恋愛ドラマ

夢ノ咲の頃から、愛するアイドルたちの成長を手助けし見守りながら生きてきた私にとって、私の人生は大好きなアイドルたちに捧げたようなものだった。趣味も特技もアイドルのプロデュースをすることだと言えるような人生を送ってきて、自分が誰かと恋をして結婚をして子供を生んで、なんて想像をする暇はほとんどなかった。今が楽しいから、そんなこと考えなくても支障はなかった。女友達に、浮いた話ないの?なんて聞かれても、仕事が恋人だなんて言っていたくらいだ。

「優さん、あの、相談があるんですけど…今日ってお時間ありますか?」
「いつでも空けれるよ、今からシナモンでもいく?」

すごく困った顔をした創くんが相談を持ちかけてきたので、今すぐにでも解決してあげたくて即答した。今日中に片付けなければならない仕事はあるが、私が徹夜をしてでも片付ければいい話だ。

「誰にも聞かれたく無い話で…」
「…2人で話せる場所の方がいいね?」
「は…話したら、僕、泣いちゃいそうで…」

既に泣きそうな声を出され、胸がぎゅぅっと締め付けられた。高校生の頃は何度も創くんの涙を見たことはあるが、高校卒業後はぴたりとそんなことはなくなっていた。そこまで深刻な悩みを喫茶店だとか人目のあるところで話させる訳にはいかない。だからといってES内はどこにでもカメラがあって茨くんあたりに監視されていてもおかしくない。

「…うち、来る?」

これも冷静な判断とは言えない。けれど他の誰にも知られずに創くんの話を聞ける場所はここしかない。うなづく創くんと小声で時間と待ち合わせ場所をすぐに決めて解散した。約束の時間までに仕事を片付けなければ。


約束の時間の10分前に、私の家の最寄り駅につくと、そこには既に創くんの姿があった。もちろん人からわからないように変装はしているが、それも見慣れた私にはすぐに見分けることができた。

「ごめんね、お待たせ」
「全然待ってないですよ、まだ時間にもなってないんですから」

ああなんかデートの待ち合わせみたい、なんて思ってしまってクラっとくる。創くんは真面目な相談があってここまで来てくれたんだから、邪な考えは捨てなければ。

「変な時間でごめんね、ご飯もう食べた?」
「まだですよ」
「どこかで食べてく?何か買って帰る?それか、お話した後に私が何か作ろうか?」
「そ、そんな、申し訳ないですよ、相談にのってもらってごちそうまでしてもらうなんて」
「…お弁当でも買って帰っとこうか」

たしかに、後から作っていたら創くんの帰りが遅くなってしまう。申し訳ないけど、お弁当くらいで勘弁してもらおう。
近所の美味しいお弁当屋さんでお弁当を二つ買い、私の家まで案内した。

「…なんか、緊張します。女の人のお家にあがるなんて初めてなので…」
「あはは、そんな緊張しないでよぉ」

それを言われると、私だって男の人を家にあげるのは初めてだ。だが相手は創くんだし、実質女の子みたいなものだし。意識して私まで緊張したら会話すら危うくなりそうだ。

「お、お邪魔します」
「適当なとこ座って」

リビングには、一人暮らしのくせに調子こいて買った2人がけの大きなソファがあった。適当なところはそのソファくらいしか無いので、創くんはそこに座った。

「紅茶でもいれてくるから、ちょっと待っててね」
「は、はい」

静かな空間だと余計に緊張すると思い、テレビをつけておいた。紅茶の好きな創くんの口に合うほど上質な紅茶は家にはなかったけれど、いつも飲んでいるアップルティーを二杯いれて、ソファの前のローテーブルに並べた。

「すみません、僕が相談する側なのにもてなしてもらっちゃって…」
「気にしないで、私がしたくてしてるだけだから」
「…ありがとうございます」

ああもうこちらこそ。その可愛い笑顔が見れるだけで、私の疲れは全て吹き飛ぶんだから。

「お仕事の、お話なんですけど」
「うん」
「僕…連続ドラマに出ることになったじゃないですか、高校生の役の」

この前、オーディションではなく監督の指名で創くんが選ばれたと報告を受けて、一緒に喜んでお祝いのケーキを食べたのは記憶に新しい。

「あれ…少女漫画が原作だと聞いたので、次の日に買って全部読んでみたんです」
「…面白くなかった?」
「いえ!漫画はとても面白くて、この作品に関われるなんて嬉しいなぁって、思ったんですけど…その…」

