優しさに触れて


私には何の取り柄も無い。それなのに夢ノ咲学院のプロデューサー科になんて入れさせられて、不安しかなかった。それでもやるしかなくて、苦手な裁縫もそこそこできるようにして、差し入れの料理もお菓子作りもそこそこできるようにして、色んなことがそこそこできるようになった。でも全てにおいて、そこそこできるだけで、特化したものはなく、同時期に入ったもう一人のプロデューサーと比べられることが多かった。

「あんたさぁ、何もできないなら来なくていいよ!邪魔!」

せめて普通のことは普通にこなすようにしていたのに、人数分の差し入れのペットボトルを手を滑らせて床に落としてしまった。打ち合わせをしていたKnightsの人たちを音で驚かせて会話を途切れさせてしまい、瀬名先輩に怒られた。何もできないからこそせめて簡単なことでも役に立ちたかったのに、それすら失敗してしまう私が悪い。自分が情けなくて泣きそうで、「邪魔してごめんなさい」と告げてスタジオから飛び出した。
何もできないだけでなく、邪魔になってしまったらいよいよ私の居場所は無い。いっそプロデューサーなんてやめてしまいたいけれど、やめたところで普通科に戻してくれるのかもわからないし、退学ともなれば私は中卒になってしまう。そんなのは親に申し訳ない。

誰とも顔を合わせたくなかったけど、スタジオにバッグを置きっぱなしにしてきてしまったから帰るわけにもいかず、時間を潰すために屋上へ続く階段をのぼった。誰も居ないところに着くまで泣いたらダメだと我慢していたから、屋上の扉を開いたらすぐに涙腺が崩壊してしまった。

「優ちゃん?」

目にいっぱい溜まった涙のせいで、私の名を呼ぶ人の姿は見えない。だけど私はその声を聞き間違えるわけがなくて、涙なんか見せたくないからそっぽを向いた。

「どうしたの?」

今優しくされたら私も何を言ってしまうかわからない。弱さだって見せたくなくて、声から遠ざかるように離れるけれど、私じゃない足音はどんどん近付いてきた。

「どこ行くの?とりあえずさ、座ろうよ。目擦りながら歩いてたら視界悪いでしょ」

薫先輩は私の肩に軽く手を添えて、ベンチに座るように誘導した。無理に抵抗する意味も無いし、大人しくベンチに腰かけた。

「いいこいいこ。落ち着くまで傍に居させてね」

よしよし、と頭を優しく撫でられて、私の胸は罪悪感でいっぱいになる。私はプロデューサーのくせに薫先輩に何もしてあげられないのに、いつも薫先輩に優しくされてしまっている。迷惑なんかではないけれど、申し訳なさでいっぱいだった。

「今日はKnightsと打ち合わせじゃなかったの?」

薫先輩の言葉にこくりと頷く。瀬名先輩の怒った表情を思い出したらまた悲しくなってきた。

「私…役立たずだから、逃げちゃいました」
「…逃げるのは悪いことじゃないよ。無理して潰れたら元も子も無いしね。優ちゃんは頑張ったよ」

薫先輩の優しさにじわじわと侵食される。私なんかにでも優しくしてくれる薫先輩のことが好きで、大好きで、すがり付きたくなってしまう。けれど薫先輩が優しいのは誰にでも同じで、私だけでなく、あんずちゃんや他の人たちにも対等に優しい。

「私もう…頑張れないです…。どんなに頑張っても、あんずちゃんに置いていかれるし、みんなの役にたたないし、怒られるし、呆れられるし…そのうちきっと、誰も私なんかに見向きも、しなくなって…」

こんなこと誰にも言いたくなかったし知られたくなかった。けれど隠してきた涙を見られてしまったついでだと思って話してしまった。きっと薫先輩だってこんな私なんかより、綺麗だし仕事もできるあんずちゃんの方が好きだろう。泣いてめんどくさい私なんかほっといて帰ってくれればいい。そしたら私は全部諦めて、プロデューサーなんか辞めてみせるのに。

「俺は見捨てたりなんかしないよ。優ちゃんは気付いてないかもしれないけど、俺これでも優ちゃんに支えられてるんだよ?」
「…嘘。私、薫先輩のためになることなんか、何もできてない」
「そんなことないよ。俺たちのために一生懸命走り回ってくれて、客観的に的確なアドバイスくれて、毎日すっごく可愛い笑顔見せてくれるんだもん。いっぱい色んなことしてもらってるよ」

