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プロデューサーとしてアイドル科の教室に放り込まれ、初めての会話で彼に寂しそうな顔でそう告げられた。「薫くん」と勇気を出して呼んでみれば、目を細めて嬉しそうに笑って「なぁに、優ちゃん」と言われ、不覚にもときめいたことを覚えている。
「晃牙くんとアドニスくんは時間前には来てて偉いねぇ!どこぞの羽風くんとは大違い!」
「うっせ〜な。約束の時間に集まるのなんて当たり前だしガキでもできるだろ〜が」
背伸びして手を伸ばし、二人の頭を撫でてやる。晃牙くんは鬱陶しそうに文句を言うものの、一度は頭を撫でさせてくれるからとても可愛い。「もういいだろ」なんて言って私の手をどかしてくるけれど、最初から避けられるものなのに避けないから、いつもこうして可愛がってしまう。
「嬢ちゃんや、我輩にはしてくれんのかえ?」
「零さんは棺桶から出るのが遅かったので1分遅刻したからね。今日はだめです!残念!」
「え〜、寂しいのう。嬢ちゃんに褒められんと今日のレッスンもやる気が出んのじゃが…」
「褒めて欲しいなら褒められるようなことをしてほしいね」
そうだよね〜?なんて同意を求めながらまた晃牙くんとアドニスくんをよしよしする。本日二度目だからか、「やめろ!」と晃牙くんに拒絶されてしまってちょっと寂しくなった。
「ほれほれ、わんこが撫でさせてくれんなら我輩の頭が空いておるぞ♪」
微笑みながら零さんは中腰になって私に頭を差し出してくる。顔が良いから、そんな風に顔を近付けられると照れてしまう。
「おや嬢ちゃん、頬が赤いが照れておるのかえ?」
「ふんっ、私が零さんごときで照れると思わないで欲しいね!」
「ほう、『零さんごとき』などと、戯言を言うのはどのお口かのう?悪させんように塞いでしまおうか」
なんだか冷たい目をして私の顎を掬う零さんに、ぞくっとしてしまう。仲良くなったとは言え口が滑りすぎた。謝ろうと口を開いたら、ちょうど部室の扉が開かれた。
「ごめんね、遅刻しちゃった……って朔間さん何してるとこそれ?近くない?だめでしょ?」
「せっかく嬢ちゃんの悪い口を我輩自ら塞いでやるところじゃったのに、邪魔が入ったのう」
「いやいや、邪魔もなにも、そもそも晃牙くんたちも後ろにいるでしょ」
薫くんは困惑した表情で近付いてきて、零さんの手を私から離れさせた。晃牙くんたちは楽器の準備をしているし、私たちも早く準備を整えなければ。
「そんなことより、約束通りちゃんとレッスンに来たよ。褒めて褒めて」
にっこり笑って薫くんも私に頭を差し出してくる。背徳的なユニットと吟うUNDEADが、揃いも揃ってプロデューサーによしよしされるのがお気に入りだなんて、よそに知られたらどんな調教をしているんだと思われそうだ。
「遅刻したんだからだめです〜。すぐ開始できるように羽風くんも準備して」
そう言うと、薫くんはちょっと不機嫌そうに眉をひそめた。
「…やっぱ帰る」
「えっ、なんで?ここまできたのに」
「そんなの優ちゃんが考えてよ」
考えて、と言われても。頭を撫でるのを拒否しちゃいけなかったのか。
「…ほんとにわかんないの?俺が遅刻した理由とか、俺がいつも嫌がることとか」
「……あっ、ごめん、羽風くん今日日直だったね?うっかり忘れてた、ごめんね?これでも急いで来てくれた方だよね、ありがとう」
いつものだらだらして遅刻した時とは違うことにすぐに気が付けた。そういえば黒板の日直のところに羽風と書かれていたはずだ。
謝罪と感謝の気持ちを込めて頭を撫でてあげようとするが、その手を遮るかのようにぎゅっと握られた。薫くんの手が熱くてどきっとする。
「優ちゃんそれ、わざとだよね、俺にだけ」
「…へ?」
「俺さ、今まで何回言ったかな?薫って呼んで、って」
だってそんなの、仕方がないじゃないか。私だって初めて会ったときは普通に仲良くなりたかったから素直に薫くんと呼んでいた。でもそれは、薫くんがチャラ男だと気付かなかったからだ。色んな女の子とデートして遊び回ってレッスンをさぼるような彼に、怒りを込めて、嫌がる名字呼びをし続けてきた。もちろん言われるたびに薫くんと呼び直すこともあったが、そのせいでいつも羽風くんと呼んだり薫くんと呼んだりまちまちだった。