曇った表情を見ていると、私も不安で動悸がしてきた。

「…ちょっとだけ、読んでもらってもいいですか?このずっと笑顔の男の子が僕の演じる役なんですけど…」

創くんは問題の少女漫画の単行本の五巻をカバンから取り出して、途中のページを開いて私に手渡した。ひとまず読んでみようと思ったのだが、扉絵からして男の子が暗い顔で涙を流していて不穏な雰囲気だった。
場面は放課後の教室で、ヒロインと男の子が2人きりの状況だった。「河井くんまだ帰ってなかったの?どうしたの?」なんて訊ねるヒロインだが、河井くんの表情が暗いことに気が付いて心配して近付く。河井くんが心配で、「何でも話して」とヒロインが言うと、「僕が君と付き合いたかった。あいつよりずっと前から君が好きだったんだ」と告げ涙を流し、戸惑うヒロインに近付いて唇を奪った。

「…、キスシーン?」
「…もっと、読んでください」

まだ何か嫌なことがあるのかと読み進めると、「ごめん」と言ってヒロインは逃げて彼氏のことを考えながら泣いていた。そんな2人を廊下から見ていた別の女が「いつまで美樹のこと見てるの、私がいるじゃん」などと言い河井くんに近づき、キスをした。「私が忘れさせてあげる」と言い首のリボンとボタンを外し、河井くんのズボンのベルトに手をかけ、画面が少女漫画特有のふわふわきらきらトーンやら何やらで埋め尽くされた。

「…これ、創くんがやるの…?」
「せっかく指名まで貰って受けた仕事だから、やるべきなのはわかってるんです。でも、僕、仕事だからってこんな、知らない女の人と、しかも2人も、き、キス…して…しかも、なんか…怪しいシーンまで…」

創くんの目は潤んでいて、この役のこの話が相当嫌なのだと理解させられた。だが大ヒット漫画の割りと人気なキャラだし、これをやり抜けば俳優としての道も開かれる。創くん一人でも受けられる仕事の幅が増えるということだを

「…キスなんか、したことないのに。現場で知らない人たちに見られながら、知らない人と初めてだなんて恥ずかしいし、絶対うまくいきませんよ…」
「創くん…」

不安や焦り、恥ずかしさのせいか、こんなにも弱々しい創くんを久しぶりに見た。ここが人目のある場所じゃなくてよかった。私は創くんを落ち着かせるために背中を撫でた。

「優さんは…キス、したこと、ありますか…?」
「え。…ない、けど、」
「…僕、知らない人とキスさせられるくらいなら、初めては、優さんと、したいです」
「へ!?」
「こ…これが、僕の、相談です」

ドラマの出演をどうしようとかいう話ではなく、ここが本題だったのか。いやでもまって、なんで私と?

「えっと…練習、てこと?」
「…僕にとっては、これが本番です」
「本番!?何の!?」
「…大事な、ファーストキスの」

創くんの顔は真っ赤だし、これ以上問い詰めたらショートしてしまうかもしれない。でもまて、私だってファーストキスになってしまうし、お互いの初めてがこんなことで済まされていいというのか。ていうか、アイドルとプロデューサーだし、アイドルのファーストキスをそんな気軽に頂いてしまっていいわけがない。

「嫌なら、いいです。僕のファーストキスはテレビで流されるので…そっちで、ちゃんと見てくれれば…それで…」
「いやいや、嫌とかではないけど、」
「えっ!い、嫌じゃ、ないんですか?」

ゆでダコのように顔を赤らめて、私の一言で明らかに喜んでいる。そんな、可愛い反応を見せられるとこっちも冷静でいられなくなるんだけど。

「…優さんは、いつか好きな人と上手にキスするための練習台に、僕を使ってください。優さんにキスしてもらえたら…僕、どんな役でもお仕事だって割りきって、がんばるので…」
「…本当に、そう思ってる?」

創くんにしては、私の気持ちを全く考えていない気がする。それほどまでに、余裕がないということだろうか。

「本当は…、僕は、優さんとしか、したくないです。好きな人としか、そんなことしたくないですよ…」

私の聞き方が悪かったのか、創くんを泣かせてしまった。大粒の涙が服に落ちて色を変えた。

「だったら…私が創くんをキスの練習台だとか思うのも、本当は嫌でしょ?」
「…嫌です。でも、そんな口実が無いと、優さんに申し訳ないですし、僕もこんな馬鹿みたいなお願いして、罪悪感に押し潰されそうで…」

