暑さにやられて


「おい優、聞いているのか!」

敬人くんの怒りの声で意識がはっきりとする。顔を上げればお怒りの敬人くんが私を見下ろしていて、ちょっと怖い。

「ごめんね、あんまり聞いてなかった…」
「貴様の頭蓋骨の中には綿でも詰まっているのか?」
「うん…そうかも、敬人くんの脳ミソわけて」
「誰がやるものか」

普通ならもっと人の話は真面目に聞くし、話している人の目を見て聞くほどの真面目ぶりを見せるくらいなのに、今の私にその力は無い。

「いいか、もう一度言わせてもらうが、今すぐその格好をやめろ。風紀を乱すな」
「…?どっか、変?」
「何度説明すれば理解するんだ…度しがたい」

敬人くんはイライラしているが、私は別に普通に制服を着ているしシューズも履いているし、非難される覚えは無い。

「シャツのボタンを閉めろ。スカートを伸ばせ。ただそれだけだ」
「…え?そんなことしたら、暑いよ?」
「暑いくらい我慢しろ。そのうち冷房も効きだして涼しくなる」
「今暑いんだよぉ」

たしかに制服のリボンは外してボタンも二つほど開けてしまったし、スカートも折って短くして風通しをよくしてみた。しかし熱中症になるよりよくないか。倒れたら元も子もないんだぞ。
お説教を聞いていても気が滅入りそうで、気を散らそうと思って髪の毛を一つに纏め上げてポニーテールを作った。その間も敬人くんは何か言っていた気がするけどもう覚えていない。

「敬人くんあんまり怒ると老けちゃうよ?笑おうよ、にこーって」
「誰のせいでこうなっていると思ってるんだ」
「私別に悪いことしてないもん。みんな制服着崩してるのに私だけだめなのやだー。宗くんのフリルも怒ってくれないとやだー」

今日は私と敬人くんが日直であるせいで朝から暑苦しい教室に2人でいる。この状況から逃げ出したいから、せめて誰か登校してきてくれれば嬉しいのだけど。

「貴様は自分が女であることを自覚しろ」
「自覚してるよー」
「どこがだ。その格好を羽風にでも見られてみろ。何をされるか解らんぞ」
「薫くんチャラいけど悪いことはしないと思うよ。むしろ今の私には口うるさい敬人くんの方が悪だからね!紅郎くんに言い付けちゃうもんね!」

暑くて動きたくもなかったが、この場に留まって敬人くんの説教を聞き続ける気力も服をきっちり正す気力も無かった。立ち上がって教室を出ようとすれば「何処へ行く!」などと騒がれた。ちょっと冷たいかもしれないけど無視をして、扉に手をかけたところで肩を掴まれて、敬人くんと向き合わされた。ついでに肩を壁に押し付けられて、いわゆる壁ドン状態になってしまった。

「け、敬人くん?」
「はしたない格好で校内をうろつくな」
「…」
「…ほう、無視とは良い度胸だな。聞こえないようなら強行手段を取らせてもらう」

強行手段って何だ?と思っているうちに敬人くんは、私のシャツに手をかけボタンを閉めようとしてきた。さすがに胸元のボタンをいじられるのは恥ずかしくて、咄嗟に敬人くんの両腕を掴んでしまった。

「おい、何をする」
「ご、ごめん、何か恥ずかしくなっちゃって…」
「馬鹿言うな、元から恥ずかしい格好をしていただろうが」
「いや、敬人くんに胸元触られるの…ふ、普通に恥ずかしいし…」

とは言え服にしか触っていないけれど。
2人の間に沈黙が生まれたとき、教室後方の扉が開かれる音がした。

「おや、おはよう2人とも。仲が良さそうで嫉妬しちゃいそうだけど、お邪魔みたいだから校内を一周してからまた来ることにしておくよ」

英智くんはこの広い教室に至近距離で触れあっている私たちを見て何か勘違いをしたらしい。また来ると言い残して本当に扉を閉めてどこかへ行ってしまった。

「…早く終わらせるぞ、手を離せ」
「もう終わりでいいじゃん、敬人くんに関係無いでしょ」

恥ずかしいし離してほしくて突き放すように言えば、敬人くんは眉間のシワを深くさせた。

「たしかに貴様からしたら俺は関係無いかもしれないが…、そうだな、これは俺のわがままだ。他の奴らに貴様の肌を易々と見せたくない」

敬人くんは熱さのせいか恥ずかしさのせいか、頬が赤くなってきた。しかも手に力も入ってきて、胸ぐらを掴まれているような気分になってきた。

「…敬人くんがそこまで可愛くお願いしてくれるなら、いいよ。私も別に、人に見せたくて開けてるわけじゃないし」
「はじめから素直に聞けばいいものを…」
「…だって敬人くんが構ってくれるの珍しいから、ちょっとからかいたくなっちゃって」
「まったく、度し難い…」

二人して赤い顔して何やってるんだろう。あとで英智くんの誤解も解いておかないと。
敬人くんの腕を掴むのをやめれば、敬人くんはやっと私の襟を寄せてボタンをかけ始めた。手を離してくれれば自分でそのくらいできるよ、と言おうとも思ったが、照れてる敬人くんを見ていたくて黙っておいた。