「年上の朔間さんのことですら名前呼びだし、取っつきにくいうちのクラスの人たちのことも名前で呼ぶじゃん。俺だけいつまでたっても名字で呼ばれるの、避けられてるみたいですごい嫌だ」
私だって、ほんとは薫くんって呼んで、避けるのやめて仲良くしたいよ。でも、薫くんって呼ぶたびにすごく嬉しそうな顔されて、不覚にもときめいて、でもレッスンさぼって誰かとデートに行く姿を見るっていうそのサイクルが、苦しいくらいに嫌なんだよ。
「日頃の行いが悪いからじゃね〜の」
「…何それ。俺、優ちゃんに何か悪いことした?」
していない。私が勝手にへこんで傷ついて、八つ当たりをしているだけだ。そんなこと、皆の前で、薫くんの前で、言えるわけがない。
「薫くんや、嬢ちゃんもこんな状況では言えるものも言えんじゃろう。話ならレッスンの後にするか、それか2人で席を外してくれんかの?我輩たち、先にレッスンを始めておくから」
「…それもそうだね、ごめん。後でいいよ」
薫くんは寂しそうに私から目をそらす。このまま手まで離したら、心まで離れていってしまいそうで、思わず薫くんの手をぎゅっと握り返した。
「ごめん零さん、ちょっとだけ、薫くん貸して」
「ちょっとだけじゃぞ?そのまま2人で帰られたら我輩たち困ってしまうわい」
「うん、大丈夫」
私は薫くんの手を引いて、部室から連れ出した。誰も居ない、2人だけの場所で話したくて、近くの空き教室に入らせてもらい、薫くんの手を離した。
「…2人きりになって、俺怒られるの?」
「怒らないよ!むしろ、薫くんが私に怒るんじゃないの…?」
「へ?なんで俺が怒るの?…そりゃあ、薫くんって呼んでくれないのは寂しいけど、怒るのは違うよ」
薫くんは眉をさげて苦笑する。散々言われても呼び方を直さない私がどう考えてもおかしいというのに。
「でも、せっかく朔間さんが時間くれたからね。理由くらいは聞かせて欲しいけど…」
いつか聞かれると思っていた。それなのに頑なに羽風くんと呼んでいた私が悪い。
「…笑わないで聞いてくれる?」
「笑わないよ」
「…怒らない?」
「怒らないよ」
笑うな、怒るな、と私はワガママだ。どんな顔して聞いて欲しいのかもわからない。
「……薫くん」
「うん」
「…って、呼ぶたびに、緊張するの」
「…うん?」
オブラートに包んで白状したが、それでも顔に熱が集まるのがわかるし、変な汗も出てくるし、動悸がする。薫くんだって困惑しているじゃないか。
「あと…レッスンさぼるから、むかついて、嫌がることしたいなって、おもっちゃったから…、羽風くんって呼んでたら、どんどん、薫くんって呼べなくなっちゃって…」
口にしてみると本当に嫌な女だった。嫌がるとわかっていてするなんて、本当に心が狭い、子供だ。
「…それって、本当は薫くんって呼びたいってことだよね?」
「え?…そう、だね」
「そっかそっか。それならやっぱり、俺は優ちゃんを笑えないし怒れないよ。レッスンさぼってたのは俺が遊び回っていたせいだし、自業自得ってとこかな」
「でも私、ずっと、薫くんに嫌なことして…」
「もういいよ、今だって薫くんって呼んでくれてるし、俺はもうそれだけで嬉しいもん」
そう言って薫くんは、初めて呼んだ時と同じ、幸せそうな笑みを浮かべた。そんな顔を見せられて、今まで羽風くんと呼んできた罪悪感やら何やらで胸が苦しくなった。
「それに、俺がさぼるだけで怒っちゃうほどUNDEADのこと大事に思ってくれてたんだなって思うと、申し訳ないけど嬉しくなっちゃうなぁ」
違う、違うんだよ。私はそんなに真面目で良いプロデューサーなんかじゃない。だからそんな風に、喜んだりしないで。
「…どうかした?俺何か変なこと言った?」
黙ったままの私を心配したのか、うつ向きぎみの私を薫くんは覗きこんできた。
「…なんでもない」
「そんなことないでしょ。せっかく2人きりなんだから、話してごらんよ」
「やだ…私、これ以上変なこと言って、薫くんに嫌われたくない」
