幸せにしたい


俺には好きな子がいた。女の子はみんな等しく好きだったけど、その子だけは飛び抜けて好きで、話すときには緊張するほどだった。
高校で初めてあって一目惚れして、3年間同じクラスで、3年間かけて惚れに惚れてずっと近くで見てきた子だ。

「卒業してもさ、俺らまた会えるよな?」

卒業したら毎日なんて会えなくなる。休日にも一緒に遊ぶくらいの友達にはなれたけど、どうしても横島が俺だけを特別扱いしてくれる未来を、想像できなかった。

「当たり前じゃん、友達だし仕事仲間なんだから。嫌でも顔合わせるでしょ」

俺は泣きそうだというのに、横島は最後まで軽く笑っていた。横島は俺と離れても平気なんだろうな、と胸が苦しくなった。
横島ははじめから成績が良くて、美人で、スタイルもよくて、真面目でいいやつだった。いつも誰からも好かれるような笑顔でいて、眩しかった。完璧すぎたから、俺じゃ手を延ばすことさえできなかった。

「…泣かないで。笑った方が可愛いよ」

男が言われるには違和感のある台詞を横島は吐く。横島が泣いてる側だったら、俺がこう言って弱みにつけこんで抱き締めたりできたのに。

「またいつか会えるし、大丈夫だよ」

また明日ね!の挨拶が大好きだったのに、これからは言ってもらえないのが悲しかった。とにかく悲しすぎて、最後まで俺はカッコ悪いままだった。

お互いヒーローになってみたら忙しくて、毎日会いたいなぁなんて考えながら過ごして、日に日に横島の存在を遠く感じるようになっていった。
だんだんと、横島はもう俺の知らないところで知らない男と幸せになるんじゃないかとすら思い始めていた。

仕事帰りに、明日の休みのための漫画でも買っておこうと思って本屋に立ちよった。漫画コーナーに向かうまでに雑誌がたくさん並んでいて何気なく眺めていたら、横島のヒーロー名が小さく書かれている週刊誌を見付けて足が止まった。
熱愛デート!?なんて煽り文があって、心臓が止まりそうになった。高校の時は横島が誰かと付き合うなんてこと、想像もできなかった。でもいまはもうヒーローであり社会人だ。恋人ができてもおかしくない。だけどそれを俺は認めたくなかった。
震える手でその週刊誌を手に取り横島の記事を探すと、白黒のページに男とデートをする横島の写真があった。デートの帰りには横島の住むマンションに2人で入っていったなんて書いてあるし、俺は本屋で泣きそうになった。
こんなことになるなら、勇気を出して好きだと言っておけばよかった。タイミングなんていくらでもあったのに。

漫画を買うことなど忘れて本屋を出て、俺は後先考えずに横島の携帯に電話をかけていた。何を話すかなんて決めていないのに、とにかく横島の声が聞きたかった。

「はーい、もしもし?」

大好きだった横島の澄んだ声がして、懐かしさで視界が滲んだ。今喋ったら確実に声まで震えてしまいそうで、息を飲んだ。

「上鳴?どうかした?大丈夫?」
「…おう」
「…、何かあった?今どこ?」

声が聞きたかった、なんて恋人のような返答はできやしない。せめて話すことを決めておけばよかった。

「…うちの、最寄り駅」
「そか。今割りと近くいるから、待ってて。10分もあれば着くから。ちゃんといてね?」
「…うん」
「じゃ、また後でね」

馬鹿すぎる。何も考えずに電話して、何も喋れなくて心配かけて会いに来させるだなんて。確かに横島には会いたかったけど、俺だってもっとデートっぽく会いたかった。
迷惑と心配をかけた後悔で座り込んで頭を抱えていたら、不意に誰かに手を握られた。

「上鳴」

顔を上げれば目の前には大好きな横島がいて、走ってきてくれたのか息を切らして俺を見つめてくれていた。

「久しぶりだね?」

俺を安心させるかのように笑顔を見せてくれて、胸が苦しくなった。俺のために駆け付けてくれるなんて、最高のヒーローだ。
嬉しくて勢いで抱き付いてしまいたかったけど、週刊誌での彼氏のことを思い出して手が止まり、素直に喜べなかった。横島はきっと、俺じゃなくても駆け付けていただろうと思って。

