貴方という宝石


夢ノ咲学院を卒業して、私も晴れてESのプロデューサーに就くことになった。学生時代の働きぶりから英智くんたちだけでなくEdenの茨くんなんかにも目をつけられて、気付けば私はコズプロ寄りのプロデューサーになってしまっていた。
まだ高校生をしているあんずちゃんが、他の事務所の人たちのプロデュースをしっかりしてくれているから私がそんな風にコズプロに言い寄られても問題なく仕事は回っていた。


「どうもお世話になっております」
「ああこちらこそ、どうぞお掛けください」

茨くんからは格式高い仕事があればEdenとValkyrieにぜひ回して欲しいと強めに言われていた。
今日の打ち合わせは視聴率も格式も高そうなお仕事の話だったため、私も身なりを小綺麗に整えていた。
音楽番組の打ち合わせであり、ESのどのユニットを出演させるかとか他にどんなアーティストが出るだとか、割りと詳しく聞かせられ、聞けば聞くほど視聴率を集めそうな構成だった。

「君にも実績があればもう少し大きい仕事もあげられるんだけどねぇ」
「若輩者ですみません、ちなみに大きい仕事とは?」
「年末の特番とかね」

そんな世の中のほとんどの人間が見るような番組の枠を、うちのアイドルで使えるというのか。美味しい話すぎて唖然としてしまった。

「それ、年末までにどうにかして実績を積んで見せたら私にもチャンスがありますか?」
「そうだねぇ…」

ディレクターさんは向かい側に座っていたのだが、腰を上げわざわざ私の隣に移動してきた。急に距離をつめられ警戒してしまう。

「年末まで、君が何度か僕の呼び出しに応じてくれると約束するなら、君にその仕事をプレゼントしようか」
「え…」
「大事な機会だと思わないかい?大勢の目にする特番を君の好きなように使えるんだ。fineやknightsに与えたっていいし、まだ青いra*bitsやALKALOIDで番組を作ったっていい。売り出したいアイドルを、大々的に世にプレゼンすることができるよ」

美味しい話をしながら手を握られたかと思えば、膝丈のタイトスカートをじりじりと捲りながら太ももを撫でてきた。ESに守られている間は忘れていたが、社会は怖いところだ。たぶん今、枕営業を迫られている気がする。

「あの、私…」
「逆に今断れば、今回の仕事の話を白紙に戻したっていいんだがね?そしたらEdenは番組に穴を開けることになるから、業界での評判は落ちてしまうだろうね」

太い指で頬を撫でられ、鳥肌がたった。でも大事なアイドルの評判を落とすと思うと動けなくて、脅されながら服に侵入する手を許してしまっていた。

「いいこだね、そして健気だ。私が君を一流のプロデューサーにしてあげるから、大人しくしているんだよ」

顔を近付けられキスをされそうになり、さすがに嫌悪感が湧きすぎて、ディレクターを突き飛ばした。

「何をするんだ!」
「こ…こっちの台詞です!仕事の話ありがとうございました、帰ります」
「いいのか!?今回の仕事も無かったことになるんだぞ!」
「っ…構わないです!失礼します!」

乱された服を急いで直し、バッグを持って会議室を飛び出した。初めての恐怖に泣いてしまいそうだったが、人前で泣いてたまるもんか。
恐怖とEdenの大事な仕事を消してしまった罪悪感で、心臓がバクバクとうるさかったがなんとかタクシーに乗り込み、茨くんにどう説明しようなんてことが頭を巡った。
ESに着いても動悸は収まらないし、手も震えた。大事な仕事だったのに、本当に私だけの決断で無くしてしまってよかったのか。私が犠牲になってみんなにいい仕事を回して上げたほうがよかったのではと後悔が渦巻いた。
自分かわいさにEdenの仕事を犠牲にしてしまって、茨くんに嫌われるんじゃないかと、それが一番怖かった。

エレベーターを降りれば奥からこちらに気が付いた茨くんが向かってきた。にこにこと嬉しそうな笑顔だから余計に胸が苦しくなった。

「お疲れ様でありますプロデューサー!本日の打ち合わせはいかがでしたか?詳しく聞きたいので会議室へどうぞ!自分も完璧な計画を立てておきましたので、ぜひプロデューサーの意見をお聞きしたい!」

茨くんは私の背中を押して会議室へと導こうとするけど、私は足を動かすことができなかった。こんなにこの仕事を楽しみにしてくれていたのに、私はなんてことをしてしまったんだろう。

