おあずけ


「おやすみなさい、優さん」
「うん、おやすみ、創くん」

私たちは月明かりが射す薄暗い部屋の一式の布団の中で、お互いの手を握りながら見つめ合い、おやすみと口にする。お布団の温かさと創くんの温もりで幸せに包まれているはずなのに、私は物足りなかった。欲張りになってしまっていた。

あんずちゃんと一緒に夢ノ咲に入学して、一つ下の創くんに一目惚れをした。恋心がばれないように過ごしてはいたけど、端から見たらメロメロになっているのはバレていたかもしれない。
会うたびに親愛度が上がっていくのがわかるくらい、創くんは懐いてくれた。どんどん心を開いてくれていたし、それだけでなく創くんの私を見る目がどうしてもあんずちゃんへのそれとは違うのではと自惚れて、理性を保つのに必死だった。ra*bitsの子達というか1年生の子達はわりと気軽に手を繋いでくるし、ハグをしてくる時もあった。他の子とそういうことをした時の創くんの表情がとても見ていられなくて、私も耐えられなくて、学年が上がる前に私から告白した。
お付き合いしましょう、と言葉を交わし私たちは晴れて恋人同士になり、何度もデートをしているし連絡も多めに取り合うし好きだと言葉にはしている。だがもうすぐ付き合って1年経ちそうなのに、キスやそれ以上のことができていなかった。

「…創くん、寝た?」

勉強を教えるなどの口実でお互いの家にも行ったし、ご家族にも気に入って貰えて仲良くできているし、今日は年越しを紫之家で行いそのままお泊まりをしている。
初めてのお泊まりだと言うのに、私が悶々としている間に創くんは眠ってしまったらしい。家には家族全員いるとはいえ、創くんの部屋で2人きりなのに。キスくらいできるのではとめちゃめちゃ期待していたのに創くんは心地良さそうに眠っているし、寝顔も愛らしい。このまま眠る創くんの唇を奪うくらいのことでもしてしまいたいのだが、はじめてをそんな風に終わらせたくない。ロマンチックに、とは言わないけれど、お互いに同意して行いたい。
どうしようもない気持ちを抱えたまま、私も諦めて眠りについた。



新年初出勤はやけにやる気が出なくて、打ち合わせに行く振りをしてカフェシナモンでサボりをきめた。

「お仕事どうしたんすか?ついにクビにでもなっちゃいました?」
「ついにって何よ、そんな前兆無かったでしょ」
「いやぁ、未成年のアイドルに手を出したのがばれたとか…」
「私も未成年だからとやかく言われる筋合い無いけど…!?」

創くんとはよくシナモンでお茶をするので、ニキくんにはなんやかんやで私たちの関係はバレていた。抜けているところがあるからいつか口外するのではと不安に思っていたが、今のところ問題は起こっていない。

「ほんとの打ち合わせまでここでサボるから、よろしく」
「はいはい、別に僕には関係ないんでチクったりしないっすよ〜」

私が注文したしののんブレンドを置いて、ニキくんは厨房へと戻っていった。ほっと一息つけると思ったのに、店に天城さんがやってきた。

「よっ♪優ちゃん今日は1人なんだな?俺っちが相手してやんよ」
「天城さんが暇なだけでは…」
「まぁそう言うなって」

許可をしていないのに天城さんは私の目の前に腰をおろした。暇だから別にいいけど、特別仲が良いわけでもないから少し身構えてしまう。

「しょぼくれた面してどうしたんだよ?何か悩みがあンなら燐音お兄さんが聞いてやるぜ」
「…いえ、ここで話すようなことではないので」

というより、天城さんに話すようなことではない。彼氏とちゅーしたいとかそんな恥ずかしいことを話して、口外されたら恥ずかしくて死ねるし社会的に死ぬ。相手はあの世界をぴょんぴょんする創くんなのだから。

「何だよ、えっちな話か?」

小声でこそっと聞かれ、一気に顔が熱くなる。別に、そこまでのことはまだ考えていない。いないこともないけど、まだその段階までいけていない。

「おいおい、図星かァ?昼間っからそんなこと考えてるなんてとんだ危ねェプロデューサーちゃんだな?」
「ち、違います!天城さんが変なこと言うから!」
「そう大声出すなよ、周りに迷惑だろ?…つっても、今は俺ら以外に客はいねェけど」