「…これ以上、って、別に今日優ちゃん変なこと言ってないよ?それに俺が優ちゃんのこと嫌いになるわけないでしょ、大丈夫だよ」
優しい声で、優しい手つきで、私の頭を撫でてくれる。こんなにも嬉しい出来事なのに、頭を撫でられる資格なんて無いせいで、苦しい。
「…UNDEADの、ためだけじゃないの。私が、私のために、知らない子に勝手に嫉妬して怒ってただけなの…。薫くんが知らない子と遊びに行くの、嫌で…やめて欲しいのと、あと、羽風くんって呼んで、嫌がられて、いっそ嫌われちゃえば、いいなって…思って…」
言いたいことがまとまらない。人と話し合うのって、こんなに難しかっただろうか。薫くんに向き合うことが、こんなに難しいなんて。
「…やきもち?」
「ごめんなさい…」
罪悪感と羞恥心に押し潰されて泣きそうになった。アイドルとただのプロデューサーのくせに、嫉妬なんて醜い感情を持ってしまうなんて。
「俺こそごめんね。俺のせいで、優ちゃんが苦しんでるなんて思いもしなかった」
薫くんは私の頬を両手で包み込んで、私の顔を上げさせた。意外にも薫くんは穏やかな表情をしていた。
「俺は逆に、優ちゃんが羽風くんなんて呼んで意地悪してくるから、振り向いてほしくて、腹いせに他の女の子とデートしてた。ごめんね」
「…意地悪」
「うん、ごめんね。でも最近はそういうの、やめたんだよ。優ちゃんは振り向いてくれないし、遊ぶのやめて、真面目にアイドルしようかなって思って」
「…最近真面目にしてるのは、知ってる」
「ほんと?ちゃんと見ててくれてるんだね、嬉しい」
怒らずに優しく向き合ってくれて、反省した。私はこんなに優しい人に、意地悪してたんだ。
「やきもち妬かせてごめんね。妬いてくれてありがとう。俺も優ちゃんが好きだよ」
なんて、嬉しそうに微笑んだ。ちょっと待って。
「わわわわた、し、好きとかいってないし…!俺も、っておかしくない!?」
「妬くってことはそういうことでしょ?それに優ちゃん、やっと照れてくれた。嬉しい」
薫くんに包まれたままの頬はだんだんと熱を帯びてきている。顔を引こうにも何気に力が入っていて動けない。
「それとも、俺の勘違いだった?」
少しの不安も無いような、幸せそうな柔らかい笑みで私を見つめてくる。その顔はずるい。
「…ずるいよ薫くん、私、チャラくてさぼり魔の薫くんのことなんか、好きになるもんかって思ってたのに」
「思ってたのに、好きになっちゃった?」
図星をつかれて一気に顔に熱が集まった。絶対に真っ赤だから、もう見ないで欲しい。
「俺はね、君と初めてあった日に、恥ずかしそうに薫くんって呼んでくれたあの時から、ずっと優ちゃんのことが好きなんだよ」
「…!?」
「お願い、優ちゃんの返事も聞かせて」
真っ直ぐなきらきらした目で、頬を赤らめてそう言われてしまえば、私も黙っているわけにはいかない。
「…好き、薫くんのことが、好き。初めて薫くんって呼んだときの、心底嬉しそうな笑顔を見たときから、好きだったの」
「…ははっ、俺たち、同じタイミングで恋に落ちてたんだね。なんか、随分時間かかっちゃったね」
薫くんは私の頬から手を離し、今度は私を腕の中へととじこめた。薫くんの匂いと温もりに包まれて、幸せだった。
「好きだよ、優ちゃん。もう絶対に苦しめたりしないから、大事にするから、俺と付き合って」
「私も、もう八つ当たりとかしないで、ちゃんと言うから、よろしくお願いします…!」
ぎゅう、と薫くんの体に手を回せば、薫くんはさらにきつく抱き締めてくれた。今まで八つ当たりしてしまった分、これからうんと優しくして、もっともっと薫くんのことを幸せな笑顔でいっぱいにしてあげたい。
お互いの熱を堪能して、UNDEADのレッスンのことを思い出してあわてて2人で部室に戻ると零さんは、私たちを見るなり「そういうことなら『零さんごとき』で照れるわけが無かったのう」と呟き、くっくっくと喉を鳴らして笑っていた。おかげで顔の熱は下がらないけれど、いつもよりも清々しい気持ちでレッスンを行うことができるようになっていた。
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