「…ずっと、会いたかった」
「私もだよ。やっと会えたね」

こんなに近くにいるのに、もう横島は誰かのものになってしまっている。どんなに近くても、遠い。前よりも遠い存在になってしまった。

「…上鳴、泣いてばっかり」
「ごめん…」

駅前でしゃがみこんだまま、横島は俺の頬を撫でて細い指を濡らしていた。こんな、誰に見られてるかもわからないところで。そんなところで泣いてる俺もどうかと思うけど。

「お家帰ろうか?送ってくから。歩ける?」
「…うん」

横島は俺の手を引いて立たせ、そのまま歩き出した。初めて繋ぐ横島の手は温かくて、こんな体験もこれが最後なんだと思うと余計に泣けた。

「泣かないで。誰かに何かされた?」
「…それ、子供のあやしかただろ」
「だって…大人が泣く理由なんかわかんないよ。失恋でもした?」
「…うん」

うなづけば、横島はびっくりしたかのような声を出した。

「…そっか、辛かったね。でも、泣くほど人を好きになれるのは、良いことだと思うよ。えらいよ、上鳴」

俺だって、こんなに泣くほどの気持ちがあったなんて知らなかった。失わないとわからないなんて、俺は本当に馬鹿だ。

「…だから、泣かないで。上鳴が泣くと私も辛い」

気付くと横島の声も震えていて、目からぽろぽろと涙を溢していた。

「なんで横島が泣くんだよぉ」
「だって、だって…上鳴が泣くから…。連絡嬉しかったのに、ずっと辛そうなんだもん…」
「ごめん…」

もうヒーローだってのに、2人して泣きながら歩いてるって何なんだよ。顔が知られてることもあって通行人にじろじろと見られてるのを感じる。

「…なぁ横島、いま幸せ?」

横島が幸せなら、もう諦めよう。どんなに俺が苦しくても、横島が選んだ人生で幸せに過ごせているなら、今度こそ俺に入る余地はない。

「上鳴が笑ってくれないから…幸せじゃない」
「な、なんだよそれぇ」
「…最後に会ったときも、泣いてた。今日も泣いてる。私、上鳴には笑ってて欲しいよ?」

しょうがないだろ。大好きな人への想いに行き場がなくなって、どう笑えって言うんだよ。

「…なんで今日、私だったの?切島とかのが、うまく慰められたよ。私じゃ上鳴の笑わせ方わからないもん…」
「…横島の声が、聞きたくて。気付いたら電話してた」

こんなこと言われても困るだろう。迷惑だってんならこの手を離して帰ればいい。けど横島はそんな俺を見捨てるようなこと絶対にしないから、そういうところも好きだった。

「俺ほんと、カッコ悪いな。横島のこと困らせてばっかで…」
「…頼ってよ。上鳴が幸せになるためなら、なんでもするよ」
「…なんでそこまでするんだよ」

横島がいつでも誰にでも優しいのは知っていた。けどいまだに、ただの友達だった俺にそこまで言ってくれるなんて思わなかった。

「好きな人には、幸せに笑って欲しいから」

横島はいつもみたいに笑おうとしてくれたけど、溢れる涙のせいでそれは敵わなかった。

「…それなのに、ごめん、無力で。私じゃ上鳴のこと…幸せになんてできないよね」
「横島…」

初めて見る泣きじゃくる横島の姿に動揺した。横島が泣く理由、言葉の意味、どれを考えても混乱させられた。

「俺だって、ずっとずっと横島のこと好きだった。横島が言う友達の好きじゃなくて、ほんとに、付き合いたかった。俺のものになってほしかった…。でもさ、彼氏できたんだろ?それ知ったら辛くて俺、思わず電話しちゃって……」

勢いに任せて、全部告白した。横島の恋を邪魔したくはなかったけど、友達としてでも好きだと言われてしまったら、好きだと言い返してしまいたくなった。

「彼氏…?いないよ、そんなの」

びっくりしたのか、横島の涙はぴたりと止まっていた。そんな様子に俺もびっくりして、視界がクリアになってきた。

「…じゃ、あ、あの週刊誌の写真は?家に男連れ込んだって…」
「…弟なら、家に遊びに来たけど…もしかしてそんなの撮られてたの?ほんとに?」

だとしたら、俺が絶望的に泣いた意味は何だったんだ。横島に迷惑かけてきたねぇ泣き顔を見せて横島のことまで泣かせたというのに。

「…それが理由で、泣いてたの?」

ドキッとした。勘違いで騒いで泣いて、ほんとに馬鹿みたいだ。

「あの…今日のことは忘れてくれるとうれしい…」
「忘れないよ。上鳴、私のために、私のせいで、こんなに泣いてくれたんでしょ?うれしい。私も、ずっとずっと上鳴のこと好きだった。友達としてだけじゃないよ、付き合いたいし、私のものになってほしい。私が…私の手で上鳴を幸せにしたいって、今でも思ってる」

真面目にそう言われて、だんだんと心臓がうるさくなってきた。
俺もしかして今、世界一好きな人に好きって言われてるよな。

「勘違いさせて、泣かせてごめんね。私でも…上鳴のこと笑顔にして、幸せにしてあげられるかな…?」
「ほ、ほんとに…俺なんかでいいの?」
「上鳴が私とでも幸せになれるって感じるなら、私は上鳴と付き合いたい」

ぎゅっと力強く手を握られる。伝わってくる体温は本物で、夢じゃないんだと思わされる。

「お、俺、泣いてばっかでかっこわりぃけど…でも、付き合いたい。絶対大事にするし、幸せにしてみせるから」
「…っ、嬉しい!」

横島はやっといつもみたいに笑顔を見せてくれて、嬉しくなって俺も頬が緩んだ。

「私ずっと、上鳴は私のこと苦手なんだと思ってて…でも、今ちゃんと上鳴のこと笑顔にさせられたから、更に嬉しい」
「へ?いやいや、苦手どころか大好きだったって!」
「だって、上鳴いつも私と話すとき顔こわばってること多かったもん…」
「…まじ?たぶん、緊張してたんだと思う」

好きすぎてそんなことになっていただなんて。しかも苦手だとか勘違いさせていたなんて。

「…ちゃんと両想いみたいだから、これからは安心していいからね」

天使のような微笑みを向けられ、胸がじんわりと温かくなった。
もう今までみたいに、遠い存在だなんて思わなくていいんだ。手を伸ばして、触れてもいいんだ。そう思うだけで心が軽くなって、長年溜めてきたもやもやが晴れるような感覚がした。

「ありがとう、大好き」

我慢できなくて横島をぎゅっと抱き締めた。いつもすれ違い様などに一瞬しか感じられなかった横島の香りが鼻腔に広がった。全部全部俺のものだと思うと嬉しくて、しばらく横島から離れられなかった。