愛する幸せ


好きな子ができた。不覚だった。プロデューサーという立場上、アイドルの誰かに惚れるなんて言語道断だ。死ぬべきである。だけど私はアイドルを末長く見守って生きていきたいなんて思いが強すぎて、死ねなかった。だからこの燃え盛るほどに熱い恋心も、しまわなければならない、表に出してはいけないと強く誓っていた。

「私はこの一年間プロデューサーとして生きてきて、幸せだった。人生で一番幸せな一年間だった。これが終わってしまうなんて、本当に辛い。宗くんはそう思わない?」
「そうだね、時を止めたいだとか巻き戻したいだとか、そう思ったことは死ぬほどあるよ。だがそんなこと人間の僕にはできないからね。考えるだけ無駄なのだよ」
「…後悔は無い?」
「…無いと言ったら嘘になるね。だが、まだ高校生活は終わっていないだろう。残りの時間で、やれることはやるつもりだよ」

宗くんの生き様は美しい。私がまだ普通科にいたときから、Valkyrieのファンだったから応援し続けている。でも宗くんはValkyrieのことは何でも自分でやっていて全然プロデュースさせてくれなかったから、せめてに〜ちゃんのいるラビッツをプロデュースし続けた。一緒に成長してきたラビッツとも、もうすぐお別れだ。

「…宗くん、一年間ありがとうね。お裁縫、教えてくれてありがとう、卒業しても、応援するからね…。これ、宗くんから見たら下手くそかもしれないけど、受け取って」

悲しい話をしながら出来上がった、Sの字の刺繍を入れたハンカチを手渡した。

「僕のために作っていたのかね」
「そうだよ。宗くんが教えてくれたお礼をしたいなって思ってたから」
「そうかね、僕はてっきりあの愛らしい1年生のイニシャルを刻んでいるのかと思っていたよ」

ぎくっとして、息がつまった。私の心臓が思い切りうるさく激しくなっているのに、宗くんは穏やかに、私のあげたハンカチのSの字を眺めていた。

「行き場を無くした末に僕にくれた物かもしれないが、ありがたく受け取っておくよ」
「そ、そそ、それは、ほんとに、宗くんのために作った宗くんのSだもん…」
「それは、ということは、他にも刺繍を頑張ったハンカチがあるような言い方だね」

宗くんにはばれていた。その通りである。もし万が一誰かに見られても宗くんへのプレゼントだと言い張れるようにSを刺繍したハンカチが、もう一枚存在する。

「渡さなくていいのかね?」
「…4人のうちの1人にしか用意できてないんだよ?何て言って渡していいかわかんないよ」
「君だけ特別だと言って渡せばいいだろう。どう受け取るかはあの子次第だ。まぁ、そうとしか言わなければ、良くも悪くもあの子を困らせるだろうがね」

そうなれば皆の前では渡せないし、呼び出して渡すしかないだろう。だからって、呼び出して2人っきりになってどうするんだ。好きだと言わずに1人にだけ渡せば困惑して、好きだと言えば、プロデューサー失格だ。渡すこと自体が罪としか思えない。

「…プロデューサーだもんね、アイドルへの愛なんて、我慢するべきだよね…」
「君はこの一年間幸せだったと言ったね。僕はそんな悲しい顔をして幸せだと嘆く君が本当に幸せだったのかと疑いたくなるがね。君にも問おうか?君は、このまま何事もなく終わって、後悔は無いのかね?」
「うぅ…あ、ある…あるよ…」
「限られた時間を有効に使いたまえ。君の涙は美しいけれど、今流すには早すぎるだろう」

手で涙を拭っていたら、先ほど渡した刺繍入りのハンカチを差し出された。

「ふぇ…、これ、いらなかった?」
「ふざけたことを言うんじゃない。涙を拭うために貸してやるから洗って返したまえ」
「…宗くん、優しいよね」
「何を今さら」

あげたばかりのハンカチで涙を拭う。宗くんのためのハンカチは、素材が良くて目元を押さえても全然痛くなかったし吸水性も良かった。

「僕から君への、最初で最後の激励をやろう」

喜びたまえ、と言いながら宗くんは私の頭を撫でてくれた。普段なら絶対にしないのに、私が胸を張って幸せだと言えるようにするために、そんなことまでしてくれるだなんて。嬉しくて余計に涙が出た。

「あのー…すみません」

なんだかか細い声と弱々しいノックの音がして、手芸部部室の扉が開かれた。

「おや、誰かと思えば…」
「あっ…あ、すみません!お邪魔でしたね、失礼しました!」

ハンカチで目元を覆っていたから見えなかったけど、あれは確かに、私の愛するあの子の声だった。なにやら謝ってすぐに駆け出してしまったけど。

「さて、君の愛する小兎は何やら勘違いをして逃げていってしまったけれど…どうする?僕はどうもしないから、弁明するなら今すぐ君が動くしかないよ」
「…宗くん、意地悪もひどくなったよね、創くんってわかってたのに、私の頭撫でるのやめてくれなかった…」
「見られたところで僕に不都合は無いからね。それより君の髪の手触りとあの子の麗しさに気をとられてしまってね」

宗くんを見れば楽しそうに笑っているし、本当に意地悪だ。

「あの子が受け取ってくれないなんてことがもしあったら、余ったハンカチは僕が頂くから安心たまえ」
「余計な心配ありがとう…、行ってくるね」
「せいぜい頑張りたまえ。君の青春を謳歌するために」