薫先輩は目を擦る私の手をどけて、ハンカチで涙を拭ってくれる。こんな間近でぶさいくな泣き顔を見せてしまって、幻滅されているだろう。

「俺だけじゃなくて、Knightsの皆もそうだと思うよ?彼らがあんずちゃんじゃなくて君をプロデューサーに選んでるの、なんでだと思う?」
「…あんずちゃんが、忙しいから…」
「違うでしょ!優ちゃんを必要としてるからだよ。Knightsがそんな中途半端なことすると本当に思う?」

思えない。あんずちゃんが忙しいから横島でいいや、とか、あの人気ユニットのKnightsが妥協するとは思えない。

「せなっちとか特にきついからへこんじゃうのかも知れないけど、嫌いだからって厳しくする人じゃないしね」
「…わかってます。瀬名先輩は悪くないです。私が勝手にへこんだだけですから…」
「一人で抱え込まないでね。俺でよければいつでもこうやってお話聞かせて欲しいな」
「…いいんですか?」
「もちろん。優ちゃんに頼ってもらえるなら嬉しいくらいだよ」

薫先輩に優しく励まされて、心のもやもやがどんどん晴れていくのがわかる。プロデューサーの私が皆を支えなきゃいけないのに、私が励まされている場合ではない。薫先輩がここまで優しくしてくれるのだから、私ももう少し、というかもっと、頑張らなければ。

「ありがとうございます、薫先輩」
「うん、優ちゃんの力になれたみたいで良かった」
「私も、薫先輩の力になれるようにがんばります」
「優ちゃんは居てくれるだけでも俺の力になってるけど…、デートしてくれたら俺ももっとがんばれるかも」

なんてにっこり笑顔で言われてしまい、顔に熱が集まるのを感じた。いつもは他の人も居るところで軽く言われるだけだったから、デートしたい気持ちを抑えて受け流していたけれど、今は2人きりの状況だ。本気で誘われているのではと思ってしまい、本気で受け取ってしまった。

「あれ、優ちゃんが照れるの珍しいね」
「い、いや、その、」
「その顔はデートしてくれる、って受け取ってもいいよね?」

照れてしまって否定するのも変だし、何よりここで頷けば薫先輩とデートできるのだと思ったら、私は首を縦に振っていた。

「よかった!それじゃあ、Knightsとの打ち合わせ終わったら迎えに行くから、連絡ちょうだい」
「えっ、あ、今日、ですか?」
「もちろん。善は急げって言うでしょ?それに優ちゃんとデートできるんだもん、今すぐにでもしたいくらいだよ」
「…それは、だめです。Knightsの皆に、逃げ出したこと謝りに行かなきゃいけないので…」

私だって今すぐにでも薫先輩とデートしたいけど。やることやってからじゃないと、Knightsに顔向けできなくなってしまう。

「応援してるよ。また後でお話聞かせてね」
「はい」

薫先輩は私の頭を撫でて応援してくれた。子供扱いされているのか何なのか解らないけど、大好きな人に応援してもらえているのだから、そんなことは気にしないようにした。
薫先輩の手の温もりを感じていたら、離れたところから足音と声が聞こえてきた。


「こんなところにいた…!探したでしょぉ!」

振り向けば、不機嫌そうな瀬名先輩が近付いてきていた。まさか瀬名先輩が自ら私のことを探しに来てくれるなんて。

「…って、何?泣いてたわけ?」
「えっ、あ、泣いてないです!」
「嘘ついたって顔見ればわかるに決まってるでしょ。かおくんごめんね、迷惑かけて」
「全然迷惑じゃないよ、むしろせなっちのおかげでデートできるから役得って感じ」
「へー」

デートすることをばらされると思わなくてビクッとしてしまうと、瀬名先輩に軽く睨まれた。

「別にあんたがかおくんとどうなろうと興味無いけど、浮かれてヘマするようになったら今度こそ本気で追い出すから、覚悟しててよねぇ?」
「は、はい!」
「解ったならほら、戻るよ。皆あんたを待ってる」

あぁそうか、私はまだ皆から必要としてもらえるんだ。薫先輩の優しさも瀬名先輩の不器用な優しさも嬉しくて、思わず笑みが溢れた。

「じゃあ優ちゃん、また後でね」
「はい!」

うまくいかないことは多いけど、私には私にしかできないことがある。あんずちゃんの真似ばかりしていないで、私にできることを見つけて伸ばしていこう。


「…さっきは泣かせてごめん」
「!もう、大丈夫です」
「そうだろうね、かおくんのおかげでね」

意地悪そうにそんなことを言われて、またしても顔が熱くなった。