「茨くん…」
「はい?いかがなさいましたか?」
「…ごめんなさい。お仕事、無くなっちゃった」

怖くて顔が見れなかった。一瞬で空気が凍り付いたようにも感じて、沈黙に殺されそうになった。

「…何をしたらそうなるんです?優さんには期待していたんですがね…」

トーンの低い声が私に重くのし掛かる。罪悪感が重すぎて、今からでもまたあのディレクターに連絡をして自分が犠牲になったほうがよいのではと思ってしまうほどだった。

「…ごめん、次はがんばるから…」
「いつでもがんばって働いてくれているものばかりだと思っていました。俺も認識を改めることにしましょう」

ああもう、茨くんにはもう次なんて無いかもしれない。私に任せてくれるのはもうこれで最後になってしまったのだろうか。枕営業なんかしたくないけど、大好きな茨くんに嫌われて、一緒に働けなくなるなんて嫌だ。

「…ほんとに、ごめんなさ、」

絶対に人前で泣かないと決めていたのに、よりにもよって茨くんの前で涙腺が崩壊してしまった。これで泣くようなめんどくさい女だと思われただろう。もう私はだめかもしれない。茨くんの顔も一度も見れていないし、どう思われているかわからないしもう知りたくもない。

「え、ちょ…優さん!」

振り返ってもエレベーターはもうこの階には無くて、全力で逃げるために非常階段から逃げようと思った。もしかしたら茨くんが追いかけてくれるかも、なんて一握りの希望はあったけれど、偶然にも茨くんの方から着信音が聞こえてきて「はい、七種です」と応対しているのも聞こえてきた。
私と茨くんはただのアイドルとプロデューサーの仕事の関係であり、間違っても恋人なんかではない。だから私よりも仕事の電話を優先するのは当然だった。がっかりするほうがおかしいんだ。

ぼろぼろに泣きながら非常階段を降りていたら、下から誰かが登ってくる足音が聞こえてきた。私がいるのはちょうど踊り場の所でドアが無く逃げられないため、その場しのぎに背を向けて袖で目元を抑えてみたけど、袖がどんどん濡れていくだけで涙は止まりはしなかった。

「…優さん?どうかなさいましたか?」

心配してくれるような柔らかい声で、弓弦くんだとわかった。返事をしようにも今まともにしゃべれるとは思えなくて、無視するようになってしまって申し訳ない。

「少々失礼致しますね」

あぁ、弓弦くんもどこかへ行ってしまうのか、と寂しく思ったら、体の向きを反転させられ腕のなかへと閉じ込められた。失礼するってそういうことか。

「顔は見ていないのでご安心を。わたくしでよろしければお話お伺いいたしますよ」
「ゆ、ゆづ、ぅぅ…」
「落ち着くまで傍に居させて頂きますね」

弓弦くんの優しさが身に染みて、とめどなく涙が溢れてきた。もう自分の意思ではコントロールできなくて、涙が枯れるまで泣かせてもらった。

落ち着いてから今日あった出来事を話していくと、よりいっそうきつく抱き締められた。

「怖い思いをしましたね。ですがもう大丈夫です。今回のことはわたくしから英智さまに報告させていただきます」
「うん…ありがとう」

きっとあの人からまた話が振られた場合、警戒して他の男性スタッフが向かうことになるのだろう。

「…私、茨くんに嫌われたかな」
「嫌われたってよいではありませんか」
「へ」
「貴方はEdenの専属プロデューサーというわけではないのですよ?わたくしや他の方々も、貴方のプロデュースを待ちわびております。嫌な思いをさせられたことを茨に伝えても尚嫌われてプロデュースさせてもらえないなどということがあれば、それは茨の心が狭いだけでございます。貴方が気に病む必要はございません」

茨くん、まだ私と口を聞いてくれるだろうか。私の話に耳を傾けてくれるだろうか。もしあしらわれたりなんかされてしまえば、きっと私はまた泣いてしまう。

「本日はもうお帰りくださいまし。貴方に元気がないと皆様が心配なされます。心身ともに休められたら、またESでお会い致しましょう」

弓弦くんの柔らかい微笑みで心が軽くなるのを感じた。さすがトップアイドルfineの1人だ。

「お話、聞いてくれてありがとう。私1人だったら、あのディレクターにやり直させてって連絡しちゃってたかも」
「もし茨がそうしろと言ってもおやめくださいね?わたくしが茨を始末して差し上げますので」
「も、もう大丈夫だから…」