泣いてる創くんをただ見ているだけになんてできなくて、人目が無いのをいいことに昔のように抱き締めた。高校生の時よりも、創くんの体は大きくなっていた。

「泣かないで、大丈夫だから」
「優さん…」

体を離して創くんを見れば、さっきよりは落ち着いた様子で、でも不安そうなのは変わらなかった。

「1分間、目瞑るから。好きにしていいよ」
「へ…へ!?そ、そんな、」

慌てる創くんをよそに、スマホでタイマーを開き、1分を設定した。

「今何もしなかったら、お互いの初めては他の人のものになっちゃうかもね」
「…!」

ちょっと意地悪な言い方をして、タイマーをスタートさせてスマホをテーブルへと置いて創くんの方に顔を向けたまま目を閉じた。余裕なふりはして見せてはいるが、私も死ぬほど緊張して心臓が壊れそうだった。目を閉じるとテレビの音ばかりが耳に入ってくる。どうやら音楽番組をやっているみたいで、聞きなれた紅月の曲が流れていた。どうせならちゃんと画面も見てあげたかったな。

「優さん」

呼ばれたことで一瞬で意識が創くんへと集中する。

「…好きです」

手を握られて、そう告げられた。声も、手も、震えていた。

「やめましょう、こんなこと…。僕のわがままで、していいことじゃないです。好きな人に迷惑かけてまですることじゃなかったです。僕、どうかしてました。本当にごめんなさい」

ぴぴぴ、とタイマーが1分経ったことを知らせてきた。目をあければ、創くんはまた大粒の涙を溢していた。

「…さっきも言ったけど、嫌じゃないよ。創くんになら、キスされてもいいと思える。泣くほど好きになってもらえて、嬉しい。それに、ドキドキする。創くんが良いって言うなら…私、創くんのことどんどん好きになっちゃうと思う」

今までは誰のことも男としてではなくアイドルとしてしか見てこなかった。というより、見ないようにしてきた。もし万が一にも恋をしてしまったら、仕事に支障が出ると思ったから。

「…僕で、いいんですか?」
「創くんこそ、私でいいの?」
「僕は優さんじゃなきゃ嫌です。高校生の頃からずっと、ずっとずっと大好きなんです。誰にも、渡したくないです」

大事にしてきたアイドルに、こんなにも愛して貰えるなんて。嬉しくて、私からも創くんの手をぎゅっと握り返した。

「…大事にするって、誓うので、僕と…お付き合い…しませんか」
「うん。一緒に、幸せになろう」

そう答えると、今度は創くんの方から私を抱き締めた。それはもう、苦しいくらいに。

「嬉しいです!ずっと、ずっと夢見てました。優お姉ちゃんが、優さんが、僕だけを特別にしてくれないかなって、毎日考えてたんです!」

私からも創くんを抱き締めて、落ち着くように背中をさすった。

「あ、あの、お付き合いして頂けるってことは…その…、き、キスも…」
「…する?」
「い、いいですか?その、しても…」

創くんがドキドキしているのが伝わってくる。私のドキドキもばれてしまっているだろうか。

「…いいよ」
「あ、ありがとうございます!」
「ふふ」
「し、しょうがないじゃないですか、僕だって…男の子なんです…」

まさかあの可愛かった創くんと、キスだなんだという話をする日がくるとは思わなかった。しかもそのキスの相手が私だなんて。

「…目、瞑ってくれますか」
「ん」

覚悟を決めて目を瞑れば、何秒かの沈黙のあと、一瞬だけ唇に触れた。

「ま、待ってください、もう一回…」

一瞬すぎて納得いかなかったのか、今度は少し長めに唇が触れた。創くんの唇の柔らかさが伝わってきて顔に熱が集まるのを感じた。

「も、もう一回…」

ちゅ、ちゅ、とそれから何度もキスをされ、合間に頬を撫でられたりとものすごく甘やかされた。

「…僕、こんなに幸せでいいんでしょうか」
「まだ、デートもしてないんだよ?これからもっと幸せなこといっぱいするんだからね」
「そう…ですね。優さんのことも、いっぱい幸せにしてみせますからね」

こんなに照れてとろけたような創くんは初めて見た。幸せに感じてくれているようで、私まで嬉しくなった。
今まで仕事のことばかりで自分の将来をほとんど考えてこなかったけど、創くんと歩む人生のこと、真面目に考えて二人で幸せになれるように考えよう。


後日、ドラマの台本を貰ってきた創くんから、ドラマではヒロインが好きな人と付き合うところまでしかやらないとのことで、創くんが演じる河井くんのキスシーンなどは無いとのことで、拍子抜けしてしまった。

「お騒がせしてすみませんでした…」
「いいよ、創くんが女の子に手出されなくてよかった」
「ふふ、これからもずっと、僕の唇は優さんだけのものですよ」

嬉しそうにそう言われ、創くんの唇の感触を思い出して赤面させられてしまった。