ」
「先生のことなら何を聞いたって後悔なんかしません。というか、聞かないでいる方が後悔します」

3年のクラスで担任を持っていた訳でもないのに、横島先生が式の前から泣くなんて。いつも冷静であまり表に感情を出さない人なのに。

「最後だから言っちゃうけど…先生ね、好きな子がいるの。その子が3年生で、卒業して二度と会えなくなると思ったら、悲しくて。好きだとか言えないし、さよならも言えないし…困っちゃった」
「…言えば、いいじゃないですか」
「教師と生徒って関係なのに、無理だよ」
「…卒業しちゃえば、そんな関係消えるじゃないですか」

そう思って俺は、気持ちを伝えるためにここまで来たというのに。なのに先生に好きな人がいるとか、俺はどうしようもないじゃないか。

「あと数年遅く生まれてたら、こんなに考えなくて済んだのになぁっ…」

先生は声を震わせて、うずくまってしまった。泣いているところに漬け込むなんてしたくない。したくないけど、初めて見る弱々しい背中に引き寄せられるように、俺は先生を後ろから抱き締めていた。

「大丈夫ですよ…。俺、先生のこと好きだし。この程度の年齢差、どうでもいいし。だから、何も気にせず、先生もそいつに告白すればいいですよ。それに先生、可愛いしスタイルいいし、綺麗だし優しいし、いつも相談に乗ってくれて、話聞いてくれて…」

先生を励ますつもりで褒めていたのに、思い返していたら泣きそうになってきた。

「…先生がはっきりしてくれないと、俺も困るんすよ」
「…そう、だよね。困るよね」

俺は気持ちを伝えてさよならを言いたかったんだ。ただそれだけだから、断られてもいい。未練を断ちきりたかっただけなんだ。

「…ありがとう。山崎くん曰く、もう先生と生徒なんて関係じゃないみたいだから、素直に告白することにするよ」
「…はい」
「私、山崎くんが好き。最初はなついてきてくれるのが可愛かっただけなんだけど、気付いたらいつも目で追うようになっちゃって…でも気軽に声なんてかけられないし、触りたくても触れないし…」

先生は俺の手に触れ、握ってきた。初めて触れる先生の手は、温かくて柔らかくて、心地よかった。

「…山崎くんのさっきの言葉が本物なら、私はさよならなんて言わなくてもいいのかな」
「俺も…さよならなんて、言わなくていいですか?」
「…また、会ってくれる?」
「毎日だって会いたいです」
「…ほんと?」
「はい」

ようやく振り向いてくれた先生は、目に涙を浮かべていて、素顔でも綺麗だった。これなら化粧とか気にせず卒業式くらい出てくれればよかったのに。

「今度の日曜日…デートしよう。家まで迎えに行ってあげる」
「家!?」
「教師なんだからそのくらい簡単に解るんだよ」
「職権乱用じゃないですか…」
「いーの。それとも、デートしてくれないの?」
「し、したい、です」

そう言うと先生は嬉しそうに微笑んで、俺の前髪を掻き分けて額に唇を寄せた。

「約束ね」
「…はい」

いつも手が届かないと思っていた先生と触れ合える。ドキドキしながら先生に顔を近付けると、手で遮られてしまった。

「…ダメなんですか?」
「こっ…心の準備が…」

おでこにはしたくせに。先生は恥ずかしそうに頬を染めていた。

「じゃあ日曜までに心の準備しといてくださいね」
「…うん」
「約束ですよ?」

唇にはしない代わりに頬に口付けておいた。
約束の日が待ち遠しい。