本当にありがとうと何度もお礼を言って弓弦くんと別れ、私はまた階段を登ることにした。
事務所に戻る前にお手洗いに行けば、予想以上に顔がひどくて萎えた。人前に出れる程度に化粧は直したけれど、泣いて腫れた目を隠しきることはできなかった。


「あれ?優さんもう帰っちゃうんすか?」

帰り支度をしていたら、通りがかったジュンくんに声をかけられた。

「あ…えと、ちょっと、体調優れなくて」
「大丈夫ですか?無理せず休んでくださいね、最近の優さん働き詰めだったと思うんで」
「そうなのかな…」
「そうっすよ」

皆に心配かけて申し訳ないなと思いながら事務所を出てエレベーターを呼んで待っていると、後ろから肩を掴まれた。

「俺に黙って帰るおつもりで?」
「い、茨くん…」
「少し、お話する時間をいただけませんか?体調不良の貴方を拘束するのは気が引けますが、このまま帰したくない」

お説教をされるかもしれない。責められるかもしれない。悪い予想はどんどん頭に浮かぶけど、どんな内容だとしても茨くんと話せることに喜びを覚えてしまう。私が頷くと「来てください」と茨くんは歩き始めたので、私は大人しくついていった。
連れていかれたのは誰もいない会議室だった。防音のせいでしんと静まり返っていて、緊張している自分の心臓がうるさく感じた。

「泣かせてしまい申し訳ありませんでした。多忙でいらいらしていたせいもあり、貴方にきつく当たってしまいました」

まさか謝られるなんて思っても見なくて、返事もできなかった。むしろ謝りたいのは私のほうなのに。

「貴方が相手方に粗相をしたとは考えにくい。何か事情があったのでしょう?どうか聞かせていただけませんか」
「…怒らないで、聞いてくれる?」
「…自分、貴方をそんなに怯えさせるほど怖い顔でもしていますかね?」

茨くんがなんだか傷付いたような顔をするから、私はあわてて首を振った。私が勝手に嫌な予想をして怯えてるだけで、茨くん自体が怖いわけでは決してない。

「あの、ね、打ち合わせ行ったら、ディレクターと2人きりだったんだけど…」

話し始めただけで何か察したのか、茨くんの眉がぴくりと動いた気がした。そのまま普通に打ち合わせをしたこと、年末の特番の話を持ちかけられたこと、体を触られ迫られたこと、断ったら今回の仕事を無かったことにされたこと、全て正直に話した。思い出すだけでも身震いがして、言いようのない不安に襲われた。

「…体は、無事でありますか?」
「うん…でも、そのせいでお仕事失くなっちゃって…」
「そんなことはもう構いません。優さんが無事でよかった、本当に…。ろくに話も聞かずに嫌な態度をしてしまった自分が情けない」

茨くんは動揺していて、いつもの余裕は微塵も感じられなかった。私を心配してそんな風になってくれるなんて、と不謹慎ながら嬉しくも思ってしまった。

「というか、これを怒らないで聞いて欲しいだなんて、俺が今のを聞いて貴方を怒るほどの最低野郎だなんて思ってたんですか?信用されていなさすぎていくら俺でも哀しみを覚えますね」
「ご、ごめん、怒らないで…」
「俺は、自分の不甲斐なさと相手のディレクターに対して憤りを感じているだけで貴方に対しては怒っていないであります」

深いため息をついたかと思うと、茨くんは私に近付いてきて私の手をとり握りしめた。

「危ない目に合わせてしまい申し訳ありません。貴方には謝りたいことだらけです」
「…私こそ、ほんとにごめん」
「謝らないでください。あのまま流されて体を売られるくらいなら、仕事一つの犠牲で済んでよかったであります。貴方に何かあったら俺は……」

どきりと胸が高鳴ったのに、茨くんはそこで言葉を途切れさせてしまった。

「それに、汚れ仕事で手に入れた出演依頼で、我々が喜ぶなどとお思いですか?ESのプロデューサーは枕営業をしているだなんて噂でも立ったらそれこそ我が社に傷がつきます。どうか貴方は、胸を張ってできる仕事のみを引き受けてください。俺やジュンならまだしも、閣下や殿下にそんな悲しい背景のある仕事をさせるわけにはいきませんからね」

私の判断は正しかったと、そう言ってもらえているようで罪悪感は薄れていった。

「おわかりいただけましたか?」
「うん、わかった。ありがとう、私の話聞いてくれて、信じてくれて」
「貴方のような馬鹿正直な人間を疑う理由はどこにもありませんしね」