出勤時刻が過ぎているのにこんなところでのんびりサボっているプロデューサーがいるわけもなく、アイドルたちも少ない時間帯だ。むしろ誰か居てくれた方が天城さんを黙らせやすくてよかったのに。

「違うってことは何だァ?恋のお悩みか?」
「……」
「きゃはは!わかりやすい顔しやがって、可愛いでちゅね〜」

天城さんはアイドル歴も皆より長いし年上なだけあって、反抗しにくい。その立場で私をからかってくるから本当にタチが悪い。

「相手は何だ?職場の男か?アイドルか?」
「……」
「おいおい、答えてくれねェの?燐音くん寂し〜。あんな可愛い彼氏が居るってのにそれだけで満足できずに悩んでる優ちゃんの話を聞いてやろうってのに」
「知ってたんですか!?」
「おっ、当たり?テキトーに言ってみるもんだな」

やらかした、うまく天城さんの口車に乗せられてしまった。アイドルの彼氏が居ることがばれてしまった。

「しっかし優ちゃんに彼氏が居たとはな〜……ニキ知ってたか?」
「知ってますよ〜」

そんな大声で聞いたわけでもないのに、厨房の奥の方からニキくんの返事が返ってきた。

「ニキが知ってンのに俺が知らねェのはおかしいっしょ。まぁでも知っちまったからには俺っちがお悩み相談受け付けてやんよ」

なんて天城さんはにやにやしながら聞いてくるし、逃げ場がない。せめてしののんブレンドを飲み終わっていれば仕事だとか言って抜け出してみせたのに。

「…彼氏と……」
「うんうん」
「……ちゅーしたいんですけど、いつどこでどんなタイミングでするのかわかんなくて…」

めちゃめちゃ恥ずかしい思いをしながら悩みを口にして見たのに、天城さんは目を丸くして黙ってしまった。

「…何、黙ってるんですか」

現在の最大の悩みを言わされたのに、無反応だなんてひどすぎる。泣いちゃおうかななんて思いつつしののんブレンドを口にすれば、温かさがじわりと身に染み渡った。

「…乱れてんぞ。働いてるとは言え優ちゃんも相手も高校生だろうしまだガキじゃねェか。結婚もしてない内からキスだ何だと発情すんのはよろしくねェな」
「ほぁ…」

まさか、まさかこのチャラチャラしたパリピの天城さんからそんな真面目なお説教をくらうなんて。まさか私が淫らに発情しているのがよろしくないなんて。

「誘っちゃえばいいんじゃないすか?優さん可愛いしちゅーくらいいくらでもしてくれるっすよ」
「えっ」
「いいや、ダメだ。つーか相手はいくつだよ?結婚できる年齢になってんのか?」

ニキくんは天城さんにコーヒーを持ってきて、更に私にアドバイスまでしてくれたのだが、それは天城さんに却下されてしまった。意外と厳しすぎる。

「まだだけど…でも、絶対離したくないし、いつか結婚したいもん」
「へ〜え、そりゃ楽しみだな。世間は大騒ぎになるだろうなァ」

そんなのわかってる。創くんは私なんかが独り占めしていい人間ではないし、世界中にいっぱい愛されるべきだ。でも、それでも、私しか手に入らない創くんの一面が、もっと欲しい。

「いらっしゃいま…せ……っす〜…」

お客さんが来たというのに不自然に途切れるニキくんの挨拶を不審に思い入り口の方を見れば、噂をしていた創くんがこちらに向かってきていた。

「おはようございます、優さん、天城先輩」
「ちィ〜っす」
「おはよう…」

私たちの関係を知らない天城さんは普段通りだが、私は胸がざわつきすぎて緊張した。創くんの話をしていたせいで熱い私の顔色を、創くんはどう受け取っただろうか。

「えっと、僕お邪魔でしたか…?」
「ンなことねェよ。可愛い創ちゃんなら大歓迎っしょ。まぁ隣座れって」
「あ、はい、失礼しますね」

天城さんに言われるがまま、創くんは天城さんの隣に座る。私の隣に座って欲しかった。

「こんな時間からこんなとこ来てどうしたンだよ?サボりか?」
「いえ、打ち合わせの予定だったんですけど、急遽相手が来られなくなってしまったんでここで次のお仕事までゆっくりしようかなって思って来てみたんです。そしたら知ってる方がお二人もいらっしゃったので嬉しくなっちゃったんですけど……あの、優さん、体調でも悪いんですか?様子がちょっといつもと違うって言うか…」