私は濡らしてしまった宗くんのハンカチをポケットに詰め込み、綺麗な方の水色のハンカチを握って部室を飛び出した。
しかし廊下には既に姿は無く、レッスン室をいくつ覗いてもラビッツはいない。教室にも、ガーデンテラスにも居なくて、あんずちゃんに電話しても見ていないと言われてしまった。泣きそうになりながら廊下を歩いていたらみかくんに出会ってしまい心配されたけれど、詳細は宗くんに聞いてと投げて私は屋上に向かった。

「創くん…」

彼は屋上に佇んでいた。放課後でもう洗濯物も干されていない屋上はとても広く、夕焼けの光を浴びる彼は、とても美しかった。

「優さん…」

プロデューサーのくせに、アイドルに愛の告白なんて、おこがましいにも程がある。だけどあんな穏やかな宗くんに頭を撫でられ泣いているところを見られてしまっては、勘違いをされてもおかしくない。そんなの宗くんに申し訳ないし、夢見が悪くなってしまう。

「どうして、そんなに悲しそうな顔をしてるんですか?さっきも…、泣いて、ましたよね」

ごめんね、勘違いをさせて、心配までさせて、今からもっと困らせるけど、ごめんね。

「…宗くんとは何にも無いよって、誤解を解きたくて」
「嫌だなぁ…隠さなくてもいいんですよ、僕、お二人がそういう関係だったとしても、誰にも言ったりしませんから。僕、あんなに優しそうな顔の斎宮先輩は初めて見ました。…優さんの泣いているところも、初めて見ました」

完全に誤解をされていて、悲しくてまた視界が滲んできて、抑えきれずに泣いてしまった。

「ど、どうして泣くんですか?」

創くんはおろおろしながら近付いてきて、なぜか創くんまで泣きそうな表情になっていた。

「宗くんは、私を励ましてくれてただけなの…私が胸を張って幸せだって言える高校生活にするために、応援してくれて」
「…何か、やり残したことでもあったんですか?それなら、僕も協力しますよ」

心配そうにこちらを見つめる創くんに、握りしめて少しシワがついてしまったハンカチを差し出した。

「…これは?」
「私が…、創くんのために刺繍したの。卒業しても、私のこと忘れないように…覚えておいて欲しくて…」
「こんな素敵なもの、僕が頂いちゃってもいいんですか?」
「いいの、創くんにもらってほしいの」

創くんはハンカチのSの字を見つめたあと、柔らかく微笑んでそれを受け取ってくれた。

「ありがとうございます、大事にします。本当に嬉しいです。でも…これが、優さんのやり残したことなんですか?」

違う。それだけじゃない。私が本当にしたいのは、燃えるように熱い気持ちを、創くんに、ぶつけることだ。

「…優さん」

心配そうに名前を呼んで、あげたばかりのハンカチで流れる私の涙を拭ってくれた。宗くんのプレゼントも創くんのも、私なんかの涙で汚してしまって申し訳ない。
ハンカチごと、創くんの手を握ってみた。こんなに可愛い顔をしていても、手は男の子のそれだった。

「私…創くんが好き。ほんとは、プロデューサーだから、みんな平等に愛して、特別扱いなんてしちゃダメだけど…、それでも、伝えないと後悔して、幸せだったって、笑顔で言えなくなりそうだったから…」

プロデューサーのくせにとか、そんな重いこと言われても、とか、ドン引きされるイメージトレーニングはいっぱいしてきた。だからここでこの手を振りほどかれても、土下座して謝る覚悟だけはできている。

「僕のこと…特別だって、思ってくれてたんですか…?」

視界は霞んでいたけども、夕陽以上に赤くなった創くんの顔色は認識できた。

「特別だよ…、ハンカチも、ラビッツの中では創くんの分しか用意してないの。…この刺繍を教えてくれた宗くんには、お礼として用意しちゃったけど。でも、私が一番特別で、大好きで大事なのは、ずっと創くんなの」

ずっと言いたくて言えなかったことを伝えたら、余計に涙が溢れてきた。創くんの返答が怖い。関係を壊しそうなことを言ってしまったことが、怖い。

「ありがとうございます、僕…嬉しいです、本当に、幸せです」

創くんの声も震えていて、綺麗な瞳は潤んで涙が零れていた。

「僕も、優さんが好きです、大好きです…!ずっと、僕だけ特別扱いしてくれないかなとか、僕のことだけ見てて欲しいなって、欲張りなこと考えてて…っ、嫌われたくないから、ずっと、言えなくて…」

嗚咽を漏らしながら泣いて好きだと言ってくれる創くんは美しくて、だけど泣き止んで欲しくて、私は創くんを抱き締めた。創くんも肩を震わせながら私を抱き締めてくれた。

「卒業しても、ずっと、傍にいて欲しいです…!アイドルだとか、プロデューサーだとか、周りに言われるかもしれないですけど、それでも…僕は、優さんに傍にいて欲しいです…っ!」

熱い気持ちを抑え込んでいたのが私だけでなくてよかった。創くんが私と同じ気持ちで、本当によかった。

「ずっと一緒にいよう、創くん…。私今、すごく幸せだよ、ありがとう…」

ぎゅっときつく抱き締められたかと思うと、一気に力を抜かれてお互いの顔が見れるくらいの距離ができた。創くんの頬には涙の筋ができていた。

「僕も幸せです。でも、これからもっと優さんのこと、幸せにしてみせますね」

はにかみながらそう言われ、愛しさが込み上げてきてもう一度きつく抱きついた。

「私も、創くんのこと世界一幸せにしてみせるから」
「はい!一緒にいっぱい幸せになりましょうね」
「うん!」