呆れたように言ってくるけど、それは私を全面的に信じると肯定してくれている言葉にしか聞こえなくて、喜んでしまいそうになる。

「それと別件なのですが」

急に怖い顔をしたかと思うと、私の手を握る力を強められて逃げられないようにさせられた。

「さっき逃げられて、閣下からの電話を終わらせてすぐ貴方を見つけたくてESの監視カメラをくまなくチェックして貴方を探しださせていただきました。俺が行くまでもなく慰められていたようなので邪魔はしませんでしたが…弓弦なんかにすり寄るのは納得いきませんね。誰でもよかったのでありますか?」

監視カメラで一部始終見られていたのか。あれが何分間の出来事だったのか全く想像ができないし、ましてや大好きな茨くんに見られてしまっただなんて血の気が引いてしまう。

「だ、誰でもいいわけ…」
「そうですか。では弓弦がよくて、ちょうどそこに弓弦が現れたということでありますね。これはこれはおめでたい出来事を目撃できて嬉しく思います!」

自棄になったようなテキトーな営業スマイルを見せられて困惑する。私の自惚れでなければ、嫉妬されているように思えてしまう。まさか茨くんが、そんなわけ。

「…ほんとは、茨くんにああしてほしかった」

声が震えた。茨くんならきっと、私に気がなかったら適当なことを言ってはぐらかしてくれる。そうされたら私は、茨くんへの思いは手の届かない奥にしまってしまいたかった。
だが茨くんは私の不安を裏切るように、私をきつく抱き締めた。茨くんの匂いでいっぱいになり、脳ミソが沸騰しそうだった。

「冗談だ、とは言わせませんよ」
「…言わないよ」

心なしか茨くんの声も震えているような気がした。密着したおかげで、茨くんの鼓動も激しくなっているのを感じて嬉しくなった。

「何かあったら、弓弦や他の奴らなんかのところではなく、俺に真っ先に言っていただきたい。辛いことがあったときに慰める役目は、俺だけのものにさせてください」

恐る恐る、茨くんの背中に手を回して私からも抱き締めれば、更に距離が縮まった。

「…アイドルなのに、プロデューサーに手を出すなんてどうかしてますね、俺」
「…私こそ、プロデューサーなのに、アイドルにこういうことしてごめん」

私たちはアイドルとプロデューサーだ。だから、好きだと明確に言葉にしてしまったら、その関係がおかしくなってしまう。こんなにも近くにいるのに、茨くんを遠く感じてしまう。
茨くんの腕が緩んだので私も力を緩めれば、私を見つめる茨くんと瞳が交わった。

「許してくれとは言いません。最低野郎だと罵ってくれても構わない」
「そ、そんなひどいこと言わないよ」
「やはり優さんはお優しいですね。馬鹿正直で優しいところ、俺は好きですよ」

もうこれは愛の告白なのではと思ってしまい一気に顔に熱が集まった。私だって、茨くんが大好きだ。

「ですが無防備すぎて危なっかしいので、唾をつけておきましょうか」

比喩でも何でもなく、茨くんはその綺麗な顔を近付けてきて唇を合わせ、舐めてきた。

「俺に見とれるのは構いませんが、キスをするときくらい目を閉じませんか?」
「ごっ、ごめん」
「今さら閉じても遅いですが、目を閉じたということはそういうことで構いませんね?」

違う、と言いたいのに私の唇はもう塞がれていて否定できないし、深く深く侵入されるのが心地よくて、もう悩むのがバカらしくなってきた。

「…そこまで素直に受け入れられると、やめられなくなりますよ?」
「…茨くんなら、いいよ。誰でもよくなんかないの。私は、茨くんがいい」

馬鹿正直に伝えれば、茨くんは喉をごくりと鳴らしていた。

「あまり俺を煽ると、後悔しますよ」
「大丈夫。茨くんは私にひどいことしないって信じてる」
「…今日泣かせたばかりなのに?」
「悪いのは茨くんじゃないから、気にしないで」

私からも背伸びして唇を寄せれば、腰を引き寄せられて深く舌が絡み付いてきた。
こんなことをしてまだ平然と、アイドルとプロデューサーの関係だなんて言えるだろうか。

「優さん、俺のこと大好きですね」
「…茨くんも、私のこと大好きだよね」
「おや、バレていましたか。お恥ずかしい限りです」

優しく頬を撫でてキスをくれる茨くんが愛おしい。今日は嫌なこともあったけど、そんなこと気にならないくらいに、幸せだ。大好きな茨くんのためにも、明日からもまたがんばって働こう。