明らかに心配されてしまい動揺する。さっきまでの話は何一つ創くんに言えることではないし、説明のしようがない。

「心配することねぇっしょ。思春期らしい恋の悩みで挙動不審になっちまってるだけだからなァ」
「恋の…?」
「ち、ちが、そういうんじゃなくて…」

天城さんは、私が恋をしていたとして創くんなら言いふらさないだろうと軽く考えているのだろう。この可愛い創くんに彼女がいてそれがまさか私だなんて思ってもいないのだろう。

「…よければ、僕も聞きますよ?お悩み。優さんが困っているなら、助けたいですし」
「お〜聞いてくれるか?なんでも優ちゃんにはかわゆい彼氏が居るらしいんだけど、彼氏に満足できねェみたいでさ」
「そ、そんな言い方してない!」
「要約したらそういうことだろ?」

私はぶんぶんと首を振るが、創くんがショックを受けているのが目に見えてわかる。創くんを悲しませたくも傷付けたくもないけど、天城さんを黙らせる方法がビンタをするかしののんブレンドをぶっかけるかしか思い付かない。

「ん、なんで創ちゃんが傷付いてんだ?まぁあれか、夢ノ咲でマドンナだったかわゆい優ちゃんに彼氏が居るなんてそれだけでショックだよなァ」
「そうですね…びっくりしちゃいました」
「お〜いニキ、創ちゃんにも何か温かいのいれてやれよ」
「ひゃい!」
「あ?何だアイツ…」

ニキくんは私と創くんのことを知っていてあえて隠れているに決まっている。私と天城さんには何も聞かずに紅茶やコーヒーを出してきたのに、創くんへのおもてなしが遅すぎる。

「けどよォ、優ちゃんみてェなイイコを彼女にしておきながら目一杯可愛がってやってねェのは納得いかねェな。こんなんだと横から悪い男が盗み食いするかもしれねェっしょ?」

黙れ黙れと思いながら天城さんを睨んでいたのだが、額を小突かれて邪魔される。天城さんほど悪い男はなかなか居ないよ。

「…ダメです、盗み食いしちゃ」

消え入りそうな声で創くんが告げる。泣きそうに目を潤ませて、不安そうに天城さんを見つめていた。おかげで天城さんはぎょっとして、居心地悪そうに一瞬だけ目を泳がせた。

「…お、俺っちちょっと次の予定思い出したからそろそろ、」
「ダメです、コーヒー残したらもったいないです」

創くんは立ち上がりそうな天城さんの腕を掴んで止めるし、そもそも創くんがどかないと天城さんは帰れない。何の意地を見せているんだ創くんは。このまま帰らせてしまえばいいのに。

「すみません、これでも力持ちなんです」
「おう…コーヒー飲むから離してくれよな?創ちゃんにボディタッチ続けられたらドキドキしちまうし?」

創くんが手を離すと天城さんは気まずそうにコーヒーを口にした。この空気どうしろというんだ。ニキくん助けて。

「…僕、かっこよくもないし、頼りないし、年下だし、優さんの望むこと、何でもはわからないし、できないかもしれないけど……それでも、できることは全部してあげたいし、わかりたいって思ってるんです。思ってるだけじゃ、意味無いのかもしれないですけど…」

思い詰めてしまったような創くんを見るのが悲しくて、私まで泣きそうになってしまう。天城さんのせいにしてしまいたいけど、これは私が創くんと腹を割って話せていなかったせいだ。

「真剣なので、盗み食いしないでください。優さんは、僕のなんです」

僕の、と言われて喜んでいる場合じゃない。創くんが天城さんに素直に打ち明けた上で釘を刺している。どうしても私に手を出されるのが嫌だということだろうか。年上の怖そうな人に強く言うの、創くんだって怖いだろうに。

「誰のだろうと、人の女に手ェ出す程馬鹿じゃねェっしょ。大事に思われてるみたいで良かったな、優ちゃんよォ?」
「…はい」

誤解を生む形になってしまったことを謝らなければ。私は創くんが大好きなのだから、満足していないとか思われたままにはできない。

「いじめちまったみてェで悪かったな。お詫びに優ちゃんの相談内容教えてやんよ」
「え!?ちょ、それは、」

止める間もなく天城さんは創くんの耳元に近付いて、口許を隠しながら私の秘密を暴露した。許せない、私の欲望が本人に晒されてしまうなんて。
それを聞かされた創くんの顔はみるみる赤くなっていくし、つられて私も赤面してしまう。

「んじゃ、俺はコーヒーも飲みきったし退散するわ。いいよなァ?」
「は…はい、すみません、お忙しいのに引き留めてしまって」
「いいってことよ。優ちゃんと仲良くしろよォ?」
「勿論です、誰が何と言おうと仲良くしますよ」

天城さんのせいだが、天城さんのおかげで創くんは笑顔を取り戻した。誤解を解いてくれたのはいいけど、ここから二人きりにされて私どうしたらいいの。
創くんは席を立って天城さんを通してしまうし、天城さんもホッとしたのか創くんの頭をわしゃわしゃと撫でて去っていった。
そのついでみたいに、ニキくんはさりげなく創くんの分の紅茶を持ってきてくれて、机に置いてすぐに奥に引っ込んでしまった。

「ふふ、お顔が真っ赤ですよ」
「…創くんも」

創くんは席に座り直し、今度はちゃんと私の真っ直ぐ正面で向かい合えた。

「彼氏に満足できないって聞いて…すごく不安になっちゃいました。僕、彼氏としての自信なんて無いですし…このまま振られちゃうのかなって、思っちゃって。でも、そうじゃないんですよね?天城さんに相談したこと、本音なんですよね?」

恥ずかしいけれど、私はうんうんとうなづいた。

「僕はまだ未熟ですし、大人の男だなんて到底言えません。でもいつか、優さんを大事に守って、毎日笑顔で幸せだって言わせられるように頑張ります。だから、その…待っていて欲しいです。いつか、ちゃんとした形でプロポーズをするその日まで」
「は…はい!」

今の、何?婚約?はいと即答してしまった。いや、はい以外の答えはありえないから問題ないけど。けど、その、プロポーズされるまでキスもお預けということだろうか。創くんが結婚できる年齢になって、更にそのさきってことは、あと何年かかるんだ。キスは結婚してからとか言う天城さんが硬すぎて変だと思ったのに、まさか創くんまでそのタイプだとは。

「もしまた何か思うことがあったら、他の人じゃなくてちゃんと僕に言って欲しいです。そうじゃないと、また不安になってしまうので」
「そうだよね、本当にごめんね。気を付けるね」
「はい。すれ違ってしまうのは悲しいですしね」

キスしたいとか結婚したいとか、例え恥ずかしいことだったとしても、悶々としていたらこうしてばれてしまう時が来るし、不安にさせてしまう。大好きな創くんの笑顔を守るためにも、私が相談する勇気を持たなければ前に進めない。

「今日は朝から優さんに会えて嬉しかったのに、また1歩近付けたみたいで更に嬉しくなっちゃいました。今日もお仕事頑張りますね」
「わ…私も嬉しい!私も、お仕事頑張る……ほんとは今、ちょっとさぼっちゃってここに来てたんだけどね…反省する」
「さぼっちゃうのはあんまり良くないかもですけど…でもそのお陰でこうしてお話できたので、良くないことだなんて一概に言えないですね」

私を思い切り甘やかしてくれる創くんについ甘えてしまう。私ばかり甘やかされて大事にされて幸せにしてもらっているように感じてしまう。こんなに幸せなのに、これ以上もっとちょうだいなんて欲張りがすぎる。

「僕、こうして優さんとおしゃべりして、美味しい紅茶を味わって、見つめ合う時間大好きなんですよ」
「わ、私も、好き……どうしたの、そんなに嬉しいことばっか言われると幸せ過ぎて死んじゃいそう」
「優さんのおかげで幸せいっぱいなので、僕からも幸せのお裾分けをしたくって♪ これからもっと幸せになってもらう予定なんですから、まだまだ死んじゃだめですよ?」
「生きる…」

結婚してくれるなら死ぬまでずっと一緒に居てくれるのかなぁと、漠然とした未来が思い浮かんだ。これから何十年も一緒に居られるなら、焦ってキスしたいとか求めるのは控えよう。はしたない女だと思われたくもないし、その時が来るまでの辛抱だ。